お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

黒いぬいぐるみ

2021年06月23日 | 怪談 手芸部信子
 駅前の商店街にある小さな布屋がある。

 扱っている布は、どれも大したものではない。しかも、数が少ない。
 薄暗い店内で、どんなに華やかな柄でも地味に見えてしまう。実際は、華やかな柄のものは少なかった。

 店の主人は、いつもぶすっとした表情の老婆だった。小柄でやせていて、ずり落ちそうになっている分厚い眼鏡を、終止右の中指で押し戻している。自作の薄紫色の足首まであるワンピ-スを着ている。すっかり白くなった髪の毛を整える事も無く、その両肩に垂らしている。不機嫌そうな顔で、店の奥のカウンターから表通りを眺めている。
 こんな雰囲気の店なので、客はほとんど来ない。気まぐれで入って来る客も、主人の老婆の無言の一睨みで、そそくさと出て行った。

 そんな老婆が相好を崩した。信子が入って来たからだ。日曜日の午前中だ。黄色のTシャツにジーンズと言う姿だった。手提げの紙袋を持っている。

「葵おばあちゃん、元気?」

 信子も笑顔を見せる。信子とは血縁があるわけではないが、二人は祖母と孫のような雰囲気だった。

「まあ、何とかやっているよ。暇なのは相変わらずだけどね」
 葵はしっかりとした声で答える。

「よくお店が潰れないね。現代の奇跡よね……」
 信子は店内を見回す。この店に来るようになって長いが、物の配置などに変化はない。

「そんな事を言いに来たのかい?」
「いや、そうじゃないの……」

 信子は笑みを消すと、持っていた紙袋を、葵の座っているカウンターの上に置く。

「見てもらいたいのよ……」

 信子は紙袋から黒いカラスのぬいぐるみを取り出した。
 途端に葵の目つきが鋭くなった。ずり落ちてくる眼鏡を中指で押さえながら、ぬいぐるみに顔を近づける。

「……信子、これは?」
「そうなの、『招病魔縫い』なのよ……」
「こんなもの、どうしたんだい?」
「友達が病気だったの。お見舞いに『退病魔縫い』のぬいぐるみを持って行ったのよ。そうしたら、これがあって……」
「そうかい、これが病気の原因だったってわけかい……」
「そうなのよ。自分が好きな男の子を取られたって恨んでいた娘が持ち込んだのよ」
「その娘も『縫い』が出来るのかい?」
「いいえ、出来ないわ……」
「だろうねぇ、これはとても良く出来ている。そん所そこらの腕じゃないね……」
「わたしもそう思ったわ。それで……」
「こんなのが縫える人物を知らないかって話だね?」

 葵は眼鏡を押さえたままで信子を見た。信子はうなずく。

 信子に様々な『縫い』を教えたのは、葵だった。

 小さい頃から信子は手芸に関心があった。母親の手ほどきで始めた信子だった。そして、母との買い物などで、この店の前を通る度に気にはなっていたのだが、幼い信子では入る事は出来なかった。それで、中学生になったのを機に入ってみたのだ。
 その時、葵も何かを感じ取ったのだろう。葵は信子にある縫い方を教えた。信子はその場で縫い上げた。葵は信子に才を見い出し、様々な『縫い』を教えた。信子は上達が早かった。
 信子は葵から『縫い』に関する全てを書き留めた数冊のノートも貰った。「免許皆伝だね」と葵は冗談めかして言っていた。

「どう、おばあちゃん? どこの誰か、知らない?」

 葵は首を左右に振る。

「知らないねぇ…… でも、この『縫い』には、強い感情があるようだね」
「強い感情って?」
「信子は自分の『縫い』で懲らしめや慰めを与えている。しかし、これには怨みや憎しみが溢れているのさ」
「そう、やっぱり…… わたしも凄くイヤな気分になったから……」
「こんな物、持ってちゃいけないね。持っていると、黒い感情に取り込まれてしまうよ」

 葵はぬいぐるみを紙袋に戻し、カウンターの下へ置いた。

「これはわたしが処分しておくよ。どこの誰かは分からないけど、知り合いを伝って、少し調べてみよう」
「手伝おうか?」
「いや、大丈夫だよ。信子は深入りしない方が良さそうだ」
「危険、って事?」
「それ程じゃないけどね。でも、用心に越した事は無いさ。……さて、じゃあ、早速調べてみるかね。信子はもう帰りな」
「分かった…… それで、いつごろ分かりそう?」
「とりあえず、明日にでも来てみな」
「じゃあ、放課後に寄るわ」

 信子は店を出た。店を出しなに振り返ると、葵は紙袋からぬいぐるみを取り出して、じっと見つめていた。

 翌日、信子は葵の店に行った。店はシャッターが降りたままだった。
 信子は隣の店の洋品店に顔を出す。

「……あの、隣の布屋さん、今日は閉まっているんですか?」
 
 信子は恰幅の良い女主人に声をかける。

「ああ、葵さんのお店? 昨日の午後、どこかへ出かけるとか言って店を閉めていたけど……」
「まだ帰って来ていないって言う事なんでしょうか?」
「そうかも知れないわねぇ……」

 女主人はそれ以上の事を知らなさそうだった。
 信子は礼を言って店を出た。仕方がないので家に帰る。

「信子さんかな?」

 途中で声をかけられた。信子が声の方を見ると、にこやかな笑みを浮かべた老人が、杖を突いて立っていた。

「はい、そうですけど……」
「わしは葵の友人の清吉と言うものだ」
「はぁ……」

 信子は警戒しながら答える。

「葵からだがね……」
 
 清吉はふっと真顔になる。

「これから先には関わらない事。後は全て任せる事。解決したら顛末を伝えるとの事。以上だ」

 清吉は言うと踵を返し、去って行く。信子は呼び止めようとしたが、何故か声がかけられなかった。

「……おばあちゃん、大丈夫かな……」

 信子は呟く。
 不安が信子の胸中に渦巻いていた。

 その翌日も店のシャッターは降りたままだった。その翌日も、そのまた翌日も……
 
 数週間が経って、信子が店の前を通りかかると、シャッターは開いていた。しかし、軽トラックが店の前に止まっていて、荷物を運び出していた。作業服を着た若い男性の二人組だった。

「あの……」

 信子の問いかけに一人が振り向いた。

「何だい?」
「このお店……」
「ああ、畳むって事でね、片付けに来たのさ」
「それで、お店のおばあちゃん…… いえ、店長さんは?」
「連絡だけくれてね」
「じゃあ、元気なんですね!」
「そうだろうと思うけど、今はどこに居るのかは分からないねぇ。片付けだけを頼まれたからね。まあ、作業費用はしっかりもらっているから、心配はないけどね」
「そうですか……」

 信子が店内を覗くと、糸を抜き取った黒い布と詰め綿がばらばらになってカウンターの上にあった。信子が持って来たカラスのぬいぐるみだった物だ。

「葵おばあちゃん……」

 信子はつぶやくと店の前を離れた。

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