かたつむりの赤ちゃん

2020年07月15日 | 写真

雨が降り続いている。
これは一体どういうことなのか。
7月も後半に差しかかろうと言うのに、梅雨明けの予報が聞こえてこない。
じとじととした日々が続いている。

新型コロナの感染者数が増加傾向にある。
じめじめとした天気の中で、実に鬱陶しいニュースである。
Go Toキャンペーンなる経済政策が閉会中審査で議論になっている。
しかし、何となく白熱した議論になっていないように感じるのは私だけか。
新型コロナは指定感染症ではなかったのか。
それにしても何かがおかしい。
新型コロナは依然として世界中で蔓延が拡大し続けている。
やっぱり何かがおかしい。

このじめじめの中、近くの山に撮影で入った。
かたつむり君の赤ちゃんと出会った。
私を避けるように葉っぱの裏に逃げようとしていた。
「大丈夫、私はコロナには罹っていないよ」と呟いたが、聞こえなかったようだ。
そのまま、足早に葉の裏に隠れてしまった。
かたつむり君の方が賢いのかも知れないと私は思った。

紫陽花

2020年07月05日 | 写真



梅雨真っただ中である。
雨が止んだつかの間に、紫陽花とカタツムリを探しに出かけた。
残念ながらカタツムリ君には出会わなかったが、満開の紫陽花の撮影ができた。
季節的にはやや終わりの頃か、日の当たる丘の上は最盛期を過ぎていたようだが、日陰の斜面には見事な紫陽花が咲いていた。
ジメジメと気持ちが塞ぎ込む季節ではあるが、私は日本のしっとりとした空気もなかなかに好きだ。紫陽花は、そうした湿気の多い日本の空気感にぴったりと収まりがいい。

しかし、そうした日本の風景も年ごとに少しづつだが変わってきているのかも知れない。
湿気も暑さも適度を求めたいところだが、かつて日本ではこんなに雨が降っただろうか。
毎年のように水害のニュースを目にする機会が増えたような気がする。

しっとりという空気感はもしかすると今の日本には軽すぎる表現になってしまったのかも知れない。亜熱帯性気候のような「ジッとり」か「ベッとり」がぴったりなのか...。

これから本格的な夏である。新型コロナの感染者数がやや増え始めている。
改めて気を引き締めて、この夏を乗り切りたいものである。

ヒメトラハナムグリ

2020年06月05日 | 写真

かわいい。ただただ、かわいい。
ヒメトラハナムグリ。図鑑で調べて名前が分かった。
全身が毛で覆われているから、花粉が体中にびっしりとくっついている。
図鑑によると、花粉を食べているらしい。
花粉を食べさせてもらう代わりに、大量の花粉を体につけて植物の繁殖を助けているのだろうか。
もし、そうだとすると、植物との共存がヒメトラハナムグリの生きる価値になる。
不思議な大自然のシステムの一旦を見た。

スーパーマクロ撮影で裏山に出掛けると時間が経つのを忘れてしまう。
小さな世界に新しい発見があるからだ。

自粛で見出した小さな楽しみである。

河童橋からの風景で思う

2020年06月04日 | 写真

写真は昨年の1月に撮影したもの。
冬の上高地はピリっとした冷気に満たされ、人を容易に近付けない威厳がある。
つい最近、河童橋からのライブ配信を見た。最近の度重なる地震の影響か、明神岳の山肌が一部崩落しているのが見える。
自然のこととは言え、崩れた山肌は痛々しい。穂高へ続くルートも恐らく荒れているに違いない。

山好きの小生としては、本来今頃は登山への往復と写真の編集で忙しい時期なのだが、残念ながら自宅で河童橋のライブ配信を見ている。
登山者がいない河童橋の風景を見ながらふと思った。
都会では緊急事態宣言が解除され、再び「密」の状態が戻ってきている。経済活動の再開も大切なことだが、ウィルスとの闘いも手を緩めることはできない。
バランス感覚を持った難しい判断を突き付けられている。
しかし、私達が生きてきた社会は、本当に災害に強い社会作りをしてきたのだろうか。
たまたま災害の少ない時期に運よく廻り合わせただけに過ぎないのではないか。
そんな平和な時期に構築した経済や社会システムなんか、不測の災害には極めて脆弱なのは自明の理であろう。
地震、水害、強風、ウィルスなど人類の生活を脅かす多くの障害を想定して、今一度あらゆるところを点検し、災害に強い社会に作り直す必要があるのでないか。

北アルプスの山群と比較すると人間なんて大河の一滴にしか過ぎない存在だが、目に見えないウィルスで右往左往している人類の姿を山の神はどののように見ているのだろう。
ライブ配信で物言わぬ穂高の姿を見ながら、いま無性に現地で山の神の声を聞いてみたくなった。

カエルの独り言

2020年05月24日 | 写真

カエルのことわざを挙げてみるとこんな感じ。

井の中の蛙大海を知らず
蛙の子は蛙
蛙の面に水
蛇に睨まれた蛙

などなど、まだまだあるが、どれも、カエルを絶賛したようなことわざは残念ながら見当たらない。
その中で一つ気になることわざがある。

春は蛙が目を借りる

春にすぐ眠くなるのは、蛙に目を借りられるからだというところからきたそうで、春は眠たい時期だということ。
緊急事態宣言も全国的に解除になりそうだが、この時期、いわゆる五月晴れの陽気に誘われて、一気に自粛ムードがすっ飛んでしまわないか、少しばかり心配である。

今日出会ったカエルちゃんは、体を丸めて眠そうに薄目を開けてこっちを見ていた。
人間世界の右往左往ぶりを鼻で笑うように、「俺みたいに、もう暫くジッとしてりゃいいのに…」って呟いたのが聞こえた。