ぐうたらさせてよ!(安寝の日記)

日常/演劇/宝塚/SMAP

単調になったらお仕舞いだ。

戯曲と小説。

2004年11月11日 23時10分31秒 | Weblog
まだ風邪が治りません。
咳をする度に、鉄の味が・・・(怖)




さて、私自身、どこで書いたか度忘れして検索できずにいるのですが…。
(一個一個調べる時間は無いようだ)
ある記事でわどさんがコメントしてくださった
ことがあります。
それは、小説と戯曲の違い。

また加筆するかもしれませんが、とりあえず今の私の考えを。

◆定義付け。

私にとって、小説とは
「文字と紙を媒体にした、読者の想像力に頼った表現方法」
と、簡単に言うとそう思ってます。
想像力に頼ると言っても、作者の筆力が無いと上手く想像など
出来ないですが・・・。
そして戯曲は、
「言葉(文字)と紙を媒体にして、(演劇にする・しないに関わらず)
読み手(読者)の想像力によって構築する表現方法」
だと考えます。
ただ、この場合の戯曲は、テレビドラマや映画などの映像表現を含みません。
テレビドラマなどのシナリオの場合、アップにする場所、役者の表情まで詳しく
指示されているので。
ちょっと分かりづらいですね。
次で、詳しく論じて(?)みたいと思います。

◆比べてみる。

小説と戯曲は文字(言葉)と紙を媒体にする点で、とてもよく似通っています。
そして、起承転結の物語がある点も同様。
何が、どこが違うのか。

小説は、大体主人公やその周辺人物の心の動きや、行動を中心に
地の文を使用して詳しく描写しています。
(例:恵里子は言い知れぬ予感に震えた。ああ、あそこにあの人がいる。
夢にまで見たあの人が。思い続けた彼女の心は、今にも駆け出していきそうだった。)

戯曲は、主に場面場面で何があるかが重要。
一場面ごとに、起承転結があることも特徴でしょう。
(明確な起承転結の形ではありませんが、戯曲の場合、テレビドラマなどのように
場面が極端に切り替わったりしないため)
小説の地の文の代わりに、「ト書き」によって状況説明がされます。
そこでは、軽く登場人物の感情も表現されますが、多くは読み手(演じ手)の判断に
委ねられます。
(例:明 「…花火、見に行こう。」
   明、土手に向かって歩き出す。美香、やや笑って上手から明に駆け寄る。)

また、小説はテレビドラマや映画などの映像表現のように、
作者の意のままに場所移動が出来るというメリットがあります。
対して戯曲は、場面転換を多くすると、読み手が混乱し、内容が煩雑になるので、
一場面ごとに起こった事件(というほどでもない瑣末なことでも)の解決が
必要なのです。
そしてその場面を上手く繋ぎ合わせることによって、
物語を構築しています。

他に、小説は文芸・文学としてカテゴライズされますが、
戯曲は文学、アートの両方にカテゴライズすることができます。
少し大きな本屋に行くと、古い劇作家の作品が、文学コーナーに分類されていたり、
同時に、演劇コーナーに入っていたりするのが分かります。

このような違いがありますが、図書化された小説・戯曲は読者にとっては
そう違いは無いでしょう。

でも戯曲の、小説との決定的な違いは、「演劇化」出来る事でしょう。
どんな小説でも、一度戯曲にしなければ演劇化することは出来ません。
物語を場割りし、ト書きで説明しなければならないのです。
当然、小説そのままでは無理な表現は、演劇の言葉(表現)に直されます。
そして、演劇化すると言う事が、つまり人の体で表現することが、
戯曲を文学ではなく、完全にアートの分類に切り離してしまうことになります。
なので、厳密には「演劇化された戯曲」と小説を同じ舞台で論じるのは、
少しずれているかもしれません。

◆とりあえずのまとめ。

最終的に、小説と戯曲は同じ根っ子を持った兄弟ですが、決して双子ではないと
言うことです。
似たところはありますが、その表現は違い、
小説が内なる想像によって物語を作るなら、戯曲は内なる想像の物語を
他人と共有するため(=演劇化する)のものなのではないかと私は考えます。

今のところ、私はこのような考えの元、舞台戯曲(きじょうのくうろん、と読む)を
書いています。
ただ、また長ずるに於いて考え方が変わるかもしれません。
このことについてはまた考えてみようと思っています。
長々とありがとうございました。