風の吹くまま絵を描きます

趣味は登山。風の吹くまま、出かけて絵を描いています

仁淀川

2024-09-04 14:42:09 | 日記
四国の清流、仁淀川です。
今年の夏は、猛暑です。
せめて、清流を見て一時、暑さを忘れたい。

安祥寺

2024-06-12 16:32:04 | 日記
2024年6月9日 山科の安祥寺に行きました。
奈良時代の創建、応仁の乱の際、焼失し荒れ寺だったが、江戸時代復興。
幽玄の雰囲気がある美しい寺でした


新湊大橋と劔岳

2024-05-16 15:02:02 | 日記
5月、残雪の劒岳と新湊大橋
帆船は海王丸です


菊桜

2024-05-13 12:44:05 | 日記
花弁が三百枚を超え、菊の花のように咲き、落花時は花柄語と落ちる。
八重桜に似ているが別物です。
開花は四月中旬から五月中旬。花の色は濃い紅から薄紅、落花時は白の変わる。

慶應年間(1865~1868)に孝明天皇から前田家に賜ったものと言われていた。
原木は兼六園にあり国指定天然記念物であったが1970年枯死した。
現在、菊桜の保存に尽力した人が前田家ゆかりの尾山神社に2本の菊桜を寄進、見事な花を咲かせている。


また兼六園には接木したものが植えられている。

竜田川

2024-04-18 18:44:50 | 日記
在原業平の句「ちはやふる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは」で有名な紅葉の名所です。
落語で有名になりすぎて、本来の意味を私も忘れてしまった。
調べた結果、言葉の解説は
「ちはやふる」・・・神にかかる枕詞
「くくる」・・・絞り染めにすること
句の意味は
『神代にも聞いたことがない、竜田川が真紅に絞り染めになるなんて』

落語では
「竜田川という相撲取りがいました。花魁ちはや大夫を口説いたが振られた。
次に神代大夫のモーションをかけたが聞いてもらえなかった。
竜田川は相撲取りをやめ豆腐屋になった。
ある日、落ちぶれたちはや大夫が来て「おからをください」と頼んだ。
竜田川が断ると、落胆した大夫は川にどぶんと身を投げた。
落語の方が数段、面白い。

紅葉の名所で、龍田大橋の近くはもみじの並木道だが、桜も美しい。
また河原に菜の花が咲き乱れ、春爛漫。
早朝で歩く人もいない。
絶景を独り占めして歩きました。

法隆寺

2024-03-26 17:52:29 | 日記
2024年3月13日 法隆寺に行きました。
妻の学生時代の友人が誘ってくれて夫婦で訪問しました。
妻の友人のご主人は法隆寺のボランテァガイドをされていまして、隅から隅まで案内してくださいました。
その時の絵です。
1.法隆寺南大門
  607年聖徳太子が父、用明天皇の病気回復を祈願して建立
  世界最古の木造建築物です。
  現在の寺社建築物と遜色ないと思いました。

2.五重塔

3.金堂

4.夢殿
  聖徳太子の死後、法隆寺が荒れ果てたのを嘆いて建てた

山里の風景

2024-02-26 13:29:03 | 日記
2023年11月、福井県勝山市をめぐりました。
白山神社の近くの風景。
幼いころ見たような風景。
忘れていたが、心の片隅に残っている風景。
福井県の山奥でも、なかなか出会いない風景。
便利と引き換えに、大きなものを無くしたような気がする。
幼い頃へのノスタルジー。
滅びゆく物への、老いぼれの郷愁です。


安曇野

2024-02-02 09:39:04 | 日記
雪山は今が一番美しい時期。
常念岳から白馬岳までの北アルプスの山並みの一部です。
安曇野在住が送ってくれた写真から描きました


専福寺

2024-01-22 18:53:23 | 日記
福井県大野市は美しい町である。
粟津工場に単身赴任した40歳代、1度だけ訪れたことがある。
大野城、湧水、朝市等々、観光資源は多い。
しかし、公共交通機関は不便である。
福井駅発九頭竜湖行越美北線は9:08が始発。次は12:50。
これでは近隣の人が車で行き来するだけ、遠くからの観光客は行けない。

元々、越前大野は隠里の雰囲気があった。
専福寺も街はずれにあり、周囲は畑、目の前に荒島岳の雄姿。
遠くに大野市の街並み、隠れ里の隠れ寺がぴったり。
街はずれにひっそりと建っているが、手入れが行き届いた綺麗な寺である。

