星尋山荘's blog

彗星発見で知られたアマチュア天文家、故・本田実の最晩年の観測所です。

おみやげは、八東小学校のおせんべい

2015-12-14 22:27:24 | 日記
八東小学校のおせんべい
 安住順一校長先生と久本知子教頭先生からいただきましたが…、もったいなくて

 八東小学校のおせんべいと八東小学校の創立100周年記念誌

 鳥取県八東町立八東小学校の創立100周年記念誌(1973年10月発行)に、同校の卒業生、故・本田實先生が寄稿していました。
 旧校舎への入学が1919年。卒業が1927年。ここでの学校生活がすべてでした。当時の級友は30数人。かつては500人もいた同校の児童は、いま40数人。統廃合で来年には移転・廃校になるとか。

 いまの6年生7人で、同町の名誉町民、本田先生のことを12月19日に発表するのだそうです。---- 星尋山荘のホームページが役立っていました。

 6年生の教室

 校長室に、本田先生が母校に寄贈した口径10センチ・焦点距離98センチの屈折赤道機がありました。レンズは、名人・木辺成麿さんの研磨、赤道儀は京都の西村製作所製。2メートルを超える大きな望遠鏡です。足元のつくりも、半端ではありません。母校の後輩たちに、どれだけ愛情を注いだのか、伝わってきます。


 「毎年の8月(8月26日が命日)には、この望遠鏡で、子どもたちに星空を」と提案しました。「八東町と町教育委員会、鳥取県天文協会の協力も、きっと得られますから~」と。
 両先生とも、笑顔でうなずいてくださいました。

 学校訪問前に、整備中の本田先生の生家を訪問。お隣の方から、300mほど西へ離れた、ミニドームの場所も教わりました。

 本田先生の生家は整備中

 ミニドーム(かつては双眼望遠鏡がありました)


 水田の真ん中のミニドームのわきに立ってみると… 納得できるのでした。
  ・・・・・・
 「わたしの生れたところはよく雨が降る。いやそれはそのころは何の不思議でもなく、そんなものだと思っていたが、後年いまのところに移り住んでみて、わたしを星好きにひきずりこんだあの土地が、かけがえもなく星のよく見えるところだったということだ。しかしその土地は、日本海から南下する湿った空気を、横たわる中国山地がせきとめてそのため雨が多く曇りの日が続き、それはそれは天気が悪いけれど、たまに晴れるとそれは見事な星空になった。あの銀河の濃淡が黒い嶺線の山に縁どられて、心も吸い込まれそうに。あれは「射手座」付近だったのであろう。わたしを誘い込むにはこれで十分であった。それが夜毎でなく、たまの合う瀬は、思いをますます深くしたように思う。」----星尋山荘 遺稿「星へものを尋ねて(わが感情天文学)」----「天文月報」1990年12月号(天文月報第83巻12号)から

 八東小学校の6年生の教室から見た、中国山地の山並み
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