<考え>は「人間の考え」と通じ、「三位の考え」とも通じる。
電話機では「通話」でのみ通じて会うのであって、「相手の肉体」と自分の体が触れて、握手し、会うことはできない。
<体>があってはじめて「体」と通じる。
<体>が近くにいないときは、<心と考え>で互いに通じる。
これと同じく、<魂>も「魂」同士でだけ通じる。
<霊>は「霊」同士でだけ通じる。
<肉>は魂も、霊も、天使も見ることができず、触ることができない。
だから<自分の心と考え>で通じようとしてはじめて通じるようになる。
天使や、主の魂や霊、御子と聖霊様がそばにいらっしゃっても、<肉>は見ることができず、感じることができない。
しかし<自分の考え>を通して感じたり、<自分の魂>を通して見たりする。
<自分の肉>をもってどのように神様、聖霊様、御子と通じるだろうか。
第一段階、考えながら「考えの次元」で通じ、第二段階、深く祈って自分の魂をもって「魂の次元」で通じ、第三段階、もっと深く入って自分の霊を通して「霊の次元」で通じる。
<肉、魂、霊>は互いに「相手」になるもので通じる。
このことを分かってこそ「三位一体」と通じ、「主の魂と霊」と通じ、相手の「魂と霊」と通じ、自分の「魂と霊」と通じる。