<考え>も「視力」と同じだ。
<自分の視力以上>は見ることができないように、<自分の考えの次元>以上は見ることができず、感じることができず、悟ることができない。
<考えの次元>を上げるためには、毎日祈って、御言葉どおりに行ないつつ、御言葉を貴重に思って、挑戦しなければならない。
<母国語>も<外国語>も自分が学んだとおりに、自分の水準と次元どおりにだけ読んで分かるように、<神様が創造なさったもの>も、<神様の御言葉>も、<神様の歴史>も、自分が学んだ分だけ、自分が知っている分だけ、自分の考えの次元だけ、見て感じて悟って行なう。
いくら<目>に見えても、「自分の視力」がよくなければ、それ以上見ることができない。
これと同じく、<考えの視力>、すなわち<考えの次元>が低ければ、それ以上のものはまったく見ることができず、感じることができない。
<考えの次元>が高くあってこそ、「貴重な御言葉」ももらい、悟り、行なう。