「ねえ、聞いた?」
「聞いたわ。数学の田中でしょう?」
「そうそう、あの先生、美由紀に言い寄ったんだって!」
「うぇ~っ! あの独身おっさん、何考えてんのよ!」
今日も手芸部は手より口が動いている。部長の信子は、そんな部員たちの会話を聞くともなしに聞きながら、せっせと手を動かしている。
今編んでいるのは白い毛糸のマフラーだった。そろそろ木枯らしが吹く季節になる。
「ねえ、部長!」
そう言って来たのは一年生の春香だった。今話しに出ていた美由紀の同級生だ。信子が顔を上げ、春香を見る。春香は怒っている。
「数学の田中、何考えているんでしょうか? 自分の娘って言ってもおかしくない美由紀に言い寄るなんて!」
「でもその話って、本当の事なの?」
信子は優しい口調で言う。むっとしていた春香の表情が緩んでしまう。だが、気を引き締め、元のむっとした表情を作る。
「本当ですよ! 美由紀が言ってたんです。担任の瀬戸口に相談したんだけど、『お前の気のせいだ』で終わっちゃったの」
「それは問題ねぇ……」
「きっと、先生同士で守り合っているんです! 問題になっちゃうから……」
「美由紀ちゃんは、何かされたの?」
「話だと、『数学ガンバレよ』って言いながらべたべた触ってきたり、『個別に指導してあげる』って言って居残りさせたり、 授業中も気が付くとねっとりした眼差しを向けたり……」
「それは危険ね……」
「そうでしょおおおお!」
春香はぐっと信子に迫る。信子は苦笑した。
「ま、いいわ……」
信子は言うと、編んでいたマフラーを脇に置いた。
「部長……?」
「明日から別のマフラーを編むことにするわ」
「え? もうすぐ編み終わりそうだったのに?」
「いいのよ。……田中先生に編んであげるわ」
「はあ?」
「そんなに驚かないでよ。それよりも、ちょっとお願いを聞いてくれるかしら?」
「……はい」
信子は春香を手招きし、そっと耳打ちをする。春香は驚いた顔をしたが、うなずいた。
翌日から信子は別の、蒼い毛糸でマフラーを編み始めた。
「部長……」
春香が声をかける。信子は手を止めた。笑顔を春香に向ける。
「お願いした物、持って来てくれた?」
「……はい……」
春香は折り畳んだティッシュを信子に手渡した。信子は受け取るとティッシュを開く。
「ありがとう……」
ティッシュに挟まれたものを確認した信子は、春香に笑顔を向けて礼を言う。左の口の端が少し上がった笑みだった。春香も笑顔を返す。しかし、春香は信子の目が笑っていない事に気が付いた。……怖っ…… 春香の背筋を冷たいものが、一瞬走った。
信子は黙々とマフラーを編み続けた。学校でも家でも編んでいた。マフラーは三日で完成した。
信子は数学準備室へ行った。すると、田中が出て来た。薄くなった頭、脂ぎった顔、ぼてっと突き出した腹…… 女性からすれば、たしかに絡まれたくない相手だった。
しかし、信子は表情を変えず、すっと田中の前に立った。
「田中先生……」
信子は田中に言う。整った顔立ちでグラマラスな信子に声をかけられ、田中は嬉しそうだ。
「何だ? 分からない所でもあるのかい?」
田中が猫撫で声になる。
「いえ、そうではありません。お渡ししたいものがあって……」
信子は言うと、紙袋を田中に渡した。
「これは?」
「マフラーです。先生に編んでみました」
「ほう、それは嬉しいね」
田中はねっとりとした視線で信子を見る。美由紀よりも良い感じだ、そう思っているようだ。それから、紙袋の中からマフラーを取り出した。蒼い毛糸で編まれたマフラーだった。
「色が渋いな。それに、ずいぶんと長い…… オレの背丈はあるんじゃないか?」田中はマフラーと信子を見比べる。「……今巻いてみても良いのかな?」
信子は頭を左右に振る。
「いいえ、夜にしてください」
そう言うと信子は田中に顔を近づけ、耳元で言う。
「……夜に、わたしだと思って、巻いて下さい……」
信子の囁きに、田中は淫靡な笑みを浮かべる。
「わかった…… お前だと思って、今夜、巻かせてもらうよ……」
信子は左の口の端を少し上げて笑む。
