Shiggy’s Lounge

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英語が社内の公用語 (その3)

2010-08-31 23:30:43 | 日記
――文化、習慣の違いと英語――

ドイツ人やフランス人が英語を習得するのは、
日本人に比べれば比較にならない程易しい。
英・独・仏語はいずれも
ラテン語から派生した、ないしラテン語の影響を受けた言語なので、
単語や発音や文法が似ている。
更に彼らは文化、習慣を概ね共有しているという点で決定的に有利である。

英語を話すのに、
例えばドイツ人ならば普段Danke schoen (ダンケ・シェーン)というべきところを、
あるいはフランス人ならばMerci beaucoup (メルシー・ボクー) というべきところを、
それぞれThank you very much と単純に置き換えれば済む。
文化、習慣を概ね共有しているから、1対1の置き換えが可能である。

時折、パソコンの翻訳機能を使って、仏→英、英→独 などの
翻訳を行うが、
仏→日や日→独などよりは、はるかに上手にコンピュータは翻訳する。
これは、1対1の置き換えにより翻訳できるからである。

しかしながら日本人の場合はそうは問屋が卸さない。
欧米人が普段「ありがとう」というスィテュエイションで日本人は
「ありがとう」を言わない。
例えば品物を買って店を出るとき, あるいは食事をしてレストランを出るときに、
店員から「ありがとうございました」といわれても日本人は無言で立ち去る。
何故なら、日本の社会ではお金を払う側は
「ありがとう」を言わなくてよいことになっているからである。

一方の欧米人はといえば、自分の方から店員に対して積極的に「ありがとう」を言う。
これは最早言葉の問題ではなく、文化、習慣の違いの問題である。

それ故に、3年前に私は「海外旅行のヒント」という
新書一冊分にも相当する長いエッセイの中で、
「お金を払ってもThank you」、「自動販売機外にはThank youを言おう」と書いた。

海外駐在員の仕事は単に言葉を置き換えることではない。
文化、習慣の違いを念頭にいれて、日本の本社から連絡してきたことを
(言語は英語であっても、発想が日本式であることが多い)
その国で理解され易く、受け入れられ易い表現に替えて伝える。
言葉だけの翻訳ではなく、文化、習慣の違いを考慮した翻訳ともいえる。

例えば日本人は「よろしくお願いします」という言葉を好んで使うが、
これはそのままは訳せない。
もしドイツの客先に対して日本からの輸出商品の値上げを通告する手紙で、
最後に「よろしくお願いします」という文章を添えるとするならば、
それは例えば、
“Thank you very much for your understanding in advance.”などとなる。
そのまま訳せば、「あなたのご理解を前もって感謝いたします」。
日本でこんな文章を取引先に送れば「変なヤツ」と思われるに違いない。

榊原英資氏がその著書「日本人はなぜ国際人になれないか」
(2010年、東洋経済新報社)の中で、
英文和訳、和文英訳で英語を勉強するのが間違い、
翻訳するのではなく英語は英語で勉強せよという意味のことを述べているのも頷ける。

海外旅行や海外留学や海外駐在などの海外体験は
文化や習慣の違いを知り、自国を発見するのに大いに役立つ。
世界全体から見れば他に類を見ない独特の文化、習慣を持つ日本人にとっては
尚更のことである。
それ故、英語学習に加えて海外体験が大切であると楽天の梶村人事課長も
TOEIC ホームページで述べている。
(http://www.toeic.or.jp/square/job/company/koe/0.5.html)

にもかかわらず、最近の日本の若者は
海外旅行も海外留学も海外駐在もしたがらない。
居心地の良い「パラダイス鎖国」(海部美知著、2008年、アスキー新書)に
引きこもる傾向がある。
世の中はますますグローバル化が進んでいるというのにである。

このような状況下で、
楽天の三木谷社長とファースト・リテーリング(ユニクロ)の柳井社長が
相前後して英語の社内公用語化を発表して反響を呼んだ。

また、日本電産の永守社長は「2社の英語公用語化は理解に苦しむ」としながらも、
同社自身は将来の管理職への昇進条件に外国語1ヶ国語、
部長級への昇進には2ヶ国語以上の習得を義務付けると発表して、
これまた話題になっている。

これらのニュースが話題になる理由は、
如何にして国際ビジネスに要求される語学力を養うかという課題が、
単に上述の数社にとっての重要課題であるだけでなく、
広く日本企業全体、日本経済全体にとっての死活問題だからである。

ちょっと話が本筋からそれたが、本章で言いたかったことは、
英語は単なる英和、和英の言葉の置き換えではなく、
その言葉の使われる背景にある文化、習慣、マナーなどとワンセットで
習得されるべきものであるということである。

