Shige's Blog

約4年お世話になっていたBroachの閉鎖に伴いgooブログさんに引っ越してきました。皆様、よろしくお願いします。

東日本大震災・・・(4)

2011年04月06日 | 東日本大震災
東日本大震災から25日が経過しました・・・・。

結局母の安否が確認できたのは、前回のブログ記事にて実家を撮影した直後の3月12日、地震発生の翌日でした。
最寄りの避難所 宮古市立磯鶏小学校に立ち寄ったところ、普段避難時には絶対にクルマを使わない母が、しっかり小学校の校庭の一番奥(つまり早いうち避難してきた)にクルマを停めているではないですか・・・。
めずらしい・・・。
取りあえず、顔は見ていないが一安心。その後、体育館にて再会。ほっとしました。
どうしてクルマで避難したか?を問い詰めると、
「一度、徒歩で家を離れたが、近所の人がみんなクルマで避難していたみたいだったから、戻ってクルマで逃げてきた・・・」との事。
このような曖昧な判断で家に戻り、津波に飲み込まれたという人が近所にも数名・・・。非常に危険な行為です。
その後、避難所には毎日のように差し入れを持って訪れ、母の様子を見に通う日々となりました。
私のアパートに引っ越して来い!と話すも、実家が心配だから、取りあえず2週間程度ここ(避難所)で生活をするとの回答。
まぁ、母がそう望むなら・・・。そこで今後の日程を家族会議し、来週より実家の片付けを開始する事で意思統一。実家の建物は例の大型バスの影響で家が傾いており、住み続けるには危険で使い物にならない為、最終的には解体することで話がまとまった。
そこから地獄の2週間がスタートしました。
まずは、家の中の瓦礫・ヘドロ・家具・家電製品・家業である民宿で使用していた膨大な什器(一般家庭の約20倍はあったでしょう・・・)の撤去作業。最初は母と二人でスタートした撤去・掃除も、近所で被害に遭っていない皆様が日替わりボランティアで手伝いに来て頂き、日に日に綺麗になって行きました。


【玄関 津波直後】


【玄関 復興後】


【座敷 津波直後】


【座敷 復興後】


【奥座敷 津波直後】


【奥座敷 復興後】

当然、これだけの瓦礫・家具を外に運び出せば、外は大変な事になります・・・。















ここまでで約7日間の作業日数を要しました。電気の復旧が遅れている為、日没前には実家を離れないと辺りは真っ暗になり大変な事になってしまいます・・・。普段。ファミレスのキッチンでフライパンばかり振っている私にとっては、10年ぶりの現場作業的な日々。筋肉痛と腰痛に見舞われる毎日。でもこれが、長~い復興のほんの一部の始まりにしか過ぎないのでしょう・・・。

東日本大震災・・・(3)

2011年04月03日 | 東日本大震災
今回から、撮影した画像を少しづつUPして行きたいと思います。
今の自分の住まいは幸い海から遠い為幸い被害はありませんでしたが、問題は海から500mの場所にある実家。
同じ宮古市内の磯鶏 石崎(ソケイ イシザキ)地区にあり、家業である民宿を営んでおります。
屋号は”民宿 みかわ”
今、実家に住んでいるのは、私の62歳の母一人のみ。
同じ市内に住んでいたものの、私は3年前に所帯を持ち新居(アパート)を構えたばかりで、母とはここ3年程別居状態でした。
私も仕事を持っていた為、母が一人で家業の民宿を切り盛り状態。

3月11日の地震発生時、職場を離れた私は、母の安否ばかりが気がかりで・・・。
当日夜、停電の状態で震度5強の余震が続くなか、不安がる嫁と息子を家に残し、実家の磯鶏にクルマを走らせました。
あと2キロ程で実家到着というところで検問。「これ以上は進入禁止です」と警察が検問中。
「母が一人家に取り残されているかも知れない・・・」
と告げると、しぶしぶ通してくれました。
しかし、そこから先さらに1キロ程進んだあたり、国道45号線沿いの宮古市民文化会館付近。
見るも無残な光景・・・。停電中の町内は当然真っ暗・・・。闇夜に浮かび上がるのは、私のクルマのライトに照らされた道路を覆い尽くす材木と瓦礫の残骸・・・。徒歩で歩くにもリスクが大きすぎる。その日は諦めて家に帰る事に。
翌日、改めて実家に向けて出発。通行規制は一時的に解除されていた。
実家まであと100m・・・相変わらずクルマでは近づけなかった。
路駐したまま走って実家へ・・・。