その夜、田中は自分のアパートで、信子からもらったマフラーを首に巻いて、姿見の前に立った。
「なかなか似合うじゃないか……」
田中は満足そうだ。淫靡な笑顔が姿見に映る。
「わたしだと思って巻いて…… か。ふん、生意気な女だ」
田中は生徒を女と呼んだ。そう言う目線で見ているのだ。
「三年二組、川島信子……」田中は信子の姿を思い出す。すでにクラスも調べてある。「……礼をするって事で連れ込むか。態度だけじゃなく、身体も生意気だったな…… ん?」
不意に喉が苦しくなった。姿見にはマフラーが蛇のように勝手に動き、田中の首を絞め付けている様が映っていた。田中は外そうと手をマフラーにかけるが外れない。マフラーが首にしっかりと巻き付き、締め上げている。締め付ける力が強くなった。
「うっ…… むぐっ……」
息が苦しくなる。苦しさに両膝を付く。姿見に美由紀の怒りに満ちた顔が映った。田中は驚きで目を見開く。じっと睨みつけてくる美由紀の目尻と口角が吊り上る。黒目が薄くなり、白濁の眼になった。締め付ける力がさらに増す。
「わ、わかった…… オレが悪かった! 美由紀、許してくれ! 悪かった! もう馬鹿な事はしないと誓う!」
田中は掠れた声で必死に言う。途端に締め付ける力が倍加した。田中は気を失った。
田中のアパートのそばの街灯の下に信子が制服姿で立っていた。
「ふん、変態教師には良い薬だったでしょうね……」
信子は田中の部屋がある二階を見てつぶやいた。
「渡したマフラーには、春香に頼んでもらって来た美由紀の髪の毛を一本混ぜて編んだのよ。美由紀の恨みと憎しみとがマフラーに浸み込んで行ったのが、編みながらわかったわ…… これからは大人しくすることね。さもないと再び『地獄編み』の餌食になってもらうわ。今度は命があるかどうかは、わからないわよ……」
信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべながら、街灯の下から夜の闇へと消えて行った。
「聞いたわ。数学の田中でしょう?」
「そうそう、あの先生、美由紀に言い寄ったんだって!」
「うぇ~っ! あの独身おっさん、何考えてんのよ!」
今日も手芸部は手より口が動いている。部長の信子は、そんな部員たちの会話を聞くともなしに聞きながら、せっせと手を動かしている。
今編んでいるのは白い毛糸のマフラーだった。そろそろ木枯らしが吹く季節になる。
「ねえ、部長!」
そう言って来たのは一年生の春香だった。今話しに出ていた美由紀の同級生だ。信子が顔を上げ、春香を見る。春香は怒っている。
「数学の田中、何考えているんでしょうか? 自分の娘って言ってもおかしくない美由紀に言い寄るなんて!」
「でもその話って、本当の事なの?」
信子は優しい口調で言う。むっとしていた春香の表情が緩んでしまう。だが、気を引き締め、元のむっとした表情を作る。
「本当ですよ! 美由紀が言ってたんです。担任の瀬戸口に相談したんだけど、『お前の気のせいだ』で終わっちゃったの」
「それは問題ねぇ……」
「きっと、先生同士で守り合っているんです! 問題になっちゃうから……」
「美由紀ちゃんは、何かされたの?」
「話だと、『数学ガンバレよ』って言いながらべたべた触ってきたり、『個別に指導してあげる』って言って居残りさせたり、 授業中も気が付くとねっとりした眼差しを向けたり……」
「それは危険ね……」
「そうでしょおおおお!」
春香はぐっと信子に迫る。信子は苦笑した。
「ま、いいわ……」
信子は言うと、編んでいたマフラーを脇に置いた。
「部長……?」
「明日から別のマフラーを編むことにするわ」
「え? もうすぐ編み終わりそうだったのに?」
「いいのよ。……田中先生に編んであげるわ」
「はあ?」
「そんなに驚かないでよ。それよりも、ちょっとお願いを聞いてくれるかしら?」
「……はい」
信子は春香を手招きし、そっと耳打ちをする。春香は驚いた顔をしたが、うなずいた。
翌日から信子は別の、蒼い毛糸でマフラーを編み始めた。
「部長……」
