楓荘日記

米女優サンドラ・ブロックの情報を中心に、洋画、日米ドラマ、本など、思いつくまま書いていきます。

鍵は必ず何かを開ける

2012-02-25 00:31:54 | 映画感想

 「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の感想、前回はネタバレを避けて全体的な感想をちらっと書きました。今回もネタバレにならないように気をつけながら、もう少し突っ込んだ感想を書きたいと思います。

 感想その1はこちら: http://blog.goo.ne.jp/serenity27/e/b10467961738c5d8eaea783aca01d9f1

 公開初日の18日に観て、また22日に観てきました。どちらもほぼ満席で気持ちがよかったです。それに、すすり泣きを鎮めるためか、エンドクレジットで席を立つ人が少なかったように思います。そしてまた今日24日にも観てきました。今日は金曜日の午後ということで、観客は少なかったです。最初に試写会で観たので、計4回の鑑賞となりました。

 この映画はちょっと残酷です。「残酷」というのは、暴力的な残酷さではなく、観終わったあとで残る余韻が長いうえに、ふとしたときに突然蘇ったりするからです。不条理な父の死を受け入れられなかったオスカーが辿る旅が、自分のこれまでのさまざまな経験に重なって追体験として迫ってくる気がします。振り払いたいのに振り払えず、いつまでもそばにいる。それが私にとっての「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」ということなのかもしれません。

 初めて観たとき、私はトム・ハンクスにそれほど強く惹かれませんでした。それは彼が演じるパパがあまりにも俳優トム・ハンクスから受ける印象と似通っていたせいだと思うのですが、回を重なるごとに、そのまさに「トム・ハンクス」という人が一発で観客に与えるインパクトが、オスカーの父に対する感情を理解するうえで大事なのだと分かってきました。それはもちろん、監督がインタビューなどですでに「オスカーにとっては理想のパパなので、トム・ハンクス以外には考えられなかった」と言っていたので頭では理解していたのですが、それがほんとうに大事な要素かどうかを感じ取るのに少し時間がかかりました。オスカーとパパの特別な絆は最初のほうで明確にならなければならず、それはとても効果的だったと思います。それが感じられないと、その後のオスカーの鍵穴探しが説得力をもたないからです。

 そして、もうひとつ重要なのが、オスカーは9/11のためにいろんな問題を抱えるようになったわけではなく、もともと社会適応に問題があったという点。だからこそ、パパとの特殊な絆、ママが一歩退いて見守っていた理由が納得できるのです。ただ、その母親との関係が希薄であるという点は、もう少し描いておいてほしかったなあと思います。

 その母親を演じたサンディーはうまく強さを消していると思います。最初に観たときは、原作から受ける印象よりも出番が多いので、これ以上出番があるとストーリーを壊してしまうと思ったのですが、今では、やはりもう少し伏線として出てほしかった気がしています。それがあれば、終盤のエピソードがもっと生きた気がするし、母親の再生の旅としての意味も深まったのではないかと思うのです。

 この映画は子供の視点で描かれているわけですが、1シーンだけ、それが母親の回想になります。そこはとても切なくていいシーンで、サンディーの見せ場でもあり、そのシーンだけ考えるととてもいいのですが、映画全体の中で考えると、ちょっと違和感はありますね。残してほしいシーンではあるけれど、子供の視点で徹底してほしかった気もします。

 日本での宣伝では「喪失と再生」というのが大々的に謳われています。オスカーは決して父の死にまつわる不条理を納得したわけではないけれど、自分だけの喪失感にがんじがらめになっていたのが、鍵穴探しの過程でほかの人々のさまざまな悲しみに触れるなかで、陳腐な言い方ですが精神的に成長する。前回書いたように、エリック・ロスの脚本には少し強引さが感じられ、エンディングはうまくまとめすぎた気もしますが、それでも、そこには希望があります。大人なら、「答えが見つからなくても仕方がない」で無理やり自分を納得させて前に進むようなことでも、オスカーはひとつの手順を踏まなければ前に進めない。それを許した母親や祖母、間借り人、そしてブラックさんたちの寛容さは、私たちがもっと持たなければならないものではないかと思いました。

 次回は、原作との比較で感想を書いてみようと思います。


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