風の吹くまま絵を描きます

趣味は登山。風の吹くまま、出かけて絵を描いています

比良山系

2017-08-31 18:37:23 | 日記
比良山という山はありません。多くの山のかたまり比良山系をさします
湖西線から山並みが見えます。 まず比叡山、次からが比良山系です、まず蓬莱山、堂満岳、釈迦岳、リトル比良と続きます
車窓からは比良の主峰、武奈岳(1214m)は見えません
寒波が来たので、雪景色が描けると思い琵琶湖一周をしました。距離は200km以上ですが、途中下車は効きません
大都市近郊は途中下車出来ないのだそうです。
比良駅で降りて、広場で椅子を置いて描きました。
積雪の量が物足りなかったのですが、ここが雪ですっぽり覆われる事はありません。

六甲ほど俗化されてなく、近傍の山ですから、よく登りました。
比良山系の山は全部、3回以上登っています。
昔は、スキー場もあり賑わっていたのですが、ケーブルが廃止されて以後、急速にさびれました


伊吹山

2017-08-31 08:55:57 | 日記
滋賀県最高峰、百名山に数えられています
私は過去、何枚もスケッチしました。土砂採集の傷跡が痛々しいが、米原側ではなく、
柏原からの方が傷跡がなく私は好きです。
JR柏原駅から西、柏原宿を抜けた所から北に線路に沿うように進み、線路下の小さなトンネルを
くぐれば田園地帯になります。そこからは伊吹山が正面です

雪化粧をした伊吹山を描きたくて、冬、近くを通る度に見ていました
定年後、小牧で仕事をしていた関係もあり、1回/月 枚方に帰省する度に雪の具合を見ていました
しかし、昔は、この一帯は豪雪地帯だったが、温暖化の影響か雪が降らなくなりました
この年も寒波が来て、雪景色を描けると思って来たのですが、平地は雪が全然ありません。
山も平地も雪景色が描きたいのですが、なかなか巡り合わません

私は、この時、手前の畦道に椅子を置いて描いた。寒い中、描いていると
地元の人が見に来て、暖かいコーヒを差し入れして頂きました。
その人も、ここから見る伊吹山が好きで、よく来るそうです


車谷不動

2017-08-31 08:21:55 | 日記
滋賀県湖南市岩根車谷にある磨崖仏。像の高さは4.3m、顔幅0.8m、宝剣の長さ2.3m。
高さ6.2m、幅2mの花崗岩の自然石に彫られています。江戸時代の作だそうです。誰が彫ったかは解りません
岩根山の麓にあり、この一帯は仏教修行の道場として栄えました。
このあたりに磨崖仏がたくさんあり、白洲正子の著書「近江山河抄」に書いている
『水口の西北、東海道に沿って、あまり高くない山が続いており、この丘陵を「岩根」と呼ぶ。高くはないが奥深い森林地帯で
すぐそばに東海道が走っているのが別世界のように思える。
その名のとおり岩石の多い所で、山中には「善水寺」という寺があり、石仏が沢山かくされている。
(中略)
近江には京都や奈良に匹敵する美術品はないと書いたが、石造美術だけは別である。美しい石材に恵まれていたのと
帰化人の技術が手伝ったのにちがいない』
 
岩根山は十二坊とも呼ばれ、薬師如来を守護する十二神将にちなんで十二の坊舎が建てられた
ことに由来するそうです、今は坊舎は影も形もありません。

草津線の甲西駅で下車。徒歩で1時間余り。
私はグループで岩根山に登山した帰りに立ち寄りました


常念岳(2857m)

2017-08-30 10:25:50 | 日記
正面の山が常念岳。
白馬からの帰り豊科駅で途中下車した。
5分も歩けば田園風景が広がる。次の列車までの待ち時間1時間。
急いで写真を撮り、写真から描いた
常念岳を取り巻く北アルプスの山が連なっているが、どれがどれかわからない
絵を描くのを、どこでやめるか決心がつかず、長い絵になった。


白馬村から

2017-08-30 08:12:59 | 日記
青鬼集落からの帰路。この川(松川)の側に昨年は道の駅があった。ここで休むつもりだった。
しかし道の駅は閉鎖。昨年も客は2、3人しかいなかった、品物も買いたいものは皆無。つぶれても仕方ない。
白馬村は地元の特産品の売り場も土産物売り場もない。喫茶店もない。商売気のない村。
高地といえども5月は暑い。皆、いい加減バテた。

この川を遡って行くと、白馬大橋に至る、ここが絶景ポイント。昨年は1人旅。この橋からスケッチした。
今年は7人旅。皆ばてている。ここからの絵で間に合わす


青鬼集落

2017-08-30 07:39:48 | 日記
かっては鬼無里を経て戸隠神社や善光寺にいたる参拝路だった。今では静かな隠れ里だが、昔は賑やかだったと思う。
青鬼という名前の由来は次の伝説からという
昔、鬼のような大男が村人を苦しめた。そこで村人は岩戸山中腹の底なし穴に大男を閉じ込めた。
しばらくして大男が戸隠村に現れたが、今度は村人を助けるようになった。人々は穴を抜ける時、魂が入れ替わったのだろうと考え、
「お善鬼様」として祀るようになった。

