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京都大学メールマガジン Vol.25

2008-07-25 15:33:06 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」

〈京都大学メールマガジン ・ハーバード大・東大・早大・慶大・学生街・図書館・サークル〉


調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫




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京都大学メールマガジン Vol.25
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目次:
◆最近の日程表から  尾池和夫
◆お知らせ
◆オープンキャンパス
◆同窓会・その他
◆大学の動き
◆研究成果
◆イベントのお知らせ
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◆最近の日程表から  尾池和夫

また、日記から、この一か月ほどの仕事のおもなものを紹介したい。さまざまのことがあったが、いずれも未来につながるうれしいことが中心で幸いなことだと思っている。
【2008年6月】
23日(月)、こころの未来研究センター長の吉川左紀子先生と対談。センターの広報誌が発行されることになり、その第1号の記事になるそうだ。
京都大学オープンコースウェア総長懇談会が京大会館で開催され、グーグル株式会社の村上憲郎社長が出席して下さった。動画が配信できるようになったのが大きな出来事である。
24日(火)、経営協議会を開催。
25日(水)、京都大学交響楽団第183回定期演奏会が京都コンサートホールで開催された。客演指揮は、大山平一郎さん。
26日(木)、帝国ホテル(東京)で開かれたAPRUのAWI理事会に出席し、慶應義塾大学でのAPRU第12回年次学長会議に出席した。APRUの理事会で次期も続けてAWI理事を務めることが決まった。銀座の交詢社で開催された歓迎のレセプションでは、緒方貞子さんの素晴らしいスピーチがあった。
27日(金)、APRU第12回年次学長会議の後、慶應義塾大学150周年記念夕食会が帝国ホテルで開かれ、ご出席の福田首相に挨拶した。
28日(土)、京都で、第12回地震火災フォーラムで講演。この日、福井地震から60周年の日である。
29日(日)、札幌市で、G8大学サミットのウェルカムパーティーに出席。G8以外の国から、中国、インド、南アフリカ、ブラジル、オーストラリアなど、22大学の学長が参加した。
30日(月)、G8大学サミットでは、温暖化、資源、エネルギーのような問題を考えるときに、安定大陸の文化と変動帯の文化という二つの世界の視点で考えることが重要だという話をした。
【2008年7月】
3日(木)、七大戦の壮行会が昼に時計台前で、壮行会が夜吉田食堂で開催された。
5日(土)、仙台で七国立大学総長懇談会と七大学総合体育大会開会式が東北大学で開かれた。
7日(月)、総長賞の受賞者たちと「紅萠」の巻頭座談会。夜は、京都大学の外国人留学生歓迎パーティーで、七夕の笹が用意された。
8日(火)、新病棟「積貞(せきてい)棟」の起工式が行われ、寄附してくださった山内溥さんとともに地鎮祭に参列した。
9日(水)、東京で有馬朗人先生と対談。「俳句研究」の次の号に載る予定である。俳句の話もしたが、やはり大学のことが多くなった。
国立大学協会政策会議と理事会に出席した。
10日(木)、東京でCKプロジェクト「高次生体イメージング先端テクノハブ シンポジウム」に出席して開会の挨拶とお礼を述べた。
11日(金)、白浜でフィールド科学教育研究センターの海洋調査研究実習船「ヤンチナ」の完成披露式に出て試乗した。田辺湾の防災研究所の観測塔を廻って快走した。その後、久しぶりに京都大学の水族館を見学し、水族館の普通は見えない部分での仕事も見学した。
12日(土)、白浜の京都大学白浜海の家の竣工披露式に出席した。j-Pod方式で、和歌山研究林の杉の間伐材で作った素晴らしい海の家である。木の香がただよう部屋での披露式には、白浜町長、議長、消防長、警察署長さんたちが列席してたいへん盛会だった。やがて来る南海地震による津波への備えを、大学と白浜町で実行してほしいと挨拶した。
13日(日)、高知で横波三里の京都大学フィールド科学教育研究センターのステーションを見学した。自然の状態が保存されている太平洋に面した海で、貴重なデータが得られ、得難い体験のできる教育が行われている。横波三里から帰って、高知市で森里海連環学の一部としての公開講座で講演した。
14日(月)、夕方、さまざまの国からの学生たちと、国際交流センターで、おにぎりパーティーを楽しんだ。
15日(火)、人間ドックを受診。
16日(水)、時計台で生存基盤科学研究ユニット報告会、桂の船井哲良記念講堂でノーベル賞・フィールズ賞受賞者展示コーナー開設式、夜は理事、部長、課長の送別会。
17日(木)、京阪奈学術研究都市の国際高等研究所を訪問した。
18日(金)、木谷雅人理事に辞職の辞令を交付した。
京都市立芸術大学のあり方懇談会の第1回で座長に就任した。村田学術振興財団助成金贈呈式が村田製作所本社で。
19日(土)、卒業生たちの集まりである「京都葵の会」で講演した。昭和40年以後の卒業生が集まる会である。
21日(月)、東京で、「地球を考える会」第1回フォーラムに出席した。
22日(火)、役員会、教育研究評議会の後、創立111周年記念「これからの京都大学」論文コンクール表彰式が開催された。夜、部局長会議懇親会が開催された。
23日(水)、大西珠枝さんに理事の辞令を交付した。
このような調子で、8月にかけて、なかなか休みが取れない日程が続くようだ。明日24日、東京で国立大学協会大学評価委員会を開催、25日から27日まで天城学長会議に世話役として出席、28日、役員会のあと、午後、宮崎へ移動し、野生動物研究センターの幸島観察所を視察という予定になっている。


◆お知らせ◆

○京都大学創立111周年記念論文コンクール

選定結果について
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080708_1.htm

授賞式
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080722_3.htm

○京都大学企業ナビフォーラム「知の戦略ー革新と創造がひらく未来」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080805_3.htm

◆オープンキャンパス◆

○京都大学・立命館大学合同オープンキャンパス2008 in 名古屋・福岡 ~京都で学び世界へ~
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080727_2.htm


◆同窓会◆

○京都葵の会(第139回)が開催されました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2008/080719_3.htm


◆大学の動き◆

○京都大学白浜海の家竣工披露式を挙行
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080712_1.htm

○瀬戸臨海実験所の実習船「ヤンチナ」をお披露目
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080711_2.htm

○桂キャンパス船井哲良記念講堂にノーベル賞・フィールズ賞受賞者の展示コーナーを開設しました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080716_2.htm

○医学部附属病院 新病棟「積貞棟」(寄附病棟)の起工式を実施しました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080708_2.htm

○大学発教育支援コンソーシアムキックオフイベントが開催されました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080712_2.htm

○iPS 細胞の企業等への提供事業を7月7日から開始
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080630_2.htm

○iPS細胞研究成果の社会還元を図るための事業について
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080703_1.htm

○尾池総長と本学学生等による懇談の夕べを開催しました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080714_1.htm

○第47回全国七大学総合体育大会の壮行会を開催しました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080703_2.htm

○京都大学大学院生が「世界歴史都市会議」で発表しました 。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080611_1.htm

○京大ボート部:第59回京都大学・東京大学対抗競漕大会を開催しました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080706_1.htm

○京大ボート部がドイツに遠征しました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2008/080725_1.htm

○栄誉
・北川 進 物質-細胞統合システム拠点教授がフンボルト賞を受賞しました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080630_1.htm

・工学研究科の田中功教授が2008年度フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞授賞式に出席
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080624_2.htm

・柏原 正樹 数理解析研究所教授が藤原賞を受賞
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/080715_1.htm


◆研究成果◆

○代表的な善玉菌であるビフィズス菌の増殖因子を発見
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news6/080709_1.htm

○「双子」の巨大ブラックホール探査の新方法を発見
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news6/080722_1.htm

○今西錦司と日本の霊長類学の60年
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2008/080723_1.htm

○タンパク質の細胞内品質管理を担う新規還元酵素の発見
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news6/080725_1.htm


◆イベントのお知らせ◆

○総合博物館 2008年春季企画展 「京の宇宙学―千年の伝統と京大が拓く探査の未来―」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080831_1.htm

○京都大学野生動物研究センター設立記念写真展
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080730_2.htm

○“はんなり京都嶋臺(しまだい)塾” 第12回「水を治める」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080729_1.htm

○京都大学放射性同位元素総合センター体験授業「放射線って何だろう?」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080801_1.htm

○学術情報メディアセンターセミナー「Adaptivity and Personalization in Mobile Learning」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h12/d1/news4/2008/080801_2.htm

○総合博物館 レクチャーシリーズ no.63 ペンギンもクジラも同じ速さで泳ぐ!?
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080802_3.htm

○iCeMS カフェ 京都の町家で科学についてお話しませんか? 『運ぶ ‐いるものといらないものを分ける‐』
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080802_2.htm

○こころの未来センター 第3回依存症研究会
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080805_2.htm

○京都大学大学院情報学研究科公開講座 「こんなに楽しい数理の世界」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080809_2.htm

○高等教育研究開発推進センター第78回公開研究会
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news4/080822_3.htm

>>その他のイベント情報はこちらをご覧ください。
http://www.kyoto-u.ac.jp/notice/05_event/event.htm


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★このメールは、転送していただいて差し支えございません。
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□編集・発行
京都大学 秘書・広報室 ksens521@mail.adm.kyoto-u.ac.jp
〒606-8501
京都市左京区吉田本町 電話 075-753-2072
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立教大学メールマガジン第139号 ■本文 4918文字

2008-07-25 15:27:34 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
立教大学メールマガジン第139号


立教大学メールマガジンPC版(一般向)
第139号     2008/7/25

========== 目 次 ==========
◆Rikkyo news
◆◆from our Campus
◆◆◆NEWS by St. Paul’s Sports Press
◆◆◆◆Classes
◆◆◆◆◆Event
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◆◇◇◇◇◇◇◇Rikkyo news◇◇◇◇

■asahi.com「立教ジャーナル」7月15日号更新しました。
「地球温暖化ストップに向けて今すぐ頭の切り替えを」と、
環境、経済、平和のスペシャリスト・田中 優講師が熱く語っています。
その他、学生団体や活躍する卒業生のコンテンツなど多数展開中です。
詳しくこちら↓
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=286&n=4831

■文学部兼任講師の松本秀士氏が「日本医史学会学術奨励賞」を受賞!
文学部兼任講師の松本秀士氏が論文「清末刊行の中国文 人体解剖学書について」で
「日本医史学会学術奨励賞」を授与されました。
写真つきの詳細はこちら↓
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=287&n=4831

■観光学部がマレーシアのマラヤ大学と学部間協定を締結しました。
立教大学観光学部とマラヤ大学人文社会学部および言語学部の間で
教員や学生の相互交流を促進します。
写真つきの詳細はこちら↓
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=288&n=4831

■黒岩常祥特任教授が日本人初、米国植物科学賞(バーンズ賞)を受賞!
細胞生物学者である黒岩常祥特任教授(理学研究科)が2008年度の米国植物科学会賞
(バーンズ賞 Charles Reid Barnes Award)を受賞しました。
同賞は1925年に創設されて以来今年で83回となり、日本人が受賞したのは初めてです。
写真つきの詳細はこちら↓
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=289&n=4831


◆◆◇◇◇◇◇from our Campus!◇◇◇◇

★from students(社会学部社会学科2年次 増田直之)
ようやく前期の授業が終わり、だんだん夏休みが近づいてきました。
夏休みといえば海・花火・旅行などなど、やりたい事や行きたい所がいっぱいありますよね。
せっかくの夏休みなんだし、やり残した事がないと言えるくらい思いっきり遊んでやりましょう!!
さて、自分たち野球部はというと、夏休みは毎日野球三昧です。
毎年、秋田キャンプと新座キャンプの2組に分かれて練習します。
授業のある期間と違い、1日中練習をするので、非常につらいです。
そんな憂鬱な状態の自分ですが、最近ちょっとした意識改革が起こりました。
最近、プロ野球の試合やニュースを見ていると、立教野球部OBの先輩方の活躍している姿が
放送されていることがあります。新人王候補に名前を挙げられている先輩もいました。
プロ野球という、自分たちよりも遥かに厳しい世界で結果を残している先輩方に刺激を受け、
夏のつらい練習も頑張ろうという気になりました。
野球部は春季リーグ戦4位と昨年より順位を上げましたが、まだまだ満足いく結果ではありません。
この夏を乗り越え、野球部全員レベルアップし、秋は優勝目指して頑張るので是非神宮に足を運んでください!!