以下、実家付近の画像です。

<<3月12日現在の画像>>

【実家裏のJR山田線陸橋より】 観光バスが実家を直撃・・・


【表側から先ほどのバスの裏側を撮影】


【実家の表通り】


【玄関ドア・・・何処へ行ったのやら・・・】


【手前のこたつ・・家の中を約5m流されていました】


【さらにその奥】


【ひどい・・・】


【足の踏み場が無い・・・とはまさにこの事だと思う・・・】


【先ほどのバスを家の中から…】

どこから、どう手をつけていいのやら・・・
気が遠くなります・・・。

東日本大震災・・・(2)

2011年03月25日 | 東日本大震災
東日本大震災から2週間が経ちました。
日々の岩手県宮古市内の状況をブログアップできれば良かったのですが、ネット環境はおろか、一般電話回線も不通状態となっていた事から、残念ながら毎日のアップは出来ませんでした。
当ファミレスは震災時3月11日PM14:48分、30名程度のお客さまが店内にいらっしゃいました。
地震の直後は私はキッチンに居り、ディナー前のスタンバイをしておりました。


激しい地なりと共に襲った激しい揺れ、震度5強の揺れにキッチン内の什器は次々と床に叩きつけられるように棚から落下し、激しい音を立て割れていきました。
天井に埋め込んだエアコンのフィルターは次々と落下し、キッチンの側面を覆うように設置されたステンレス製のダクトフードも、その激しい揺れに同調するようにバコンバコンと激しい音をたてていました。
ホールのお客様の避難誘導は当時ホールに居たO副店長に任せ、私は11か所あるガスの元栓を落下物を交わしながら必死に締めてまわりました。つーか、死ぬかとおもいました。
全員避難したかと思いきや、なんと休憩室に従業員が居るではありませんか!!「早く出て!!」と叫び、従業員も避難完了。その後、お客様用のトイレを確認し、全員の避難を確認してから、最後に店舗を出ました。
「これは津波が来るな・・・」と思っていた数分後、市内の防災無線から「大津波警報が発令されました。直ちに避難して下さい・・・」
生まれて37年、そのうちの27年宮古に住んでいて、初の「大津波警報」、これは街がどうにななってしまうという何とも言えない不安に襲われました。
外に避難して頂いたお客様には一時店内に入ってもらい、お会計できるお客様にはお会計してもらって直ぐに帰宅して頂きました。その後、火のもとを再度確認してからブレーカーを落とし、鍵をかけて我々も避難する事に・・・。
それから1週間近く顔を見ない従業員もいました。私はアパートに戻り、妻と子供に身支度をさせて家族3人で近所の団地(高台)へ2時間程避難しました。
しかし、その時点で街があんな事になっていたとは、当時は知るよしもありませんでした・・・。
次回に続きます。

東日本大震災・・・(1)

2011年03月23日 | 東日本大震災

shigeの住む街・・・岩手県宮古市は、この度の東日本大震災にて多大な損害を被りました。
まさに、生と死の境・・・。
平成23年3月11日(金) 午後14:46分 その悪夢は始まりました。
当時、ファミレスにて通常業務であったshigeは、ちょうどランチのピークが終わり、同系列の別の飲食店に移動しようとしている矢先でした。
グラグラグラグラ・・・・。
ゴゴゴゴゴゴーー
という地鳴りと同時に立って居られなくなるくらいの強い地震 震度5強に見舞われました。
今回の揺れはいわゆる”横ゆれ”というやつで、建物には被害が少ないが、横揺れの場合建物内部の家具や什器の被害が多い場合が多いですが、当方ファミレスも例外ではなくかなりの数の什器(食器)が被害に合いました。

もっと早くにブログアップしたかったのですが、本日3月23日(水) 地震発生から12日後、ようやく電話回線が復旧しブログアップと相成りました。

今後、この震災における市内の被害状況や復興していく様子をこのブログを通じてアップしていければと考えております。
皆さんに伝えたい事は沢山ありますが、まずはこの度お見舞い頂きました皆様にこの場をお借りしてお礼申し上げます。

