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レオ・レオニの「フレデリック」

2013年06月28日 19時23分17秒 | diary
先日、レオ・レオニの展覧会の情報見て
「フレデリック」という
ネズミが主人公の絵本、読んだことあるけど
ストーリーが思い出せなかったけど...



思い出したわー



そして20代前半だった頃
「フレデリックみたいになりたい」
と、言っていた同僚がいたことも



「フレデリック」の紹介は→こちら



この絵本を始めて読んだ20代前半の頃
この絵本の世界をちゃんと捉えていなかったな~
と、今になって思う



当時の私は優等生気質で
頑張り屋で
「成せば成る」が信条で
カチコチの努力家だった

そんな私に
「みんなは必死に冬の食料を集めて
汗を流しているのに
自分は何もしない」なんていう
フレデリックのような人の存在は
絶対に許せなかったというか



「人が一生懸命集めてきた食べ物
自分は働かないでよく平気で食べられるね

って思っていた



それで
そんな私の印象とうらはらに
仲間から賞賛を浴びるフレデリックが
許せないというか
釈然としないと思っていた



だから、好きになれない絵本だったな~



今ようやく分かる

フレデリックは
美術、音楽、演劇、文学などの
芸術の象徴

エンターテイナー



人間は、衣食住のみあれば
生きられるというものでもない

明日への希望や
精神的エネルギー
生きていくためには必要



音楽を聞いたり、本を読んだり
お芝居を観たり、素晴らしい絵を見たり
良い文化に触れて
精神的エネルギーをチャージしていくことも
必須のこと



フレデリックは
何もしないでぼんやり寝て過ごした訳じゃなくて

みんなの精神的エネルギーが枯渇した時のために
芸の肥やしを溜めていたというか
必死にネタを仕入れていたというか

エンターテイナーとして
観客を楽しませ、笑わせ

お日さまの色を思い出させ
再び来る春への希望を蘇らせる

その時のために
準備をしていたのだ



芸術は
明日への気持ちを高揚させる
みんなが必死に集めた食料と全く同じ
生きていくために必要なもの



それが
20代の、カチコチの頑張り屋さんの私には
分かっていなかったんだな~



経済が苦しくなってくると
衣食住とは直接関係の無い芸術への理解は
失われがち

贅沢なこと
お金の浪費
ただの遊び
だと思われてしまう



経済が苦しくなっても
フレデリックのような人を受け入れる余裕が
社会にあるかどうかが
その社会が生き延びていけるかどうかの
鍵のように思える



今の私はここまで感じたけど
作者の意図はどうなんだろう~?



子どもはこの絵本読んで
どう感じるんだろう

「へー」で終わるのかな



20代の私は
「フレデリックのような存在は許せない」と
釈然としなかったし

友達は「フレデリックのようになりたい」
と、思ったし



レオ・レオニは
どんな思いを込めて作ったんだろう

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