春香が声をかける。信子は手を止めた。笑顔を春香に向ける。
「お願いした物、持って来てくれた?」
「……はい……」
春香は折り畳んだティッシュを信子に手渡した。信子は受け取るとティッシュを開く。
「ありがとう……」
ティッシュに挟まれたものを確認した信子は、春香に笑顔を向けて礼を言う。左の口の端が少し上がった笑みだった。春香も笑顔を返す。しかし、春香は信子の目が笑っていない事に気が付いた。……怖っ…… 春香の背筋を冷たいものが、一瞬走った。
信子は黙々とマフラーを編み続けた。学校でも家でも編んでいた。マフラーは三日で完成した。
信子は数学準備室へ行った。すると、田中が出て来た。薄くなった頭、脂ぎった顔、ぼてっと突き出した腹…… 女性からすれば、たしかに絡まれたくない相手だった。
しかし、信子は表情を変えず、すっと田中の前に立った。
「田中先生……」
信子は田中に言う。整った顔立ちでグラマラスな信子に声をかけられ、田中は嬉しそうだ。
「何だ? 分からない所でもあるのかい?」
田中が猫撫で声になる。
「いえ、そうではありません。お渡ししたいものがあって……」
信子は言うと、紙袋を田中に渡した。
「これは?」
「マフラーです。先生に編んでみました」
「ほう、それは嬉しいね」
田中はねっとりとした視線で信子を見る。美由紀よりも良い感じだ、そう思っているようだ。それから、紙袋の中からマフラーを取り出した。蒼い毛糸で編まれたマフラーだった。
「色が渋いな。それに、ずいぶんと長い…… オレの背丈はあるんじゃないか?」田中はマフラーと信子を見比べる。「……今巻いてみても良いのかな?」
信子は頭を左右に振る。
「いいえ、夜にしてください」
そう言うと信子は田中に顔を近づけ、耳元で言う。
「……夜に、わたしだと思って、巻いて下さい……」
信子の囁きに、田中は淫靡な笑みを浮かべる。
「わかった…… お前だと思って、今夜、巻かせてもらうよ……」
信子は左の口の端を少し上げて笑む。
その夜、田中は自分のアパートで、信子からもらったマフラーを首に巻いて、姿見の前に立った。
「なかなか似合うじゃないか……」
田中は満足そうだ。淫靡な笑顔が姿見に映る。
「わたしだと思って巻いて…… か。ふん、生意気な女だ」
田中は生徒を女と呼んだ。そう言う目線で見ているのだ。
「三年二組、川島信子……」田中は信子の姿を思い出す。すでにクラスも調べてある。「……礼をするって事で連れ込むか。態度だけじゃなく、身体も生意気だったな…… ん?」
不意に喉が苦しくなった。姿見にはマフラーが蛇のように勝手に動き、田中の首を絞め付けている様が映っていた。田中は外そうと手をマフラーにかけるが外れない。マフラーが首にしっかりと巻き付き、締め上げている。締め付ける力が強くなった。
「うっ…… むぐっ……」
息が苦しくなる。苦しさに両膝を付く。姿見に美由紀の怒りに満ちた顔が映った。田中は驚きで目を見開く。じっと睨みつけてくる美由紀の目尻と口角が吊り上る。黒目が薄くなり、白濁の眼になった。締め付ける力がさらに増す。
「わ、わかった…… オレが悪かった! 美由紀、許してくれ! 悪かった! もう馬鹿な事はしないと誓う!」
田中は掠れた声で必死に言う。途端に締め付ける力が倍加した。田中は気を失った。
田中のアパートのそばの街灯の下に信子が制服姿で立っていた。
「ふん、変態教師には良い薬だったでしょうね……」
信子は田中の部屋がある二階を見てつぶやいた。
「渡したマフラーには、春香に頼んでもらって来た美由紀の髪の毛を一本混ぜて編んだのよ。美由紀の恨みと憎しみとがマフラーに浸み込んで行ったのが、編みながらわかったわ…… これからは大人しくすることね。さもないと再び『地獄編み』の餌食になってもらうわ。今度は命があるかどうかは、わからないわよ……」
信子は左の口の端が少し上がった笑みを浮かべながら、街灯の下から夜の闇へと消えて行った。
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