お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

碧のカーテン

2020年05月28日 | 怪談 手芸部信子
「……先輩、ちょっといいですか……」

 信子は刺繍をしている手を止めて顔を上げた。
 手芸部の一年生、広田ゆかりが深刻な表情で立っている。

「どうしたの? 編み物について何か聞きたい事でもあるのかしら?」
「いえ、そうじゃないんです……」
「じゃあ、何かしら?」
「実は……」
「うん?」
「実は、わたしの部屋に誰かが入って来るんです…… タンスの中とか机の中とかを見ているみたいなんです」
「誰か? ……お母さんがお掃除でもしてくれるんじゃない?」
「いいえ、お母さんは掃除をする時は、前の日に言ってくれます。だから、わたしは部屋を片付けて、床の掃除機くらいで済ませてもらえるようにしているんです」
「へぇ、殊勝な心掛けね」

 ゆかりは「殊勝な心掛け」の意味が分からなかったが、褒め言葉らしいと思い笑顔を作った。

「わたしのお父さん、再婚なんです。もう五年前になります…… わたしはお父さんの子なんです」
「あら、そうだったの?」
「でも、わたしはお母さんが大好きです。……でも、やっぱり少しは遠慮しちゃうんです。で、お母さんも勝手にわたしの部屋に入らないようにと、前の日に掃除の事を言ってくれるんです」
「親しき仲にも礼儀ありって言うから、それはいいんじゃないかしら?」

 ゆかりは「親しき仲にも礼儀あり」の意味がはっきり分からなかったが、曖昧いな笑顔を見せる。

「お母さんにも子供がいます。……今は兄ですけど、雄介と言います」
「その言い方だと、あまり好きではないみたいね」
「……はい。気が小さいくせに、わたしには偉そうな態度するんで嫌いです。……でも最近、特にイヤなんです。なんか、こう、わたしを見る目付きが、なんだか、その……」
「ふ~ん。思春期ってやつかしらねぇ……」
「それで、わたしが部屋にいる時には内側から鍵を掛けているんですけど、こうして学校や遊びに行く時は出来ないんです」
「じゃあ、ゆかりちゃんは、誰かって言うのはお兄さんで、お兄さんが部屋に入ってきているんじゃないかって思っているわけ?」
「……はい……」
「それはイヤねぇ。びしっと言ってやらなきゃね。……ところで、お兄さんって幾つなの?」
「大学一年です。講義の無い時は家にいるんです。だから心配で……」
「大学生なんだ……」
「……はい……」
「それじゃあ、わたしからびしっと言うってわけにはいかないわねぇ……」
「いえ、ただ聞いてほしかったんです…… わたしに何かあったら、雄介の仕業だって……」 

 ゆかりはそう言うとぺこりと頭を下げて、自分の席に戻って行った。
 信子は刺繍の手を止めたまま、宙を見つめて考え事をしている。


「ゆかりちゃん」

 信子がゆかりに声を掛け、手招きをした。ゆかりから話を聞いて四日後だった。ゆかりが編み物を手にしたままで来た。

「なんですか?」
「これ、作ったみたの」

 信子は大きめの紙袋を差し出す。ゆかりは編み物を机の上に置いて、紙袋を受け取り、中を見た。碧の生地が入っていた。取り出してみる。厚手だが軽く、滑らかな手触りが気持ちいい。形はゆかりの背丈以上はある縦長で、真ん中が途中から左右に分かれている。

「これは?」
「う~ん、なんて言えばいいのかなあ…… カーテンと言うか、暖簾と言うか……」
「でも、先輩の縫い方にしては少々雑と言うか、荒っぽいと言うか……」
「細かいことは気にしないの」
「は~い、すみません」
「それでね、これを、ゆかりちゃんの部屋側のドアの所にぶら下げておくといいわよ」
「そんなんで、雄介が入らなくなりますか?」
「ドアを開けて、いきなりこんなカーテンがあったら、わたしは知ってるのよ、意識しているのよってアピールになるんじゃない?」
「なるほど! 分かりました! ありがとうございます!」

 ゆかりは帰ってから取り付けてみた。アピールになるかは分からないけど、部屋の雰囲気が上品な感じになった。それだけでも嬉しかった。


 講義が休みになった。ゆかりは学校だし、父は仕事、母はパートに出ている。今は自分しか家にいない。雄介は自分の部屋を出る。二階には雄介とゆかりの部屋がある。雄介はゆかりの部屋のドアの前に立つ。

 ……最近は生意気な下着や化粧品が増えてきやがった。それに部屋中に女の匂いもしていやがる。今日はどうなんだ? 

