東日本大震災から8カ月余り・・・。
宮古市 磯鶏の実家は先月10月末に建物基礎の解体も終わり、盛り土をしてもらった状態で現在に至ります。
盛り土までは行政に面倒見てもらえるそうで、要するに復興財源からの支援にて整備してくれるとの事。
被災者にとってはありがたい事です。
しかし、ここから先は、被災者が個々に既存の土地にマイホームの建築、もしくは別の高台等の住宅地を新たに求めて住宅の再建の選択を迫られる。
幼い頃から慣れ親しんだ、先祖から引き継いだ土地に再建したいという人、近所のお知り合いが近所で津波に流されて亡くなったので、この近所に住むのは抵抗がある・・・等々。対応は様々な様子。
もちろん自分もその選択を迫られた訳だが、自分の意見というよりは母の意見を尊重した。母はこの土地から離れたくないとの事だった。
それは自分も同じ考えであった。
先祖代々受け継いできた唯一の財産は、いまやもうこの土地しか残っていない。津波で建物が破壊されたとしても、土地はそのまま残る。だったら、残された我々子孫は、やはりその土地を守っていかなければならない訳で・・・。
その証拠に、町内のシンボル的になっていた庭の松の木をそのまま残して建物のみ解体。
広い土地に松の木1本しか立っていないという、滑稽な画像。
この松の木も先祖代々伝わるもので、先代の私の祖父も良く手入れしていた大事な松。
(バックの山とかぶってしまいました・・・素人)。
ちなみに解体前の画像・・・(正面)
解体後・・・(正面)
解体前(側面)
解体後(側面)
裏側より。
何もかもなくなるとすっきりするものです。
実はこの更地の風景、見るのは人生で2度目。初めて見たのは、自分が幼稚園の年長 6歳の頃でした。今回解体した家はその時に建てたもので、築31年になります。
先日、この画像を撮影しに実家に赴いた時、その幼い頃に見た同じ光景を目の当たりにし、当時の記憶が走馬灯のように蘇ってきたのでした。
今後の予定はと言うと、取りあえず津波で浸水した土地は地盤が弱っているとかで1年は寝かせなければならないとの事。また、盛り土した土地が落ち着くまで更に最低半年・・・(と、業者さん談)。
最短で来年2012年10月に着工(したい)という事になります。
その間にゆっくり建築業者さんと、融資先の銀行をゆっくり選定しようと思います。
(しかし、仕事も忙しいし・・・時間取れるかな・・・)。
宮古市 磯鶏の実家は先月10月末に建物基礎の解体も終わり、盛り土をしてもらった状態で現在に至ります。
盛り土までは行政に面倒見てもらえるそうで、要するに復興財源からの支援にて整備してくれるとの事。
被災者にとってはありがたい事です。
しかし、ここから先は、被災者が個々に既存の土地にマイホームの建築、もしくは別の高台等の住宅地を新たに求めて住宅の再建の選択を迫られる。
幼い頃から慣れ親しんだ、先祖から引き継いだ土地に再建したいという人、近所のお知り合いが近所で津波に流されて亡くなったので、この近所に住むのは抵抗がある・・・等々。対応は様々な様子。
もちろん自分もその選択を迫られた訳だが、自分の意見というよりは母の意見を尊重した。母はこの土地から離れたくないとの事だった。
それは自分も同じ考えであった。
先祖代々受け継いできた唯一の財産は、いまやもうこの土地しか残っていない。津波で建物が破壊されたとしても、土地はそのまま残る。だったら、残された我々子孫は、やはりその土地を守っていかなければならない訳で・・・。
その証拠に、町内のシンボル的になっていた庭の松の木をそのまま残して建物のみ解体。
広い土地に松の木1本しか立っていないという、滑稽な画像。
この松の木も先祖代々伝わるもので、先代の私の祖父も良く手入れしていた大事な松。
(バックの山とかぶってしまいました・・・素人)。
ちなみに解体前の画像・・・(正面)
解体後・・・(正面)
解体前(側面)
解体後(側面)
裏側より。
何もかもなくなるとすっきりするものです。
実はこの更地の風景、見るのは人生で2度目。初めて見たのは、自分が幼稚園の年長 6歳の頃でした。今回解体した家はその時に建てたもので、築31年になります。
先日、この画像を撮影しに実家に赴いた時、その幼い頃に見た同じ光景を目の当たりにし、当時の記憶が走馬灯のように蘇ってきたのでした。
今後の予定はと言うと、取りあえず津波で浸水した土地は地盤が弱っているとかで1年は寝かせなければならないとの事。また、盛り土した土地が落ち着くまで更に最低半年・・・(と、業者さん談)。
最短で来年2012年10月に着工(したい)という事になります。
その間にゆっくり建築業者さんと、融資先の銀行をゆっくり選定しようと思います。
(しかし、仕事も忙しいし・・・時間取れるかな・・・)。