4月4日は孫二人の誕生日です。上は今年から高校へ
下は小3になります。上の子は学校も決まりの~んびり
していますが 小3になる子は 毎日学童に通って元気
いっぱいです。今日は孫たちの為に外食は出来ないのでお家で誕生会です。
桜も満開ですが 出かけることが出来ないので 富士山の写真を
撮っているお客様の写真を拝借! 富士宮市 興徳時の桜です。
「仰ぎ見るさくらと富士と青い空」
どうぞご覧ください。 絶景ですね~
ケーキも桜色! でした。 奇しくも4日が二人の誕生日です!
4月4日は孫二人の誕生日です。上は今年から高校へ
下は小3になります。上の子は学校も決まりの~んびり
していますが 小3になる子は 毎日学童に通って元気
いっぱいです。今日は孫たちの為に外食は出来ないのでお家で誕生会です。
桜も満開ですが 出かけることが出来ないので 富士山の写真を
撮っているお客様の写真を拝借! 富士宮市 興徳時の桜です。
「仰ぎ見るさくらと富士と青い空」
どうぞご覧ください。 絶景ですね~
ケーキも桜色! でした。 奇しくも4日が二人の誕生日です!
2020年もスタート! 25日は私の誕生日で81歳になりました。
「うれしくもあり嬉しくもなし年はとり」!
誰かさんに「ボ~と生きてるんじゃないよ~」と
叱られそうだが! 80を過ぎればいつお迎えが来てもいいように
しておかなければ! と 終活を始めている。 が
なかなか進まない。のも現実!
みなさんに絵手紙をいただいて まだまだこれから?
思い直したり? 皆さんありがとうございました。
子供たちから 風邪に弱いので風邪をひかないようにと
ヒートテックの物を・・・お陰で今冬風邪知らず! で
このまま乗り切りたいと思います。
コロナウイルスも心配ですが? 各地でイベントの中止が!
早く 収まりますように!
P.Cが不調で買い替えか?
年末に長兄が亡くなった。との知らせが来た。
遠くにいると親の死に目に会えないとよく言われていたが・・・
一昨年 同級会で帰った時に会っていたので今回は年末でもあり
帰れなかった。春にでも帰ろうと思っているが・・・
母は98歳 父は84歳 長兄は96歳と長生きの方ではある?
親父がシベリア抑留で帰りが遅かったので 戦後の混乱期を父親
代わりで頑張ってくれた。いい先輩でもあった。
「まるでもう微笑み返すような顔極楽行きを信じ安らふ」
冥福を祈る! 合掌
更生保護制度施行70周年記念式典の全国大会が天皇皇后両陛下参列の中
有楽町の会館で11月に行われた。
続いて東京大会が府中の森会館で そして多摩大会が12月6日立川で開催
表彰者は 名前を呼ばれて壇上に!
最後の会場で 賞状と記念品(輪島塗の鶴)を頂いたそうな
私の目から見ても いろんな人に向き合いながら よくやったと思う!
(全国大会は会場の撮影禁止だった)
「駅ピアノ流してくれる今日の汗」
ねぎらって上げたい。
今日は雨 孫たちの新学期は9月2日から! 孫たちは最後の
夏休みを楽しみにサマーランドへ行った。 あそこは屋内プール
なので雨でも楽しめるのでいいところだ。子ども達が小学生の頃
はよく出かけたが・・・
「絵日記はサマーランドの水しぶき」
「友を待つ君の笑顔とバンガロー」
見守り隊は28日から活動開始! 市内でも学校によって
始業式がまちまちである。
消防署での写生会で 2年生の孫の絵が優秀賞を頂
き 今月29日まで 市役所ロビーに飾られている。
みんな丁寧に良く描けていると思うが 消防車だけで
なく孫のは人物が描かれているのが良かったのか?
「消防の仕事も車も丁寧に」
素直にうれしい! ものである。
4日の日曜日から一年生の孫が寒い寒いを連発していたが?
やはり風邪を引いたらしく 月曜日は熱が下がらずお休みした。
ぱぱもママも居ない日だったので じぃじとばぁばで一年生の孫の
面倒を見るはめに! 病院へ行き薬をもらい 少し休んだら もう
じっとしてはいない! すぐに動き始めた。熱も下がったので一安心!
大事に至らずよかった。
「寒い日は暖かくして風邪用心」
「ご用心風邪は万病引き起こす」
寒くなって来ました! みなさん ご用心!
下の孫が一年生! に なった。
新入生代表に選ばれ 大きな声で返事が出来 演壇の上でも
ゆったりとした動きで 堂々と記念品を受け取ったという。
もうすぐ一ヶ月 給食も初まり友達も出来て嬉々としている。
「つぎつぎとハードル越える孫七つ」
次は何に挑戦だ〜
杖立て温泉の鯉のぼり
今日は家族で川遊びに出かけた。何が釣れるかな〜?