専福寺の正門



荒島岳

2024-01-19 16:49:25 | 日記
福井県大野市友兼にある専福寺の前から見た荒島岳。
荒島岳は標高1490m、福井県で唯一の百名山。
大野富士と呼ばれる独立峰である。

専福寺の大ケヤキを見に来たが、
ケヤキは上部が切られ、枝が無く、枯れたのではないかと思う。
ケヤキは樹の様相を呈してなく、スケッチしなかった。

ここは大野市の外れに位置し、付近は田園。
荒島岳がまじかに見えて田園風景としては絶景。
専福寺も綺麗な寺で、ケヤキは残念だったが、周辺の風景に満足した。


勝山市にて白山

2024-01-13 16:30:08 | 日記
金沢の湯涌温泉から車で一時間位走り岩屋の大杉を見た。
私は越前大野に着いたと思ったが、隣の勝山市だった。
絵には「越前大野にて白山」と書いてあるが勝山の間違い。

福井県からも白山は見えるが、近くの山に隠れて、頂上付近しか見えない。
初めて、こんなに大きく見える場所は初めてだ。
越前大野からも大野城の展望台と言われる小高い山の上から白山の頂上付近がみえる。

立山連山の展望台はいろいろ紹介されているが、白山の展望台の紹介は見たことがない。
加賀市、小松市からの白山は描いたことがあるが、他の場所から見た白山も描いてみたい。


旧石倉家(石川県金沢市江戸村)

2024-01-11 13:15:26 | 日記
江戸村は金沢市の奥座敷といわれる湯涌温泉の近くにある、金沢市立の歴史博物館。
江戸時代の歴史的建造物が移築されている。
類似の博物館は愛知県小牧市の明治村がある。
江戸村は、明治村に比べて規模も建造物の数も少ない。また中にレストランもない。
入場料も200円程度で安い。
しかし、珍しい建物で画材には事欠かない。
近くの湯涌温泉は竹下夢二が愛した宿がある静かな温泉街である。
温泉街にあるような射的場やストリップ劇場はおろか土産物売り場、コンビニもない田舎町である。
夢二の愛した宿に泊まったが、売店もなかった。
湯は24時間入浴可能。無色、無臭の湯。

絵の旧石倉家は
北国街道、越前鯖波宿本陣で幕府巡検視や大名の宿泊に使用された。
住居というよりお寺のようで、どこか近代的な匂いのする建物である。
江戸村の建物は、履物を脱いで自由に中を見物できる。
しかし、照明がないので中に入る気にはなれなかった。
江戸時代は、この暗がりで生活していたのだろう。


旧花背峠

2023-12-20 09:45:28 | 日記
貴船神社から林道を登った所にある峠。
お地蔵様を祭った小屋と背後の杉の巨木が印象的。
山歩きに疲れて一休みする場所である。
ここから東にしばらく歩くと勢龍天満宮に着く。
菅原道真を祭った神社。
菅原道真の忠僕で寺子屋をこの地で開いた武部源蔵邸址。
「菅原伝授手習鑑 第四段 寺子屋の段」の舞台になった地と伝えられている。
現在は人家もなにもない山奥の地であるが、昔は賑やかで旧花背峠も人の往来があったのだろう。
天満宮から急登を行くと雲取山(911m)に着く。

花背峠から雲取山に上り、下山の途中の清流でソーメン大会をやる。
その後、勢龍天満宮、旧花背峠を経由、貴船神社に参拝、叡山電車で帰る。
これが、山のグループの7月度恒例行事であった


猿丸神社(金沢市笠舞町)

2023-12-18 15:08:48 | 日記
金沢で最古の神社の一つ。 

猿丸太夫の住まい跡と伝えられるので、この名がついた。
猿丸太夫は三十六歌仙の一人。
百人一首にある「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聴く時ぞ秋は悲しき」の作者。
およそ820年以上昔になる。

参拝者がいない境内は、紅葉に埋まっていた。
見事な紅葉を眺めに来る人がいない。
兼六園から直線距離で1km程度しか離れていない紅葉の名所を
素通りするのはもったいない。


猿丸神社の大けやき(金沢市笠舞町)

2023-12-18 15:07:09 | 日記
樹高20m、幹周6.3m 金沢市保存樹。
猿丸神社境内の端に立っている。
樹齢は不明だが、猿丸太夫と同年代とすると樹齢800年となる。

風や雪で痛めたのか、左の幹は切られ、半身不随のようである。
しかし、健気に右半身が美しく紅葉している。
右半身も枝を切られているが、持ちこたえている。
「頑張れ」と声をかけたくなる巨樹である。

歳に負けす頑張れ、私も頑張る。