また、この度の震災において、被災されお亡くなりになった方、愛しい家族・肉親を亡くされた方、家屋が倒壊され住む場所さえ失った方々・・・・心よりお悔やみ申し上げます。


shige


1年健診

2011年02月09日 | パパの育児日誌
昨日は息子の1年健診で市内の保険センターへ。
朝から息子を風呂に入れ、嫁が風呂に入り、最後に自分が・・・。よっぽど3人一緒に入ったほうが地球には優しんでしょうが・・・。何分、風呂も広くないもので。
外出の為の3人の支度が終わるには、約3時間もかかってしまいます。自分だけなら20分もあれば完了ですが、嫁はお顔を作らなきゃならないのでそうも行きませんな。
実は子供の健診、病院バージョンと市が管理する保健センターバージョンと2種類あって、我が家は病院バージョンは全て皆勤賞で去年全て終了したものの、保健センターバージョンは過去の7カ月検診をさぼってしまっており、本日は指導員さんのお説教?から始まってしまいました。他の家族さんは指導員さんとの面談時間約10分程度で終わるのに、我が家は30分も・・・。長くない?。
しかも澪(息子)は、あまりにも長い話に耐えきれず、shigeの膝の上で ”ふて寝” に入ってしまいました。
その後、身体測定やら、歯磨き指導やら、かれこれ3時間もかかってしまいました。
息子と嫁が診察の為に診察室に入っている間、一人で待合室で待っていたのですが、別の息子さんがshigeを自分のパパと間違えたのか、走ってきて抱きつくなんて一幕も・・・。あまりにも可愛くて思わず我が子のように抱き上げてしまいました。その後、その子の母が駆け寄ってきて、「すみませ~ん」と我が子を抱えて帰るなんてほのぼの光景もあったり。
同じ境遇にある親子同士が集まっているだけに、会話しなくともなんか通じるものがあります。
「みんな苦労しながらも我が子の成長を楽しみに日々過ごしてるんだろうな~」と。
家に帰ると澪は爆睡体制に入るのか・・・と思いきや、3時間近く部屋を徘徊した挙句にようやくご就寝。

眠いけど遊びたい一心でグズりだす最近お決まりのパターンにはなったものの、昼の健診がよほど疲れたのか、今日はグッスミンしてくれたようです。

段取り8分

2011年02月03日 | コラム
段取り8分って良く聞きますが、これ・・・本当に大事ですね。
つまりは、仕事の成功は段取り8分をしっかりこなしたかで決まるというもの。どんな仕事に於いても、段取りってその後の仕事に大きく影響するくらい本当に重要です。
飲食店においては、「仕込み」とか「スタンバイ」という言葉に置き換えられますが、かくいうshigeも新人の頃からSVによく言われておりました。
ファミレスの店長・調理長なんぞしていれば、当たり前の事なんですが・・・。
段取り8分が決まっていれば、残りの2分は仕上げという事になります。
ファミレス業界でもやはりスタンバイ8割と言われ、その日の営業の成功は8割のスタンバイが出来ているかで決まる。オープン直後お客様が店内に入って来られたのに、ライスが炊きあがっていない・・・というのはあり得ない話な訳で・・・。
過去に私が信頼していたSVの話では、飲食店のスタンバイには3つあると言われてきました。

①食材のスタンバイ
②店舗のスタンバイ
③心のスタンバイ

この③の 「心のスタンバイ」 が一番重要なキーワードのように思います。①と②のスタンバイをするのはもちろん従業員ですが、①と②を完了させた従業員自体が気持ちのスタンバイが出来ていなければ、当然後に来るであろう突然ピークに対応出来ずに、調理・サービスの遅れがでてしまい、結果お客様に迷惑がかかってしまう非常にデリケートで且つ大事なキーワードなんですね。しかもこれは、社員だけが心に秘めていても達成される訳ではなく、パート・アルバイト全員が同じ想いで共通認識をしていなければ、絶対に良いお店は作れません。うちのお店の一番弱いところでもあり、頭を抱えております・・・。
他業種でも同じ事があり得る訳ですよね。段取りが必要ない仕事なんてあり得ないと思います。
その段取り=「スタンバイ」をどれだけ重要視して、日々の業務に携わっているか・・・管理者としての手腕が問われる非常に大事な気ワードのように思います。
自分も頭では分かっていても、なかなか満足に実践に至っておりません・・・。

青色LED直視は目に悪い??

