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日豪へ復活ツアーを計画か?

2009-03-21 14:42:00 | 音楽
(CNN) 60―70年代に数多くの世界的なヒットを記録した米人気デュエット、サイモン&ガーファンクルが今夏、日本やオーストラリアへのツアーを計画していることが、本人らに近い情報筋の話で明らかになった。デュエットの復活が実現すれば、03―04年の再結成ツアー以来となる。
情報筋によれば、5月にニューヨークでリハーサルを開始し、6月第1週前後のニュージーランドを皮切りに、オーストラリア、さらに日本へ回るツアーが検討されている。
ポール・サイモンのマネジャー、ジェフ・クレーマー氏が参加ミュージシャンらに、5月から6月にかけてのスケジュールを空けておくよう要請したとされるが、正式発表には至っていない。
2月にニューヨークで開かれたサイモンのコンサートに、アート・ガーファンクルが駆けつけ、サイモン&ガーファンクル時代のナンバーを何曲か披露したのがきっかけだという。クレーマー氏はこの後、米音楽誌ローリングストーンへのコメントで、ツアーの案が出ていることを認める一方、「確定していることは何もない」と述べていた。

 サイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel、サイモンとガーファンクル)は、1960年代に活躍した、二人のユダヤ系アメリカ人ポール・サイモン(Paul Simon)とアート・ガーファンクル(Art Garfunkel)によるポピュラー音楽ユニット(1964年-1970年)。1990年にロックの殿堂入りを果たしている。日本でも人気を博した。(wiki)

スティービー・ワンダーのおかげ

2009-02-27 15:11:50 | 音楽
 ワシントン(CNN) 米歌手スティービー・ワンダーさんがポピュラー音楽の功労者に贈られるガーシュイン賞を受賞し、25日、オバマ大統領夫妻主催の授賞式とコンサートがホワイトハウスで開かれた。
オバマ大統領はワンダーさんの楽曲にまつわる思い出を語り、「わたしがスティービー・ワンダーのファンでなかったらミシェルはわたしとデートしてくれなかっただろう。2人は結婚していなかったかもしれない」と打ち明けた。
ミシェル夫人によれば、ワンダーさんの楽曲「You and I」は2人のウェディングソングだったという。オバマ氏の選挙運動では「Signed, Sealed, Delivered I'm Yours」がよく流れた。
賞を受け取ったワンダーさんは大統領と抱き合い、「大統領、オバマ夫人、わたしは自分が一役買えたことをうれしく思います」と話して笑いを誘った。

