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シーホーススタッフのココだけの話

結婚式・レストラン・マリーナでの出来事、情報、想いをstaffが書き綴っています

ウルッと来るお話 その5

2011年05月15日 | ザッキーの独り言
結婚式にまつわる

ウルッとくる良い話を見つけました。

紹介しておきますね~

・・・・・・・・・・・・・・・

「きいちゃんの浴衣」

養護学校の教員をしている山元加津子さんが、
そこで出会った
大切な友だち、きいちゃんという
体が不自由な女の子のお話しです。

お姉さんが結婚するの
きいちゃんは結婚式でるのはじめて
たのしみだな
お姉さんの結婚式

お母さんが言いました
きいちゃん
お姉ちゃんの結婚式には
でないでいてね

きいちゃんは小さいときの高熱で
手足が不自由な養護学校高等部の生徒
お姉ちゃんが
肩身の狭い思いをするといけないから
だから
きいちゃんは
結婚式にでないでいてね

かなしい気持ちのきいちゃん
大好きなお姉さんの結婚式
でたかったのに
たのしみにしてたのに

養護学校の山元先生が言いました
きいちゃん
お姉さんにプレゼントを作ろうよ
真っ白な布を
夕日の色に染めて
浴衣を作って
きいちゃんのプレゼント

針で指を刺して 
血で染まった練習用の白い布 
不自由な手で一生懸命に縫って、縫って

「体をこわすわよ」
「お姉ちゃんへのプレゼントだから・・・」
きいちゃんは
不自由な手で一生懸命に縫って、縫って
できあがった浴衣をお姉さんに送った

二日後
山元先生にお姉さんから電話
「きいちゃんと一緒に式に出席してください」

幸せそうなお姉さん
でも、
きいちゃんの姿見てひそひそ話する人も
やはり
出席しない方がよかった?

「お色直しのために新婦が退場いたします」
お姉さん
何に着替えてくるのやら

夕日の色の浴衣着て
きいちゃんのつくった浴衣着て
お色直しのお姉さん
みんなの前に現れた

お婿さんとふたりして
マイクの前のお姉さん
みんなに向かって
言いました

この浴衣を見てください
手足の不自由な妹が
こんなに立派な浴衣を縫ってくました
妹は私の誇りです

拍手が式場包みます
きいちゃん笑顔を見せました
感激の涙を流すお母さん

笑顔はじけたきいちゃんに
涙にむせぶ母さんに
幸せのお裾分けです

姉さんからの・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(TmT)ウゥゥ・・・

ウルッと来るお話 その4

2011年05月14日 | ザッキーの独り言
ブログをアップしてる時も

涙が出てくる感動秘話

またまた見つけたのでアップしますね

その4です

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中学校は「荒れて」いた
教室の窓ガラスが
頻繁に割られたりしていた

その中学校で水泳大会が開かれた
あるクラスでは
代表選手にA子が選ばれた

A子は体に障害を持っていた
「番長」が「A子がいい」と言ったので
みんな怖がって
反対の声を挙げられなかった

A子は
水しぶきをあげて飛び込んだ
必死になって泳ぐ
けれども
なかなか前に進まない
その姿が滑稽に見えたのだろうか
プールサイドでは
生徒たちが声をあげてはやしたてる


そのとき
ひとりのおじさんが
プールに飛び込んだ
背広のままで
ネクタイしたままで

バタバタと水と苦闘しているA子が
沈んでしまわないように
おじさんはエスコートして


でも
泳いでいるのはA子
おじさんは手を出そうとはしない

必死に泳ぐA子
背広のままで
ネクタイしたままで
A子に寄り添うおじさん
水しぶき
いつしか
プールサイドは静まりかえった
そして
ひとり、またひとり
A子に声援を送りはじめた
「がんばれA子!」
「がんばれA子!」
いつしか
「がんばれA子!」の大合唱となっていた

全校生徒のエールの中
A子は25メートルを泳ぎきって
おじさんと抱き合って
泣いた

おじさんは校長先生だった

その日以来
教室の窓ガラスは割れなくなった

・・・・・・・・・・・・・

(TmT)ウゥゥ・・・

ウルッと来るお話 その3

2011年05月14日 | ザッキーの独り言
良いお話を見つけたので

またまた紹介させていただきますね

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小学校で5年生の担任をしていた教師の話です。
その先生は、
小学校5年生の担任になった時、
自分のクラスの中に一人、
どうしても好きになれない少年がいました。
服装が不潔でだらしなく、
好きになれなかったのです。
先生は、中間記録に、
少年の悪いところばかりを記入するようになっていました。

ところが、
ある時、少年の1年生からの記録が目に止まりました。

1年生の時は、
「朗らかで、友達が好きで、親切。
勉強もよくでき、将来が楽しみ」
と記録されていました。
「間違いだ。他の子の記録に違いない。」と、
先生は思いました。

2年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻する」
と記録されていました。

3年生では、
「母親の病気が悪くなり、
疲れていて、教室で居眠りする」

3年生後半の記録では、
「母親が死亡。
希望を失い、悲しんでいる」

4年生になると、
「父は生きる意欲を失い、
アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走りました。

ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の
人間だと感じられたのです。

先生にとって、
目を開かれた瞬間でした。


放課後、
先生は少年に声をかけました。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから。」
少年は初めて笑顔を見せました。

クリスマスの午後、
少年が小さな包みを、
先生の胸に押しつけてきました。

あとで開けてみると、
香水の瓶でした。

亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、
夕暮れに少年の家を訪ねました。

一人で本を読んでいた少年は、
先生に気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫びました。

「ああ、お母さんの匂い!
きょうは素敵なクリスマスだ!」

6年生の時、
先生は少年の担任ではなくなりました。

卒業の時に、
少年から一枚のカードが届きました。

「先生は僕のお母さんのようです。
 そして、今まで出会った中で、
一番すばらしい先生でした。」

それから6年が経ち、
またカードが届きました。

「明日は高校の卒業式です。
僕は5年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって
医学部に進学することができます。」

