ドアチャイムが鳴った。
さとみの母親が怪訝そうな顔をして、壁掛け時計を見る。十時を回っていた。
「誰でしょうね、こんな時間に?」
「誰でも良いよ。きっと何かの勧誘さ。放っておきな。……さあ、それよりも続きだ」
対戦ゲームで負け続けているさとみの父親は、今度こそはと言う意気込みで、ゲームのコントローラーを握る。
「でも、勧誘なんか、こんな時間に来たことなんかないですよ?」
不安そうな表情の母親を見て、父親はコントローラーをテーブルにそっと置く。
「じゃあ、誰だろうねぇ?」
モニター画面が壊れてしまっているため、相手の姿が確認できない。更に、音声も聞こえなくなっていた。ただのドアチャイムになっていた。
「だから、壊れた時に取り換えればよかったんですよ」
「そうは言うけどさ、チャイムだけ鳴れば問題ないって言っていたじゃないか」
「それは、昼間だからですよ。ドアの覗き穴から見れば誰が来たか分かりますから。それに、夜に訪ねて来る人なんか想定していませんでしたし」
「まあ、そうだなぁ……」
もう一度ドアチャイムが鳴った。
「お父さん、出て下さいよ……」
「ボクがぁ?」
「なんたって、取りあえずは一家の長なんですから」
「取りあえずって……」
「細かい事は気にしないで、出て下さいよ……」
「分かったよ」
父親は立ち上がり、リビングを出る。その後ろを母親が着いて来る。手にはスマホを持っている。万が一の時にすぐ通報できるようにと準備をしている。
玄関の照明を点けず、じっと様子を窺う。
「……もう一度チャイムが鳴ったら、応対しよう……」
父親が母親にささやく。母親はスマホを握り締めてうなずく。
三度目のドアチャイムが鳴った。母親は父親の脇を肘で突く。父親はうんうんとうなずき、軽く咳払いをする。
「……どちら様ですか?」
父親は、落ち着いた威厳のある声を出したつもりだったが、実際は、裏返ったか細い声だった。後ろで母親がため息をつく。
しばらく間があった。父親と母親は顔を見合わせる。母親がスマホを通報しようといじる。
「……夜分に申し訳ございません」女性の声だった。「わたしです。百合恵です」
「え?」
父親と母親は再び顔を見合わせる。
「どうしても、さとみちゃんにお話がしたくって……」
「はいはい、分かりました」
母親は言うと、父親を押し退けて玄関に下り、ドアを開けた。
百合恵がぺこりと頭を下げた。夕方に来た時と同じ服装だった。しかし、表情はその時よりも厳しい。
「申し訳ございません……」百合恵は言うと、手に持っていた手提げの紙袋を差し出した。「つまらないものですが、突然の訪問のお詫びと言う事で、お納めください」
百合恵は無理矢理に紙袋を母親に渡した。ずしりと重い。
「お父さん、さとみを呼んできてくださいな」
母親は振り返って、父親に言う。父親はうなずいて、リビングに向かう。
「何か、急用ですの?」母親が百合恵に訊く。「あの子、ちょっと思いつめた顔をしていましたけど……」
「そうでしたか……」
百合恵は答える。楓が言っていたさゆりの話で、心が動揺しているのかもしれないと、百合恵は思った。
百合恵がこんな時間に訪ねたのには、わけがあった。
さとみと別れた後、百合恵は、珠子、静、富の、さとみの三人の祖母たちと話をした。
「さとちゃんは、優しい娘だからねぇ」富がため息をつく。「さゆりに同情しすぎないかねぇ……」
「有り得るね」静がずばりと言う。「なんたって、わたしのひ孫だからね」
「それは関係ないって言ったじゃないか」珠子が静を諭す。「……それよりも、この後、楓がさとみちゃんに近づいたりしないだろうかねぇ……」
「どうでしょう?」百合恵が言う。「珠子さんが最後に脅してくれたから、大丈夫だとは思いますけど……」
