♪ジッコ・ワールドの住人たち♪ 某漫画家のあれこれ

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③こんなに徳のある人と私は結婚してたんだ

2024-02-25 | パパ あなた ツトムくん 奉行 父 じぃじ フジタ 夫…だった人

昨年暮れの天気予報は傘マークでお天気が崩れそうとのことでした

告別式の日も朝から小雨が降っていました

 

フジタは晴れ男だったので 

せめて出棺の時だけでも雨をあがらせてねと 

心の中でフジタにお願いしていました

でももうそんな力はないよね 雨でもいいよねと思ってましたが 

 

告別式が近づくにつれて太陽の光がどんどん差し込みはじめ 

出棺のときには青空さえ見えていました 

そのあと火葬場に行って

再び斎場の駐車場に戻ってきたとたんに 

それまで晴れていた空は一気に曇り空に変わりました 

単なる偶然でしょうが  

ちょっと神がかっているねと息子に言いました

 

 

喉仏もとてもきれいに残っていました

後ろ姿まで仏さまがちゃんと手を合わせて座禅を組んで

座っているように見えました

あれほどしっかり形が残っているのは初めて見ました

こんなに徳のある人と私は結婚してたんだ 

そう思いました

 

 

四十九日の法要の日も朝から小雨模様

この日は納骨まで予定していたので天気がおおいに気になりましたが

礼拝堂の予約を入れた段階で午後の一番遅い時間しか取れなかった

結果 

この日の午前中はお天気がぐずついていて 午後になると雨も止みはじめ

法要が終わり納骨の時には一筋の青空さえ見えだすということに

 

そして次の日には 

墓地のある一帯が雪景色に変わり 都内でも大雪警報が発令された

一日ズレていたら大変なことになっていた

 

 

 

「父って ほんとにたいしたやつだったんだね…」

この世から連れ合いという存在が消えてしまった後で 

私は何度も息子にこうつぶやくことになる

 

 

(息子に対しては 私たちの呼び名は ”父”と”母” だった

他の人に対しては 同じ業界で仕事をしていたことで

”フジタ” ”マエハラ” と夫婦別姓のような呼び名で通っていた)

 

 

 

葬儀は家族葬だったので 

そのあと自宅にたくさんの人が代わるがわる焼香に訪れてくれた

定年になってからもう10年が過ぎようとしてるのに…

予想をはるかに超える人が来てくれて 

それぞれにフジタとの思い出を語ってくれた

 

 

弔電もたくさんいただいたし 

お悔やみの手紙も次から次へと私の手元に届いた 

 

 

私と息子は ふだんは家にいる”父”や”夫”としての

フジタの姿しか見てなかったが こうして次第に 

フジタという一人の人間の全貌が明らかになっていった

 

 

『藤田さんは 

私が大学の授業に出るだけなのを気遣ってくださり 

能楽研究会に誘ってくれました それ以来藤田さんは

かけがえのない友人になりました』(現文のまま)

大学時代の友人からの一文です

 

ああ、フジタらしいな 

私が知らない大学時代もこんな感じだったんだ 

そう思いました

 

 

フジタは中高一貫の学校だったので そのころから60年

を経てなおずっと付き合いのあった仲間が5人

そのうちの葬儀には出なかった一人が自宅に焼香に来てくれました

 

遺影の隣に飾っておいたもう一枚の写真 

プロのカメラマンが撮ったものなので なかなかいい表情を捉えてる 

スーツを来てマイクの前でなにやら語り掛けている それを見て

「これは いつの写真ですか?」と訊くので

「ああ 多分 漫画賞のスピーチの時のだと 局長の時の…」

と答えると 少し間があって…

 

「フジタは 自分の自慢話はしない男だった」 とポツリと呟いた

 

うん それも納得 と私は思った

 

 

 

子どもが小学生だった頃 

広場で子供たちがあつまって草野球をしてた時

フジタがいきなり息子にむかって雷を落としたことがある

あまり運動が得意でなさそうな子にたいして息子が何かを言ったらしい

 

 

「自分より弱い人間をバカにするな!」

「えらそうにするな!」

フジタが父として息子に言い続けた言葉だ

 

 

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