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TANAKAHAN日々思った事を綴ってみたりして

呟きの奇才

2011-03-31 23:20:31 | Weblog
こふく劇場さんから届けられた、芥川龍之介の作品の戯曲化を告知するフライヤーを何気なく見た。芥川の小説は僕も学生時代に結構読んだ。三浦基さんの戯曲解説文を読みながら、なるほどと思ったのは、太宰治や夏目漱石、そして三島由紀夫などの小説家と比較して、芥川は創作のためのシチュエーションを自ら何も設定していなかったという点を挙げられた。たとえば太宰は戦争という検閲においてその抑圧から名作を生み出し、漱石は自ら海外に赴いて題材を得た。三島由紀夫は戦後の平穏な日常に磨耗していく自分を蜂起することで創作に繋いた。しかし芥川は一歩も自分から踏み出さなかった。そういう点において現代でいうところの「引き篭り」に近い状態だったと。文体を追えばまあ病んでいた気もするが、何もないところから何かを生み出していたのは事実であって、自らの思考を丹念に追うその才能はやはり稀有だったと感じずにはいられない。
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架空のリアリティ

2011-03-30 23:25:48 | Weblog
日本の危機と言えば確かにそうだが、僕を含む大半の国民にとって、危機感に対するリアリティは希薄だ。なぜそうなのか自分では何となく分かっている。写実的で即時性の向上した情報技術によって、部屋から一歩も出なくたって自分が欲する情報を受信できるようになったから。1954年に米国がビキニ環礁で行った水爆実験で、日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員が被爆する事件が起きた。戦後間もない当時、原爆による放射能への拒絶反応が根強かった日本では、各地で激しい反核デモが展開された。当時あれだけの運動が起きたのは、実体験に基づくリアリティと、情報技術の拙さによる個々人の想像力の賜物だろう。一方、この反核運動を緩和するために米国は「原子力の平和利用」キャンペーンを打ち出した。このキャンペーンを率先して行ったのは日本の電力会社と新聞社とテレビ局である。これが原発を始める経緯であり、当時から原発を巡る利害関係が出来上がっていたと考えられる。別の見方をすれば、電力の安定供給は他の手段も考え得たということである。今危惧されることは、情報技術の向上によって、事実に反する事でもリアリティを作り出せることである。そしてそれが現実に起きていると認識すべきだということ。
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社長を出せ

2011-03-29 23:36:27 | Weblog
仕事休み。習い事もなかったので外出する気分にもなれず、部屋でネットと読書をする。津波の被害を受けた東北地方はまだ支援物資が被災者の手元に届いていない様子。福島原発の事故対応で政府の救援活動が滞っている。こういう災害時での原発はお荷物でしかない。同じ放射性物質の塊であるゴジラの破壊活動とまるで変わらない。津波がゴジラを目覚めさせ、原発から飛散する汚染はゴジラの破壊活動のようなもの。もともと人間の手に負える代物ではない。東京電力はなぜ社長が出てこないのだ。
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富の集まる場所

2011-03-28 23:57:41 | Weblog
仕事の後、久しぶりにタオカフェに顔を出す。マスターから先日の香港話を聞かせてもらう。バブル景気を迎えている上海と、イギリスの保護区だった香港との比較話が興味深かった。今の僕には海外旅行に行く時間はないが、上海という街がなぜ急激に発展することになったのか、それはそれはとても不思議で興味もある。誰が何の利に着目し投資したのかということである。
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後続

2011-03-27 23:26:33 | Weblog
上杉隆さんの活躍には頭が下がる。なぜこのようなジャーナリストが日本に少ないのだろう。上杉さんの活躍で、真実を伝えようとするジャーナリストが立派に活躍できることが証明されたのだ。野茂投手が大リーガーとして日本人で初めて大成し、そしてその後に名選手が次々と海を渡ったように、誇りあるジャーナリストは後に続いて欲しい。そして、多くの命を救って欲しい。
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鬩ぎ合う