 アメリカ合衆国ミシガン州サギノー生まれ。本名:スティーヴランド・モリス・ジャドキンズ。保育器内での過量酸素(未熟児網膜症)が原因で生まれてすぐに目が見えなくなる。
11歳の時、モータウン社長の前で歌と演奏を披露しレーベルに契約、2年後に初アルバム「フィンガーティップス」を発売(当初は「リトル・スティーヴィー・ワンダー」名義)。全米でNo.1シングルとなり、一躍有名になる。わずか12歳でデビューしたためビートルズのメンバーとは年齢が離れているにもかかわらず、ほぼ同等のキャリアを持っている(後年、スティーヴィーはポール・マッカートニーと「エボニー&アイボリー」で共演)。
1970年に、モータウンから自作のプロデュース権を獲得し、音楽出版会社「タウラス・プロダクション」を設立。自身の新たな音楽を模索していたある時、ロバート・マーゴレフとマルコム・セシルの二人のエンジニアによるユニット「トントズ・エクスパンディング・ヘッド・バンド」のアルバム「ゼロ・タイム」を聴き、全編に使われていた、当時開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーに感銘を受ける。以後、スティーヴィーはシンセサイザーを駆使し、殆どの楽器を自分で演奏するアルバム作りのスタイルを確立してゆく。
1973年、従兄弟の運転する車に同乗中、交通事故に遭う。この事故の後遺症で、味覚、嗅覚を失うが、その後のリハビリが功を奏し、ほぼ完全に回復。この体験より、慈善活動や平和活動に目覚め、南アフリカのアパルトヘイト政策に反対する歌、公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング牧師に対し、敬意をはらう歌を発表する。
1976年には2枚組のオリジナルアルバム「キー・オブ・ライフ(Songs in the Key of Life)」をリリース。このアルバムは当時全米アルバムチャート14週1位となる大ヒットになり、スティーヴィーの最高傑作の呼び名も高い。また、この年のグラミー賞の最優秀アルバム賞も受賞した。
1984年の映画「ウーマン・イン・レッド(The Woman in Red)」のサウンドトラックに用いられた「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」は、米英で大ヒットするとともにアカデミー歌曲賞、ゴールデングローブ賞を受賞した。
主に、クラビネット等をプレイしながら歌うことがステージでは多いが、シンセ・ベースを含めたシンセサイザー、ピアノなどキーボード一般と、ドラム、ハーモニカなどもスタジオ録音、ライヴにかかわらずこなし、かつてはベースもプレイするなどのマルチプレイヤーとしても有名。
彼の非凡な音楽センスは、物心つく前から目が見えない代わりに神が与えたと称される。単なるブラック・ミュージックの枠を越え、さまざまなジャンルの音楽を違和感無く自身の音楽に消化してしまうことから、異ジャンルの音楽家からも尊敬を集めている。また、視覚障害や音楽的素養などの共通点があることから、しばしばレイ・チャールズと対比される。
政治活動にも積極的に参加し、2000年のゴア対ブッシュの大統領選でもフロリダ州にかけつけ民主党のゴアを支援。2008年の大統領選でもオバマ氏の強力なサポーターとして、党大会などに参加した。オバマ大統領の就任式のイベントでも何度もステージに立ち人気曲を披露した。(wiki)


デューク・エリントンが記念硬貨に

2009-02-26 14:34:03 | 音楽
ワシントン(CNN) 米造幣局は24日、伝説的なジャズピアニスト、デューク・エリントンをあしらったコロンビア特別区の記念硬貨を発表した。米国で一般に流通する硬貨にアフリカ系米国人が単独で登場するのは初めて。
コロンビア特別区の25セント記念硬貨は米50州記念硬貨シリーズの1つで、ピアノの前に座るエリントンの姿が描かれている。造幣局のエド・モイ局長が同日、ワシントンのスミソニアン国立アメリカ歴史博物館で記者会見して披露した。
エリントンの図柄は特別区住民による投票で、奴隷解放運動家の故フレデリック・ダグラス、アフリカ系米国人宇宙飛行士の故ベンジャミン・バネカーを抑えて選ばれた。
デューク・エリントンことエドワード・ケネディ・エリントンはコロンビア特別区に生まれ、グラミー賞を何度も受賞したジャズピアニスト。3000曲以上を作曲してスウィングジャズ全盛期を築き上げ、1974年に75歳で死去した。

 1899年ワシントンD.C.で生まれる。父親は、著名な白人医師ミドルトン・カスバートの執事であり時々ホワイトハウスへの仕出し業も行っていた。小学生の頃からピアノを習い始め、ハイスクールでは校内のパーティでピアニストとして活躍していた。同時期に音楽教師から高度な作曲理論を学び(「私の音楽に対する勉強は、GフラットとFシャープの違いを学んだことからはじまった」という言葉は有名)、1916年にピアニストとしてデビューした。その後ニューヨークに進出し、1927年にニューヨーク市マンハッタン区ハーレムにある高級クラブ「コットン・クラブ」とバンド契約した。1930年代から第二次世界大戦後にかけて「A列車で行こう」(作曲はビリー・ストレイホーン)など、音楽史に残る様々な名曲を世に出した。
エリントンが亡くなった現在でも彼が立ち上げたオーケストラは存続しており、2008年にも日本公演をしている。(wiki)





  