★from students(コミュニティ福祉学研究科(前期)2年次 竹島史織)
小中高の生徒のみなさんは夏休みに入られたようですね。
私は今が何月何日なのかもスルーしてしまうほど時間に追われている毎日なのですが、
先週道端で小学生が一生懸命朝顔の鉢を持って帰る姿を見て、
はたと「あ、夏がきたんだなあ」と気づいたのでした。
私は研究の夏になるかなあ。そろそろ腰をすえて粘らねば・・。
今私は遺児の心理的支援に関する研究をしています。
先週、先々週と子ども時代に親の死別体験のある方たちにインタビューをさせていただきました。
本当にたくさんの複雑な想いを抱えている体験や感情を私なんかに真剣に全力でお話してくださって、
インタビューという以前に私個人として、本当にいい機会と時間を与えてもらったなあ、
というのがまず最初の率直な想いでした。
学年を経るにつれ、このような自分の心や価値観が突き動かされる体験と、
普段の日常生活ではなかなか出会えないことが多くなってしまいましたが、
私の周りには全力で真っ直ぐぶつかってくれる人がたくさんいたんだなあ、と学生生活を振り返って感じます。
なんてことのないくだらないことを、同じ目線で真剣に語り、
真剣に耳を傾けてくれた仲間との出会いとその時間が私の学生生活の一番の宝であったなあ、と。
今回のインタビューで、協力してくださった方たちが真剣に私と向き合ってくれたから、
学生生活最後、研究という形を通して私は本気で仲間とぶつかろう、と思う今日この頃なのでした。

※キャンパス風景がわかる写真公開中!(随時更新)
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=290&n=4831

◆◆◆◆◆◇◇◇NEWS by St. Paul’s Sports Press◇◇◇◇

前期の授業も終わり、いよいよ試験期間に突入しました。
キャンパス内も普段とは違う雰囲気が漂いつつあります。
そしてこれからシーズンを迎える部は、大会に向けて日々練習を
重ねていることでしょう。
今回は秋にリーグ戦が始まるアメリカンフットボール部のお話です。

関東学生アメリカンフットボールリーグ1部に所属する立教大学ラッシャーズ。
本学でも数少ない、学生最高峰の舞台で戦う集団だ。
リーグ戦が行われる秋に向け、彼らはこの春6試合のオープン戦を戦った。
今回はその戦いぶりと、リーグ戦本番の展望を伝えたい。
例年は2試合程度のオープン戦しか行わない本学。
しかし今年は関東、関西の1部に所属する4校を含む6校と試合を行った。
その理由は、実戦を多く経験しチーム力を高めることにある。
昨年、1部Bブロック7位に終わった本学は、リーグ戦序盤で
昨シーズン高順位のチームと戦わなければならない。
リーグ戦の中でチーム作りをしていく余裕はないのだ。
春の初戦の相手は同大。昨年の対戦では勝利を収めたが、今年は立ち上がりから
劣勢に立たされる。同大DFのプレッシャーを前に、終始悪いフィールドポジションでの
プレーを余儀なくされ、無得点のまま前半だけで2FGと1TDを奪われてしまう。
後半に入り、本学も初得点を決め立ち直ったかに見えたが…。

続きはこちらからお楽しみください!
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=291&n=4831

体育会各部の詳細な戦績については以下のアドレスでご確認いただけます。
http://spsports.blog5.fc2.com/ 
(携帯) http://blog5.fc2.com/spsports/?m  

体育会情報が満載の立教スポーツ編集部のHPも同時によろしくお願いいたします!
アドレスは以下の通りです。
http://www.rikkyo.ne.jp/sgrp/spsports/ 

体育会機関紙『立教スポーツ』の購読・体育会情報に関するお問い合わせは
spsports@mail.goo.ne.jpまで。

◆◆◆◆◆◆◇◇Classes◇◇◇◇

学部・大学院の授業をご紹介します!

■【理学部】 数学概論1─大学数学への入門─
担当:中根美知代教授/木田祐司教授/筧 三郎教授
「高校数学」と「大学数学」には大きな違いがあり、初めて大学の数学に触れたとき、
戸惑いを感じました。このような高校と大学での数学のギャップを埋め、
今後の勉強でつまずかないようにするために開かれるのが、この「数学概論1 ─大学数学への入門─」です。
授業の様子を写真入でご紹介します。↓
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=293&n=4831


◆◆◆◆◆◇◇Event(7月)◇◇◇◇

大学もいよいよ夏休み目前です。
夏休み期間中はいつもより少ないですが、いくつか講演会が開催されます。
本学21世紀社会デザイン研究科が、昨年6月に設立された「日本希望製作所」と
共催で開催する日本と韓国の市民社会の役割について論じるシンポジウムなど、
この機会にぜひご参加ください。
なお講演会の日程等は変更になる場合がありますので、事前に必ずHPをご確認ください。

■21世紀の市民社会をデザインする
─変化と改革のための日韓市民社会の役割─(2008.07.28)
https://asp.checkmail.ne.jp/speedmail/management/analysis/forward.php?i=rikkyo&c=294&n=4831

■第16回家族援助技術セミナー「福祉現場で活かす家族療法」
オープンセミナー「家族療法から家族協働参画型実践へ」(2008.08.27)
http://univ.rikkyo.ac.jp/event/2008/08/16.html


新しいイベント・講演会情報は随時HPで更新しています。
以下をご覧ください。
新しいイベント・講演会情報は随時HPで更新しています。
以下をご覧ください。
◇その他公開講演会のお知らせ
http://univ.rikkyo.ac.jp/event/

◇連続シンポジウム《未来の声を聴こう》の採録
http://univ.rikkyo.ac.jp/sympo/2007/

◇公開講演会レポート(過去の講演会の採録です)◇
http://univ.rikkyo.ac.jp/feature/lecture_report/

◇立教TV(立教のクラブ・サークルを動画で紹介するコンテンツ)◇
http://univ.rikkyo.ac.jp/rikkyo_tv/

◇立教大学卒業生のみなさま!
校友会HPはこちらhttp://univ.rikkyo.ac.jp/koyu/


★★★立教大学メールマガジンの解除の申し込みについてはこちら★★★
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/kohoka/univ_data/mm/index.html

発行:立教学院広報課(電話03-3985-2202)



横浜山手女子中学校・高等学校の中央大学附属学校化協議を開始

2008-07-24 13:39:41 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
横浜山手女子中学校・高等学校

横浜山手女子中学校・高等学校(よこはまやまてじょしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は横浜市中区山手に所在する中高一貫校。

目次 [非表示]
1 沿革
2 部活動
2.1 総務部
2.2 運動部
2.3 文化部
2.4 同好会
3 交通
4 関連項目
5 外部リンク



[編集] 沿革
1908年(明治41年)、母体の横浜女子商業補習学校設立
1925年(大正14年)、前身の横浜女子商業学校を設立
1948年(昭和23年)、学制改革により、横浜女子商業学園高等学校・中学校と改称
1991年(平成3年)、普通科設置
1994年(平成6年)、横浜山手女子高等学校・中学校に改称
2008年(平成20年)、横浜山手女子中学校・高等学校の中央大学附属学校化協議を開始

[編集] 部活動

[編集] 総務部
生徒会、新聞部、放送部、図書部


[編集] 運動部
体操部、テニス部、バドミントン部、ダンス部、剣道部、卓球部、バレーボール部、バスケットボール部、バトン部、陸上競技部、ソフトボール部、フットサル部


[編集] 文化部
演劇部、華道部、茶道部、音楽部、美術部、料理部、英語部、軽音楽部、写真部、JRC、珠算部、作画研究部、吹奏楽部、文芸部、書道部、手芸部、自然科学部、園芸部、落語研究会、


[編集] 同好会
オセロ同好会、コンピュータサークル


[編集] 交通
根岸線石川町駅より徒歩

[編集] 関連項目
神奈川県高等学校一覧

[編集] 外部リンク
ようこそ横浜山手女子学園へ公式ページ
この「横浜山手女子中学校・高等学校」は、学校に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:教育/PJ学校)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B1%B1%E6%89%8B%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1" より作成
カテゴリ: 学校に関するスタブ | 横浜市の私立高等学校 | 横浜市の私立中学校 | 私立中高一貫校 | 女子校 | 中区 (横浜市)

【適書150選:前橋高校図書館】

2008-07-24 07:57:13 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
【適書150選:前橋高校図書館】



愛をください 辻   仁成
青が散る 宮本   輝
蒼き狼 井上   靖
あかね空 山本 一力
明るいほうへ 金子みすゞ 
阿修羅のごとく 向田 邦子
アンダーグラウンド 村上 春樹
イエスの生涯 遠藤 周作
海辺のカフカ 村上 春樹
旧約聖書を知っていますか  阿刀田 高 
現代の短歌 高野 公彦編
現代の俳句 平井 照敏編
行 人 夏目 漱石
孤高の人 新田 次郎
西行花伝 辻    邦生
坂の上の雲 司馬遼太郎
潮 騒 三島由紀夫
詩のこころを読む 茨木のり子 
信じることと、疑うことと なだいなだ
深夜特急1~6 沢木耕太郎
堕落論 坂口 安吾
団塊の世代 堺屋 太一 
同時代ゲーム 大江健三郎
どくとるマンボウ青春記 北   杜夫
夏の花 原   民喜
萩原朔太郎詩集 萩原朔太郎
母 三浦 綾子
晩 年 太宰   治
白 夜 渡辺 淳一 
氷 点 三浦 綾子 
氷 壁 井上   靖
忘却の河 福永 武彦
砲撃のあとで 三木   卓 
豊饒の海 三島由紀夫
螢 川 宮本   輝 
万葉の旅(上・中・下) 犬養   孝 
壬生義士伝(上・下) 浅田 次郎 
ミラクル 辻   仁成
燃えつきた地図 安部 公房
モオツァルト・無常と言ふこと 小林 秀雄
夜明け前(1部上・下、2部上・下) 島崎 藤村
レキシントンの幽霊 村上 春樹


赤と黒 スタンダール
アドルフ バンジャマン・コンスタン
雨・赤毛 サマセット・モーム
怒りの葡萄 ジョン・スタインベック
イギリス名詩選 平井正穂編
異邦人 カミュ
かもめのジョナサン リチャード・バック
郷 愁 へッセ
クヌルプ ヘッセ
黒猫・黄金虫 ポー
ケインとアベル ジェフリー・アーチャー
恋の骨折り損 シェークスピア
サキ短編集 サキ
桜の園 チェーホフ
脂肪の塊 モーパッサン
狭き門 アンドレ・ジッド
ダーバーヴィル家のテス (Tess of the d'Urbervilles) トマス・ハーディ
罪と罰(上・下) ドストエフスキー
ハツカネズミと人間 ジョン・スタインベック
緋文字 ナサニエル・ホーソン
武器よさらば(上・下) ヘミングウェイ
変 身 カフカ
星の王子さま サン=テグジュペリ
ルーツ アレックス・ヘイリー
ALT カーティス・中村先生の推薦図書 カーティス・中村

アシュリー アシュリー・ヘギ
EQ こころの知能指数 ダニエル・ゴールマン
イエスのミステリー バーバラ・スィーリング
一語の辞典 義理 源   了圓
欧米人が沈黙するとき 直塚 玲子
応用倫理学のすすめ 加藤 尚武
外国語上達法 千野 栄一
「語りえぬもの」からの問いかけ 宮本 久雄・岡部 雄三編著
「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか 日垣   隆
逆説論理学 野崎 昭弘
究極の勝利-最強の組織とリーダーシップ論- 清宮 克幸
教養としての言語学 鈴木 孝夫
言語を生み出す本能 スティーブン・ピンカー
後世への最大遺物 内村 鑑三
こころの処方箋 河合 隼雄
ことばの歳時記 金田一春彦
しぐさの文化比較 リージャー・ブロズナハン
司馬遼太郎が考えたこと 1~15 司馬遼太郎
14歳からの哲学 池田 晶子
タゴール著作集 第九巻 文学・芸術・教育論集 タゴール
読書について ショウペンハウエル
日本人の心理 南    博
パサージュ論 ベンヤミン
始めるのに遅すぎることなんかない 中島   薫
般若心経講義 高神 覚昇
人を動かす デール・カーネギー
武士道 新渡戸稲造
まちがったっていいじゃないか 森    毅
無意識の構造 河合 隼雄
羊皮紙に眠る文字たち スラブ語文化入門 黒田龍之介

