今日は「いただきます」について書きます。
私の尊敬する先輩が前回の「カナダからの便り」(その6)のコメント欄に
「いただきますに相当する英語は無い」という私の説明に興味を持ったと
書いてくれました。
それで、今日はカナダとは直接関係は無いのですが、
「いただきます」の続きを書いてみます。
コメント欄に書くには長すぎますので、本文に書きます。
まず始めに、私の愛用している「プログレッシブ和英中辞典」を調べてみますと、
「食事の前の『いただきます』に当たる決まり文句はない」と書いてあります。
西欧の人たちが食事の前に何か一言言うとすれば、それは例えば
Bon Appetit(ボン・アペティ、仏)とか
Guten Appetit(グーテン・アペティート、独)とかです。
フランス語の Bon Appetit は Bon Boyage (ボン・ボヤージュ=良いご旅行を)
と同様、半ば英語化したフランス語ですから、
アメリカ人も時に使います。
意味は、「美味しく召し上がれ」ですが、
Good Morning などと同様、深い意味の無い、挨拶の言葉といえます。
但し、「いただきます」との決定的な違いは、
Bon Appetit は一緒に食事する相手に向かって言っているのに対し、
「いただきます」はいわば、独り言です。
従って、一人で食事するときに言ってもおかしくない。
「いただきます」の精神を考えると、むしろ私は
食事の前の言葉としては「主の祈り」を連想します。
昔のアメリカ映画を見ていると、家族全員で食事する際に、
家長的な立場の人が主の祈りを唱え、
皆はそのあとで、「アーメン」と唱和してから食べ始めます。

プロテスタントの主の祈りは次の通りです。
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
「アーメン」はヘブライ語で「本当にその通りです」の意。
「主の祈り」の内容は「いただきます」よりも広い範囲をカバーしていますが、
その精神は、特に食事の前に唱えられる場合は、
「いただきます」に近いと、私は感じています。
今、世界の約70億の人口の中、約10億人が飢餓に苦しんでいます。
4秒に1人の割合で、餓死者が出ています。
お昼は幸運にも食事にあり付けたけれども、
夜はどうなるかわからないという人が世界中にいっぱいいます。
このようなことにご興味のある方は、
ジェフリー・サックス著「貧困の終焉」(2006年、早川書房)を
お読みください。
これに比べて、日本人は恵まれています。
飽食の時代などと呼ばれたりもします。
私は以前に、仲間でシェアーするブログに、
次のような文章を書いたことがあります。
雨や風や寒さをしのぐ家があり、乾いたベッドがある。
毎日確実に三回の食事にありつける。
銃弾が飛んでくることもない。
蛇口を一ひねりすればいつでも世界一高品位な水が飲める。
その蒸留水のような水で風呂もトイレも洗車さえもするという贅沢さ。
病気になればいつでも医者に見てもらえる。
恵まれている。
今日もまた、新しい日が与えられたことに感謝して、
一日一日を精一杯、激しく生きたい。
今日は、以上です。
(続く)
私の尊敬する先輩が前回の「カナダからの便り」(その6)のコメント欄に
「いただきますに相当する英語は無い」という私の説明に興味を持ったと
書いてくれました。
それで、今日はカナダとは直接関係は無いのですが、
「いただきます」の続きを書いてみます。
コメント欄に書くには長すぎますので、本文に書きます。
まず始めに、私の愛用している「プログレッシブ和英中辞典」を調べてみますと、
「食事の前の『いただきます』に当たる決まり文句はない」と書いてあります。
西欧の人たちが食事の前に何か一言言うとすれば、それは例えば
Bon Appetit(ボン・アペティ、仏)とか
Guten Appetit(グーテン・アペティート、独)とかです。
フランス語の Bon Appetit は Bon Boyage (ボン・ボヤージュ=良いご旅行を)
と同様、半ば英語化したフランス語ですから、
アメリカ人も時に使います。
意味は、「美味しく召し上がれ」ですが、
Good Morning などと同様、深い意味の無い、挨拶の言葉といえます。
但し、「いただきます」との決定的な違いは、
Bon Appetit は一緒に食事する相手に向かって言っているのに対し、
「いただきます」はいわば、独り言です。
従って、一人で食事するときに言ってもおかしくない。
「いただきます」の精神を考えると、むしろ私は
食事の前の言葉としては「主の祈り」を連想します。
昔のアメリカ映画を見ていると、家族全員で食事する際に、
家長的な立場の人が主の祈りを唱え、
皆はそのあとで、「アーメン」と唱和してから食べ始めます。

プロテスタントの主の祈りは次の通りです。
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
「アーメン」はヘブライ語で「本当にその通りです」の意。
「主の祈り」の内容は「いただきます」よりも広い範囲をカバーしていますが、
その精神は、特に食事の前に唱えられる場合は、
「いただきます」に近いと、私は感じています。
今、世界の約70億の人口の中、約10億人が飢餓に苦しんでいます。
4秒に1人の割合で、餓死者が出ています。
お昼は幸運にも食事にあり付けたけれども、
夜はどうなるかわからないという人が世界中にいっぱいいます。
このようなことにご興味のある方は、
ジェフリー・サックス著「貧困の終焉」(2006年、早川書房)を
お読みください。
これに比べて、日本人は恵まれています。
飽食の時代などと呼ばれたりもします。
私は以前に、仲間でシェアーするブログに、
次のような文章を書いたことがあります。
雨や風や寒さをしのぐ家があり、乾いたベッドがある。
毎日確実に三回の食事にありつける。
銃弾が飛んでくることもない。
蛇口を一ひねりすればいつでも世界一高品位な水が飲める。
その蒸留水のような水で風呂もトイレも洗車さえもするという贅沢さ。
病気になればいつでも医者に見てもらえる。
恵まれている。
今日もまた、新しい日が与えられたことに感謝して、
一日一日を精一杯、激しく生きたい。
今日は、以上です。
(続く)