2011年01月29日 | 日記
さて、ブログ更新・・・と思いきや、plalaさん繋がりづらいんですけど・・・。
サーバにアクセスが集中する時間帯だからでしょうかね?
自分のブログすら開けな~い!! どうにかしてくれ~!!

という嘆きで始まりました今日の更新。Broachが繋がらなくてテンパっているうちにブログのネタを忘れてしまいました。

というところで本題です。

このところ目が悪くなってきてました。
目が悪くなって・・・とはいっても症状は色々あると思いますが、半年前くらいから序々に視力が低下したのが気になっておりました。
視力 右1.5 左1.2と、目だけは良いのが取り得だった自分にとっては大事件!!。
クルマを運転中にいつも見えていた標識がボヤけて見えない・・・スーパーで買い物中、〇〇売り場と書かれているプレートの文字(天井から吊るされているヤツですね)が見えない・・・等々特に遠くの文字が見えない現象が起こっていたのでした。
職場の仲間からは、「36歳でしょ・・・老眼の始まりだよ!!」とか「PCのやり過ぎだよ!!」など様々な意見を述べられましたが、眼科に行くのが怖くて行けずじまいでした。それは・・・「老眼の始まりです」と診察された時のショックを目の当たりにしたくないが為であり・・・。
そうこうしているうちにある事に気がついた。

数年前に購入した壁掛け用のLED電球を使用したデジタル時計がある。

しばらくの間使用していなかったのだが、この半年ほど続けて使用していた。
先日、たまたまその時計に目を向けた瞬間、いままで普通に見えていた景色が急にボヤけて見えなくなってしまった。これはもしや!!と思い、「視力_LED」でググって見た。
やはり ”青色のLED” は視力低下どころか、体の免疫の低下も引き起こす研究結果も出ているそうです。
我が家では、深夜に部屋の電気を消してからもLEDのデジタル時計は基本付けたままだったのですが、特にそれ(暗闇での青色LED)がいけなかったようです。

驚く事に、嫁にも同じ症状が出ていたようで、2度びっくり!!
それ以来、電源を切りっぱなしにしております。
現在、様々な電化製品に使用されている”青色LED"。
視力を落としたくないのであれば、皆様もお気をつけ下さい。

パパの育児日誌

2011年01月23日 | パパの育児日誌
今日はちょっと変わったドキュメンタリー形式でお届けしたいと思います。

まずは我が家の一人息子 ”レイ”です。今まで撮った写真の中では一番のベストショット!!(う~ん親ばかぁ~!!)

今日家に帰宅したら、shige嫁が、興味深々な話を持ちかけてきた。
「今日レイポンが面白かったんだよ!!」と・・・。
自分のブログに今日の出来事をUPしたからまずはブログを見ろとの事。

↓興味がある方はこちらから↓
  shige嫁 HITOMI Blog

↓その話を簡潔にまとめると・・・なにやら澪は、日中自分の愛車のセッティングの最終調整をしていたそうな・・・。


↓どうしてもわからない局面に達し、片手で頭を掻いていたらしい・・・。「やべぇ、どうしても分かんねぇ・・・」。


結局断念した息子は、父が帰ってきたら、その問題の解決策を相談しようと決めた。
帰宅後、遅めの食事を取っていた私のそばに息子が近づいてきた。

息子:「おやじぃ~、足回りを変えてから、どうしても峠の上りのタイトコーナーでアンダーステア気味になりんだよ。セッティングどうしたらいい??」
父:「う~ん、もう少しフロントのキャンバー角を付けたほうがいいかもなぁ。でも、セッティングだけじゃないぞ!!、ブレーキングのタイミングを少し遅らせてコーナーに侵入したほうがいい・・・。コーナリング中にフロントタイヤのトラクションが完全に抜けきっているのかも知れないぞ!!」。
息子:「なるほど!!じゃぁ、明日また試してみるよ!!」
父:「おぅ、頑張れ!!」


↓という事で問題を解決した息子は、すっかり安心しきってズボンまで脱いでしまいご就寝したんだとか・・・。


おしまい。

外交官 黒田康作にハマってま~す!!