2014年5月、山のグループ有志、7名で訪れた。名古屋で中央線に乗り換え松本まで、
しかし途中、猪が列車と衝突し長時間停止した。JR東海も気をきかせて松本から白馬まで特急の自由席を解放してくれた。
その御蔭で、白馬到着は20分しか遅れなかった。
白馬駅から青鬼集落までは公共交通機関はなし。タクシーを利用した
帰りは下り坂なので歩くことにした

白馬村

2017-08-29 20:29:46 | 日記
白馬の山並みの麓にこじんまりと広がる村。
ペンションやホテルが多い。スキーシーズンを除けばいつ行っても宿泊できると思う
村も衰退している。喫茶店がつぶれている、道に駅も廃業している、私が行ったのは2012年と2013年だが白馬の山並みの絶景が望める
自然遊歩道を歩く人はいなかった。絶景を一人占めにできる。
おすすめは5月の連休後、ケーブルが動く5/25以前である。

白馬岳に続く山並み

2017-08-29 19:10:08 | 日記
白馬の山並み
左から五竜岳(2814m)、唐松岳(2695m)、それから難所で有名な不帰の剣、白馬鑓ガ岳(2903m)、杓子岳(2812m)、白馬岳(2932m)
五竜岳は頂上近くの菱形の雪形が武田家の紋章と同じであることから「御菱(ごりょう)」とよばれ、それが五竜となったという
アルプスでは難所といわれる処がいくつかある。不帰の剣(かえらずの剣)もその一つ。TVで何度か見た。険しい岩壁である。

東舞鶴港の貨物船

2017-08-29 19:02:25 | 日記
東舞鶴港に入ってきた貨物船
舞鶴で義父の介護に妻と2人で行っていた。ずっと家の閉じこもるのも気が滅入る
毎日、妻と2人で買い物に出かけた。近くのスーパに行くのだが、海岸通を歩く。その時、港に珍しい船が入港していればスケッチブックを持ち
出かけて描いた。

護衛艦

2017-08-29 18:45:32 | 日記
7月の終わりに舞鶴では海フェスタという祭りがある。東舞鶴港、中舞鶴港、西舞鶴港と港の総力をあげ祭りを行う
この年の出し物は、東舞鶴港は帆船(練習船)、中舞鶴港は自衛隊の戦艦、西舞鶴港は海上保安庁の船、どの船も中を見学させてくれる
私も沢山船を描いた
この絵の船は自衛隊の護衛艦である。図体はでかいが貧弱な砲台が二つ。これで護衛ができるのか心配である
この船ノスペックは
排水量5200トン
全長159m、全幅17.5m、速度32ノット以上。定員350名

野神の大けやき

2017-08-29 18:26:05 | 日記
滋賀県高月町には巨木が沢山ある
駅の観光案内所に行けば「巨木めぐり」のパンフレットをくれる
それに従って歩けば、一日かかる。のどかな田園風景の中を歩いた。
絵の巨木は野神の大けやきと呼ばれる。野神とは「農神」。田や畑の神である。
野神祭りがおこなわれる処もある。高月にも野神があちこちにいらっしゃって、沢山、巨木がある
また神社にも巨木。
絵を描こうと思ったのだけど、なかなか上手く描けない
神を崇められる迫力が描けない。ただ大きな木というだけで、神ではない、この絵も不満足である
腕を磨いてリベンジしたい

チェコからチロルのスケッチ旅行

2017-08-28 15:56:46 | 日記
チェコを紹介すると面積は日本の1/5。人口は約1050万人。山が少ないから人口密度が日本よりはるかに小さい。
歴史的には、1960年社会主義国となったが、スターリン的圧政に不満が爆発。「プラハの春」と呼ばれる自由化路線が布かれた。
これに対しソ連を含むワルシャワ機構5カ国が軍事介入、秘密警察への密告が奨励される警察国家となった。教会では信者と聖職者間での密告が頻発。
教会組織は崩壊、現在でも国民の半数は無神論者である。1989年「ビロード革命」により共産主義は崩壊。1993年チェコとスロバキアは平和的に分離。2004年にEUに加盟。

プラハ城

2017-08-28 15:38:50 | 日記
川岸からプラハ城を望む(チェコ プラハ)
プラハはチェコの首都であり、大都会である。その景観の中心は旧市街の中を流れるヴルタヴァ川とプラハ城である。
観光客は川にかかるカルル橋を渡り城に向かう。
川岸は公園になっており大勢の人が散策を楽しんでいる。
川岸から城を見た光景はプラハを代表する景観であり、旅行案内書、TVの旅行番組で必ず登場する。

チェコ国民にとってプラハ城は特別の意味がある
9世紀に建てられ、王様や大統領に執務室として使われてきた
長年、列強の圧政に苦しみ、「プラハの春」「ビロード革命」経て、やっと独立した。
かっては自分たちの王が執務した城を列強から取り返そう。
「我々の代表をプラハ城に送ろう」が合言葉だったと聞く。

プラハ城

2017-08-28 15:37:15 | 日記
川岸からプラハ城を望む(チェコ プラハ)
プラハ城を川岸から描いたが、カルル橋がないと、なんだか締まらない。
プラハは川と橋の街である。
しかし、川の水は綺麗ではない。チェコが観光立国として発展するためには川の浄化は不可欠であろう