あゝ野麦峠 山本 茂実
異形の王権 網野 善彦
ウルトラマンを創った男 ~金城哲夫の生涯~ 山田 輝子
音楽の根源にあるもの 小泉 文夫
オンリー・ミー 三谷 幸喜
カラカウア王のニッポン仰天旅行記 荒俣   宏
憲法と国家 樋口 陽一
古墳とヤマト政権 白石太一郎
「社会調査」のウソ 谷岡 一郎
「弱者」とはだれか 小浜 逸郎
世界は「使われなかった人生」であふれてる 沢木耕太郎
先生はえらい 内田   樹
千利休 無言の前衛 赤瀬川原平
「孫子の兵法」がわかる本 守屋   洋
大衆教育社会のゆくえ 刈谷 剛彦
遠野物語 柳田 国男
日本の社会保障 広井 良典
日本百名山 深田 久弥
風塵抄 司馬 遼太郎
武家と天皇 -王権をめぐる相克- 今谷   明
二人で紡いだ物語 米沢 富美子
豊かさの条件 暉峻 淑子
夜回り先生 こころの授業 水谷   修
リーダーシップの科学 三隅二不二
歴史家の立場 会田 雄次
歴史とは何か E・H・カー
歴史を深く吸い込み未来を思う 寺島 実郎
ワールドサッカーの戦術 瀧井 敏郎
ワイルド・スワン(上・下) 張    戎

アポトーシスとは何か  田沼 靖一
アメリカへ博士号をとりにいく 鎌谷 朝之
宇宙創世から人類誕生までの自然史 和田 純夫
王様気どりのハエ ロバート・S・デソヴィツ
化学・意表をつかれる身近な疑問 日本化学会編
化学反応はなぜおこるか -授業ではわからなかった科学の基礎- 上野 恵平
「数」の日本史 伊達 宗行
がんばらない 鎌田   實
君について行こう(上・下) 向井万起男
99.9%は仮説 竹内   薫
ゲーデル・不完全性定理 吉永 良正
研修医純情物語 川渕 圭一
ご冗談でしょう、ファインマンさん(上・下) ファインマン
ゴジラ生物学序説 -妄想から科学ヘ- SUPER STRINGS サーフライダー21
COSMOS(上・下) カール・セーガン
サクラソウの目 -保全生態学とは何か- 鷲谷いづみ
進化しすぎた脳 スティーブン・ホーキング
人物で語る物理入門(上・下) 米沢富美子
数学受験術指南  森    毅
数学21世紀の7大難問 中村   亨
数学の秘かな愉しみ K・C・コール
数学まだこんなことがわからない 吉永 良正
精神と物質 -分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか- 立花 隆 他
世界のたね アイリック・ニュート
ゾウの時間ネズミの時間 本川 達雄
そんなバカな!-遺伝子と神について- 竹内久美子
ダーウィン論  今西 錦司
沈黙の春 レイチェル・カーソン
ドンネルの男・北里柴三郎(上・下) 山崎 光夫
光で語る現代物理学 -光速Cの謎を追う- 小山 慶太
微生物の狩人  ポール・ド・クライフ
無限の果てに何があるか 足立 恒堆
理科系の作文技術 木下 是雄
理系のための研究生活ガイド 坪佃 一男

宇治拾遺物語 未 詳
海と毒薬 遠藤 周作
ガリヴァー旅行記 スウィフト
監 督 海老沢泰久
北の海 井上   靖
古事記・日本書紀 太安万侶・舎人親王
ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
大地の子(1~4) 山崎 豊子
弟 子 (「李陵・山月記」より) 中島   敦 
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開成中学校・高等学校

2008-07-24 07:44:20 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
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高大連携情報誌「大学受験ニュース」
〈開成・ハーバード大・東大・早大・慶大・学生街・図書館・サークル〉

開成中学校・高等学校


開成中学校・高等学校
過去の名称 共立学校
尋常中学共立学校
東京府開成尋常中学校
東京府開成中学校
私立東京開成中学校
東京開成中学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人開成学園
設立年月日 1871年(明治4年)
創立者 佐野鼎
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
所在地 〒116-0013
東京都荒川区西日暮里4-2-4
電話番号 03-3822-0741
外部リンク 公式サイト

■テンプレート/■ノート開成中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう 英語名:Kaisei Junior & Senior High School)は、東京都荒川区西日暮里にある私立中学校・高等学校である。中高一貫制男子校。

目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 アクセス
4 年間行事
4.1 ボートレース
4.2 運動会
4.2.1 競技
4.3 臨海学校
4.4 文化祭
4.5 マラソン大会
5 高校関係者一覧
6 開成から分離独立した学校
7 開成の関係者が設立した学校
8 関連文献
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク



概要
1871年に共立学校として開校。中学受験では麻布、武蔵と共に男子御三家として一部で認識されている。校名の『開成』とは、東京大学の前身であった開成学校と同じく、「論語」の「開物成務」からとったものである。そのため、「開成」を冠する学校は他にも多数存在するが、本稿で取り上げる開成学園の学校と歴史上関係がある学校は逗子開成中学校・高等学校に限られる(下記参照)。

自由闊達・質実剛健な明治以来の校風はよく知られ、運動会・水泳学校・ボートレース・マラソン大会などは開成のもう一つの顔として知られている。特に運動会は現役生徒が心血を注ぐ一大イベントで、卒業生や父兄間では「開成といえば運動会」との声は根強い。 中高一貫教育が主流という事情もあり、校内では「中学1年」(中1)・「高校3年」(高3)などとともに「1年」「6年」などの用語も使用されている(本稿では「中1」「高3」を使用)。


沿革
1871年、佐野鼎らによって神田相生橋(現 神田淡路町)に共立学校(きょうりゅう がっこう)として創立された。鼎の急逝後には廃校同様となったが、1878年に大学予備門教授の傍ら高橋是清が校長、鈴木智雄らが講師に就任した。共立学校を大学予備門への進学者のための受験予備校として改革し、是清が校長に就任した翌年の1879年には、共立学校からの大学予備門入学者が定員466名のところ、実に112名に達した。その後も1890年代初期まで70人台、40人台、50人台と推移した[1]。

1891年、尋常中学校令により、尋常中学共立学校と改称。さらに、1886年及び1891年の中学校令公布により、1府県1中学と定められたことにより東京に受験生が集まらなくなった私立各校とも軒並み経営が傾き、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、共立中学(都立戸山高)と共立学校(開成)が東京府の管轄下に入り、1895年にはそれぞれ東京府城北尋常中学校、東京府開成尋常中学校と改称した。このとき、校名が「共立学校」から「開成」となったのは、東京府当局が「共立」と「府立」は相容れないとして難色を示したためだとされている。さらに中学校令改正により1899年に東京府開成中学校と改称。

まもなく各種特権が私学にも与えられるようになったため、1901年に府の管轄から私立へ復して私立東京開成中学校となり、1919年に東京開成中学校と改称。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。戦後、学制改革により、1947年に新制中学校(開成中学校)が発足し、1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行し現在に至る。

また、現在の道灌山の校地に移転したのは、関東大震災により淡路町校舎が消失した1924年のこと。1920年に初めて行われた東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大附属中・高)とのボートレースは現在も行われている。

1960年に高校募集(定員50名)を開始し、次いで東大合格者数首位の座を掴むため、1974年には高校募集枠が100名に拡大され、現在の中学定員1学年300名、高校定員1学年400名体制となった。1977年には東大合格者数で初めて首位の座に立ち、1982年から現在に至るまでトップの座にある。


アクセス
JR山手線・地下鉄千代田線西日暮里駅より約100m(徒歩1分)
東京都交通局日暮里・舎人ライナー西日暮里駅より約300m(徒歩4分)
東京都交通局・都営バス草63系統・里48系統西日暮里駅バス停
西日暮里駅の開業以前(営団地下鉄は1969年、国鉄は1971年)には国鉄田端駅(約800m)と国鉄・京成電鉄日暮里駅(約900m)が最寄り駅だった。

年間行事
4月 - ボートレース
5月 - 運動会
8月 - 臨海学校
9月 - 文化祭(開成祭)
10月 - マラソン大会
2月 - 中学・高校入試

ボートレース
1920年以来、毎年4月にボート部の部員により戸田漕艇場にて開成と筑波大学附属高等学校のボートレースが行われている。現在の種目は舵手付きクォドルプル(両手漕ぎ四人乗り)である。通算成績は開成の39勝40敗であるが、現在6連敗中である(2007年現在)。毎年新入生(中1及び編入の高1)の全員と高2・高3の有志で組織される応援団が応援に行くこととなっている。


運動会
例年5月の第2日曜日に行われる、開成最大のイベント。高3が中心となって例年丸一年をかけて創り上げられる。紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒の組に分かれて行われる。中高合同で行われ、高校はクラスごと、中学は各クラス5~6人ずつ8つの色に分ける(中学は7クラスのため)。この色が各組のアイデンティティとして代々引き継がれ、卒業後も同窓会の会合などでは「1組」「2組」とともに「紫組」「白組」などの呼称が使われる事が多い。また、審判や運営担当の「運動会準備委員会」なども独自の色の鉢巻きやたすきなどを着用する。


競技
団体競技(基本的に全員参加)
馬上鉢巻取り(中1)
綱取り(中2)
俵取り(中3)
騎馬戦(高1)
棒倒し(高2・高3)
個人競技
学年別リレー(中学各学年)
スウェーデンリレー(高校各学年)
全学年リレー
要領次第(中学)

臨海学校
毎年7月、水泳部の合宿と合同で行われ、千葉県館山市の施設に中1が全員参加する。同水泳部は日本泳法の水府流太田派を継承し、参加者全員が白の六尺褌を着用する[1]。


文化祭
毎年9月の第4土曜日と第4日曜日に開催され、「開成祭」とも呼ばれる。生徒運営による「文化祭準備委員会」の下、文化系の各部や同好会・サークルなどが参加し、日頃の研究成果の発表やパフォーマンスなどが行われる。また、運営本部による古本市も開催され、教職員などが本を寄付する。入場制限はなく、開成を志望する児童・生徒やその保護者も頻繁に訪れるが、知名度は運動会に劣る。この点は、進学校として対比される事が多く、文化祭の方が運動会よりも注目を集める麻布中学校・高等学校と好対照である。また、生徒は高2の文化祭を最後に部・サークル活動を引退し、高3は文化祭に参加しないのが慣例となっている。


マラソン大会
荒川河川敷を利用して行われる。1903年に始まり、初めは中山道を経由して巣鴨~大宮間で行われていた。その後、江戸川河川敷など何回かのコース変更を経て、現行のコースとなった。距離は中1が5 km、中2・3が6 km、高校生は8 kmである。


高校関係者一覧
開成中学校・高等学校人物一覧を参照。

開成から分離独立した学校
逗子開成中学校・高等学校
1903年に第二開成中学校として創立。
1909年に逗子開成中学校として分離独立。
昌平中学校・昌平高等学校
1903年に神田淡路町の東京開成中学校内に開成夜学校として創立。
1923年の関東大震災での校舎焼失を機に、1926年に神田駿河台に分離。
1936年に昌平中学となる。
1948年に昌平高等学校となる。
1966年に募集停止し1979年に廃止。
2000年に福島県いわき市にて東日本国際大学附属昌平中学・高等学校として再興。

開成の関係者が設立した学校
鎌倉女学院中学校・高等学校
1904年に鎌倉女学校として創立。
1948年に鎌倉女学院となる。

関連文献
『東京開成中学校校史資料』(東京開成中学校、1936年)
『開成学園九十年史』(開成学園、1961年) - 開成学園九十年史編纂委員会編集
『開成110』(開成学園、1981年) - 開成学園校史委員会編集
『子供たちの復讐 / 上:開成高校生殺人事件 下:祖母殺し高校生殺人事件』(朝日新聞社、1979年) - 本多勝一編

