goo blog サービス終了のお知らせ 

Shiggy’s Lounge

ご意見、ご感想を
どうぞご自由に
コメント欄にお寄せください。

バンクーバーからの便り(その2)  A Letter From Vancouver (No.2)

2012-07-23 15:32:28 | 日記
昨日はホストファミリーのおばさんに連れられて、
ユダヤ教の教会、Granville Island という街、
それからイングリッシュベイを臨む浜辺での野外コンサートに
行って来た。

Yesterday, on July 22nd (Sat), my host lady took me to Synagogue,
a Judaish Church, Granville Island and " Kitsilano Showboat".

ユダヤ教の教会へ行くのは生まれて初めてで、貴重な経験であった。
彼らの聖書は旧約聖書のみ。
文字はヘブライ語と英語の併記。ヘブライ語は横に右から左へ書く。
従って、ページも日本語の縦書きの本と同じく、右から左へ進む。

This was my first experience of being in the Synagogue.
Unlike Chrischanity, they beleive in the old Testament(Bible) only.
The Bible is written in Hebrew (and English).
Hebrew letters are written horizontally from right to left.
Traditional Japanese writing is also from rght to left but it's done vertically.



私は入り口で黒い小さな帽子を被せられた。
教会の入り口には Beth Islael と書いてある。
「イスラエルの家」という意味。
50人くらいの信者が集まっていた。
お祈りは約2時間、そのあとはビュッフェスタイルの昼食。
10時ごろ行って、終わったのは1時ごろ。

I was asked to wear a small black cap on my head.
The letter of "Beth Israel”on the wall of the Synagogue means " House of Israel".
About 50 Jewish people were there.
They prayed as long as 2 hours and had a buffet style lunch for about one hour.

神は6日間かけて天地を創造し、7日目は休息日とした。
休息日をユダヤ教ではサバスとう。
土曜日が彼らの休息日なのだ。
厳密には金曜日の日没から24時間。

The God created this world taking 6 days.
On the 6th day, God created Adam and Eve.
7th day was set as a day for the rest, whcih is called Sabbath.
Saturday is it for Judalists, I've heard from my host lady.

教会は祈りの場であると同時に、
ユダヤ人たちが集まる憩いの場、社交の場でもある。
昼食を食べながら賑やかな会話が弾む。
シュナップスと呼ばれる強い酒も少しだけ飲む。
私のような信者でないビジターも加わることが許されている。

Synagogue is not only the place for the pray but also the palce
for Jewish people in Vancouver to get together, to greet each other, to relax
and to enjoy conversation over lunch.
A visitor like me is also allowed to join.
Strong alcoholic drink called schnapps is served in a little glass before lunch.

バンクーバーには2万2千人くらいのユダヤ人が住んでおり、
20くらいのユダヤ教の教会があるという。
参加者は高齢者が多かった。

About 22,000 Jewish people are said to be living in Vanocuver, where
there are about 20 Synagogoue.
Most of the participants were high aged persons looking over 60.

一旦帰宅した後、
4時ごろからグランヴィルアイランドというカジュアルな雰囲気の街へ行った。
入り江に面し、対岸のダウンタウンの眺めが良い。
レストラン、土産物屋、ブティック、市場、フードコート、大道芸人のパーフォーマンスなどがあり、
沢山の人で賑わっていた。

After once coming back to home, we went out again at around 4 pm,
casually dressed, to the Granville Island, where there are many restaurants,
souveniour shops, market, food court etc. and people can enjoy beautiful secnery
of downtown from there over the False Creek.





フードコートで私は中国料理、下宿のおばさんはインド料理を楽しんだ後、
キチラノ・ビーチへ行った。
ここでは野外劇場でキチラノ・ショーボートと呼ばれるショーが
月、水、金、土日の夜に、夏のシーズンだけ行われている。

After having dinner at Food Court,
we went to Kitsilano beach, where an attraction called "Showboat" is being held thru summer season.

この日はフルバンドのジャズで、しかも、私の好みのオールディーズばかり演奏してくれて、
日が徐々に西の海に沈むのを眺めながら、終わりまで楽しんだ。
緯度が高いので、夏の日没は遅く、9時ごろだ。
曲は Unforgettable(Nat King VCole), マックザナイフ、メモリーズ・オブ・ユー、
ブルースカイ、センチメンタルジャーニーなど、
ほとんど全部知っている曲ばかり。



Oldies Jazz of 40's, 50's and 60's were performed by a full band orchestra on that evening.
Almost all the tunes were my favorite ones such as,
Unforgettable, Blue Sky, Memories of You, Sentimental Journey and so on.
While watching the beautiful setting sun, we enjoyed this open-air concert until its end.

