草莽の記     杉田謙一

教育・防衛・慰霊・エネルギー・歴史についての意見

春季皇霊祭は先祖への感謝の日であります

2008-03-10 08:42:43 | Weblog
春分の日を国旗を掲げてお祝いしましょう
春季皇霊祭と皇室の祭祀
 三月二十日は国民の祝日「春分の日」です。この日が昼と夜の長さが等しいと習うのは中三理科。しかしなぜこの日が祝日かと問えば、答えが返ってこない。まさか昼の長さが十二時間だからお祝いするはずもなかろうに。
「春分の日」は皇祖皇宗を祀る「春季皇霊祭」の日です。皇祖とは天照大神から初代の神武天皇までの皇室の祖先で、 皇宗とは第二代天皇以降の歴代の天皇のことです。
 明治以降、この春分には「春季皇霊祭」が行われ、いまも大切にお祭りされている。つまり皇室の「お彼岸」であるのです。
 春分の日、三月二十日(年により前後あり)は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ということで、祝日として戦後も大切にされているのです。
 宮中で先祖のお祭りを大切にされていたこの習慣に合わせ、民間にも広まった。
 祖霊崇拝の思想は本来仏教にはない。仏教のお彼岸は、日本古来の風習が仏教と習合したものといえましょう。
 日本の仏教では、平安時代のころから春秋に彼岸会(ひがんえ)が催され、悟りの彼岸へ至るための法要が営まれていました。また浄土思想の広がりとともに、彼岸の中日(ちゅうにち)の夕刻、落日に向かって念仏を唱えれば、西方の極楽浄土に往生出来ると信じられていました。これが宮中行事化していったのです。
 明治以来宮中で行われる春秋二度の皇霊祭は、御皇室の祭祀にとどまらず、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という日本本来の自然観に立った全国民のものとなっているといえるでしょう。
 宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)のひとつ、皇霊殿には、歴代天皇・皇族方の御霊がお祀りされています。
 明治以前は、仏式により寺院や宮中のお黒戸に霊碑を奉祀しておりましたが、明治天皇は、これを神式に改められ、皇霊殿において春秋二度の皇霊祭を行うことを制定されました。明治十一年に明治天皇がこの日を皇霊祭の祭日に定められたことにより休日となり、戦争の終わりまで続き、今日では名を改め春分の日とされたものです。

 他にも 以下のように、皇室の皇祖皇宗を祀る祭祀は年に七回行われています。
一月七日    昭和天皇祭 (大祭)
         昭和天皇崩御日に行われます
一月三十日   孝明天皇例祭(小祭)
        孝明天皇崩御相当日に行われます
三月二十一日  春季皇霊祭 (大祭)
        皇室の御祖先祭神殿では「春季神
        殿祭」が行われます
四月三日    神武天皇祭 (大祭)
        神武天皇崩御相当日に行われます
七月三十日   明治天皇例祭(小祭)
         明治天皇崩御日に行われます
九月二十三日  秋季皇霊祭 (大祭)
        皇室の御祖先祭神殿では「秋季神  
       殿祭」が行われます
十二月二十五日 大正天皇祭 (小祭)
         大正天皇崩御日に行われます