「サッコ・バンゼッティ事件」をご存知でしょうか。
1920年代にアメリカで問題となった事件で、米国の裁判史上最大の冤罪事件と言われている。
この事件を真っ向から取り上げた映画が、「死刑台のメロディ」。今夜は、これをご紹介。
1970年作、イタリア映画。ジュリアーノ・モンタルド監督。ジャン・マリア・ヴォロンテ(バンゼッティ)、リカルド・クッチョーラ(サッコ)他の出演。
1919年、製靴工場の現金輸送車が襲撃されるが、未遂に終わる。1920年、2件目の別の製靴工場の強盗事件が発生。こちらは工場従業員が射殺され、16千ドルが強奪される。この1カ月後、イタリア移民の製靴工員のサッコと魚行商人のバンゼッティの2人が容疑者として逮捕される。
1921年、マサチューセッツ州のデッダム裁判所は、この容疑者2人に死刑判決を下す。有罪判決から3カ月後、公平さに欠ける審理に抗議デモがアメリカ国内・ヨーロッパ・やがて世界各地に波及。一時、死刑の執行は延期されていたものの、結局、当局は1927年8月に両名を電気椅子にて処刑する。
この裁判の背景は、第一次大戦後のアメリカにおいて不景気の影響で労働紛争が熾烈化していた。社会不安の原因を、特に過激分子・アナーキスト(無政府主義者)に対する憎悪として募らせていた。この容疑者の二人は、「第一次大戦の徴兵拒否者でイタリア移民のアナーキスト」であった為、警察は確実な物的証拠がないままに検挙し、偽の目撃者を雇ってまで犯行の確定をデッチあげた。当時の知識人、作家のドス・パソス、物理学者のアインシュタインらも助命嘆願運動を起こしたが、功を奏しなかった。後年の、アメリカのマサチューセッツ州知事は、2人の裁判は偏見と悪意に歪められた誤りであったと無実を公表している。
映画の主題歌「勝利の讃歌」を歌っていたのが、往年のフォークソング歌手ジョーン・バエズ。その後、この曲をジョルジュ・ムスタキがフランス語で歌い、エディット・ピアフの再来と言われるミレイユ・マチューのナンバーが今でも耳に残っている。
※ 中学校時代に社会科の課外授業として鑑賞した「死刑台のメロディ」。生涯忘れない名作と思っている
(二茶)
1920年代にアメリカで問題となった事件で、米国の裁判史上最大の冤罪事件と言われている。
この事件を真っ向から取り上げた映画が、「死刑台のメロディ」。今夜は、これをご紹介。
1970年作、イタリア映画。ジュリアーノ・モンタルド監督。ジャン・マリア・ヴォロンテ(バンゼッティ)、リカルド・クッチョーラ(サッコ)他の出演。
1919年、製靴工場の現金輸送車が襲撃されるが、未遂に終わる。1920年、2件目の別の製靴工場の強盗事件が発生。こちらは工場従業員が射殺され、16千ドルが強奪される。この1カ月後、イタリア移民の製靴工員のサッコと魚行商人のバンゼッティの2人が容疑者として逮捕される。
1921年、マサチューセッツ州のデッダム裁判所は、この容疑者2人に死刑判決を下す。有罪判決から3カ月後、公平さに欠ける審理に抗議デモがアメリカ国内・ヨーロッパ・やがて世界各地に波及。一時、死刑の執行は延期されていたものの、結局、当局は1927年8月に両名を電気椅子にて処刑する。
この裁判の背景は、第一次大戦後のアメリカにおいて不景気の影響で労働紛争が熾烈化していた。社会不安の原因を、特に過激分子・アナーキスト(無政府主義者)に対する憎悪として募らせていた。この容疑者の二人は、「第一次大戦の徴兵拒否者でイタリア移民のアナーキスト」であった為、警察は確実な物的証拠がないままに検挙し、偽の目撃者を雇ってまで犯行の確定をデッチあげた。当時の知識人、作家のドス・パソス、物理学者のアインシュタインらも助命嘆願運動を起こしたが、功を奏しなかった。後年の、アメリカのマサチューセッツ州知事は、2人の裁判は偏見と悪意に歪められた誤りであったと無実を公表している。
映画の主題歌「勝利の讃歌」を歌っていたのが、往年のフォークソング歌手ジョーン・バエズ。その後、この曲をジョルジュ・ムスタキがフランス語で歌い、エディット・ピアフの再来と言われるミレイユ・マチューのナンバーが今でも耳に残っている。
※ 中学校時代に社会科の課外授業として鑑賞した「死刑台のメロディ」。生涯忘れない名作と思っている
(二茶)