2011-03-26 23:39:42 | Weblog
昼休みにツイッターをフォローしていたら、数日前にブログで綴った原発利権とメディアとの関係を端的に示すモノを見つけた。原爆被爆国にとって、放射能汚染はトラウマ以外の何者でもない。そんな国でなぜ原発がこれほど作られたのか?冷静に考えてみれば不思議な話。仕事を終えて県立劇場の和室で劇団第七インターチェンジ『青い魚』を観た(明日もあるのでネタバレを気にしつつ綴るが、まだ観てない人はこの先を読まない方がいいかも)。基本的には従来通りの亀井ワールドだが、作者自身のアタマの中の混沌がどういうものか何となく見えた。舞台としての具現化が巧みになって見やすくなってきたということかも。もう一つ感じたのは、積極的な笑いを取ろうとするシーンが数ヶ所あり、これまでの第七にはない斬新さがあった。僕の勝手な思い込みかもしれないけど、近頃の第七のメンバーはみんな何となく表情に余裕を感じる。それが舞台にも反映されているような気がした。終演後、何名かの演劇関係者とテーブルを囲んで少し話をする。ガチで芝居に取り組む人から見れば、僕のような「仕事の合間に芝居」という姿勢がヌルいだろうし密度も薄っぺらかもしれない。だけどいろんな演劇関係者の好意で繋がっていられることが幸運だと思う。それに報いることを考え始めると、今、自分の人生において何が一番大事なのか分からなくなってきて、そうしてアタマの中でせめぎ合いが始まり、一人悩み始めるのだ。
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仕込み上手

2011-03-25 23:02:41 | Weblog
僕が住む界隈には演劇関係者が意外と多い。出勤途中にすれ違う人や近所のスーパーでバッタリ会う人がいたりする。そんなきっかけもあって「ご近所会」なる企画が始まった。今日、その第二回目が熊本市某所で行われたので、僕も仕事を終えて参加させてもらった。以前の僕は「芝居仲間とは芝居に向き合う時だけ会えばいい」とストイックを決め込んでいたが、最近はいろいろと心境の変化もあり、日常での馴れ合いはむしろ必要だと感じるようになった。「芝居を作るとなれば馴れ合いをしない」という自制心が身に付いたとも判断したわけだ(苦手な雑談を少しでも克服したいという別の理由もあるが…)。しかしやはり演劇人という表現者が集まると、それぞれの独特な視点のぶつかり合いが面白くて夜更けまで話は尽きなかった。僕も周りを楽しませるだけのネタをもっと仕込みたいなあ・・・。
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筋違い

2011-03-24 23:46:40 | Weblog
ある中国筋のメディア『人民網日本版』が、今回の震災における日本の政府とメディアの対応について、「社会が混乱せず、大震災の中でも人々がパニックに陥らずに済んだのは、レベルの高い日本のメディアとそれをコントロールする日本政府の功績である」と好評価をしていた。この論評を聞いて感情的に腹が立ってきた。冷静に考えると確かに間違ったことは言っていない。間接誘導と直接誘導それぞれにおいて見事に日本をコントロールしたと言える。じゃあなぜ感情が収まらないのか?それは、執政の立場においての評価に過ぎないからだ。政府が望んでいることと、国民が望んでいることは一致していない。数日前のブログでも綴ったが、一刻も早い被災地への救援と、福島原発事故による放射能汚染の拡散防止を国民は第一優先として望んでいるが、政府は混乱を避けることや、利権を守るために不都合な真実を隠すことを優先しているのが実態。国民のためのメディアコントロールでは決してなく、論理的に正しくても筋が違う。大事なのは「誰にとって正しい論理か?」ということだ。
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真相

