不登校ひきこもり支援のNPO法人 FIRST STEP 経験のある親たちが悩める若者のために立ち上げました

R3年現在でファーストステップは20年の実積があります。HPはhttps://1st-step.tokyoです。

水上の利根川でラフティング、その翌日、土合の湯檜曽川支流でキャニオリングで、自然を楽しむ

2017-08-18 | 自然体験/スポーツ
写真はキャニオリングの最高地点



先々週末、「四ツ谷走Run会!!」のメンバー4名で水上の利根川でラフティング、その翌日、土合の湯檜曽川支流でキャニオリングで、自然を楽しんできました。

両方とも初めての経験でした。
ラフティングはゴムボートでの激流下り、そして、キャニオニングとは渓谷を利用した大人の水遊びのことです。

当時、台風5号が日本に上陸するかどうか、ということで天候が心配でしたが、どちらの遊びも天候に恵まれました。
ついてます。


まず、ラフティング・・・

場所は水上の利根川。

袖なしのウエットスーツを着用するのですが、ピタッと肌に密着し、動きにくいし、なんか蒸し暑い。
これで、今日この蒸し暑さに1日耐えられるのかと思いましたが、利根川の水は冷たく、水に入ると丁度いい感じになるのでした。

まずは、安全上の注意をシッカリと学び、パドルの扱い方と漕ぎ方を練習。

事故のほとんどがパドルによる事故らしく、「パドルのTグリップは握ったら絶対に離してはいけない!」ということを指導されます。

 

   


もし離してしまうと、そのTグリップが近くのクルーの顔面(特に前歯や鼻)に当たって怪我させるからだそうです。


出発前、冷たい水が妙に気持ちいい。


我がラフティングチーム


ココが一番の激流ポイントでしょうかね。

夏は比較的水量が少なくて、迫力がまだ足りなく、5月末から6月頃が水量が豊富で、ボートが縦にひっくり返ることもあるほどの迫力があるそうです。



崖から川に飛び込みます。
高さ、5mくらいですかね。
高校生の頃、千駄ヶ谷の東京都体育館で飛び込みはよくやってたんで、全く問題なし。




次は、翌日のキャニオリング・・・

場所は、谷川岳の麓、湯檜曽川の支流です。


(谷川岳の一の倉沢を望む)

こちらはフルのウエットスーツ着用でした。
だから、もっと蒸し暑く、早く水に飛び込みたい気分。

ですが、しばらくは沢沿いに上流へ遡行しなければなりません。


あまりにも暑いので、水に浸かりながら登ります。


途中、滑る訓練もしながら登ります。


このあたりが練習ポイント
普通に滑ったり、頭から滑ったり、さらに背面になって滑ったり、岩肌がすべすべなので、痛くありません。


結構な沢登りですよ。

足支度はフェルトを張り付けたキャニオリング用の滑らないブーツですので、岩肌にぴったりと足裏を付け、体の重心の真下に足元があれば滑らない、・・・はず。

それでも、場所によっては滑る、滑る。
その時は結構、格好悪くて、他人の時は結構笑えます。


結構、高度を上げた場所が終点


仰向けにプカプカ浮かんでまったりします。
水が冷たくて心地よく、周りの樹々と、青い空が美しく、しかも無重力状態なわけで、ある意味では逆宇宙遊泳のようです。


ここで、水深の深いところをめがけて飛び込んだりもしました。

そして、ここから遊びながら下っていきます。





背面の滝の中から抜けて出てきたところです。


というわけで、アッと言う間の童心に返った楽しい2日間でした。


これ以外にも、水上の利根川散策もしましたし、水上のペンション辺りを1時間ぐらいランニングした人もいますし、地下深くに設けられたJR土合駅(日本一のモグラ駅)にも行ったりしましたよ。



----ちょっと、おまけ----

山に登っていた学生の頃、谷川岳にも何度か行ったのですが、夜行電車に乗って、この土合駅で降り、この階段を登りながら、この景色が昔の海外SFドラマ「タイムトンネル」にソックリだとよく思ったものです。



知ってますかね?
タイムトンネル?

結構、よくTVに齧りついてみてましたよ。

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さて、「自然の中で遊ぶ」ことは、非生産的であり、生活上どうしても必要なわけではないのだけれども、不思議に心は休まり、もうワクワクして楽しくて仕方がないですね。

ワクワクするから、脳が「チョー、楽しい!」となり、アドレナリンやドーパミン、エンドルフィンといった脳を活性化物質が出て、どんどんエネルギーがチャージされていくのですよね。

人間、都会で疲れたら「自然の中で遊ぶ」のが一番なんだと、あらためて実感いたしました。

Sometimes it's important to be a kid again and just have fun.

「また、行きたいね」と語りながら東京に帰ったのでした。