みなさんにいい日でありますように!
手術も無事に終わり 翌日の昼頃にはICセンターから病室へ移りました。しかし
水一つ飲むのも看護婦さんを呼んで取ってもらわなければ出来なかったようです。
看護婦さん達は若い方が多くて どんなお願いにも 明るく笑顔で患者さんに接している姿は
見ていてとても清々しく どれだけ癒されたか! 本当に感謝に堪えません。女神ですよ!
時間で次々と人は変わっては行きますが みなさん笑顔でテキパキと仕事をこなしている姿は
本当に素敵でした。ありがとうございました! 本当にお世話になりました。
[看護婦の明るい笑顔に励まされ」
2日目 3日目と少しづつ身体も動かせるようになって来ました。食事も点滴からスープへ
スープからお粥へ・・・一週間目には普通のご飯が出るようになっていました。
入院中は 娘が毎日洗濯物や食べたい物を聞いて持って行きました。
何でも食べて良いと許可をいただいていましたので!
「病室で食べるご飯の味気なさ」
「味が無い舌の痺れかむなしさか」
気持ちの面もあり 娘も 夕食は毎日コンビニの弁当を病室で一緒に食べていたようです。
8時の面会時間切れるまでいて 帰る毎日でしたので家に着くのは10時頃になっていたようです。
その間 私も 一人で夕食をとり風呂に入り(携帯を持って)娘の帰りを待ちましたが一人暮らしの
方の気持ちも実感しました。
気がかりな事もありました。 S医師は毎日病室へ朝と夕方見えて患者さんを励ましていましたが
2~3日入院した方がそのまま帰られたり 隣の方はもう一度開いてみましょう!と 云うような
話も聞こえました。(先生の声は良く通る声でした)
後で看護婦さんに聞いたところ 手術出来ない方や 術後の傷口が良くない方もいたようです。
カミさんの方は 順調です! 後は術後の胆管の接続が定着すれば 大丈夫! 前と同じに何でも
出来ますよ。 何を食べてもいいし 今まで通り普通に生活出来ます。 当分は激しい運動や傷口に
負担のかかるような事は避けて下さい。それだけです!
「前よりも明るい笑顔回復期」
先生に後光が射しているようで神様に見えましたよ! 本当!
さて 退院のときも近づいて 治療費の事も気になりましたが 今 高齢者は負担限度額だけの
支払いで良いと云う事で 手続きもしなくて良く大変助かりました。
一か月のカミさんの入院生活に付き合いながら 様々な人間模様もあり 一つとして同じ症例はない
病院の一日は とてつもなく忙しく時間の制約もある中で 医師達は少しでも患者の痛みを和らげて
あげようと奮闘していました。現代医学の進歩にはオドロキのことばかりでしたが 人への対応は
医学のチカラでも出来ない やはり人の心でしか癒されない物でもありました。これから
必ず定期検診を受けるようにしようと思い!
おかしいと思ったら少しでも早く受診する事!
病気になってしまったら専門医に託す事!
教えられた事は 数多く大変役に立ちました。 若い方には献血がオススメです!
血液検査もしてくれますので自分の身体の状態が早く解るし 年に何回か献血すれば安心ですよ。
思えば 何も解らず 悶々としていた11月から 病名が判明してから とんとんと進んで行き
お陰さまで 無事に手術退院となりました。今回の事で命拾いしたようなカミさんも 午前中は
店にも出られるようになりました。
この度
帝京大学医学部付属病院(板橋キャンパス)の方々には 大変御世話になりました。
ありがとうございました。
担当の佐野先生 大変ありがとうございました。看護婦さん達にも大変御世話になりました。
ありがとうございました。 感謝の気持ちをこめて!
あッ・・・ 息子の一言?ですか・・・
「何か解らなかったところを見つけてもらったのだから 先生にお任せした方がいい」 と!
長女も 住まいが近い事もあって毎日顔を出してくれました。お陰で助かりました。
ありがとう!
今は 病院内や行政に セカンドオピニオン制度というのがあります。
病気に関する疑問や情報を教えてくれる制度で 今貴重な存在になってきています。
本人や家族の いろんな悩みや不安に的確に答えを出す! 患者の不安を取り除き前向きになれる!