2011-03-23 21:02:18 | Weblog
こういう時にやるべきだと思うのが統一地方選挙の公示、ではなく、世論調査だと思う。「あなたは原発推進派か?原発反対派か?」という2択の質問と理由を問うシンプルな調査でいい。今、日本に住む人には最も関心の強い話題だろう。今は僕の意見なんてどうでよい。ここで取り上げる大きな謎は、なぜマスコミや政府は原発の話題に触れようとしないかという点である。それどころか原発の話題を避けようとさえしている。批判をかわすため?いや、批判を受けるくらい平気でしょう。ここに別の理由が隠れている。原発反対を口にする人間が誰一人テレビに出て来ないのもおそらく同じ理由で、原発推進団体によってテレビ放映が支援されているから。たとえ上杉隆さんほどの気鋭のジャーナリストであっても、原発に反対しようものならスポンサーの意向でテレビにもラジオにも出演できなくなる。畢竟、それを言っちゃオシマイなのだ。でも結局、原発事故での政府の対応をラジオで手厳しく批判した上杉さんは番組を降ろされた(実際は上杉さんが降ろされたのではなく、スポンサー側が先に降りたらしい。これこそ「論より証拠」)。どう足掻いても反対意見が出ない仕組みができている。それはマスメディアにおける情報操作そのもの。反対意見が出ない所でデモクラシーは機能しない。マスメディアとデモクラシーは相容れない関係なのだ。だけど僕は原発に反対だとは一言も言っていないので、この真相はテレビで堂々と口に出来る。切り口を変えれば突っ込みどころはいくらでもある。この閉塞感を打破できる賢いジャーナリストがどんどん出て来て欲しいと願う。
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願い

2011-03-22 23:33:15 | Weblog
仕事休み。昼から習い事に行き、夜は実家に帰る。今日、また一つ歳を重ねたので、ささやかながら家族から誕生日を祝ってもらった。数名の方からも温かいメッセージを頂いて嬉しい限りだ。歳を取るほどに成長出来れば良いが、理想とする自分の姿を思い浮かべることがまず先決だったりもする。でもそれがイメージできた時点でほとんど達成したようなものだと思ってる。あとは想いを強く抱くだけだ。そして今年も多くの才能溢れる素敵な人たちと出会いたいものである。
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備忘録2

2011-03-21 23:59:00 | Weblog
放射性物質と放射線の違い。放射線は放射性物質から飛来する。人体への被爆の影響を考えると、距離の2乗に反比例するので、放射性物質から離れるほど安全だという報道は正しい。しかしもし仮に、放射性物質が体内に入るとこれと逆のことが言える。もし1000/1ミリの放射性物質が肺に付着した場合、放射線の被爆量は、同じ放射性物質が人体から1mの距離にあったときの1兆倍になる。体内から放射線が放射され続けることと、レントゲンやCTスキャンによる放射線被爆を同レベルで捉えることが間違っている。放射性物質が付着した可能性のある食品を口にすることはそれだけ危険ということだ。結果的に壊滅的打撃を受ける農家もあると思うが、その補償は東電や政府に求めるべきである。関東に住む人間にとって福島原発からの放射線による被害は少ないかもしれないが、放射性物質は雨風や海水の流れにより飛来する。その被害は計り知れない。放射線の空間線量を伝えるだけの報道は人々の安心を煽るのでやめるべきだ。
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備忘録

2011-03-20 23:17:18 | Weblog
今回の地震で、福島原発の安全性について改めて考えるべきと思ったのでここに記す。福島第1原発の6基ある原子炉のうち、5基はウランを燃料としているが、残りの1基は核分裂がウランとは桁違いに大きいプルトニウムを燃料に混ぜたMOX燃料を使っている。この危険極まりないプルサーマル発電を行っていたのが3号機だ。今回のような災害時において放射能の拡散が最も大きいと言われている。しかしこの3号機は昨年10月まで稼動を停止していたらしい。なぜ再稼動させてしまったのか。この辺りにも様々な思惑が入り乱れているようだけどタイミングが悪すぎる。その3号機も現在はある程度冷却が進み、表面温度は安定したと言われているが、その報道を鵜呑みにしていいものか。外国メディアは地震発生直後に福島原発の事故を憂慮して、日本国内の特派員に対し、いち早く国外退去を命じたが、それは妥当な判断だったのかもしれない。あまり公にされていないが、国会議員や東電社員の家族は密かに東京を離れているとも聞く。まず何より我が身を守ることが最優先。そのためにも最大限の情報収集と判断が求められると思う。
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共有とか