脚注
^ 参照 『明治前期中学校形成史 府県別編I』 神辺靖光 梓出版社

関連項目
中学校
高等学校
東日本国際大学附属昌平中学・高等学校
鎌倉女学院
高校以下の学校記事一覧

外部リンク
開成学園公式ウェブサイト
開成会公式ウェブサイト
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E6%88%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1" より作成
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藩校の養老館では四書五経を復読→東大医学部 卒。

2008-07-22 12:38:19 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
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森鴎外


森鴎外、1911年
生誕: 1862年2月17日
石見国津和野
現・島根県津和野町
死去: 1922年7月9日

職業: 小説家、評論家、翻訳家
医学者、軍医、官僚
ジャンル: 小説、翻訳、史伝
影響を
与えたもの: 多くの日本の作家
文学



森 鷗外(もりおうがい、文久2年1月19日(1862年2月17日)-大正11年(1922年)7月9日)は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、医学者、軍医、官僚。第二次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称されている。本名、林太郎(りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部 [1]卒。

大学卒業後、陸軍軍医になり、官費留学生としてドイツで4年過ごした。帰国後、訳詩編『於母影』、小説『舞姫』、翻訳『即興詩人』を発表し、また自ら文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、軍医総監となり、一時期創作活動から遠ざかったが、『スバル』創刊後に『ヰタ・セクスアリス』『雁』などを執筆。乃木希典の殉死に影響されて『興津弥五右衛門の遺書』発表後は、『阿部一族』『高瀬舟』などの歴史小説、史伝『渋江抽斎』を書いた。なお、帝室博物館(現在の東京国立博物館、奈良国立博物館、京都国立博物館)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任している。


[編集] 生涯

[編集] 生い立ち
1862年2月17日(文久2年1月19日)、石見国津和野(現・島根県)で生まれた。代々津和野藩主、亀井公の御典医をつとめる森家では、祖父と父を婿養子として迎えているため、久々の跡継ぎ誕生であった。幼い頃から論語や孟子やオランダ語などを学び、藩校の養老館では四書五経を復読。当時の記録から、9歳で15歳相当の学力と推測されており[2]、激動の明治維新に家族と周囲から将来を期待されることになる。

廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京し、翌年、住居などを売却して残る家族も故郷を離れた。東京では、官立医学校への入学に備えてドイツ語を習得するため、私塾の進文学社に入っており、その際に通学の便から、親族の西周(にし・あまね)邸に寄食している。このような幼少期を過ごした鴎外は、ドイツ人学者にドイツ語で反論して打ち負かすほど、語学に堪能であった。著作でドイツ語やフランス語などを多用しており、また中国古典からの引用も少なくない。


[編集] ドイツ留学と初期の文筆活動
1874年(明治7年)、第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)に実年齢より2歳多く偽り入学し、1881年(明治14年)に19歳8か月で卒業(今後も破られないであろう最年少卒業記録)。その後、陸軍軍医副になり、東京陸軍病院に勤務。1884年(明治17年)、ドイツ留学を命じられ、10月にベルリン入り。留学中は、ペッテンコーフェル等に就いて医学研究をするかたわら、西洋の哲学や文学などに触れて多大な影響を受けている。また、北里柴三郎とともにコッホのもとを訪れたり、ナウマンを批判したりしている。1888年(明治21年)に帰国し、陸軍軍医学校・大学校教官に任じられた。なお帰国直後、ドイツ人女性エリーゼ・ヴィーゲルトが来日し、滞在一月ほどで離日する出来事があり、このことが小説『舞姫』の素材の一つになっている。後年、エリーゼと文通するなど、その人を生涯忘れることができなかったとされる[3]。

1889年(明治22年)、新声社訳として『於母影』を発表し、弟の三木竹二などと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊した。海外文学の翻訳も多く始め(『即興詩人』『ファウスト』などが有名)[4]、以後、熱心に啓蒙的文筆活動をすることになる。当時、情報の乏しい欧州ドイツを舞台にした『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』を相次いで発表。とりわけ、日本人と外国人それも白人とが恋愛関係になる『舞姫』は、読者を驚かせたとされる。ちなみに、そのドイツ三部作をめぐって石橋忍月と論争を、また『しがらみ草子』上で坪内逍遥の記実主義を批判して没理想論争を繰り広げている。1894年(明治27年)から翌年まで日清戦争に軍医部長として出征。帰国後、『しがらみ草子』の後を受けて幸田露伴、斎藤緑雨とともに『めさまし草』を創刊し、合評『三人冗語』を載せ、当時の評壇の先頭に立った(1902年廃刊)。


[編集] 小倉「左遷」から歴史小説へ
1899年(明治32年)、東京(東部)・大阪(中部)とともに都督部が置かれていた小倉(西部)に「左遷」[5](このとき『小倉日記』が書かれる)され、1902年(明治35年)に東京勤務。1904年(明治37年)から1906年(明治39年)まで日露戦争に第二軍軍医部長として出征し、1907年(明治40年)には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に任じられた。このころまでは翻訳が多かったが、1909年(明治42年)に『スバル』が創刊されると、これに毎号寄稿して創作活動を再開した(木下杢太郎のいう「豊熟の時代」)。『半日』『ヰタ・セクスアリス』『鶏』『青年』などを『スバル』に載せ、『仮面』『静』などの戯曲を発表。自然主義の発展や夏目漱石の影響もあり、反自然主義文学の立場で作品を書いている。

1911年(明治44年)に『雁』と『灰燼』の2長編を同時連載。1912年(大正元年)9月13日、乃木希典の殉死に影響を受けて5日後に『興津弥五右衛門の遺書』を書き終えた[6]。これを機に歴史小説に進み、「歴史其儘」の『阿部一族』、「歴史離れ」の『山椒大夫』『高瀬舟』などののち、史伝『渋江抽斎』に結実する。1916年(大正5年)には、後世の鴎外研究家や評論家から重要視されることになる随筆『空車』(むなぐるま)を著した[7]。

任官時の年齢が低いこともあって軍医総監・医務局長を9年つとめて退官し、その後、帝室博物館(現東京国立博物館)総長兼図書頭(ずしょのかみ)、さらに帝国美術院(現日本芸術院)初代院長に就任した。元号の「明治」と「大正」に否定的であったため、宮内省図書頭として天皇の諡(おくりな)と元号の考証・編集に着手した。しかし病状の悪化により、自ら見いだした吉田増蔵に後を託しており、後年この吉田が元号案「昭和」を提出することになる[8]。なお、樋口一葉をいち早く激賞しただけでなく、与謝野晶子と平塚らいてうも早くから高く評価しており、晶子(出産した双子の名付け親が鴎外)やらいてうなど新しい女たちの純芸術雑誌「番紅花」(さふらん)を主宰した尾竹一枝等とも広く交際した[9]。

1922年(大正11年)7月9日、萎縮腎、肺結核のために死去。享年61。「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス 」という遺言は有名で、遺言により一切の栄誉、称号を排して墓には「森林太郎墓 」とのみ刻されている。向島弘福寺に埋葬された(現在は、東京都の禅林寺と津和野町の永明寺に改葬されている)。なお、墓碑銘は遺言により中村不折によって筆された。戒名は貞献院殿文穆思斎大居士。


[編集] 人物評

[編集] 作家評
鴎外は自らが専門とした文学・医学、両分野において論争が絶えない人物であった。文学においては理想や理念など主観的なものを描くべきだとする理想主義を掲げ、事物や現象を客観的に描くべきだとする写実主義的な没理想を掲げる坪内逍遥と衝突する。また医学においては近代の西洋医学を旨とし、和漢方医と激烈な論争を繰り広げたこともある。和漢方医が7割以上を占めていた当時の医学界は、ドイツ医学界のような学問において業績を上げた学者に不遇であり、日本の医学の進歩を妨げている、大卒の医者を増やすべきだ、などと批判する。松本良順など近代医学の始祖と呼ばれている長老などと6年ほど論争を続けた。しかし鴎外が寄稿する論文の多くはドイツなどの論文の広範な引用が多く、文章のレトリックや学問的な裏付けに拘るばかりで、臨床医学の実質からは乖離したものと言われ、当時の医学界からは最初から相手にされていなかったとも言われる。

また、鴎外の言いがかりとも思える論争癖を発端として論争が起きた事もある。坪内逍遥が「早稲田文学」にシェークスピアの評釈に関して加えた短い説明に対し、批判的な評を『しがらみ草子』に載せたことから論争が始まった。このような形で鴎外が関わってきた論争は「戦闘的評論」や「戦闘的啓蒙」などと評される。

教師でもあった漱石のように弟子を取ったり[10]、文壇で党派を作ったりはしなかった。ドイツに4年留学した鴎外は、閉鎖的で縛られたような人間関係を好まず、西洋風の社交的なサロンの雰囲気を好んでいたとされる。官吏生活の合間も、書斎にこもらず、文芸雑誌を主宰したり、自宅で観潮楼歌会を開いたりして色々な人々と交際した。そうした生活を送り[11]、日清・日露戦争に出征しながら、文学以外も含めて膨大な著作を残している。

なお、近年の鴎外評のキーワードとしては、「女性論」(金子幸代)、「近代日本観」(池辺健次)、「文化の翻訳」(長島要一)などが挙げられる。


[編集] 軍医として
森 鴎外
1862年2月17日-1922年7月9日


所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1891 -
最終階級 陸軍軍医総監
除隊後 小説家
上記のとおり、鴎外は陸軍軍医であり、かつエリートとして昇進を続け軍医総監(軍医中将に相当)にまで上りつめた。 当時軍事衛生上の大きな問題であった脚気の原因について細菌による感染症との説を主張し、のちに海軍軍医総監になる高木兼寛(及びイギリス医学)と対立した。自説に固執し、当時陸軍で採用していた脚気対策の治療法として行われていた麦飯を禁止する通達を出し、さらに日露戦争でも兵士に麦飯を支給するのを拒んだ(自ら短編「妄想」で触れている)。但し当時の医学水準上(ビタミンの未発見)麦飯食と脚気改善の相関関係は科学的に立証されておらず、高木側は脚気の原因を蛋白質不足であるとしていた。ともあれ結果的に陸軍は25万人の脚気患者を出し、3万名近い兵士を病死させる事態となった(同時期、海軍では脚気患者はわずか87名。高木により食品と脚気の相関関係が予測され、兵員に麦飯が支給されたためである)。実に2個師団に相当する兵士が脚気で命を落とし、また戦闘力低下のために戦死した兵も少なくなく「(鴎外は)ロシアのどの将軍よりも多くの日本兵を殺した」との批判も存在している。日露戦争終戦直前、業を煮やした陸軍大臣寺内正毅が鴎外の頭越しに麦飯の支給を決定、鴎外の面目は失われることとなった(寺内は日清戦争当時、具申した脚気対策に麦を送れと言う要望を鴎外により握り潰された経緯がある)。「予は陸軍内で孤立しつつあり 」とは、この頃の鴎外の述懐である。

後に鈴木梅太郎が脚気の特効薬であるオリザニン(=ビタミンB1)を発見し、脚気との因果関係が証明されて治癒の報告が相次いだ。しかしその後も鴎外はかたくなに鈴木および学会の見解を批判した。また、赤痢菌を見つけた志賀潔などが脚気の栄養由来説を支持したこともあり、医学界でも脚気栄養起源説が受け入れられつつあった。この頃より鴎外の医学界での孤立はますます深まった。結局、鴎外は死ぬまで「脚気は細菌による感染症である」との自説を撤回しなかった。脚気栄養起源説の国家としての見識が示されたのは鴎外の死の2年後であった。

鴎外を擁護する立場からは、下士官・兵達の「入隊したからには白米を食べたい」という声があり、当時、麦飯は白米に比べ美味でないとされていた(麦の精白技術が現代ほど発達していなかったため)こと(脚気の歴史)を考慮すべきとの意見もある[12]。

麦飯食を推進した高木兼寛は都市衛生問題で「貧民散布論」を提案し、東京から貧民を追い出すべきとの主張をしていた。この主張はたしかに医学的・公衆衛生学的にはある程度評価できるものであったが、人道上の大きな問題があり、その立場から「貧民散布論」を徹底批判したのが鴎外ということもあって、両者の間には感情的にも深い対立関係が存在していた。鴎外にとって高木の説を後追いで認めることは屈辱であったろう。