2011年01月22日 | 日記
「織田裕二」 カッコいいですよね~。
映画 アマルフィーの続編として、フジテレビ系列で今月から始まったドラマ 「外交官 黒田康作」。
初回から欠かさず見ていてすっかりハマってしまいました。
しかしながら・・・実はオチがあって、映画アマルフィーを今だ見ていなかったわたくし・・・バカものです。
嫁もすっかりハマってしまい、先日TSUTAYAに走りについ借りて参りました。
織田裕二は、踊る・・・辺りからshigeの好きな俳優さんの一人にノミネート・・・?されていましたが、今回のアマルフィーにて更に拍車がかかってしまったようです。
って、実際あんなかっこよすぎる外交官は居ないと察しますが・・・。
「あんな外交官になってみたい・・・」
ファミレスの店内で1日中フライパンを振るshigeにとっては、縁のない世界であるが故にドラマの影響をモロ受けてしまった・・・と自分の軽薄さをヒシヒシと感じる今日この頃。
隣で嫁が呆れ返っております。
しかし・・・織田裕二・・・・
踊る大捜査線にしても、アマルフィー(外交官 黒田康作)にしても、もし主演が織田裕二でなかったら誰??となると、なかなか該当する俳優さんが居ない。それだけ、織田裕二の演技力や存在感てすごいんだなぁ~と改めて感じる訳です。

ファミレス業務日誌

2011年01月22日 | ファミレス業務日誌

店長・・・・店舗の最高責任者。

店長に与えられた仕事とは?という定義に対して、同ファミレスチェーン店での考え方は・・・

①売上を上げる
②適正な利益を残す
③人材の育成・・・

だったかな??
という情けない店長さまですが、店長の仕事はもちろんこれだけではありませんよ!!。
大きく分ければこの3つがピックアップされますが、この3つがなかなか容易なものではありません。
①の売上を上げる・・・これが一番難しいかと。売上が上がらないと何もできません。従業員に給与も払えませんし、新しい包丁も買えません・・・。
②損益分岐点売上高以上の売り上げが無いと、適正な利益が会社に残せません。以後、会社の存続は困難を極める事になります。
③に関しては、育てる側のスキル・育てられる側のやる気・スキルも求められる一方で、人を育てる事に対して教える側の自分がどれだけ熱くなれるか・・・だと考えています。

人が育たなければ、適正な人件費での営業も困難な訳ですよね。5人で営業するより、4人で営業したほうが一人分の人件費が浮くわけですから・・・。しかし、その一人減った分を4人で補えるだけのレベルが備わっていないと、お客様に迷惑が掛ってしまいます。
そんな人育てに今、shigeは一生懸命取り組んでいます。
去る1月の5日、一人のアルバイトが退職しました。通信制の高校に通いながら、来年に控えた大学受験の為に本格的に受験勉強をしたい・・との事での退職でした。彼としても退職はしたくないものの、自分の将来の為に頑張って勉強しなければ・・・という事での複雑な心境での退職だったようです。未だ20歳前という若年ながら、社員並みに仕事をバリバリこなしてくれたスーパーアルバイトでした。彼がいたお陰で、私も休みの日も安心して休むことが出来ていました。
しかし、その彼が居なくなっても、お店の営業は容赦なく続いていくわけです。
確かに戦力ダウンは否めないものの、今後は彼に匹敵する人員を育てるという新しい楽しみが増える訳です。どの子を自分の右腕として使うか、そして、将来的にはどこまでスキルを伸ばして上げる事が出来そうかなど、創造は膨らみます。
もちろん、新規での採用にも力を入れています。現在62歳の男性、16歳の女性(というか女の子ですね・・・)2名の採用が決まりました。

③人を育ててスキルアップさせて、適正な人員配置で営業し、
①売上を上げる為のQSCの向上と効果的な販促を実施し
②適正な利益を会社に残す

のが店長に与えられた責務であると心に刻んでいます。

辛い時もありますが、彼らが成長した瞬間を認知した時、ジワリと嬉しさがこみ上げてきて思わずにんまりしてしまう事があります。

だから、飲食はやめられないのかも知れません・・・。