2011-03-19 23:59:20 | Weblog
ツイートやミクシイを通じて多くの人が今夜の大きな月の話題を共有していたので僕も暫く月を眺めてた。いつもより大きい分、輝きも増していた。震災が発生してもう1週間も経過した。「JapanQuakeMap」によると、ここ1週間で実に600回もの地震が発生していた。日本の有史以来と言えば大袈裟だが、これほど多くの地震が集中したことなど本当になかったのかもしれない。この終わりのない余震は、目に見えない敵からの攻撃にも思えるし、情報と補給路の寸断による被害状況の不透明さや、大本営のような政府発表に至るまで、これは有事そのものかもしれない。いわゆる「平和ボケ」という言葉があるが、大きな事件が何も起きない平穏無事な日々が悪いのではなく、目の届かない遠い場所で起きている紛争や災害に鈍感になってしまった事が問題だと思う。今、世界の目は日本だけじゃなくリビアにも向けられている。今の日本は他国のことまで構っていられないのが現状だけど、今回の地震も今夜の月も、多くの人が距離を越えて同じ思いを共有している。何というか、遠くの出来事を多くの人が同じように想像して、それを自分事として捉える意識を持つことが、平和を願うってことなのかなと改めて思った。
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智恵の集積

2011-03-18 23:26:57 | Weblog
福島原発の冷却作業で「水で冷却する作業は水素爆発を誘発するので危険、すずを流し込んだ方が金属の液化に時間が掛かるし沸点も高いので効果を見込める」という、チェルノブイリ原発事故に関わった技術者からのツイートがあった。実際、あれだけ人手を費やしているのに、ただ水を掛けて冷やす以外に方法がなかったのだろうかと素人ながら感じてた。もし仮に焼け石に水だと分かってやってるのなら何ともやるせない事態だ。「GoogleEarth」と、トヨタ自動車が運用している「G-Book」との連携で、東北地方の道路通過実績「通れた道マップ」というサービスを開始した。GoogleEarthの東北の地図上に黄色いラインで表示するサービスで、ホンダ技研も同様のサービスを始めている。便利ツールを災害に役立てるために多くの人が様々な智恵を出し合っていることが救い。
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不要な報道

2011-03-17 23:29:12 | Weblog
事実を把握するのに海外のメディアが役立つ。今の問題点は、情報が開示されていないことよりも、把握できていない情報が整理されていない点にあると分析している。福島原発の状況を自分なりに調べたが、やっぱりヤバイみたい。今やっている冷却活動は場当たり的で終わりが見えず、このまま燃料格納容器が溶解し、制御棒による制御が不能となれば、再臨界が始まる可能性もあるとか。国民性においては他国に優れていても、メディアの質は海外の方が優れていると思う。たとえばこんな時に、「不眠不休の枝野官房長官に対する応援ツイートが増えている」という報道は「多少」理解できる。しかし「枝野、寝ろ」という流行語が流行っているとか、寝顔コラージュが配信されているとかのニュースを流すメディアは愚鈍である。テレビだけでなくネットでも言えるが、目に付く部分ばかりに注意を促す報道は、今だ被災者の安否が見えない被災地に対する想像力や、復旧作業中の福島原発への注意を削ぐ結果を招く。これもある種の情報統制だと僕は思う。くだらないネタを探す前に、統制されて見えなくなった情報を開示させることに尽力して欲しい。
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