今回はクラスメートの一人から Shiggy の Blog を読みたいので(名刺にURLが書いてある)
英語でも併記して欲しいというリクエストがあったので、トライして見た。
何分、時間が制約されているので、どちらも殴り書きで、 文章そのものがあまりよくまとまってないが、
様子は伝えられたと思う。
この週末何をしたかを明日(月曜)の午前の授業で報告しなければならないので、
この英語がそのまま役に立つ。

Being requested by one of my calssmates, I tried bilingual description this time.
I hope that my classmates will enjoy this story too.

今日はここまで。

This is about it for today.


Shiggy






バンクーバーからの便り(その1)

2012-07-16 14:52:41 | 日記
昨日、7月14日(土)バンクーバーに到着。
空港から街に向かう車窓の景色は緑が多い。




今日(日)はUCB(University of British Columbia)という明日から私の通う
大学の下見にバスで行って来た。
Downtown からバスで約30分。



なにしろ、4万人近くの学生が通うカナダ有数の大学故、
キャンパスも広い。
大学付属のゴルフコースや植物園もある。
キャンパスの何処に明日9:30に行く、
Continuing Studies (生涯学習)LSIの建物があるのか、
予め行って場所を確認しておかなくてはならない。



キャンパスの地図を見て、目的地を確認。
標識に従って歩くこと約30分。



目的地に到着。





途中ちょっと迷ったが、
歩いていた東洋系の学生らしき女性に尋ねたら、
きれいな英語で親切に教えてくれた。

行きは少し回り道をしたので帰りはバス停への最短と思われる道を行くべく
学内のCafeで入手したキャンパスの詳細な地図を覗きながら歩いていると
一人の女性が近づいてきて、「道はわかりますか」と聞いてくれる。
「Downtown に行くバスの停留所に行くところです」というと、
これまた親切に道順を教えてくれる。

帰りは15分くらいでバス停に着いた。

バスで Downtown にもどり、街を歩いて散策。

ウオーター・フロントやガス・タウン、おしゃれな Cafe.







先月はアメリカの荒野を旅したが、今度はセンスの良い都会。
国際色豊かな街で、東洋系も多く、歩いているとあらゆる人種にすれ違う。

車は日本車が一番多い。
タクシーは半分以上がプリウスだ。

気温は昼間で22~23℃。
長袖のブラウスにジャケットでもOK。

明日から学校、そしてホームステイが始まる。

今日はこの辺で。









米アリゾナ州・レンタカーの旅 (最終章)

2012-07-13 14:31:56 | 日記
「あとがき」

今回の旅行を無事終えて、二つの想いがある。

一つ目は、この旅行が極めてスムースに運び、快適であったのは、
周到な準備のお陰であるということ。

一つだけ例を挙げれば、
出発前に、車の操作方法について、ワイパーやウインカーはもちろん、
サイドブレーキの掛け方、外し方、運転席の位置の調整方法、
リヤウインドウ熱線、前面ガラスデフロスター、クルーズ・コントロール、
ナビの目的地の設定方法、日本語の選び方などなど、
22のチェックポイントを予め紙に書き出し、持参し、
Herz の係り員にひとつひとつ聞き、確認した。

実際、私は現役の時にアメリカのミネアポリスに出張した際、
同行したアメリカ人の同僚が運転するレンタカーの助手席に座り、
高速道路を走っていたところ、急に激しい雨が降り出した。
運転席の彼はいろいろやるが、ワイパーが分からない。
雨で前方が良く見えず、危険な状況になったことがある。
アメリカ人でも日頃乗らない車種だと、ワイパーさえ分からないのだ。
ましてや、日本から来て、左ハンドル・右側通行で走るのだから、
車の操作方法くらいはしっかり頭に入れておきたかった。

幸いにして「想定外」の重大なことは何も起こらなかった。
せいぜい、セルフでのガスの給油が上手く出来ず、
他人に助けてもらったり、
やむを得ず pay inside (給油はセルフだが、料金は店内で支払う)
にしたことくらいだ。

英語力の不足は痛切に感じた。ツアーガイドの案内が聞き取れない。
しかしこれは「想定内」のことで、急にはどうすることも出来ない。

年齢を考えれば少し無謀な計画といえなくもない今回の旅ではあったが、
綿密な準備と前向きの気持ちがこれを可能にした。
相棒との相性が良かったことも上手くいった理由のひとつだろう。

ここまで書くと、中学時代に習った英語の格言を思い出す:

"Where there is a will, there is a way"

