しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

伊豆をバイクで10年、伊豆に住んで27年目に突入!(古い記事は過去になってるので注意です)

久しぶり行く赤沢温泉は「足湯」になってました!

2014年03月03日 | 温泉
・             【この無料温泉に入っていたのは何時の頃だったかしら】

夏になると海水浴のお客さんが砂だらけの足で入ります、湯船の1/4位は砂で埋められて入れません
我々が湯船でまったりしていると、こちらがフル○○なので若いママさんがこちらを見ないように、恥ずかしそうに

(恥ずかしいのは裸で入っていた僕たちのほうですが!)

お子さんの足についた砂を払って入ってくれます、なかなか躾ができていてよろしいのですが、
お子様の入浴ついでにご自分の足についた砂を払わずにポチャンなのです、ちょちょっとまってくりゃれい!
腹水盆に帰らず、湯船に落っことした砂も帰りません、だから夏の入浴はあきらめなのです!



ここは「風呂ではありません」の看板からはっきり「足湯」と明示です、変な看板が立つようになってから
行かなくなったような気がします、いろいろあったけれど昔は全国から人が交錯していました

いろいろ言う人はいるけれど写真屋さんは伊豆高原で1軒だけ残っていた、スタジオを畳んでしまいました、
最後は喧嘩別れで口も聞かなくなりましたけれど伊豆高原に来た当初は良き案内人でした、
お湯が抜けてお湯の高さが下がっても意地になって二人でお湯に浸かってました、毎週のように
お風呂に歩いて向かう写真屋さんを途中でひろって僕のバイクの後ろに乗けて行ってました

(ぬるい温泉ですが1時間も入れば全身ぽかぽかしてきます、ぬるい温泉は長湯ができて一晩中
 入っていられました)



赤沢海岸は赤く重い砂が海中に体積していて潮の満ち干き、台風などで海岸は砂が削られたりしていますが
砂が陸上と海中を移動しているだけなのです、したがって砂地を好む魚といったら「シロギス」が生息しています


・             【有線さんはお湯に入りながら釣り糸をたれていました】

有線さんは伊豆高原在住でしたから今もたまには来ていると思います、電話や有線放送の
取り付け技術者でした、伊東から伊豆全土にかけて仕事で移動しています、彼の発する赤沢ネット情報により
お仲間が沢山召集されて集いました、暗い闇夜では女の子も大胆になっていたような気がします

(お風呂には脱衣場もなく着替えるときは全員が海を向くというのが暗黙のルールで決して見つめないのです)

有線さんは赤沢無料露天風呂をきれいにする会の会長さん的お人でもあります、ある時は高圧洗浄してくれたり
台風で落っこちた岩を取り除いたり、お風呂は洗浄しないと藻で覆われてとても滑りやすくなりますし
見た目も汚く見えますが、洗浄するとお湯がきらきら輝きます



隣には伊東市が力を入れて取り組んでいる立派なトイレがあります

(ここで着替えてTV中継風にタオル巻いて気取って入ってくる子もいらっしゃいました
 でもこちらは裸ですからタオル巻く、水着でお風呂に入っては却っておかしいと思います)


・           【温泉は30分から1時間で出てくる間欠泉になってました】

源泉はすぐ傍にあってポンプ場が横にあります、そこで汲み上げられて浮山の別荘地域に
供給されていきます、したがって日曜日やお正月などはお湯の消費量が追いつきませんからあまり湯で
流れて来る量もすくなくなります、昔から湯船の底には小さい穴が開いているらしく自然とお湯も減っていきます

なお伊豆高原一帯の伊豆急分譲地の温泉は熱川の山奥をから線路に沿ってパイプで給湯されています
浮山、みどり開発、富戸などでは個別に温泉井戸を掘っています

(温泉が流れ出して来る時、パイプに留まっていた冷たい水が一瞬流れてきます
 お湯が出てくるのが判ります!冬などは湯口にいて一瞬でも早くお湯にあたりたいのです)



前方の柵は2代目だと思います、台風などが来ると海辺の温泉は大波の為、石垣が崩れ、
横のトイレも被害甚大となりますが、2,3ヶ月で伊東市は修復してくれます

(今回のパイプの方が細くて景色を邪魔しません、色も薄くて湯船に浸かりながらの景色も一段と映えます)


・            【大島を基点にしますと「日の出」では大島の右側から左へと移動します】

夏時分になるともっとも左側からでます、そして今度は逆に右の方へと1年掛けて移動しています

りんご屋さんは福島のリンゴ園から出張販売のようでした、軽トラックにリンゴをのっけって伊豆の全域に
販売していました、完売すれば再び福島まで取りにいってたようです、日本はリンゴ地域とみかん地域に
分かれまして、みかん地域にはリンゴが育ちませんし、りんご屋さんはセールスマンとして才覚は抜群です、
話が上手くてよく売れるそうでした

リンゴ農園のオーナーさんも我が家にやってきたり、北海道へ行く時福島へ立ち寄ったりしていましたが
3.11福島原発事故の際、りんご屋さんは何を思ったのか本州の最南端、「指宿」まで逃げてしまいました
現在ではマンゴー農園でマンゴ屋として働いています

(たまにお風呂がどうなってるか興味はあるみたいで、電話がかかって来ます
 何でも器用な方でTVの地デジ切り替えの時は屋根に登ってやって戴きました)



この赤ぽい砂のせいで赤沢の地名だと思います、旧下田街道沿いには曽我兄弟あだ討ち事件の発端
赤沢山の地名まであって歴史は古く遡れます


・                 【柵を越えればすぐ海に入れます】

温泉でつるり滑って海へ真っ逆さまなんて事件もありました、若者が火照った体を冷ましたりしています

青年さんは神奈川の会社に再就職が決まったようですがその後はどうでしょうか?
IT青年は若くして大金持ちになったのに無料お風呂を利用したり、海岸でワカメを拾って来たり
謎の人物でボデイビルダーのような肉体を誇示していました、株屋のおじさんは湯船までパソコン持ち出して
トレーデイングでしたし、バイクで来て気に入ったのかそのままトイレの横にテントを張ったおじんライダーさん
桔梗の花をもってきた人、冬だけ焼き芋を売り歩いて前日の売れ残りを分けてくれた人、稲取の無料味噌汁を
目指してやってきた若者達、夜間飛行で上空を飛んでくるパイロットさんまでバイクでやってきました、
赤沢無料露天風呂は全国を旅する人たちが交錯しています

(田舎とはいえ、トイレがあって、海があって、ちょっと行けばコンビニもあって山の中ではありません
 交通に便利な無料温泉として存在意義は大きいのでした)

夜の上空を赤や、黄色の明かりを散らして満天の星空を切り裂いて千葉方面に飛び去って行く姿を
懐かしく思い出します、あの時見上げる僕たちとパイロットさんの間では何千m上空と
離れていようと「何時か遭おう」というアイコンタクトが出来ていたのでした!



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

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