 雄介はゆかりの部屋のドアノブを掴んで回した。ドアを引く。

「わっ!」

 雄介は思わず声を出した。目の前が碧だった。落ち着いて見ると、カーテンのようだ。

 ……ゆかりのヤツ、ふざけた事しやがって。

 雄介はカーテンの真ん中が暖簾の様に左右に分かれる作りになっている事に気が付いた。

 ……ふん、ちゃちな作りだ。

 雄介は両手でカーテンを分け、ゆかりの部屋へと入ろうとした。

「あっ……」

 不意にカーテンを分けた両の手首を何者かに掴まれ、物凄い力で引き込まれた。雄介は床に転がった。ごつごつしていた。しかも暗い。

 ……おかしい、床は絨毯だぞ。それに昼間なのに何故暗いんだ? 

 雄介はからだを起こした。

「えっ?」

 薄暗く、碧一色の景色になっている。それも、見知ったゆかりの部屋ではなく、洞窟の中のような広く陰鬱な場所だった。何故か肌寒い。

「おい!」

 背後から耳を聾さんばかりの大声がした。雄介が振り返ると、そこには碧色をした鬼が二匹いた。地獄絵図などで見る、亡者を攻め続ける、あの鬼だ。鬼どもは殺気立った双眼でじっと雄介を睨み付けている。雄介は悲鳴を上げる。鬼どもは雄介を見つめながら話し始めた。

「お前、妹の部屋へ覗きに入るんだってなあ……」
「何だとぉ? 妹を覗きだぁ? そりゃあ本当か、弟よ」
「本当さ、兄者」
「どうしようもねえ碌で無し兄貴だのう。兄の風上にも置けねぇぜ」
「そうさ、兄者。こいつは全ての兄の面汚しだ」
「こりゃあ、しっかりと躾けなきゃあなあ」

 鬼どもは牙をむき出しにした笑顔で雄介に迫る。雄介は思わず手を合わせた。あまりの怖ろしさに泣き出した。

「ま、待ってください! もう、しません! しませんから、勘弁してください!」
「兄者、何か言ってるぜぇ」
「どうせ口だけだ。……さあ、こっちへ来い!」
「すみません! 本当にもうしません!」
「駄目だ! こっちへ来い!」
「兄者が言ってるんだ、言う事を聞けい!」
「今なら骨の五、六本をへし折るくらいで勘弁してやるぞ!」

 雄介は悲鳴を上げながら走り出した。鬼どもが追いかけてくる。雄介は泣きながら走る。鬼どもの怒声が洞窟内にこだましている。幾度か転びながらも雄介は走った。少し先に碧色が見えた。カーテンだと雄介は直感した。雄介はカーテン目がけて飛び込んだ。
 
 パートから帰って来た母親が、雄介がゆかりの部屋の半開きになったドアの前の廊下に呆然とした表情で座り込んでいるのを見た。母親は部屋への侵入を遮るようにぶら下がっている碧のカーテンを不審に思い中を覗こうとした。雄介が悲鳴を上げた。しかし、カーテンの奥はいつものゆかりの部屋だった。


「先輩から頂いたカーテンをしてから、異常は無くなりました」

 ゆかりが信子に言う。心なしかゆかりの表情が明るくなったように信子には思えた。

「そう、良かったわね」
「雄介はわたしの部屋の前を足早に過ぎて行くんですよ。ドアも見ようとしないんです」
「ふ~ん……」
「何時だったか、ドアが開いていて、カーテンが丸見えになっていた時なんか、悲鳴を上げたんですよ。馬っ鹿みたい!」
「そうなんだ」
「それで、雄介は下宿をする事になりました」
「あら……」
「きっと、先輩のカーテンが反省を促してくれたんですね」
「そうかもね」

 ゆかりはにこにこしながら席に戻った。仲間と楽しそうに話をしている。

「ふふふ…… 『地獄覗き縫い』で作ったカーテン、効いたようね。これに懲りて大人しくなると良いわね……」

 信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべながらつぶやいた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コーイチ物語 3 「秘密の物... | トップ | コーイチ物語 3 「秘密の物... »

コメントを投稿

怪談 手芸部信子」カテゴリの最新記事