加えて脚気細菌起源説は鴎外のドイツ留学実現に尽力した石黒忠悳の主張だった。このため当時ドイツ留学が国費留学以外に不可能だったという事情を鑑みる向きもある。なお、森鴎外も食事上の栄養価については考慮していて、日露戦争時は新たに兵に十分な肉と野菜を与えるように指示していたが、脚気は細菌に由来すると考えていたため、脚気を考慮していたものではなかった。日露戦争では補給が滞り現地調達も困難であったため、米のみで熱量(カロリー)を補給する事態となり、鴎外らによって麦飯の補給を止められた陸軍では、大量の脚気患者と死者を生み出す結果となった。

『森鴎外全集』には医学に関する論文が多数収められている。また、なぜビールに利尿作用があるのか、といった研究も行っている。軍医であったためか「情勢を報告する・させる」目的から「情報」という言葉を考え出した人物とも言われる(異論もある)。


[編集] 年譜
年齢は数え年

1862年2月17日(文久2年1月19日・1歳) - 石見国津和野藩の津和野(現・島根県鹿足郡津和野町)に、津和野藩医・森静泰(後に静男と改名)、峰子の長男として生まれる。
史跡・森鴎外生家1867年(慶応3年・6歳) - 11月、村田久兵衛から論語を学ぶ。
1868年(慶応4年・7歳) - 3月、米原綱善から孟子を学ぶ。
1869年(明治2年・8歳) - 藩校である養老館で、四書を一から読み直す。
1870年(明治3年・9歳) - 五経、オランダ語を学ぶ。
1871年(明治4年・10歳) - 藩医である室良悦から、本格的にオランダ語を学ぶ。
1872年(明治5年・11歳) - 6月、父とともに向島小梅村へ上京。その後、向島曳舟通りに移る。ドイツ語習得のため、本郷の進文学社に入る。
1873年(明治6年・12歳) - 6月、津和野町の家を売却し、祖母、母なども上京。
1874年(明治7年・13歳) - 1月、第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)へ入学。後に東京医学校へ名称が変更される。
1877年(明治10年・16歳) - 東京医学校は東京開成学校と合併し、東京大学医学部へ。そして、鴎外は本科生に。
1880年(明治13年・19歳) - 本郷龍岡町の下宿屋「上条」へ移る。翌年3月、下宿先で火災に遭う。
1881年(明治14年・20歳) - 春、肋膜炎にかかる。7月、東京大学医学部を卒業。文部省広報に「東京府士族 森林太郎 十九年八ヶ月」とみえる。その後、明治政府に仕える。9月、「読売新聞」に寄稿した「河津金線君に質す」が採用される。これが鴎外の初めて公にされた文章であろう。12月、東京陸軍病院課僚を命じられて、陸軍軍医の副の任務に就く。
1882年(明治15年・21歳) - 2月、第一軍管区徴兵副医官になり、従七位の勲等を授かる。5月、陸軍軍医本部課僚になり、プロシア陸軍衛生制度の調査に駆り出される。
1884年(明治17年・23歳) - 6月、陸軍衛生制度、衛生学研究の目的で、ドイツ留学を命じられる。8月、横浜を出航。10月、ドイツに到着。ライプツィヒ大学でホフマン教授などから学ぶ。『ビイルの利尿作用に就いて』の研究を始める。
1885年(明治18年・24歳) - 1月、ハウフの童話を翻訳した『盗侠行』を発表。2月には、ドイツ語で『日本兵食論』『日本家屋論』を書く。5月、陸軍一等軍医へ昇進。10月、ドレスデンへ移り、軍医監ロートに就く。
1886年(明治19年・25歳) - 3月、ミュンヘンに移る。大学衛生部へ入学し、ペッテンコーフェルから衛生学を学ぶ。
1887年(明治20年・26歳) - 4月、ベルリンへ移る。5月、北里柴三郎とともに、コッホを訪ね、衛生試験所へ入る。
1888年(明治21年・27歳) - 3月、プロシア近衛歩兵第二連隊の軍隊任務に就く。9月、日本へ帰国。10月、陸軍大学校教官へ就任。12月、『非日本食論将失其根拠』を自費で出版。
1889年(明治22年・28歳) - 1月、『東京医事新誌』を主宰。その後、読売新聞で『医学の説より出でたる小説論』が発表され、本格的な文筆活動が始まる。3月、写真婚で、海軍中将赤松則良の長女登志子と婚約。5月、東京美術学校専修科美術解剖学講師に就任。8月、訳詩編『於母影』を「国民之友」に発表。10月、軍医学校陸軍二等軍医正(中佐相当官)教官心得になる。
1890年(明治23年・29歳) - 1月、『医事新論』を創刊。「舞姫」を「国民之友」に発表。8月、「うたかたの記」を「しからみ草紙」に発表。この作品は、石橋忍月との論争の火種になる。9月、長男於菟誕生。しかし、まもなく妻登志子と離婚。10月、本郷駒込千駄木町57に居住を移す。そこを、鴎外は「千朶山房」と呼ぶ。
1891年(明治24年・30歳) - 1月、『文づかひ』を刊行。8月、医学博士の学位を授与。9月、「山房論文」を「しからみ草紙」に発表。「早稲田文学」で坪内逍遙と没理想論争を交わす。
1892年(明治25年・31歳) - 7月、小説翻訳集『美奈和集』を春陽堂から刊行。8月、医学、文学の論争からしばし離れて、休息を取るために「観潮楼」を建設。11月、アンデルセンの「即興詩人」を「しがらみ草紙」に連載。
1893年(明治26年・32歳) - 11月、陸軍一等軍医正(大佐相当官)になり、軍医学校長に。
1894年(明治27年・33歳) - 8月、日清戦争開戦。軍医部長として中国(盛京省花園口)へ上陸。10月、広島に執務後、11月大連へ上陸。
1895年(明治28年・34歳) - 5月、日清講和条約成立に伴い、日本(宇品)に帰国後、台湾へ赴任。8月、台湾総督府陸軍局軍医部長になる。9月、日本に帰国。
1896年(明治29年・35歳) - 1月、「めさまし草」を創刊。3月、幸田露伴、斎藤緑雨らとともに「三人冗語」を「めさまし草」に連載。4月、父静男死去。
1897年(明治30年・36歳) - 1月、中浜東一郎(中浜万次郎=ジョン万次郎の長男)、青山胤通らとともに「公衆医事会」を設立、「公衆医事」を創刊。
1898年(明治31年・37歳) - 10月、近衛師団軍医部長兼軍医学校長に就任。
森鴎外旧居、小倉北区1899年(明治32年・38歳) - 6月、第十二師団軍医部長になり、九州・小倉に赴任。
1902年(明治35年・41歳) - 1月、大審院判事荒木博臣の長女志げと再婚。3月、東京に転勤。
1903年(明治36年・42歳) - 1月、長女茉莉誕生。
1904年(明治37年・43歳) - 2月、日露戦争開戦。4月、第2軍軍医部長として、宇品から、中国へ渡る。『うた日記』を書く。
1905年(明治38年・44歳) - 奉天会戦勝利後、残留していたロシア赤十字社員の護送に尽力。翌年、1月帰国。
1906年(明治39年・45歳) - 6月、山県有朋らとともに歌会「常磐会」を設立。賀古鶴所らとともに幹部に。
1907年(明治40年・46歳) - 3月、与謝野寛、伊藤左千夫、佐佐木信綱らと「観潮楼歌会」を開く。6月、西園寺公望が主催した歌会「雨声会」に出席。8月、次男不律誕生。10月、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長になる。
1908年(明治41年・47歳) - 1月、弟篤次死去。2月、次男不律死去。5月、文部省の臨時仮名遣調査委員会委員になる。
1909年(明治42年・48歳) - 3月、「スバル」に、口語体小説「半日」を寄稿。以後、頻繁に寄稿する。5月、次女杏奴誕生。7月、文学博士の学位を得る。『ヰタ・セクスアリス』が発売禁止となる。
1910年(毎時43年・49歳) - 2月、慶應義塾大学の文学科顧問となる。
1911年(明治44年・50歳) - 2月、三男類誕生。5月、文芸委員会委員になる。9月、「雁」を「スバル」に連載。
1912年(明治45年・51歳) - 1月、文芸委員会に頼まれていた戯曲『ファウスト』の訳を完結させる。10月、鴎外にとって、初の歴史小説「興津弥五右衛門の遺書」を「中央公論」に発表。
1913年(大正2年・52歳) - 1月、「阿部一族」を「中央公論」に発表。
1914年(大正3年・53歳) - 1月、「大塩平八郎」を「中央公論」に発表。2月、「堺事件」を「新小説」に発表。

永明寺の墓1915年(大正4年・54歳) - 1月、「山椒大夫」を「中央公論」に、「歴史其儘と歴史離れ」を「心の花」に発表。11月、大嶋次官に辞意を表明。同年、渋江抽斎の研究を始める。
1916年(大正5年・55歳) - 1月、「高瀬舟」を「中央公論」に、「寒山拾得」を「新小説」に発表。「渋江抽斎」を「日日新聞」に連載。3月、母峰子死去。
1917年(大正6年・56歳) - 12月、帝室博物館総長に就任。高等官一等に叙せられる。
1918年(大正7年・57歳) - 11月、正倉院宝庫開封に立ち会うため奈良に一時滞在。以後1921年まで毎秋、奈良を訪れた。
1919年(大正8年・58歳) - 9月、帝国美術院の初代院長に就任。
1920年(大正9年・59歳) - 1月、腎臓を病む。
1921年(大正10年・60歳) - 6月、臨時国語調査会長に就任。秋、足に浮腫が出来はじめるなど、腎臓病の兆候が見られ始める。
1922年(大正11年・61歳) - 4月、イギリス皇太子の正倉院参観に合わせ、奈良へ5度目の旅行。途中、いくどか病臥する。6月29日、萎縮腎と診断される。また、肺結核の兆候も見られた。7月6日、友人の賀古鶴所に遺言の代筆を頼む。7月9日、午前7時死去。向島弘福寺に埋葬される。
1927年(昭和2年) - 墓が三鷹市禅林寺に移される。分骨され津和野町永明寺にも墓がある。

[編集] 主な作品

[編集] 小説

舞姫(1890年1月、「国民之友」)
うたかたの記(1890年8月、「国民之友」)




1892年に東京都文京区へ建設し、晩年まで過ごした住居「観潮楼」跡地に、文京区立本郷図書館鴎外記念室がある。



リンク
ウィキソースに森鴎外の原文があります。ウィキクォートに森鴎外に関する引用句集があります。ウィキメディア・コモンズには、森鴎外 に関連するマルチメディアがあります。森 鴎外:作家別作品リスト(青空文庫)
作品リスト (近代デジタルライブラリー。往時の印刷状態のまま読める)
文京区立本郷図書館鴎外記念室(文京区)
鴎外文庫書入本画像データベース(東京大学総合図書館。鴎外の自筆草稿や書入本を見ることができる)
森 鴎外
森鴎外経歴
森鴎外遺言
森鴎外 名所
近代文学研究会:『舞姫』論、鴎外の医学方面での活動
島根ゆかりの文学者 森 鴎外
森鴎外のお墓
森鷗外記念館 ベルリン
カテゴリ: 日本の小説家 | 日本の文芸評論家 | 日本の医学者 | 日本の陸軍軍人 | 明治時代の人物 | 島根県出身の人物 | 1862年生 | 1922年没 | 森鴎外

最終更新 2008年4月26日 (土) 11:05。Wikipedia®

「大学受験ニュース」 週刊朝日ムック]大学ランキング2009年度

2008-07-22 09:07:10 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
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高大連携情報誌「大学受験ニュース」
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[週刊朝日ムック]大学ランキング2009年度
2008年5月1日発行(通算23号)
発行人・編集人 中村正史 発行所 朝日新聞出版

〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
電話03-5540-7865(編集) 03-5540-7793(販売)
定価;本体2000円+税
雑誌60008-33 大日本印刷株式会社印刷

表紙1
朝日新聞出版:2009年度「大学ランキング」日本で唯一の総合評価!
15周年記念号
週刊朝日 進学MOOK
大学ランキング
日本の大学 737校の完全ガイド

A5 全962頁
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表紙2:千葉工業大学 キャンパスリニューアル!学生の未来を創造します
①住所②URL③TEL④FAX⑤e-mail:nyushi@it-chiba.ac.jp掲載   

