2020年4月23日 緊急事態宣言・発令下を田舎の山々 「三草山ハイキング」 に出掛ける・・・!
現時点は全国内に 『緊急事態宣言・発令中』 であり ・・・ 、毎日が “読書か?!・絵筆を握っているか!?の 巣ごもり状態 、たまに出歩くのは自家菜園の野菜作りだけ” ・・・そのような中、親友のFuさんが月例登山で 「三草山登山へ」 行く!と聞き ・・・ それでは、吾輩も マイカー運転で「加東市」 の現地に、 “ 登山中にも出会えるかな?” ・・・ と出掛ける!
本日は「山口登山口」を出発し、「炭焼窯跡古道コース」から「頂上」へ「三草コース」を下る (青線の矢印) を歩く <コースガイドマップは引用>
既に、駐車場にはハイカーの車が陣取っていた! 山口登山口(駐車場)には 「三草山登山コースイラストマップ」 がある・・・
<9:52> ここ駐車場には水洗トイレも完備デス! ・・・ Fuさんと合流 さぁースタートだ! 池畔には 「昭和池(昭和9年・築)」 の記念碑がある・・・
県下一の貯水量を誇る 「昭和池」 だ! 「炭焼窯跡古道コース」 を歩く・・・
<10:39> 「ポイントNo1」 を通過! あったよ! 「炭焼窯跡」 だ!
<10:45>「ポイントNo2」 を通過! 枯れ川をジグザグに渡り登る!
2つ目の 「炭焼窯跡」 だ! おっと! ・・・ コケ岩の上はスベルよ!
ここにもあったよ!・・・ 「炭焼窯跡」 だ! <11:09> 「三草古道コース」 と分岐だ!が、炭焼窯跡古道コースを歩く・・・
<11:16>「ポイントNo4」 5っ目の 「炭焼窯跡」 だ! <11:32> 「ポイントNo5」 を通過!
<11:38> オォー・・・ 「鹿野コース」 に合流、山頂はもうスグだな! “オッ! ・・・ 尾根路の「鹿野コース」に出たか!” の声
ヤマツツジ咲く! <11:55> 山頂に着く!、まず「三草山神社」に参拝!
気分爽快 ・・・ Fuさん! 疲労感が漂う ・・・ 吾輩デス!
「三草山城址」 ・・・ この山は「源平・三草合戦」あとでもある! 「方位盤」 南方向には、遠くに 「雄・雌岡山」 が見える!・・・ 家族ずれで和む頂上のひと時!
西方向の播州平野 ・・・ 眼下に 「昭和池」 が見える! 「方位盤」 東方向には 西国25番札所 播州清水寺の「清水山」 あり、 ・・・ さぁー昼食だよ!
「三草山城址」 注、銘板記載の史記は末尾(※)にあり 「萬物流轉・温故知新」
<12:50> 下山、三草コース ・・・ 「ポイントNo9」 通過! <13:08> 「ポイントNo7」 通過!
あのピーク越えると駐車場へたどり着く・・・ 振り返って 「三草山」 だ!
<13:17> 三草コースの中間点だ ・・・ 「山口登山口」 まで1.2Kmだ! 眼前に 「数曽寺山塊」 ・・・ 次回に登ってみよう!
<13:37> 「ポイントNo3」 まで下ってきたよ ・・・ だれか登ってきたよ ・・・ よけて待とう!
<13:46> 「ポイントNo1」 三草古道コースに合流だ! 頂上から下ってきた ・・・ あと少しで 「山口登山口」 だ!
<13:57> 「山口登山口」に無事下山だ! 「三草山」 の情報が新聞に掲載された?!
本日、登行の 「YAMAP」 データデス!
注、「三草山城址」の史記銘文 (記載原文)
三草山は播磨平野の北東隅にあり、山麓をはしる街道は、古くから、播磨と丹波を結ぶ京の都への要路であった。寿永三年二月平家追討のため源九郎義経が率いる一万余騎は丹波小野原の里に布陣し夜半、民家や山野に火を放ち、三草三里の山中を駆け抜け、一挙に平家の陣に突入した、三草山の西の山口に陣取る小松三位中将資盛・左中将有盛など平家一門七千余騎は、不意の夜討ちに弓矢を取るいとまもなく、もろくも屋島をさして敗走していった。これが世にいう「三草合戦」と、「平家物語」などの伝えるところである。
その後、建武三年、赤松出羽守則友がこの地に山城を築いた、嘉吉元年の騒乱のとき、三草口に赤松方の将宇野能登守国祐が配置され、また「嘉吉の乱」の後にも、赤松満政、則尚が三草城で山名方の軍勢と一戦を交えて敗れたことなど三草山にまつわる歴戦の史である。 (以下省略)
※ 新型コロナの感染拡大・猛威に収束気配が見えないところが怖い!、怯えだしている高齢者は吾輩だけではないだろう ・・・ 外出自粛下の “巣ごもり” も時には解放感に身を置きたい!と山登りへ単独行動、事前情報通り現地でFuさんと出会っての楽しいハイキングだった
※ 6月上旬には、鳥取県の「大山」に登ろうとの計画も実行は出来るか? ・・・ 新型コロナウイルス拡大の影響次第だろうな?!
