今月初旬にイタリアに行き、複数の美術館で芸術作品を鑑賞して思った事をいくつか書き残そうと思います。
ルネッサンスが起こる前に書かれた絵画のほとんどが宗教絵画がほとんどでした。
その頃の庶民は、文字も読めない人が多かったそうです。
その為、宗教的な教義を広める為にも、絵画が使われ、見た者にある意味での諄さや圧迫感を与えるまでの表現方法を用いたものになっていると思います。
更に、絵画の表現方法も進化し、より写実主義的な絵画が書かれます。
その頂点に達したのが、レンブランドやフェルメールが書いた絵画です。
http://homepage2.nifty.com/photocell/kaiga1.html
彼らの絵画は写真機が普及する少し前に光学的な視点から写真の様に対象物を描き、その評価を得ていましたが、18世紀から本格的に写真が普及しだしてから、その評価を下げざるおえなかったのではなかったかと思います。
写真の普及は、社会での伝達手段を大きく変えました。
更に、連続した写真としての映像が普及する事により、対象物を表現する為の大きなツールを持った事を当時の人々は実感したのではないでしょうか?
映像の普及は、マスメディアの台頭を意味するものでした。
対象物を描く絵画にしろ、映像にしろ、画家や撮影者の主観が生み出す産物である事は共通します。
その主観が意味する物に対する評価をもう一度、確認する必要が今現在、必要とされているのではないかと思いながら、あの凄い芸術作品群を見て回ってきました。