表紙3:社会知性の開発をめざす
    専修大学 今日から明日へ。
         毎日悩む、毎日考える。
         今日から明日へ、365日。
         その積み重ねが、キミの力(パワー)。
    2009年専修大学は創立130年を迎えます。
    ①住所②URL③TEL掲載

表紙4:國學院大學
    2008オープンキャンパス開催情報
    入退場自由・事前申込不要
    7月20日
    7月21日
    8月26日
    8月27日
    9月21日
    11月9日
    12月14日
   ■文学部 日本文学科・中国文学科・外国語文化学科・史学科・哲学科
   ■神道文化学部 神道文化学科
   ■法学部 法律学科
   ■経済学部 経済学科・経済ネットワーキング学科・経営学科
①住所③TEL⑤e-mail:exam@kokugakuin.ac.jp 掲載   















英語検定

2008-07-22 08:58:55 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
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英語検定

①■■■■(えいごけんてい)は、英語の能力を測る検定試験である。

英語検定は、狭義では「実用英語技能検定」を指す。広義では、「TOEFL」、「国際コミュニケーション英語能力テスト」(TOEIC)等の英語に関する検定試験一般を指す。以下では広義の英語検定について説明する。以下にあげた以外にも各種の英語検定が存在する。

②■■英語■■検定
通称は③「■■」。日本で創設された英語検定試験である。現在でも日本で最も受験者数の多い英語検定である。検定に合格することで進学や単位取得などで優遇される学校もある。近年ではTOEFLだけでなく英検の資格で海外留学ができたり、1級取得者は通訳ガイド試験での英語科目が免除されるなど付加価値も多くなっている。

④■■コミュニケーション英語■■テスト
Test of English for International Communication (TOEIC)。実用的な英語力を測定する試験。TOEFLと同じく⑤■■■が問題を製作している。学校教育の状況を想定している TOEFL に比べ⑥■■■■の状況に近い。

IELTS
International English Language Testing System。イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド向けの試験。

国際連合公用語英語検定試験
通称は⑦「■■英検」。国際連合の理解、世界平和に貢献できる人材の育成を目的としており、国際人としての常識・資質が多く問われる。ただし名称から受ける印象とは異なり、日本国内でのみ実施されている試験である。実施主体である(財)日本国際連合協会は、国際連合のA級諮問民間団体である国連協会世界連盟のメンバーである。公式サイト:国連英検試験センター。

⑧■■技能検定試験
通称は「通検」。日本で唯一の同時通訳者の認定試験。通検の1級は最難関の英語検定として知られる。公式サイト:日本通訳協会

通訳案内業国家試験
英語に関する唯一の⑨■■試験である。

⑩■■英語能力検定
通称は「工業英検」。一般の英語検定と異なり、工業英語に特化している。公式サイト:日本工業英語協会

ケンブリッジ英検
BULATS
GTEC
ベネッセコーポレーションが行う英語検定試験。「読む」「聞く」「書く」「話す」の4技能を、オンラインテストで総合的に評価する。
こちらはビジネスシーンを想定したものであるが、高校生~大学1年生向けの「GTEC for STUDENTS」もある。
GTEC for STUDENTSは難易度によってAdvanced・Basic・Coreの3段階に分かれており、それぞれ英語習熟度を示すスコアの上限に差があるが、最新のテスト理論を用いているため、タイプ毎にスコアの数値や価値は変わることはなく一定である。スコアは0から800の間で表されていて、自分の英語力がどれくらい通用するのかが分かるようになっている。(たとえばTOTALスコア440の場合、「短期の留学で現地の高校の授業についていける英語力がある」となっている。ちなみに高校2年生全体平均がTOTALスコア399、「ホームステイ・海外旅行で困らない英語力」である。)このテストは通常のGTECとは異なり、学校内で教師の監督のもとに行われており、スピーキングのテストはあくまでオプション扱いである。
現在GTEC for STUDENTSのTOTALスコアを推薦条件や単位認定要件として、少数ではあるが大学、及び短大で利用することが可能である。

TEP Test(早稲田 - ミシガン大学 工業英語検定試験)

全商英語検定(全国商業高等学校協会主催-文部科学省後援)

観光英語検定
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%A4%9C%E5%AE%9A" より作成
カテゴリ: 語学検定 | 英語


























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英語検定

英語検定(えいごけんてい)は、英語の能力を測る検定試験である。

英語検定は、狭義では「実用英語技能検定」を指す。広義では、「TOEFL」、「国際コミュニケーション英語能力テスト」(TOEIC)等の英語に関する検定試験一般を指す。以下では広義の英語検定について説明する。以下にあげた以外にも各種の英語検定が存在する。

実用英語技能検定
通称は「英検」。日本で創設された英語検定試験である。現在でも日本で最も受験者数の多い英語検定である。検定に合格することで進学や単位取得などで優遇される学校もある。近年ではTOEFLだけでなく英検の資格で海外留学ができたり、1級取得者は通訳ガイド試験での英語科目が免除されるなど付加価値も多くなっている。
国際コミュニケーション英語能力テスト
Test of English for International Communication (TOEIC)。実用的な英語力を測定する試験。TOEFLと同じくETSが問題を製作している。学校教育の状況を想定している TOEFL に比べビジネスの状況に近い。
IELTS
International English Language Testing System。イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド向けの試験。
国際連合公用語英語検定試験
通称は「国連英検」。国際連合の理解、世界平和に貢献できる人材の育成を目的としており、国際人としての常識・資質が多く問われる。ただし名称から受ける印象とは異なり、日本国内でのみ実施されている試験である。実施主体である(財)日本国際連合協会は、国際連合のA級諮問民間団体である国連協会世界連盟のメンバーである。公式サイト:国連英検試験センター。
通訳技能検定試験
通称は「通検」。日本で唯一の同時通訳者の認定試験。通検の1級は最難関の英語検定として知られる。公式サイト:日本通訳協会
通訳案内業国家試験
英語に関する唯一の国家試験である。
工業英語能力検定
通称は「工業英検」。一般の英語検定と異なり、工業英語に特化している。公式サイト:日本工業英語協会
ケンブリッジ英検
BULATS
GTEC
ベネッセコーポレーションが行う英語検定試験。「読む」「聞く」「書く」「話す」の4技能を、オンラインテストで総合的に評価する。
こちらはビジネスシーンを想定したものであるが、高校生~大学1年生向けの「GTEC for STUDENTS」もある。
GTEC for STUDENTSは難易度によってAdvanced・Basic・Coreの3段階に分かれており、それぞれ英語習熟度を示すスコアの上限に差があるが、最新のテスト理論を用いているため、タイプ毎にスコアの数値や価値は変わることはなく一定である。スコアは0から800の間で表されていて、自分の英語力がどれくらい通用するのかが分かるようになっている。(たとえばTOTALスコア440の場合、「短期の留学で現地の高校の授業についていける英語力がある」となっている。ちなみに高校2年生全体平均がTOTALスコア399、「ホームステイ・海外旅行で困らない英語力」である。)このテストは通常のGTECとは異なり、学校内で教師の監督のもとに行われており、スピーキングのテストはあくまでオプション扱いである。
現在GTEC for STUDENTSのTOTALスコアを推薦条件や単位認定要件として、少数ではあるが大学、及び短大で利用することが可能である。
TEP Test(早稲田 - ミシガン大学 工業英語検定試験)
全商英語検定(全国商業高等学校協会主催-文部科学省後援)
観光英語検定
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%A4%9C%E5%AE%9A" より作成
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TOEIC  

2008-07-22 08:45:52 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
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TOEIC

Test of English for International Communication (TOEIC) measures the ability of non-native English-speaking examinees to use English in everyday workplace activities.

Contents [hide]
1 History
2 Outline
3 Renewal
4 TOEIC in Japan
5 TOEIC in the Republic of Korea
6 TOEIC in Europe
7 TOEIC Bridge
8 See also
9 External links



[edit] History
The ETS (Educational Testing Service) in the USA developed the TOEIC test based on its academic ETS counterpart, the TOEFL test, following a request from Japan's Keidanren (Japan Federation of Economic Organizations; 経団連) in conjunction with the Ministry of International Trade and Industry (MITI; 通商産業省; 通産省), which is today's Ministry of Economy, Trade and Industry (METI; 経済産業省; 経産省). The Asahi Shimbun national daily's evening edition [1] interviewed Yasuo Kitaoka (北岡靖男 Kitaoka Yasuo) who was the central figure of the Japanese team that conceived the basic idea of the TOEIC test. In this sense the TOEIC test can be described as a US-Japanese crossbreed[who?]. ETS's major competitor is Cambridge University, which administers the IELTS, FCE, and CAE.


[edit] Outline
This section does not cite any references or sources. (June 2008)
Please help improve this section by adding citations to reliable sources. Unverifiable material may be challenged and removed.

The TOEIC test is a two-hour multiple-choice test that consists of 200 questions divided into 100 questions each in listening comprehension and reading comprehension. Each candidate receives independent marks for written and oral comprehension on a scale from 5 to 495 points. The total score adds up to a scale from 10 and 990 points. The TOEIC certificate exists in five colours, corresponding to achieved results :

orange (10-215)
brown (220-465)
green (470-725)
blue (730-855)
gold (860-990)
There are an estimated 3 million test takers in 60 different countries per year, but most of these are Japanese and South Koreans. The IELTS (International English Language Testing System) and, to a lesser extent the FCE/CAE, is widely accepted as a measure of English ability in other countries. ETS claims that the TOEIC measures the ability to function in an English-speaking workplace. Until recently, it only measured reading and listening skills (not speaking and writing) and, because of this deficiency, has long been criticized as an unreliable meter of general competence in English. A high score on the TOEIC test did not by any means provide a reliable indicator of functional English ability. Testimonies abound regarding Koreans and Japanese who scored high on the test, but who couldn't produce functional spoken English. Ostensibly, the popularity of the TOEIC is due to its former focus on grammar rules and reading, as these are the only English skills traditionally focused upon in the Korean and Japanese educational curricula. These curricula are notorious for producing a serious imbalance in language skills and there is a distinct deficiency in productive skills (speaking and writing) among Japanese and Koreans educated under that system. Its academic ETS counterpart - the TOEFL test, has more international recognition and prestige because it has a speaking and writing component. Cambridge University's IELTS (academic) is also widely used as a meter of academic preparedness, especially in commonwealth countries. (The IELTS general is widely used by commonwealth countries for immigration). In response to widespread criticism, ETS revised the TOEIC in 2007 to include speaking and writing sections, with a deemphasizing of grammar rule knowledge. While the IELTS is generally accepted in Europe, the TOEIC is making some inroads. (See below: TOEIC in Europe)

The questions on the TOEIC attempt to reenact international business environments and contain vocabulary and usage that are not necessarily needed in everyday life. Even a native speaker will find it hard to get full marks unless he/she has a good educational background, which strongly suggests that the TOEIC may not necessarily be a 100% true test of English communicative competence.


[edit] Renewal
In answer to criticisms that the Listening Section hires only American and Canadian English speakers despite its "International" appellation, the year 2006 saw a major renewal. The changes can be summarized as follows:

Overall, passages have become longer.
Part 1 has fewer questions involving photo descriptions.
The Listening Section hires not only North American English speakers but also British, Australian and New Zealand English speakers. The ratio is 25% each for American, Canadian, British and Australian-New Zealand pronunciation [2].
Part 6 no longer contains the error spotting task, which has been criticized as unrealistic in a corporate environment. This part instead adopts the task wherein the test taker fills in the blanks in incomplete sentences.
Part 7 contains not only single passage questions but also double passage questions wherein the test taker has to read and compare the two related passages such as e-mail correspondence.
According to a survey [3] conducted in 2006 by the Institute for International Business Communication (財団法人 国際ビジネスコミュニケーション協会, Zaidanhōjin Kokusai Bijinesu Komyunikēshon Kyōkai?), 56.8% of the respondents who took both the older and the renewed versions of the TOEIC test in Japan find the latter version more difficult. The lower score the test taker achieves, the more marked this tendency becomes. As many as 85.6% of those who earned scores ranging from 10 to 395 points find the renewed TOEIC test more difficult, while 69.9% of those who earned 400 to 495 points think this way, so do 59.3% of those who earned 500 to 595 points. Among those who achieved 600 to 695 points 58.9% find so, 700 to 795 points 48.6%, 800 to 895 points 47.9%, and 900 to 990 points 39.8%.