二つ目は、インディアンとの出会いが印象的であった。

訪問地にインディアン居留区が多いことはわかっていたが、
全米で一番インディアン人口の多い地区とは
帰国して本を読んで知った。

ジープやオープン・トラックで案内してくれたツアー・ガイド達、
土産物屋のおばさん達、
レストランやホテルの従業員・・・皆、インディアンであった

比較的おっとりしていて、愛嬌があって、親切。
なんとなく親しみを感じる。

彼らはモンゴロイドと似たアジア系の人種で、
氷河期にベーリング海峡が陸続きになった際に、
アジアからアラスカに渡って南北アメリカ大陸に移り住んだという。

ヨーロッパ人が入植する前から、現在のアメリカ合衆国の全土に、
インディアンの各種族が何万年も住んでいたのだ。

私は学生時代、歴史の授業で、
「新大陸」という言葉を聞くたびに奇異に感じたのを思い出す。
アメリカ大陸は、ヨーロッパ人が知らなかっただけで、
太古からあったのだから。

ヨーロッパのキリスト教徒達がアメリカの東海岸に上陸し、
インディアン達を殺したり追いやったりして、その土地を奪い、
そこに自分達の国を建国した。

合衆国の独立宣言にある、
「全ての人は自由で平等~~~」という言葉の
「全ての人」の中には、インディアンも黒人奴隷も含まれない。

1830年ごろ、東部に住むインディアン各部族は
新しく制定された法律によりオクラホマに移住させられることになり
移動の途中、多くのインディアンは
寒さや病気や餓えのために亡くなった。
これは、"The Trail of Tears" (涙の足跡)として、
アメリカの歴史の教科書にも書き記されている。
私が2年前に読んだのはアメリカの小学校高学年用の歴史参考書。



もちろん、アメリカに限らず、
強いものが弱いものを征服し、支配するのは
歴史の必然といえよう。

情緒的にではなくて、客観的に、
インディアンの歴史をざっと知っておきたいと思い、
「アメリカ・インディアンの歴史」(富田虎男著、平成9年、雄山閣出版)
を今読んでいるところだ。

旅行は単に楽しいだけでなく、
このように新しい興味を生み出し、視野を広げてくれる。

以上で、「あとがき」を終わります。
拙文をお読みいただき、ありがとうございました。


PS:
今日の夕刻からカナダに向けて出発します。
Vancouver のUBC という大学が
生涯教育(Continuing Studies)の一環として行う、
3週間の集中英語学習口座 "English For Global Citizen"
に通います。
授業は週に27時間です。
宿泊はカナダ人の家庭にホームステイです。

携帯する小型PCが Wi Fi に上手く繋がってくれれば、
そして時間が許せば、
このブログに「バンクーバー便り」を掲載する予定です。

See you !

Shiggy



米アリゾナ州・レンタカーの旅(その9)

2012-07-13 10:02:44 | 日記
「第8日~第10日」、6月16日(土)~18日(月)


まだ薄暗い早朝4時20分にバルーンの会社からのマイクロバスがホテルに到着。
早朝の気温は低いので軽いジャンパーを着込んで行く。
マイクロバスは途中でもう一箇所寄って
お客数人とバルーン会社の作業員6~7名をピックアップした後、
10分くらいのドライブでバルーン出発地点の原っぱへ到着。

他にマイクロバスが2台、
それからバルーンの機材を積んだ小型トラックが2台到着。

バルーンが組み立てられ、飛び立つまでの手順は
次の写真でお楽しみください。























我々のは一機目が飛び立つのを見届けて10分後くらいに
飛び立った。



一つの籠に詰めれば16人乗れるが、この日の乗客は12人。
キャプテンが一人乗り込み操縦する。

いつテイク・オフしたのかよくわからない。
気がついたら数メートル浮いていた。

上に上がるスピードは案外速い。
いつのまにか先に飛び立ったバルーンが下に見える。
実に爽快な気分だ。
鳥はいつもこんな感じで下界を見ているのだろう。



キャプテンはときどきバーナーを使って高度を調整するが、
そのとき以外は、静寂そのもの。



やがて朝日が昇り始めると、
眼下のカセドラル・ロックが朝日にくっきりと照らされる。
もっとも美しい瞬間である。



バルーンは時に森の中の鹿やうさぎなどの小動物が見えるまで
高度を下げるときもある。



一時間半くらい空中を漂流したバルーンはやがて風にながされて、
出発した原っぱとはかなり離れた場所の別な原っぱに降りる。



無事の帰還を祝って皆でシャンペンで乾杯。
テーブルにマッフィンやコーヒーやジュースが運ばれ、
ブッフェスタイルの朝食が始まる。

12人の乗客の中には、
ウクライナ出身で、カタコトの日本語を含め5ヶ国語くらい話せる
カリフォルニア大学に留学中の女性がいて、
日本語で話しかけられたときはびっくりした。
アルメニア出身の級友のボーイフレンドと一緒に旅行していた。
2人とも英語が上手い。

私はウクライナに興味があり、
考えている旅のルートは、
ヘルシンキ→ザンクト・ペテルブルグ→キエフ→ヤルタ~~
とまで言ったら、彼女が、その次はイスタンブールだろうと
見事に言い当てた。
頭の回転が速そうで、私の旅の意図、
つまり「東西文明の接点を辿る」ももちろん理解している。
ウクライナはロシアとヨーロッパの狭間でどちらと仲良くすべきか
常に模索している国だから。

しまった!彼女のメールアドレスを聞くのを忘れた!

