That's the Way I Am

私の好きなものについて

もう一人の私

2013年03月12日 19時56分52秒 | diary
私とピアノとの出会いには
ある人の存在が関係している



「ピアノを始めよう」と思ったのは
その人に影響を受けたのだ
「私も楽器やってみたい」と

そして、「共通の話題を持ちたい」と

「努力している私を見て欲しい」と思ったのだ



その人に会わなければ
私は一生ピアノを弾くことなく終わっていたと思うし
アコースティック・ピアノのぴのこちゃんだって
うちには来なかった

ピアノを通して出会った人たちとも
出会えなかったし
発表会に出ることもなかった



そう思うと不思議だ



ピアノは私の人生の必然ではなくて
おまけのようなもの

ピアノがなくても
私の人生は全然変わらず
何の滞りも不都合もなく終わっていったと思うのだ



「ピアノを弾いている私」というのは
それまでいなかった私

もう一人の私
それまで選ばれていなかった私の可能性



ピアノを始めた頃は
それまで出来なかった事が
出来るようになるのが嬉しくて
自分で音楽を紡ぎ出すことが出来るのが
嬉しくて

ああ、私に音楽が生み出せるなんて!
こんな私があったなんて!

46年という長い人生の中
ずっと無視してきたけど
ピアノを弾く私が
私の中にいたんだ!

と、感動していた



そして、ピアノを始めるきっかけとなった人とは
疎遠になり
今では全く連絡を取り合うこともない



それで、時々無性に不思議になる

不思議になるというか
ピアノを弾いている自分に
違和感を感じる



なぜ私はピアノを弾いているんだ
自分の頑張りを見て欲しいと思ったあの人は
もういない

ピアノを弾いている私は
抜け殻のようだ



それなのになぜ
抜け殻のようになってもまだ
ピアノを弾いているのか?



ピアノを弾いている私は
本当の私なのか?

それとも
今の私から、ピアノを引いた残りの私
それまで46年間生きてきた方の私が
本当の私なのか?

ピアノを弾いている私は
偽りの私なのか?
無理しているのか?



ピアノを弾く私が
本当の私じゃないような気がするのは

本当に不自由だから...

自分の身体なのに
練習しても練習しても
自分の思い通りに動かせないから

自分の中の「老い」をどうしようもなく
感じてしまって
練習すればするほど暗い気持ちになる



いや、「老い」だけの問題じゃなくて
適正の問題だとも思う
私には素質がないんだと思う



ピアノに向かえば向かうほど
自信をなくし
ダメな自分が嫌いになってくる



そんな思いをしてまでやらなくても

無理してピアノやらなくても
いいんじゃないの?

もっと、楽に出来ることを
自分に向いていることを

もっと楽しいと思えることを
やった方がいいんじゃないの?



なんて思うのだ



自分の中からピアノを引いた残りの自分の方は
とても自由だ

家でも職場でも
求められる仕事はこなせるし
自信もある



ピアノを弾く私は
どうもダメダメで、好きになれない



でも考えてみれば
始めたばかりの頃の方が
今よりもっともっと思い通りに弾けなかったし
今よりもっともっとヘタだったはず

でも、一つ曲が弾けるようになったら
(どんなに簡単なものでも)
本当に有頂天になって
素直に感激していたし

弾けるようになった自分は
「私ってすごい!」と浮かれてた

(おめでたかったのね...)



あの頃は
ピアノを弾く私が
「もう一人の私」とは思っていなかった

ピアノを弾く私も、それ以外の私も
分離しないでしっかり「一人の私」の中で融合していた

いやいやむしろ
46歳間近でピアノを始めた私は
ピアノを弾くことを楽しむ私は
私の中で何よりも大切なアイデンティティだった

「いくつになっても
挑戦することを忘れない」みたいな

ピアノを夢中になって
ピアノを弾くことが、何よりも楽しかった
そんな私が「私」であると実感していた



今はどうしてこんなに
ピアノを弾く自分が
「私」から
剥がれ落ちそうなんだろう



「本当の私である」という実感
どうしたらまた持てるかなあ



この4年の間で
目標が知らないうちに
高くなってきたのかな

それで、目標からいつもほど遠い自分が
好きになれないのかな



時には、あの頃のように
「私ってすごい!」って
無責任に喜んで良いのかも



比較する対象は
周りにいる上手い人たちじゃなくて

ピアノを始める前の
「かっこう」さえ弾けなかった
スタートラインの私にして

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