「でもね、あの楓ってのは、かなりの性悪だよ」珠子が言う。「狙いを定めたら、なりふり構わずって感じだよねぇ」
「そうだね」静もうなずく。「泥水を啜ろうが肥溜めに浸かろうが平気って感じがするよ」
「お母さん、例えが下品です」冨が静に注意する。「娘として恥ずかしい……」
「ふん!」静は鼻を鳴らす。「……とにかくだ、あの霊能者、……なんて言ったっけ?」
「まあまあ、白々しい事!」珠子が笑う。「片岡さんだろう? お前が霊体で良かったよ。生身だったら、片岡さん、どんな大変な目に遭っていたか」
「本当、恥ずかしい」冨がうんざりした顔で言う。「さとちゃんに恥をかかせないで下さいましよ、お母さん」
「とにかく、明日にでも片岡さんの所に行ってみましょう」百合恵が、文句を言いたそうな静より前に言う。「今日はありがとうございました」
「……百合恵さん」珠子が言う。「何か、さとみちゃんが心配なんだよねぇ…… わたしたちが様子を見に行っても良いんだけど、あの娘、わたしたちの前だと、ちょっと遠慮して無理するから、百合恵さんが行って様子を見てくれないかしら?」
「ええ、構いませんわ」百合恵が笑顔で答える。「わたしも、何となく予感がするものですから……」
「イヤな予感かしら?」
「それは、はっきりとはしませんが……」戸惑い気味に百合恵は答える。「じゃあ、ちょっと食事をしてから、さとみちゃんの家に行ってみます」
どたどたと足音が聞こえた。さとみの父親が慌てた様子で玄関に戻って来た。
「どうしましたの?」母親が訊く。「さとみ、また、お腹を出して寝ていたんですか?」
「いや、そうじゃないんだ……」父親が心配そうな顔を百合恵に向ける。「さとみ、床に座ったまま、目を開けてぽうっとしているんだよ……」
つづく
さとみの母親が怪訝そうな顔をして、壁掛け時計を見る。十時を回っていた。
「誰でしょうね、こんな時間に?」
「誰でも良いよ。きっと何かの勧誘さ。放っておきな。……さあ、それよりも続きだ」
対戦ゲームで負け続けているさとみの父親は、今度こそはと言う意気込みで、ゲームのコントローラーを握る。
「でも、勧誘なんか、こんな時間に来たことなんかないですよ?」
不安そうな表情の母親を見て、父親はコントローラーをテーブルにそっと置く。
「じゃあ、誰だろうねぇ?」
モニター画面が壊れてしまっているため、相手の姿が確認できない。更に、音声も聞こえなくなっていた。ただのドアチャイムになっていた。
「だから、壊れた時に取り換えればよかったんですよ」
「そうは言うけどさ、チャイムだけ鳴れば問題ないって言っていたじゃないか」
「それは、昼間だからですよ。ドアの覗き穴から見れば誰が来たか分かりますから。それに、夜に訪ねて来る人なんか想定していませんでしたし」
「まあ、そうだなぁ……」
もう一度ドアチャイムが鳴った。
「お父さん、出て下さいよ……」
「ボクがぁ?」
「なんたって、取りあえずは一家の長なんですから」
「取りあえずって……」
「細かい事は気にしないで、出て下さいよ……」
「分かったよ」
父親は立ち上がり、リビングを出る。その後ろを母親が着いて来る。手にはスマホを持っている。万が一の時にすぐ通報できるようにと準備をしている。
玄関の照明を点けず、じっと様子を窺う。
「……もう一度チャイムが鳴ったら、応対しよう……」
父親が母親にささやく。母親はスマホを握り締めてうなずく。
三度目のドアチャイムが鳴った。母親は父親の脇を肘で突く。父親はうんうんとうなずき、軽く咳払いをする。
「……どちら様ですか?」
父親は、落ち着いた威厳のある声を出したつもりだったが、実際は、裏返ったか細い声だった。後ろで母親がため息をつく。
