晴嵐改の生存確認ブログ

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

コピーワンス問題に思うこと

2007年07月26日 | 時事
コピー回数の変更だけでコピーワンス問題は解決できない(AV Watch)

「1世代コピー9th」では誰も幸せになれない(ITmedia)

先日の本田雅一さんと小寺信良さんのコラムで、地上波デジタル放送のコピーワンス問題が取り上げられていました。
地デジの今後を考える上で、とても示唆深い意見だと思います。

地デジのコピーワンスは色々と物議を醸してきた(と思われる)話題で、今後のテレビ放送の在り方を左右しかねない問題を孕んでいるわけですが。
それにしても、ハード屋さんとソフト屋さんがこんなに対立していて大丈夫なのかと心配すると同時に、結局のところ誰のためのテレビなんだろう?という気もします。
著作権保護の重要性は理解しているつもりですが、そうは言ってもコンテンツが消費されなければ、権利者へのリターンも発生しないわけで……。

コピーガードで雁字搦めにすれば、利権が守られる。という構図は単純でわかりやすいですけど、今やテレビは数ある娯楽のひとつに他ならず、あまり制限を掛けすぎるとユーザーから敬遠されるという状況にもなりかねないのではないか、と要らぬ懸念を抱いてしまいます。
BDやHD-DVDの映像ソフトもどんどん出てきてますし、ゲーム機もHD出力に対応したりしてますので、モニターとしてのテレビは売れるのかもしれませんが、だからといって地デジのテレビ番組が視聴されるという保証はどこにも無い。

小寺さんが「反論ではなく、黙って立ち去るのが日本の消費者である」と指摘されているように、コピーワンスだろうが、コピー無いンす…もとい、コピーナインスだろうが、表立った反発は殆ど見られないかもしれません。
けれども、それが受容を意味しないところが日本のサイレントマジョリティの恐ろしさだということを、ハード屋さんもソフト屋さんもわかって……ますよね。幾ら何でも。


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