さらに10年が経ち、
またカードが届きました。

そこには、
先生と出会えたことへの感謝と、
父に叩かれた体験があるから
患者の痛みがわかる医者になれると記され、
こう締めくくられていました。

「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。
あのままダメになってしまう僕を救ってくださった先生を、
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
5年生の時に担任してくださった先生です。」

そして1年後、
届いたカードは結婚式の招待状でした。

「母の席に座ってください」
・・・・と一行、書き添えられていました。

・・・・・・・・・・・・

(TmT)ウゥゥ・・・

mr サンデー 7万人の命を守った誘導 ディズニー秘話 1- 2

2011年05月13日 | ザッキーの独り言
mr サンデー 7万人の命を守った誘導 ディズニー秘話 1- 2


「ゲストの安心と安全のため」と言う信念のもと

スタッフが、それもアルバイトが

独自の判断で

即座にアクション出来る環境下にある

東京ディズニーランド


残念ながら

一度も行ったことがない事が

悲しい


ぜひとも

行ってみたいところの

筆頭だな~ こりゃ

ウルッと来るお話 その2

2011年05月13日 | ザッキーの独り言
以前は
東京ディズニーランドでの
スタッフとお客様との
やりとりを
ご紹介させていただきましたが
今回も
とても考えさせれらる情報を見つけたので
ご紹介させていただきますね

・・・・・・・・・

日本航空のサービス担当をしている
講師さんから聞いたお話。

ある時、
15年間、客室乗務員をされてきた方に、
「心に残る出会いはありますか?」とお聞きしました。
その方は、
涙を浮かべられながら
こういうお話をして下さいました。

4年ほど前の
成田発バンクーバー(カナダ)行きの機内での話です。
ある中年の男性が、
寂しそうな、不安そうな、複雑な顔をして
窓の外を見つめていた。
「カナダに大きな仕事があって不安なのだろうか」
「単身赴任で家族と離れ離れになって寂しいのだろうか」
と思い、
食事のサービスの時に
「○○さん、どうぞ」と、
名前を呼んでサービスをしようと思い、
乗客名簿を広げました。
するとその席は
「ミスター&ミセス」になっていたそうです。
「あれ? 奥様がいらっしゃるんだ」と思ったけれども、
奥様の姿は見えない。
「上昇中でまだシートベルト着用のサインが出ているのに、
奥様はトイレに行かれたのかな?」と思い、
自分のシートベルトを解いてその座席のところに行き、
「奥様はどこに行かれたんですか?」
と聞こうとした瞬間、
言葉が出なくなってしまいました。
空いた座席には黒いリボンをした遺影が飾ってあり、
その遺影にシートベルトがしてあったんです。
でも、座席のところまで来てしまったので、
本当は聞いてはいけないんですけど、
「これは奥様ですか? 
如何されたんですか?」
と思わず聞いてしまいました。
するとその男性は、
「25周年の銀婚式のお祝いに、
家内と2人でカナダ旅行に行く予定でした。
ところが
脳内出血で1カ月前に亡くなってしまったんです。
旅行をやめるつもりだったのですが、
子どもたちから
『お母さんが待ち望んでいた旅行なんだから、
自分たちが一番好きだった
お母さんの写真を大きくして連れていってあげて・・』
と言われたんです」とお話されました。
その客室乗務員は、
機内電話で
「何かいいアドバイスはないですか?」と
機長に聞きました。
機長は、
「そこに今、奥様が生きて座っていらっしゃると思って
サービスをしてあげて下さい」
と言いました。
その男性に聞くと、
「女房は赤ワインが好きだった」と言われるので、
そのことを報告すると、
「私からのお祝いで、
一番いい赤ワインを1本出してあげて下さい」
と機長が言われました。
赤ワインを注いだグラスを遺影の前に置き、
もう一つをご主人に持たせ、
「これは機長からのお祝いのワインです。
どうぞ乾杯してお飲み下さい」
と言いました。
料理も、ちゃんとレンジで温めて
持っていきました。
奥様の遺影に向かって、
「これはこういう料理です。これはこういう料理です」
と説明しながら出しました。
最後に乗務員みんなで20本ぐらいの花束を作り、
「これは、私たち乗務員すべてからの銀婚式のお祝いです」
と言って渡しました。
ご主人は、カナダに着くまでずっと泣いておられました。
飛行機から降りていかれる時に、
乗務員に向かって、
「素晴らしい銀婚式の旅立ちになりました。
本当にありがとう」
とおっしゃったそうです。
「その姿を、私は今でも忘れることができません」
と、彼女は話して下さいました。


私たちにとって、
サービスというものは確かにお金をいただいて行っている仕事です。
だからといって・・
マニュアル通りのサービスを覚えただけでは、
良いサービスは提供できないのです。
それは・・
いつものサービスに
どれだけ「相手を思いやる心」が込めているかなんですね。
彼女はいつもサービスに
その「相手を思いやる心」の基本があったから
お客さまの気持ちに気付くことができたし、
素晴らしい対応をサラリとできたのです。
私は
これが
アマとプロのサービスの違いではないかと思うんです。

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サービスは
気配り、目配り、心配り
見て、気付いて、
その人のために何が出来るかを考えて
そして
即アクションする事

そのためには
日々
感受性を豊かにする
あるいは
感性を磨く
努力を惜しんではならないと思う。