現時点は全国内に 『緊急事態宣言・発令中』 であり ・・・ 、毎日が “読書か?!・絵筆を握っているか!?の 巣ごもり状態 、たまに出歩くのは自家菜園の野菜作りだけ” ・・・そのような中、親友のFuさんが月例登山で 「三草山登山へ」 行く!と聞き ・・・ それでは、吾輩も マイカー運転で「加東市」 の現地に、 “ 登山中にも出会えるかな?” ・・・ と出掛ける!
本日は「山口登山口」を出発し、「炭焼窯跡古道コース」から「頂上」へ「三草コース」を下る (青線の矢印) を歩く <コースガイドマップは引用>
既に、駐車場にはハイカーの車が陣取っていた! 山口登山口(駐車場)には 「三草山登山コースイラストマップ」 がある・・・
<9:52> ここ駐車場には水洗トイレも完備デス! ・・・ Fuさんと合流 さぁースタートだ! 池畔には 「昭和池(昭和9年・築)」 の記念碑がある・・・
県下一の貯水量を誇る 「昭和池」 だ! 「炭焼窯跡古道コース」 を歩く・・・
<10:39> 「ポイントNo1」 を通過! あったよ! 「炭焼窯跡」 だ!
<10:45>「ポイントNo2」 を通過! 枯れ川をジグザグに渡り登る!
2つ目の 「炭焼窯跡」 だ! おっと! ・・・ コケ岩の上はスベルよ!
ここにもあったよ!・・・ 「炭焼窯跡」 だ! <11:09> 「三草古道コース」 と分岐だ!が、炭焼窯跡古道コースを歩く・・・
<11:16>「ポイントNo4」 5っ目の 「炭焼窯跡」 だ! <11:32> 「ポイントNo5」 を通過!
<11:38> オォー・・・ 「鹿野コース」 に合流、山頂はもうスグだな! “オッ! ・・・ 尾根路の「鹿野コース」に出たか!” の声
ヤマツツジ咲く! <11:55> 山頂に着く!、まず「三草山神社」に参拝!
気分爽快 ・・・ Fuさん! 疲労感が漂う ・・・ 吾輩デス!
「三草山城址」 ・・・ この山は「源平・三草合戦」あとでもある! 「方位盤」 南方向には、遠くに 「雄・雌岡山」 が見える!・・・ 家族ずれで和む頂上のひと時!
西方向の播州平野 ・・・ 眼下に 「昭和池」 が見える! 「方位盤」 東方向には 西国25番札所 播州清水寺の「清水山」 あり、 ・・・ さぁー昼食だよ!
「三草山城址」 注、銘板記載の史記は末尾(※)にあり 「萬物流轉・温故知新」
<12:50> 下山、三草コース ・・・ 「ポイントNo9」 通過! <13:08> 「ポイントNo7」 通過!
あのピーク越えると駐車場へたどり着く・・・ 振り返って 「三草山」 だ!
<13:17> 三草コースの中間点だ ・・・ 「山口登山口」 まで1.2Kmだ! 眼前に 「数曽寺山塊」 ・・・ 次回に登ってみよう!
<13:37> 「ポイントNo3」 まで下ってきたよ ・・・ だれか登ってきたよ ・・・ よけて待とう!
<13:46> 「ポイントNo1」 三草古道コースに合流だ! 頂上から下ってきた ・・・ あと少しで 「山口登山口」 だ!
<13:57> 「山口登山口」に無事下山だ! 「三草山」 の情報が新聞に掲載された?!
本日、登行の 「YAMAP」 データデス!
注、「三草山城址」の史記銘文 (記載原文)
三草山は播磨平野の北東隅にあり、山麓をはしる街道は、古くから、播磨と丹波を結ぶ京の都への要路であった。寿永三年二月平家追討のため源九郎義経が率いる一万余騎は丹波小野原の里に布陣し夜半、民家や山野に火を放ち、三草三里の山中を駆け抜け、一挙に平家の陣に突入した、三草山の西の山口に陣取る小松三位中将資盛・左中将有盛など平家一門七千余騎は、不意の夜討ちに弓矢を取るいとまもなく、もろくも屋島をさして敗走していった。これが世にいう「三草合戦」と、「平家物語」などの伝えるところである。
その後、建武三年、赤松出羽守則友がこの地に山城を築いた、嘉吉元年の騒乱のとき、三草口に赤松方の将宇野能登守国祐が配置され、また「嘉吉の乱」の後にも、赤松満政、則尚が三草城で山名方の軍勢と一戦を交えて敗れたことなど三草山にまつわる歴戦の史である。 (以下省略)
※ 新型コロナの感染拡大・猛威に収束気配が見えないところが怖い!、怯えだしている高齢者は吾輩だけではないだろう ・・・ 外出自粛下の “巣ごもり” も時には解放感に身を置きたい!と山登りへ単独行動、事前情報通り現地でFuさんと出会っての楽しいハイキングだった
※ 6月上旬には、鳥取県の「大山」に登ろうとの計画も実行は出来るか? ・・・ 新型コロナウイルス拡大の影響次第だろうな?!