しばらく間があった。父親と母親は顔を見合わせる。母親がスマホを通報しようといじる。
「……夜分に申し訳ございません」女性の声だった。「わたしです。百合恵です」
「え?」
父親と母親は再び顔を見合わせる。
「どうしても、さとみちゃんにお話がしたくって……」
「はいはい、分かりました」
母親は言うと、父親を押し退けて玄関に下り、ドアを開けた。
百合恵がぺこりと頭を下げた。夕方に来た時と同じ服装だった。しかし、表情はその時よりも厳しい。
「申し訳ございません……」百合恵は言うと、手に持っていた手提げの紙袋を差し出した。「つまらないものですが、突然の訪問のお詫びと言う事で、お納めください」
百合恵は無理矢理に紙袋を母親に渡した。ずしりと重い。
「お父さん、さとみを呼んできてくださいな」
母親は振り返って、父親に言う。父親はうなずいて、リビングに向かう。
「何か、急用ですの?」母親が百合恵に訊く。「あの子、ちょっと思いつめた顔をしていましたけど……」
「そうでしたか……」
百合恵は答える。楓が言っていたさゆりの話で、心が動揺しているのかもしれないと、百合恵は思った。
百合恵がこんな時間に訪ねたのには、わけがあった。
さとみと別れた後、百合恵は、珠子、静、富の、さとみの三人の祖母たちと話をした。
「さとちゃんは、優しい娘だからねぇ」富がため息をつく。「さゆりに同情しすぎないかねぇ……」
「有り得るね」静がずばりと言う。「なんたって、わたしのひ孫だからね」
「それは関係ないって言ったじゃないか」珠子が静を諭す。「……それよりも、この後、楓がさとみちゃんに近づいたりしないだろうかねぇ……」
「どうでしょう?」百合恵が言う。「珠子さんが最後に脅してくれたから、大丈夫だとは思いますけど……」
「でもね、あの楓ってのは、かなりの性悪だよ」珠子が言う。「狙いを定めたら、なりふり構わずって感じだよねぇ」
「そうだね」静もうなずく。「泥水を啜ろうが肥溜めに浸かろうが平気って感じがするよ」
「お母さん、例えが下品です」冨が静に注意する。「娘として恥ずかしい……」
「ふん!」静は鼻を鳴らす。「……とにかくだ、あの霊能者、……なんて言ったっけ?」
「まあまあ、白々しい事!」珠子が笑う。「片岡さんだろう? お前が霊体で良かったよ。生身だったら、片岡さん、どんな大変な目に遭っていたか」
「本当、恥ずかしい」冨がうんざりした顔で言う。「さとちゃんに恥をかかせないで下さいましよ、お母さん」
「とにかく、明日にでも片岡さんの所に行ってみましょう」百合恵が、文句を言いたそうな静より前に言う。「今日はありがとうございました」
「……百合恵さん」珠子が言う。「何か、さとみちゃんが心配なんだよねぇ…… わたしたちが様子を見に行っても良いんだけど、あの娘、わたしたちの前だと、ちょっと遠慮して無理するから、百合恵さんが行って様子を見てくれないかしら?」
「ええ、構いませんわ」百合恵が笑顔で答える。「わたしも、何となく予感がするものですから……」
「イヤな予感かしら?」
「それは、はっきりとはしませんが……」戸惑い気味に百合恵は答える。「じゃあ、ちょっと食事をしてから、さとみちゃんの家に行ってみます」
どたどたと足音が聞こえた。さとみの父親が慌てた様子で玄関に戻って来た。
「どうしましたの?」母親が訊く。「さとみ、また、お腹を出して寝ていたんですか?」
「いや、そうじゃないんだ……」父親が心配そうな顔を百合恵に向ける。「さとみ、床に座ったまま、目を開けてぽうっとしているんだよ……」
つづく
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