[edit] TOEIC in Japan
The Institute for International Business Communication (財団法人 国際ビジネスコミュニケーション協会, Zaidanhōjin Kokusai Bijinesu Komyunikēshon Kyōkai?) operates the TOEIC test in Japan, where a total of nearly 1.5 million people take the test per year. There are two ways to take the TOEIC test proper. One is called the TOEIC SP Test (Secure Program Test; 公開テスト, Kōkai Tesuto?), in which one can take the test either individually or in a group on specified dates at a test centre specified by the TOEIC Steering Committee. The other is the TOEIC IP Test (Institutional Program Test; 団体特別受験制度, Dantai Tokubetsu Juken Seido?), in which an organization (a corporate body or an educational institution) can choose the date and administer the test at their convenience in accordance with the TOEIC Steering Committee. The TOEIC SP Test was renewed on May 2006, the TOEIC IP Test in April 2007 in line with the SP Test. More and more companies use TOEIC scores for personnel assessment instead of the homegrown STEP Eiken test organized by the Society for Testing English Proficiency (STEP) (日本英語検定協会主催実用英語技能検定試験「英検」, Nihon Eigo Kentei Kyōkai Shusai Jitsuyō Eigo Ginō Kentei Shiken "Eiken"?). The TOEIC Speaking Test / Writing Test started on Sunday 21st January 2007 in addition to the TOEIC SP Test and the TOEIC IP Test [4].


[edit] TOEIC in the Republic of Korea
Towards the end of 2005, there was a shift in South Korea, regarded as the second biggest consumer of TOEIC [5], or rather the biggest in terms of per capita consumption, away from the test as a measure of English ability on the corporate level. As noted in The Chosun Ilbo (조선일보; 朝鮮日報; Korea Daily Reports) national daily[6], a number of major corporations have either removed or reduced the required TOEIC score for employment. An official from the Industrial Bank of Korea (IBK; Kiup Bank; 기업은행; 中小企業銀行) says, "TOEIC isn't an appropriate indicator of actual English skills." Another English proficiency test, TEPS, has been developed and is being adopted by more and more Korean companies. TOEIC could be took by the age of 17.


[edit] TOEIC in Europe
In France, some Grandes écoles require a TOEIC score of at least 750 to award the diploma. This policy has been criticized, as it makes state-awarded diplomas dependent on a private institution--despite the fact that it was not the private institution that set the 750 mark but a recommendation from the Commission des Titres d'Ingénieurs indicating a B2+ level on the Common European Framework of Reference for Languages. If the student cannot achieve a 750 mark, he/she is offered to validate his/her diploma by other means in most of the schools. Some institutions delay the diploma for one year after the end of the studies in that case.

In Greece, TOEIC is accepted by ASEP, the organisation which is responsible for hiring new employees to work for the government.


[edit] TOEIC Bridge
ETS also administers a simplified version of the TOEIC test called TOEIC Bridge. The TOEIC Bridge test targets beginning and intermediate speakers and consists of 100 multiple-choice questions, requiring about one hour of testing time.





[edit] See also
Educational Testing Service
English language learning and teaching
TOEFL
IELTS

[edit] External links
Test of English for International Communication (TOEIC) Europe
ETS - Educational Testing Service
Preparation Software for the new Toeic
Free TOEIC test information and study guide
TOEIC Europe
TOEIC France
TOEIC GB
TOEIC Germany
TOEIC Japan
TOEIC Korea
TOEIC Poland
TOEIC Spain
TOEIC Taiwan

大学通信  国公私立大・短大受験年鑑

2008-07-21 18:35:23 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」②

国公私立大・短大受験年鑑
君はどの大学を選ぶべきか
内容案内編

大学通信
定価 1400円(本体1333円)
2007年3月1日発行
発行人 田所篤志
発行人 大学通信
〒101-0062東京都千代田区神田駿河台2-8
電話 03-3291-3591(代)
印刷・製本 図書印刷株式会社
A5判 全992ページ


【125P】
巻頭メッセージ 
進学と自己実現への最新情報支援
 
  大学通信 社長
 「日本の教育改革を進める会」理事
  慶應義塾維持会終身会員
  福澤諭吉協会終身会員         田所篤志


大学通信顧問
 会長 慶應義塾塾長 
    日本私立大学連盟会長       安西祐一郎
    
 
名誉会長 前文部科学省 大学設置・学校法人審議会会長
     前東京都教育委員会委員長
     元日本私学振興財団理事長
     元中央教育審議会会長
     元早稲田大学総長
     東京家政大学・短期大学部理事長  清水司

顧問 21世紀医学医療懇談会会長
   東邦大学名誉学長           浅田敏雄

顧問 元日本私立大学連盟会長
   元全私学連盟代表
   元早稲田大学総長
   前学校法人国士舘理事長        西原春夫

顧問 成城学園名誉学園長
   元東京大学総長            加藤一郎

顧問 前私立大学通信教育協会理事長
   元日本女子大学学長          青木生子

顧問 前日本女子大学学長          宮本美沙子

顧問 日本女子大学学長           後藤祥子

顧問 前関西学院大学学長          今田寛

顧問 同志社総長              大谷實

顧問 前立命館総長・学長          長田豊臣

顧問 前帝京大学総長            沖永荘一

顧問 桐蔭学園理事長            鵜川昇

顧問 東京私立中学高等学校協会会長     近藤彰郎

顧問 元毎日新聞社東京代表         添川光一

常任顧問 元拓殖大学事務局長        増栄愉

常任顧問 前日本生涯学習総合研究所理事長
     元旺文社専務取締役        代田恭之

顧問 財団法人日本高等教育評価機構専務理事 原野幸康

監事 中央大学理事・弁護士         松崎勝一

監事 公認会計士              山本靖彦


【126~129P】
学長からのメッセージ
 
【126P】◇早稲田大学総長  白井克彦
      ◇慶應義塾長    安西祐一郎

【127P】◇明治大学学長   納屋廣美
      ◇日本女子大学学長 後藤祥子

【128P】◇南山大学学長   ハンス・ユーゲン・マルクス
      ◇関西大学学長   河田悌一

【129P】◇同志社大学長   八田英二
      ◇立命館大学・学長 川口清史





編集・企画  高大連携情報誌「大学受験ニュース」
  調べもの新聞編集室 編集長 中村惇夫
 〒236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201
 

















































日本メディア教育株式会社

2008-07-21 18:33:29 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
 
日本メディア教育株式会社、沿革
 
●年月 ●主な出来事
1984年4月 学習塾「栄光学院」設立
1989年8月 中学受験用参考書「四進算数の詳しい別冊解答」を出版
1992年2月 中学受験用「ビデオ四進算数」制作開始(全149巻)
日本初、板書が完全CGの授業。映像の量産技術を確立
1993年4月 塾講師陣、衛星講座への出演を開始
1994年4月 「日本メディア教育株式会社」設立
1995年5月 衛星講座向け番組制作(中学英数国・全315本)開始
1997年1月 ビデオ教材「VIDEO MJ」販売開始(全315巻)
      4月 衛星講座向け番組制作(中学理社・全70本)開始
      6月 「インストラクTV」向け夏期講習番組制作
1998年4月  日本経営合理化協会・社労士ネットワーク用のビデオ
「厳しい時代の雇用対策と給付金・補助金の活用法」制作
      5月 早稲田アカデミーとのタイアップビデオ
「早稲田・慶応高校合格への秘策(数学編)」制作・販売
      9月 四谷大塚との共同制作ビデオ
「ビデオ予習シリーズ算数」(全180巻)制作
     11月 駿台進研リンデンスクールに技術協力
郵政省の外郭団体「タオ」の教育実験放送の映像を制作
2000年2月 「教育報道番組」の制作を開始
      2月 アナログモデム(56k)を使ったストリーミング授業配信で、日本初、実用化に成功
      6月 「ギガビジョン社」設立に参画、社長を兼務。映像制作技術の一部を提供
      9月 「ギガビジョン社」から撤退
2001年1月 ストリーミング配信による、日本初の国会議員オリジナルチャンネル「下村博文チャンネル」開始
      2月 インターネットのストリーミングによる、日本初の映像データベース型授業「ST四進算数」(全1200タイトル)開始
     11月 早稲田アカデミーのオリジナルチャンネル
「早稲田アカデミーチャンネル」開始
2002年1月 四谷大塚との共同制作による、インターネット動画解説
「Web予習シリーズ算数」(全1200タイトル)開始  
      4月 ストリーミングによる学校紹介サイト「SchoolTV」開始
      4月 栄光とのタイアップにより、「進学通信」の動画CMを「SchoolTV」で開始
2003年9月 中央大学の国家試験対策Web講座
「公認会計士講座」の打ち合せ・準備開始
2004年7月 中央大学の「公認会計士講座」(日本の大学で最大規模の2000時間分の映像)の制作・配信開始、
     11月 四谷大塚の「Web予習シリーズ社理」のプログラム完成。日本初、完全インターネット上のデータベース型暗記システム
2005年5月 中央大学「公認会計士」受験者対象に、完全Web「短答式トレーニング・プログラム」(7000問)を試験的に導入
      8月 日本のeラーニングに関する学会である
「教育システム情報学会」(青山学院大学で開催)で発表
      9月 四谷大塚の「Web予習シリーズ社理」のサービス開始。
2006年3月 中央大学の「公認会計士」合格者数が、東京大学を抜いて、全国第3位に躍進。
      6月 中央大学「公認会計士講座」の「短答式トレーニング・プログラム」を本格導入。

     What is Jmedia
★ 教員免許を持ち民間教育でも鍛えられた仲間が、集い、教務力・教材開発力・映像制作力・インターネットの専門知識・プログラマーの知識などを、社内で合わせ持つユニークな集団をつくりました。それが日本メディア教育です。人真似ではなく、常に「日本初」を目指します。


蛍雪時代 臨時増刊  2008・4  全国大学 学部・学科案内号

2008-07-21 18:31:43 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」

蛍雪時代 臨時増刊
2008・4
全国大学 学部・学科案内号

平成21(229)年入試対策号

最新情報・平成21年入試科目一覧(国公私立大)
大学で何を学ぶ? 全大学で学べることを完全掲載。


平成20(2008)年4月30日発行
発行兼編集人 ●赤尾文夫
(編集責任者 加納冬樹)
印刷所●大日本印刷株式会社
発行所●株式会社 旺文社
住所 ●〒162-8680
東京都新宿区横寺町55
電話●「蛍雪時代」臨時増刊編集部
   03-3266-6280
  注文のお問合せ(窓口)
0120-024-819
定価:2700円(本体2571円)
本文1264頁+表紙


●制作スタッフ
 9人・15人・4人
●デザイン
 及川真咲デザイン事務所
●イラスト
 3人
●協力会社
 8社
●編集長 中井俊明

●表紙写真
●表紙・本文デザイン



ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
〒236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞 『検索の達人:大学受験案内(主な出身者の一覧)』創刊準備中!
 初版:5月15日 創刊!(随時新しい高大連携ニュース、ネットで配信)
『検索の達人:大学受験案内(主な出身者の一覧)』は★「紙媒体版」(進路指導室版)と★「ネット版」の双方から発行します。

内容は①大学基本データ・
   ②図書館 蔵書数と特色
   ③高大連携講座 例:京都市立堀川高校と京都大学・大阪大学
           
   ④高校生応募  例:神奈川大学全国高校生俳句大賞
            五大学エッセイコンテスト
            慶應義塾大学「小泉信三賞 高校生小論文コンテスト」
            獨協大学外国語学部 英語スピーチコンテスト
            津田塾大学 高校生エッセイ・コンテスト
   ⑤主な出身者 主としてフリー百科事典に準拠
   

   正会員募集中 正会員(大学・高校・出版社他):年間3万円
   

















大学通信  君はどの大学を選ぶべきか  内容案内編

2008-07-21 18:30:49 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
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高大連携情報誌「大学受験ニュース」②

国公私立大・短大受験年鑑
君はどの大学を選ぶべきか

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A5判 全992ページ


【125P】
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進学と自己実現への最新情報支援
 
  大学通信 社長
 「日本の教育改革を進める会」理事
  慶應義塾維持会終身会員
  福澤諭吉協会終身会員         田所篤志


大学通信顧問
 会長 慶應義塾塾長 
    日本私立大学連盟会長       安西祐一郎
    
 
名誉会長 前文部科学省 大学設置・学校法人審議会会長
     前東京都教育委員会委員長
     元日本私学振興財団理事長
     元中央教育審議会会長
     元早稲田大学総長
     東京家政大学・短期大学部理事長  清水司