ようにしてくれる。T医師も勧めてくれましたが 私たちは受けておりません。それは
T医師の説明は とても解りやすく なぜか信頼出来るものでした。 治療の事 病院の事
手術の事 何を聞いても 的確に瞬時に答えが出てきました。 手術は大変難しい所なので
専門医にまかせるのが良いこと、 年間の事例でT大学のS医師が一番信頼出来ること 等々
私たちではわからない情報も教えてもらう事ができました。
T大学のS医師は(病院の実力等いつもトップに出る人) その後の新聞の記事等で知りました。
その場で S医師に電話で連絡してもらう事が出来 一週間後の12月25日に予約も取る事が出来ました。
T医師も S医師も偶然金曜日が外来の診療日でしたので・・・
それから 病院の場所や 道路の確認 駐車場の確認等いろいろ調べたり準備に追われましたが 本人は
何の症状も無いので その頃には気持ちも落ち着いて普通に生活し お店も年賀状の作製等で忙しく仕事に
追われている日々が続きました。 何も解らなければ 不安や恐怖はつのるばかり 想った事はなんでも
聞いてみると 落ち着ける物だと云う事も知りました。
そして12月25日 T大学医学部付属病院へ向かいました・・・
内科の担当の医師にもいろいろやってもらいましたが 念のためと 外科のT医師に画像を
診てもらいましょう と いうことになり 又1週間後に病院へ・・・12月18日になっていました。
T医師の判断は的確で 造影剤によるC T画像とMRI画像により 左の肝臓の胆管が詰まっていることが
判明したのです。
肝臓で作られる胆汁を 十二指腸に運ぶ大事な管が片方完全に詰まっており その胆汁が血液の中へ入って
きて異常数値となっていたのでした。「病名は胆管がん」右の肝臓は働いているので症状はまったく無い
のですが このまま放置すれば 黄疸が出始め尿にも異変が出始める。との事。
最初の健診から2ヶ月が過ぎており 余命は半年~一年という宣告を受けました。
今は本人に直接告知するのですね!(病院にもよるのか?) いきなりがんです! 余命半年~・・・
カミさんも気の強い方ですが・・・一時はがっくりと来ているようでした。 なんで私に・・・と
想うのは自然な感情だとおもいます。告知のストレスも大きいものでした。
9人兄妹の8番目で 兄妹に誰もがん患者はでていないし 私の方の家族も同じでなんで~?
治療方法は 今なら手術で切除出来るものであるが 出来るだけ早い方が良い。手術をしない場合は
抗がん剤&放射線治療になるが がんの進行を抑えるだけで駆除するものではない。 これから黄疸や
尿の変色等出て 体力の消耗も大きく延命の期間は不明で神様しか解らない。と云う事でした。 今
手術による切除ができれば その後の抗がん剤治療は不要になる。平均寿命までは大丈夫!でしょう!
と医師はいうのですが!
手術出来るかどうかの ギリギリの状態まで来ているようでした。 しかし2人とも大きな
病気は今までなかったので 手術は本当に可能なのか? がんは全部取れるのか? 費用は?再発は
転移は合併症は? どうか 等々 何を聞いたのか良く覚えていない状況でした! もし手術をするなら
T大学 K大学の付属病院と日赤病院が良いと云われましたが 通院の事もあり 近くで出来る所は無いか
どうか? いろいろ家族で相談しながらどうするかネットでも情報を集めて話合いましたが・・・
そして
医師から
いきなり 「癌があります 余命は6ヶ月」 ・・・と
宣告されたら・・・? 貴方はどうするでしょうか?
がんの告知後一週間以内の自殺率は 12倍!
心疾患による死亡も5倍に増えるという大学の研究があるそうです。経緯にもよるが
告知により ひどくショックを受けて「何かの間違いではないか?「なんで私が? と
考えてしまうのは 自然な感情でしょう。 神様だけしか知らぬこと? とはいえ
病気はどの位進んでいるのか? はたして治るのか? 治療費は? 等々
必死に情報を集めても 不安や怖さはつのるばかり! 今では患者に直接がんの告知も
するのですね。 以前は家族に先に話したように聞いていましたが?
がんと どう向き合い 必要な情報をどう入手すればよいのか?
最近は 病院にも 行政にも相談センターが設置されているので とにかく解らない事は
良く話を聞いて 前向きになることが一番大事だと感じました。
病気のこと 治療のこと 手術のメリット デメリット! これからどの位
生きることが出来るのか? 神様しかわかりがせんが? 費用のことも?
担当の医師が一番の情報源であることは言うまでもありません。 今回カミさんの
診察に付き合いながら 出来れば先輩患者さんにも話が聞ければ 尚 いいのでは と・・・
私は感じました。
いいも悪いも 自分もやってみよう と いう気持ちになることが一番大事であると思いました。 が
人は「隠していたい」 と 思うことも自然な感情ではないでしょうか?
「痛くなし痒くもないが癌がある」 何も症状がないというのも不思議な事ですが?
カミさんも 今の所は順調のようですが これからどうなって行くのか! 再発はどうか?
私は 何か一つでもみなさんの役にたてればと・・・経過を残しておこうと思いました。
これからの「もしも」! のために・・・