トロリーやバルーンで独特のレッド・ロックの景色を堪能し、
ボルテックスからはパワーを得て、セドナを後にし、
出発点のフェニックスに向かう。

くねくねした緑いっぱいの89A号線から179号線に移り、
森林地帯をを抜けると、
高速道路17号線にぶつかる。
これに乗ってしまえばあとはフェニックスまで一本道。

途中で疲れて、Rest Areaで休憩。
トイレとベンディング・マシン(自販機)があるだけ。
この自販機がおどろいたことに動物園の檻のような柵の中にある。



こうしておかないと、
ハンマーで叩き壊して売上金を奪うヤツがいるのだろう。

やがてフェニックスの街に戻り、
ナビに従って飛行場近くの Hertz のレンタカーセンターに到着し、
レンタカーを返却する。


この日の走行距離は110マイル。
7日間の全走行距離は987マイル。
つまり約1000マイル、キロでは1,600キロ。

シャトルバスで飛行場に行き、
そこでこの日宿泊する飛行近くのホテルに電話し、
送迎バスをよこしてもらう。

飛行場近くのホテルに泊まる理由は
次の日のシアトル行きの飛行機が朝6時10分出発なので、
飛行場には4時ごろに来なければならないから。

アメリカ最後の夜は、
カントリー・ミュージックのライブのあるレストランに行く。

この日の前菜はサボテンのてんぷら。(写真)
アントレはステーキ。





どうしても行きたかったカントリーのライブが最後に実現した。

やりたいことを全部やり、
思い残すことなく、フェニックスからシアトル経由関空に戻り、
京都に帰る相棒と別れた。

次は「あとがき」



米アリゾナ州・レンタカーの旅 (その8)

2012-07-12 21:37:51 | 日記
「第7日」、6月15日(金)

Monument Valley を出発して、Sedona へ向かう。

163号線を南下、160号線、89号線と乗り換える。
ナビと地図で迷うことは無い。



途中のスーパーで昼食用の菓子パン、果物、飲み物を買い、
走りながら昼食。

Flagsatff で89A号線に乗り替えると一路 Sedona へ。

ここからは、急にそれまでの荒涼とした景色とは異なる
緑豊かな高原のそれに変わる。
この日も空は快晴。
2000メーター程度の高原のため、気温は快適。



道路沿いの山小屋風の Cafe で車を降りてしばし休憩。
コーヒーのスモールを注文したら、
日本の喫茶店の2倍以上のボリュームのコーヒーが出てきた。
飲みきれない。
もしラージを注文したら、一体どんなのが出て来るんだろう?

道路の両側に別荘風の家がまばらに見え始めたと思ったら、
やがて目標地、Sedona の町の中心にあるホテルに到着。

ボルテックスと呼ばれる地球のパワーが渦巻くレッド・ロックが
町の中心街のすぐ両側にそびえたつ。
リゾート気分満点の、楽しそうな町だ。



ホテルにチェックイン後、すぐに観光用のトロリーの乗り場に行き、
日本で調べておいたBコースのトロリーに乗り、ボルテックス巡り。



Sedona はスピリチャルなところで、
ネイティブ・インディアンはここを神々の住む聖地として崇めて来たという。
大地のエネルギーが集まるいくつものボルテックスが点在し、
そこから溢れる地球のパワーが人々の心を癒すといわれている。
この町には芸術家が多く住むという。



この日の夕刻、ホテルにサンフラン・シスコの郊外に住む友人から
思いがけぬ電話があった。
彼はアメリカに永住している中学・高校時代の友人だ。
旅の詳細なスケジュールを予め送っておいたので、
何か困ったことはないかと、気遣って電話して来てくれた。
彼の家には8月にVancouver からの帰りに泊めて貰う事になっている。

夕食は眺めの良いレストランのテラス席でメキシカン料理。
一人分を二人でシェアーして食べる。
調度の分量だ。



食後は Jazz の Live を楽しんだ。

この日の走行距離は205マイル。

翌朝4時20分には気球の迎えのマイクロバスが来るので早く寝る。

以上。