顧問 21世紀医学医療懇談会会長
   東邦大学名誉学長           浅田敏雄

顧問 元日本私立大学連盟会長
   元全私学連盟代表
   元早稲田大学総長
   前学校法人国士舘理事長        西原春夫

顧問 成城学園名誉学園長
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顧問 前私立大学通信教育協会理事長
   元日本女子大学学長          青木生子

顧問 前日本女子大学学長          宮本美沙子

顧問 日本女子大学学長           後藤祥子

顧問 前関西学院大学学長          今田寛

顧問 同志社総長              大谷實

顧問 前立命館総長・学長          長田豊臣

顧問 前帝京大学総長            沖永荘一

顧問 桐蔭学園理事長            鵜川昇

顧問 東京私立中学高等学校協会会長     近藤彰郎

顧問 元毎日新聞社東京代表         添川光一

常任顧問 元拓殖大学事務局長        増栄愉

常任顧問 前日本生涯学習総合研究所理事長
     元旺文社専務取締役        代田恭之

顧問 財団法人日本高等教育評価機構専務理事 原野幸康

監事 中央大学理事・弁護士         松崎勝一

監事 公認会計士              山本靖彦


【126~129P】
学長からのメッセージ
 
【126P】◇早稲田大学総長  白井克彦
      ◇慶應義塾長    安西祐一郎

【127P】◇明治大学学長   納屋廣美
      ◇日本女子大学学長 後藤祥子

【128P】◇南山大学学長   ハンス・ユーゲン・マルクス
      ◇関西大学学長   河田悌一

【129P】◇同志社大学長   八田英二
      ◇立命館大学・学長 川口清史





編集・企画  高大連携情報誌「大学受験ニュース」
  調べもの新聞編集室 編集長 中村惇夫
 〒236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201
 

















































[週刊朝日ムック]大学ランキング2009年度2008年5月1日発行(通算23号)

2008-07-21 18:27:35 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
PR 大学名

[週刊朝日ムック]大学ランキング2009年度
2008年5月1日発行(通算23号)
発行人・編集人 中村正史 発行所 朝日新聞出版

〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
電話03-5540-7865(編集) 03-5540-7793(販売)
定価;本体2000円+税
雑誌60008-33 大日本印刷株式会社印刷

表紙1
朝日新聞出版:2009年度「大学ランキング」日本で唯一の総合評価!
15周年記念号
週刊朝日 進学MOOK
大学ランキング
日本の大学 737校の完全ガイド

A5 全962頁
PR(大学広告)



表紙2:千葉工業大学 キャンパスリニューアル!学生の未来を創造します
①住所②URL③TEL④FAX⑤e-mail:nyushi@it-chiba.ac.jp掲載   

表紙3:社会知性の開発をめざす
    専修大学 今日から明日へ。
         毎日悩む、毎日考える。
         今日から明日へ、365日。
         その積み重ねが、キミの力(パワー)。
    2009年専修大学は創立130年を迎えます。
    ①住所②URL③TEL掲載

表紙4:國學院大學
    2008オープンキャンパス開催情報
    入退場自由・事前申込不要
    7月20日
    7月21日
    8月26日
    8月27日
    9月21日
    11月9日
    12月14日
   ■文学部 日本文学科・中国文学科・外国語文化学科・史学科・哲学科
   ■神道文化学部 神道文化学科
   ■法学部 法律学科
   ■経済学部 経済学科・経済ネットワーキング学科・経営学科
①住所③TEL⑤e-mail:exam@kokugakuin.ac.jp 掲載   















新司法試験    最終更新 2008年4月20日 (日) 07:21。Wikipedia®

2008-07-20 18:19:32 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
新司法試験

この項目は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。

新司法試験(しんしほうしけん)は、日本における法曹資格付与のための試験の1つであり、平成14年改正(法律第138号)後の司法試験法に基づいて行われる資格試験。同法改正附則6条2項にて、同法による改正後の司法試験法の規定による司法試験を新司法試験と定義しており、本項でもその用法に従う。

新司法試験は平成18年度から開始され、平成18年から平成23年までの制度移行期(移行期間)においては新司法試験と従来の制度による司法試験(旧司法試験)とが併存している。本項では、移行期間における新司法試験についての説明を中心に行う。旧司法試験については、旧司法試験の項を参照。なお、司法試験の移行期間においては、原則として新司法試験か旧司法試験のどちらか一方を選択して受けなければならない。

新司法試験に合格した者は、司法修習を行い(最高裁判所により司法修習生に採用されることが必要)、さらに司法修習の最後にある司法修習生考試(いわゆる二回試験)を通過することで法曹(裁判官、検察官、弁護士)になることができる。

目次 [非表示]
1 新司法試験の受験資格
2 新司法試験の制度の概要
2.1 短答式試験
2.2 論文式試験
2.3 合格判定
2.4 合格発表以降
3 試験結果
3.1 受験者数
3.2 合格者数
4 司法試験予備試験
5 脚注
6 外部リンク



[編集] 新司法試験の受験資格
移行期間においては、新司法試験を受験するためには、法科大学院課程を修了することが必須条件である。すなわち法科大学院を修了した者は、その修了日後の5年度内に3回の範囲内で新司法試験を受験することができる。移行期間終了後は旧司法試験が廃止され、法科大学院を修了していない者は予備試験を受験して新司法試験の受験資格を得ることになる。

3回の受験制限規定においては、法科大学院修了前2年間の旧司法試験の受験についてもカウント対象となる。


[編集] 新司法試験の制度の概要
新司法試験は、短答式による筆記試験(短答式試験)及び論文式による筆記試験(論文式試験)から構成される。旧司法試験とは異なり口述試験は廃止されている。


[編集] 短答式試験
短答式試験は、法曹となろうとする者に必要な専門的な法律知識及び法的な推論の能力を有するかどうかを判定するために行われる試験であり、5月中旬に行われる試験の初日に行われる(平成18年度は5月19日(金)、平成19年度は5月15日(火))。

旧司法試験とは異なり、絶対的評価(各科目とも満点の40%以上が必要で、総合で満点の60%以上が必要(2006年、2007年))により短答式試験の合否が決せられる。

後述の通り論文式試験は短答式試験の翌日以降に行われることから、短答式試験の合否は論文式試験開始の時点では明らかにならない。そのため、新司法試験の受験者は全員論文式試験も受験するが、短答式試験に不合格の者については論文式試験の採点はされない。

マークシートを用いて行われる試験である点、試験中の参照物は認められない点は旧司法試験とは変わりがない。

科目 合計350点
公法系科目(憲法及び行政法)90分 100点 50問程度
民事系科目(民法、商法[1]及び民事訴訟法)150分 150点 75問程度
刑事系科目(刑法及び刑事訴訟法) 90分 100点 40問ないし50問程度

[編集] 論文式試験
論文式試験は、法曹となろうとする者に必要な専門的学識並びに法的な分析、構成及び論述の能力を有するかどうかを判定するために行われる試験である。日程は、5月下旬の3日間(短答式試験の翌日・3日後・4日後)である(平成18年度は5月20日(土)、22日(月)、23日(火)。平成19年度は5月16日(水)、18日(金)、19日(土))。

2日日:選択科目(3時間、2問、計100点満点)公法系科目(4時間、2問、計200点満点)

3日目:民事系科目第1問(2時間、100点満点) 民事系科目第2問(4時間、200点満点)

4日目:刑事系科目(4時間、2問、計200点満点)

の時間割で、文章にて解答する形式で行われる。

選択科目は、

倒産法
租税法
経済法
知的財産法
労働法
環境法
国際関係法(公法系)(国際法(国際公法)、国際人権法及び国際経済法)
国際関係法(私法系)(国際私法、国際取引法及び国際民事手続法)
の8科目から1科目を選択する[2]。

法律上の論点を含む比較的長めの事例(何ページかにわたる資料が付いている場合もある。)が与えられ、それに対する法的判断を問われるものが中心である。

参照物として、「新司法試験用法文」とよばれる最小限の条文のみが記載された小型六法が貸与される。

論文式試験においても最低必要点が設定されており、1科目でも満点の25%に満たない場合には不合格となる。

問題の難易度は、まだ確かな傾向が定まっていないため評価が難しい。

[編集] 合格判定
短答式試験の合格者の中から論文式試験のみで不合格となった者を除外した上で、短答式試験の成績と論文式試験の成績を総合評価して合格者を決定する。

短答式試験と論文式試験の比重は1:4とし、判定に当たっては論文式の素点に1.75倍したものに短答式の素点を加算して判定する。


[編集] 合格発表以降
合格発表は、9月(平成18年度は9月21日、平成19年度は9月13日)になされる。合格者は、司法修習生に採用された後、11月より1か月程度の導入研修(実務修習前集合研修)を受ける(導入研修は平成18年度のみ行われる見込み)。導入研修終了後、約10か月間の実務修習を受ける。このうち8か月間は、民事裁判修習、刑事裁判修習、検察修習、弁護修習にあてられる。残りの2か月間は、選択型実務修習として、司法修習生各人の希望を踏まえ、総合的な法曹実務を修習することとなる。その後2か月間、最高裁判所付属の司法研修所(埼玉県和光市)で集合研修を受け、裁判所法67条1項の試験を受けこれに合格すれば法曹となる資格を得る。


[編集] 試験結果

[編集] 受験者数
2006年(平成18年)に行われた第1回の新司法試験の出願者数は2137人、出願者のうち大学院を修了して受験資格を有した者が2125人で、1日目の受験者数は2091人であった。

なお、平成18年新司法試験受験回数調(平成18年9月26日付け法務省大臣官房人事課作成)によれば、平成18年新司法試験においての受験回数別内訳(旧司法試験受験を含む)は、1回目が1669名、2回目が402名、3回目が20名で合格者は1回目が748名、2回目が247名、3回目が14名。少なくとも6名の者が受験回数制限により司法試験本試験の受験資格を喪失したことが推定される。

2007年(平成19年)の新司法試験の出願者数は5401名、受験資格を得た者は5280名であり、合格者は1851名であった。既修・未修の別は、出願者既修2885名、未修2516名に対し合格者は既修1216名、未修635名であった。受験回数別内訳(旧司法試験受験を含む)は、1回目が4061名、2回目が1197名、3回目が143名であり、合格者は1回目が1250名、2回目が525名、3回目が76名であった。


[編集] 合格者数
2006年に行われた第1回の新司法試験では、有受験資格者2125人中、合格者は1009人だった。合格率は48.35%となり、数%の合格率であった旧司法試験よりも数字上は大幅に競争が緩和された。また、2007年(平成19年)新司法試験の合格者数1851名であった(出願者数比合格率34.27%、有受験資格者数比合格率35.06%、受験者数比合格率40.18%)となった。

2007年6月22日に司法試験委員会は合格者数の目安として、2008年は2100~2500人、2009年は2500~2900人、2010年は2900~3000人とすることを発表した。


[編集] 司法試験予備試験
旧司法試験の廃止に伴って、2011年以降に実施される予定の試験。法科大学院を修了せず新司法試験を受験するには予備試験の受験が必要。受験制限は無く、旧司法試験と同じく短答・論文・口述の3種を受験する。合格すると新司法試験の受験資格を得られる。法科大学院修了者と同じく、3回の不合格もしくは5年間で受験資格は失われる。

科目は短答式が憲法、行政法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法、一般教育科目の8科目、論文式が憲法、行政法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法、一般教育科目、法律実務基礎科目の9科目、口述が法律実務基礎科目。

公明党などからは「バイパスを設けるのは法科大学院を設置した意味がなくなる」と廃止の声も上がっている。





[編集] 脚注
^ 商法については、商法典中第2編第10章保険及び第3編海商については出題範囲外
^ カッコ内は2004年(平成16年)8月2日付司法試験委員会答申(平成18年から実施される司法試験における論文式による筆記試験の科目(専門的な法律の分野に関する科目)の選定について)の答申の説明で付されたもの

[編集] 外部リンク
法務省・新司法試験
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最終更新 2008年4月20日 (日) 07:21。Wikipedia®