That's about it for today。(今日はこの辺で)


(続く)




英語が社内の公用語 (その2)

2010-08-28 00:13:20 | 日記
――英語は世界の共通語――

ユニクロや楽天が英語を社内の公用語にすると発表して以来、
この件に関して紙面やネット上では
おびただしい数の意見や批判が寄せられているが、
その中には余りにも的外れのものが多いのに驚く。

例えば、「美しい日本語という母国語を疎かにするのか」とか
「グローバル化とアメリカ化を混同していないか」とか
「英語さえ出来れば仕事が出来ると思っているのか」とか
「日本語はマイナーな言葉だから仕方ない」といった
トンチンカンなものが半分くらいもあるだろうか。

前章の(その1)では「どこまでやるのか、やれるのか」という、
このテーマのいわば触りの部分にいきなり言及したが、
今回の(その2)では、上のように混乱した状況に鑑み、
その前段階の英語は国際語であるという、
当たり前の人にとっては当たり前すぎる話を具体的に書いてみる。

まず、自分の意見を日本語でしっかり書き、しっかり話せないと、
英語で書いたり話したりすることは出来ない。
何語で語るか以前に、何を語るか、如何に語るかが大切なことはいうまでもない。
アメリカに永住している私の中学~高校時代の友人が、
今でも日本語をしっかり書くことを心がけているというのも頷ける。

さて、ヨーロッパで、
例えばデンマーク人とイタリア人とが商談しようとすれば、
彼らは何語で話すのか?
イタリア語が出来るデンマーク人は少ないし、
デンマーク語が出来るイタリア人などめったにいない。
結局彼らの共通の言葉は英語になる。
流暢かたどたどしいかは別にして。
ドイツ語やフランス語になる場合も稀にはあるだろうが。

オランダ人は一般に外国語が堪能で
英独仏の三ヶ国語が出来る人もめずらしくない。
少なくとも英独の二ヶ国語は殆どのオランダのビジネスパーソンは出来る。
その背景には、
オランダ語を勉強してくれる外国人はまずいないということがある。
しかもオランダをはじめ、フィンランド、ハンガリー、ポルトガルなどなど、
数え上げればキリがないが、
ヨーロッパの小国はいずれも自国内市場が小さいから
ビジネスをやろうと思えば自ずと市場は全ヨーロッパに、
あるいは全世界に広がる。

誰も自国語を話してくれないのだから、
英独仏などのメジャーな言葉を自ら習得する他ない。
中でも英語が比較にならないほど幅広く通用するから、まず英語である。

最近は小国だけでなく、ヨーロッパ最大の国のドイツ人も、
あの自国語へのプライドがベラボーに高かったフランス人でさえも、
皆英語を話す。
つまり、英語はアメリカ、イギリス、オーストラリアなどの
限られた英語圏とのコミュニケーションのためだけでなく、
アジアを含む全世界の非英語圏同士のコミュニケーションのための
共通語として重要なのである。

経済のグローバル化が進むに連れて、
もともとヨーロッパの小国に典型的に起きていた英語を必要とする状況が、
ヨーロッパの大国にも、
そして日本の大企業から零細企業にまでも及んで来たのだ。

日本の貿易商社では大昔から海外店とのやりとりの公用語は英語である。
海外店には日本人駐在員もいるが、
日本人駐在員が出張中で不在だったりすると、
もし日本語で通信文を送れば、いつまで経ってもほったらかしにされる。
日本人駐在員がいても、現地社員に説明するのに
いちいち英語ないし現地語に翻訳しなければならない。

海外店は非英語圏でも英語の出来る現地社員を雇っているので、
英語であればそのままで現地社員も理解できる。
日本人が一人もいない海外店なら尚更のことである。
当然海外店から日本へも英語で返答が帰って来、情報が入ってくる。
つまり発信も受信も英語になる。
今更英語が公用語などと言わなくとも、
明治時代から行われていたことである。

またパリ店にはフランス語で、ジャカルタ店にはインドネシア語で、
サンパウロ店にはポルトガル語でコミュニケーションするなんてことも
事実上不可能である。
世界中の無数の言語を習得するわけには行かないから
海外店との通信は事実上英語一本になる。

私が貿易商社に入社した1960年代には、
私の所属していた化学品部門にはまだ輸出部というのがあったが、
1970年代はじめに消滅した。
世の中の変化が激しくなり、
昨日まで日本が輸入していた商品が今日は国産化され、明日は輸出される。
あるいは同じジャンルの商品でも、
高級品は日本で生産されて国内販売および先進国向け輸出に向けられるが、
汎用グレードは発展途上国で安価に生産されたものが日本に輸入され、
あるいは他の発展途上国へ輸出される・・・
などというようなことが起きてきたためである。

