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第87回泉北近郊ウォーキング<弘川寺>

2020-02-14 | 泉北近郊ウォーキング

2019年11月21日 西行法師の終焉の地として有名な、富田林の弘川寺へ、紅葉を求めてウォーキングを実施しました。



 泉北高速鉄道泉ヶ丘駅から南海バスで南海高野線金剛駅へ、ここで他所からの参加者と合流し、河内長野駅経由近鉄南大阪線富田林駅へ出て、更に金剛バスに乗車して、東加納駅で下車。山並みと田園風景を楽しみながら弘川寺に向かう。

 階段を利用して綺麗に花飾りをしている、光延寺という、お寺がある。上の紫の花は、ノボタン。
 
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          野辺に咲く、エンジェル・トランペット

老人ホーム菊水園の裏の小川の畔に、真っ赤に熟したカラスウリの実が成っていた。カラスウリの種は、打ち出の小槌のような形をしていて、財布の中に入れておくとお金がたまるとか!
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自然の景色を楽しみながらしばらく歩く。地元の人から「そっち側を歩くと、スズメバチの巣があるから危ないよ!」と声を掛けられる。少し行って左折すると弘川寺に到着。
 
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素晴らしい紅葉をクリックで拡大表示してご覧ください。
   

本堂の周りで、お弁当。そして恒例の歌を唄う。今回は、多田、清原両先生は不参加。浅倉さんの指揮で。伴奏は事前に吹き込んだ両先生のキーボードとフルート。
 
 



食後は、山を少し登り、西行堂と西行墳を見学。参加された新井さんの説明を受ける。


  (西行墳 クリックで拡大)

 西行法師終焉の地として知られる弘川寺は、役行者の開祖でその自作と言われる薬師如来を本尊として、行基や空海もここで修行したと伝えられています。
 西行法師(1118年~1190年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての人で、武士であり、僧侶、歌人でもありました。出家後は心の赴くまま諸所に草庵を営み、諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残しました。 
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
 似雲法師は、西行の墓をこの寺に尋ね当て、当山にに庵を結んで、西行堂を建立。自らもここに没しました。

 そのあと、弘川寺本坊・西行記念館へ。本坊と西行記念館は繋がった敷地内にあり、庭園と紅葉は素晴らしかった。庭園には、樹齢350年と言われ、天然記念物の「海堂」というバラ科の樹があるが、残念ながら花の時期ではなく見ることが出来なかった。
 



   

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帰路は、河内小学校前まで歩き、バスで富田林に出る。
富田林駅からのバスの便は、1時間に1本しかないので注意。弘川寺行きのバスと、河内小学校まえのバス、または路線が違うが、うまく利用すれば、さほど歩くことなく行くことが出来ます。
我々は、ウォーキングが主体なので、さらに別路線の東加納で下車して歩くことを選択した。