かまきりの冒険(冒険について考える)

2017年08月28日 | 写真

冒険は種の存続にとって必要なのか。多くの生き物が新天地を求めて巣を飛び出す。高いリスクを負ってまで、どうして冒険をするのだろう。この地球上に生命が誕生してから冒険の連鎖によって命を繋いできたと考えても良さそうだ。そう考えれば冒険は必要なこととも思える。冒険はDNAにプログラムされた必要不可欠な生き物の衝動であると。生命学的には子孫繁栄のため、哲学的には生き甲斐のため、脳生理学的にはセロトニンを増やして気分を高揚させるため...? いずれにしても冒険は生き生きと暮らすためには良さそうな効果がありそうだ。よし、私も早速冒険をしてみるぞ!

モデルだった蝶

2017年08月18日 | 写真

この頃のはっきりとしない天気の中、生き物たちはどんな風に暮らしているのか気になって森に出かけてみた。葉っぱの上で羽を休めている蝶に出会った。ヒメアカタテハだと思われる。蝶というとどことなく優雅で大人しい印象だが、こいつは違う。とにかく縄張り意識が強いらしく、そこらじゅうで空中戦をやっていた。しかし不思議なことに私が近づくとサッと葉っぱなどの上に止まってこちらの様子をじっと伺っていた。こちらが動くとサッと飛び上がり、また別の葉っぱに飛び移ってまたこちらをじっと伺う。だからこいつは写真が撮りやすかった。不思議にいつもいい角度で止まりやがる。まるで自慢するかのように羽をゆっくりと広げたり閉じたり。
いや待てよ。もしかすると、こいつは写真を撮って欲しくてポーズを取っているんじゃないだろうか。前世はモデルだったのか...?

幽霊の正体見たり...

2017年08月15日 | 写真

夏になると怪談と相場が決まっている。お化け屋敷が最近流行りらしい。お化けクリエーターやお化け屋敷プロデューサーなる仕事が引っ張りだことのことで、このジャンルのビジネスにどうやら火が付いたようだ。私の子供の頃のお化け屋敷は、唐傘だとかろくろ首などのレガシーお化けばかりで、正直あまり怖くはなかった記憶がある(生意気な少年だった)。しかし最近のお化けは設定作りから恐怖人形まで非常に手が込んでおりリアリティーが高い。妖怪のような非現実的な姿ではなく人間の亡霊を題材としているせいか、お化け屋敷からやっとの思いで出てきても後味がちょっと違うような気がする。何と言うか、心残りな妙な感覚が尾を引く。もしかすると私もお化けビジネスに完全に乗せられてしまった一人なのかも知れない。くわばらくわばら...。

百日紅

2017年08月13日 | 写真

百日紅という名前の由来は、夏の間中100日間咲き続けるかららしい。私が見ているこの百日紅は確かに既に咲き始めてから1か月程度が過ぎたようにとしている。しかし、「さるすべり」という名前の漢字が「百日紅」と書くのはちょっと無理があると思わざるを得ない。調べてみると、和名は「猿滑」とも書くらしい。ならば、いさぎよく「猿滑」と書きたいところだ。以前、「ひゃくじつこう」と読んだらひどく馬鹿にされたことがあった。「これはね、百日紅と書いてさるすべりと読むんだよ、知らないの?」別名で「ひゃくじつこう」とも言うんだゾって心で叫んでた。なんともややこしい木の名前だけれど、このうだるような夏の間中、可愛い濃ピンクの花を咲かし続けるけなげな姿に、なんだか怒りもどこかに行ってしまった。

感動に感謝(富士山)

2017年08月11日 | 写真

霞(かすみ)の中にすっくと立つ富士を見た。世間のたわごとなど意に返さぬ毅然としたその姿に心が洗われる。一生のうち心が本当に清らかになることが何度あるだろう。大自然の中で自分の小ささに気づかされることが何度あるあるだろう。黙ってただそこにあるだけの山だけど、どうしてその山は私の心を動かしてしまうのだろう。この感動が得られることに感謝することしか今の私にはできない。自然はいつも優しい姿ばかりではないけれど、この世の穏やかさの絶頂もまた自然からしか得られないのだ。喧噪の街に下っても心の額にしっかりとこの富士の山の姿を持ち続けていこう。