ニクソン・ショック以降は為替も自由に変動するようになり、
変化がますます激しくなった。
一つのジャンルについて、世界中のマーケットに精通した社員が、
輸出も輸入も国内取引も三国取引も含めて、
状況に応じて機敏に商売を行う時代になった。
国内取引と海外取引の区別が無くなった。
世界は一つの市場になった。
少しは英語が出来ないと仕事が出来なくなった。
今から40年も前の1970年代前半の状況である。

このように、
英語が世界語であることや、世界の市場が一つであることを理解すれば
冒頭に挙げたような批判が
如何に荒唐無稽なものであるかがわかるだろう。

That’s about it for today. (今日はこの辺で)

(続く)


英語が社内の公用語 (その1)

2010-08-23 20:20:49 | 日記
―― どこまでやるのか、できるのか ――

ユニクロや楽天が英語を社内の公用語にすると発表して以来、
その波紋が広がっている。
「母国語である日本語を軽視すべきでない」とか「英語ができれば仕事ができるのか」
といった、的外れの反応も多い。
英語が公用語になれば社内や仕事は具体的にどう変わるのかについて
よく分からないままに言葉だけが独り歩きしているようにも見える。

6月24日付けの毎日新聞によると、
ファーストリテーリング(ユニクロ)発表の骨子は次のようなものである。
*2012年3月から社内の公用語を英語とする。
*幹部社員による会議や社内文章は基本的に英語とする。
*導入までに社員にはTOEIC 700点以上の取得を求める。

楽天も役員会議や幹部会議、全社員向けの朝会などの一般業務を英語で行い、
2012年中に完全に英語に切り替えるという。

詳細はわからないが、両社共に、
日本語が出来ない外国人が一人でも参加する会議は英語でやる・・・
という程度を超えて、
日本人だけの会議でも日頃から英語でやるというのだから画期的といえる。


(ユニクロ東京事務所)

英語が第二の公用語というのは、海外ビジネスに携わる多くの企業で実質的に
古くから行われていることであり、なんら目新しいことではないが、
英語が第一の公用語というのなら、――実際そのように今回の発表は取れるが――
革命的でさえある。

唯、国境を越えた経営を目指す両社にとっては、英語を公用語にすれば、
英語ひとつで国内外の区別無く、効率よく統一的にコミュニケーション出来るし、
海外への人事異動や外国人の採用もスムースに行える。
その意味で、両社は英語公用語化の必要性に迫られているという見方も出来よう。


(ユニクロ関連の中国の世界最大級規模の縫製工場)

で、彼らは日本の社内をどの程度まで英語化しようとしているのだろうか。
言葉には書き言葉と話し言葉があるが、
社内の全ての文章を英語にし、社員の全ての会話を英語にするとは考え難い。
早い話、ユニクロの店舗で店員が公用語である英語しかしゃべらないなら、
客も英語で買い物をしなければならないことになるが、そんなことはありえない。

以前、私の勤めていた商社で、一人の英語に堪能な課長が課員全員に、
「今後、私に相談や報告をするときは、全て英語で行いなさい」と命令したところ、
それ以降、誰も相談にも報告にも来なくなったという話が本当にある。

それ故に、
両社は具体的にどの程度まで、あるいはどの範囲まで、英語化しようとするのか。
これが一つ目の注目点である。

次に、社員の英語能力の向上という大きな関門がある。
ユニクロの目指す「TOEIC 700点」以上というのは実に悩ましい。

毎日新聞の潮田道夫氏は「ユニクロの目指すTOEIC 700点では外国人との討議には
全く不十分で、900点以上要る」と同紙のコラムに書いている。

野村HDは初任給からして一般新入社員の2倍強、月収54万円の、「G社員」
(グローバル型社員)を募集するが、TOEIC 860点以上が応募条件だという。

また、一般的には、
海外に駐在員を派遣する際の英語力をTOEIC 730 点以上としている企業が多い。
つまりTOEIC 700点は実践ではまだまだ不十分なのだ。

一方、現実の一般社員の英語力はどの程度かというと、
私の勤務していた総合商社では
大卒新入社員のTOEICの平均点が500点前後であった。
日々英語を使って仕事をして3~5年経っても、
海外派遣基準の730点に届かない社員が多いのが実情である。
中学英語の基礎が身についていない社員や、生来語学に不向きと思われる社員は、
遅々として上達しない。
ユニクロの社長は2年以内に700点以上を全社員に求めているようだが、
はたしてどうだろうか。

このようにTOEIC 700点というのは到達するのは容易とは言えない一方で、
到達してもまだまだ不十分なレベルなのである。
「悩ましい」と書いた所以である。

私はといえば、中学1年生のときに“Jack and Betty ” で英語を習い始めて以来、
商社勤務、ドイツ駐在、アメリカの化学会社の日本法人責任者などを経験し、
長年、英語と係わりあって来たが、その割には自分自身、
英語力が思うように上達しないこと、その壁が厚いことを嫌というほど感じている。
村上春樹ではないが「やがて哀しき外国語」の心境である。
それ故に又、ユニクロや楽天の今回の勇気ある試みに大いに関心を持つと同時に、
その成り行きにも注目している。

That's about it for today. (今日はこの辺で)


(続く)





宿敵インドの洪水支援を受け入れたパキスタン

2010-08-21 20:07:45 | 日記
パキスタン・イスラム共和国の洪水の被害はかなりひどい。
死者約1,600人、家を失った人数百万人、被害者総計ざっと2千万人と報告されている。
(パキスタンの人口は1億8千万人)







仲の悪い隣国インドからの5百万ドルの支援申し出に対する
パキスタン政府の対応が注目されたが
同政府はしばし考慮の末、これを受け入れることを発表した。

これに対して、野党などから反発が出ている。
“Thanks, but no thanks” と断るべきだったと。
援助受け入れは宿敵インドに対する降伏を意味するとも。

カシミール紛争などで、インドとパキスタンは歴史的な敵対関係にある。
過去にインドで大きな自然災害が発生したとき
パキスタン政府は何度か支援を申し出たが、インドは一度も受けて入れていない。




今回のインドの申し出について、アメリカ政府は
金額の大小よりもインドーパキスタンの関係修復の観点から
パキスタンに受け入れを強く勧告したという。
両国は最近、二国間関係の改善に向けて努力中であった。






国連は先週、4億6千万ドルのパキスタンへの緊急支援を世界に要請し、
今約50%が集まった。
(国連が求めた緊急支援金額が4億6千万ドルであるから、
インドのオファーした5百万ドルは必要額の1%強ということになる)

アメリカは当初の8千万ドルの支援を1億5千万ドルに引き上げた。






以上、2010年8月20日付けCSM紙記事の要約と同誌掲載の写真。




どっちがシャンプーでどっちがリンス?

2010-08-13 00:02:02 | 日記
風呂に入ってシャンプーを頭にふりかけ、
両手の指先で泡立てようとするが、一向に泡立たないことがある。
こういうときは、何故そうなったのか、理由はもう分かっている。
シャンプーと間違えてリンスを頭にふりかけてしまったのである。

シャンプーの容器とリンスの容器とは全く同じ形状をし、同じ色をしている。
その上、シャンプーという文字もリンスという文字も余りにも小さい。
普通、眼鏡をかけて風呂には入らないから、
こんな小さな文字で識別できるはずがない。
そこで往々にして冒頭に述べたような間違いが起きるのである。



このような場合、仕方なくリンスを一旦洗い流し、
あらためて“リンスで無かった方の容器”を手に取り、それを髪にふりかけ、
泡立て、洗い、水で流し、もう一度リンスすることになる。
時間と手間隙と洗剤の無駄だ。

詰め替え用についても同じようなことが言える。
シャンプーの詰め替え用を買って帰ったつもりがリンスだったという人が結構いるのだ。

何故メーカーはこの点を改善しようとしないのか・・・と書きかけたのだが、
もしかして・・・と思って、ネットで検索してみたところ、
既に、約20年も前にこの問題は解決されたことになっている。それも業界全体で。
シャンプーの容器の側面には小さなぶつぶつがあるという。
実際に現物を調べてみたところ、たしかにぶつぶつがあった。リンスにはない。
これだと目の不自由な人にもわかるという利便性はある。

しかしである。
これでは知る人ぞ知るという感じで、余りにも分かりにくい。
20年間も使っていて気づかなかったくらいなのだから。
自分だけかと思ったが、聞いてみると、案外知らない人の方が多い。

そもそもシャンプーとリンスの容器の外観は何故こうも同じでなければならないのか。
例えば同じブルーでも色の濃淡をつけるとか、
シャンプーとリンスで容器の大きさを変えるとか、
片方は丸型、片方は角型にするとか、
シャンプーには大きな文字で「S」を、リンスには大きな文字で「R」を表示するとか、
あるいは最近はリンスでなくコンディショナーというから「C」でも良いが・・・、
とにかく識別し易くする方法は他にいくらでもあるはずだ。
今のやり方は美観ばかり気にしすぎて、実用性を無視していると思えてならない。

今回言いたかったことは実に簡単。
シャンプーとリンスはいちいち容器の側面を注意深く手でまさぐらなくても、
一目見ただけで簡単に区別できるようにしてもらいたいということです。