第51回グラミー賞の授賞式

2009-02-10 16:50:04 | 音楽
(CNN) 米音楽界で最も権威ある音楽賞、第51回グラミー賞の授賞式が8日ロサンゼルス市内で行われ、英ロックバンド「コールドプレイ」が年間楽曲賞(美しき生命)、ロックアルバム賞、ボーカル入りポップパフォーマンス(デュオもしくはグループ)賞を受賞した。
R&Bアルバム賞は、女優としても活躍しているジェニファー・ハドソン。ホイットニー・ヒューストンからトロフィーを受け取ったハドソンは、昨年殺された母親などの家族に感謝を表明した。新人賞は英国人女性ボーカリストのアデル。
年間レコード賞は、元レッド・ツェッペリンのロバート・プラントとカントリーの女性歌手アリソン・クラウスが手を組んだカバーソング「Please Read The Letter」。同楽曲が収録されたアルバム「Raising Sand」は年間アルバム賞を含む5部門をさらった。
サラウンド・サウンド・アルバム賞にノミネートされていた小山田圭吾さんのDVD(Sensurround+B-Sides)、クラシック歌唱パフォーマンス賞の候補だった藤村実穂子さんの参加アルバム(A Child Of Our Time)は、ともに受賞を逃した。

 「NARASアチーブメント・アワーズ」が正式名称だが、受賞者にグラモフォン(蓄音機)の形をしたトロフィーが贈られることから一般にグラミー賞と呼ばれる。全てあわせると110部門あるがそのうち最優秀レコード賞、最優秀アルバム賞、最優秀楽曲賞、最優秀新人賞の4部門は主要4部門として特に衆目を集める。
売り上げが良くても確実にグラミー賞にノミネートするわけではなく、年間第1位の曲でも受賞を逃すことが多い。加えて、2000年に入ってから、その年に最多ノミネートした歌手が最多受賞を逃すケースが増えている。また、U2などの例外は除いて、ロックバンドや米国歌手以外は受賞しにくい傾向にある。ただし、2009年は7部門ノミネートのコールドプレイを筆頭にイギリス出身アーティストが多くノミネートされ、この年の最優秀レコード賞は全てイギリス出身アーティストによる作品が候補に選ばれた。(wiki)



 

今年のライブ・アースは中止に

2008-12-02 19:05:14 | 音楽
 ムンバイ(CNN) 12月7日にインド西部ムンバイ市内のスタジアムで開かれる予定だった大型コンサートイベント「ライブ・アース・インディア」が、先日の同時テロを受けて中止された。主催者が11月29日に発表した。
ライブ・アースはアル・ゴア前米副大統領の提案で、気候変動問題の啓発を目的に企画され、昨年7月には世界7大陸で同時開催された。ムンバイのコンサートにはボン・ジョビやピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ、ブラック・アイド・ピーズなど大物アーティストが出演し、テレビやインターネットで世界各地に中継される予定だった。
しかし主催者はテロ発生後の「やむを得ない状況」のため、中止を決めたとしている。チケットの払い戻しは来週から行われる。

 世界7都市で2007年7月7日に7つの大陸で順次開催された、地球温暖化防止を訴える世界規模の同時コンサート。地球温暖化の解決に向けたプロジェクト「S.O.S.(Save Our Selves)」が手がける初の巨大イベント。
2005年のアフリカ貧困撲滅支援コンサート「LIVE 8」でエミー賞を受賞したケビン・ウォールと、ドキュメンタリー映画「不都合な真実」の作者としても知られる元アメリカ合衆国副大統領のアル・ゴアが中心メンバーとなって、2007年2月15日に開催を提案し、7つの大陸で行われる 9つのコンサートと視聴参加4会場で開催。100人以上のミュージシャンが集結し、マルチメディアを通じ150カ国に24時間中継され、20億人の観客とともに、気候変動の危機の解決に向けた、世界的なムーブメント。
S.O.S.(SAVE OUR SELVES=自分自身を救え)キャンペーンのミッションは、個人に力を与えて、消費者行動を変え、企業や政治のリーダーを動かし、気候変動の危機に対処する方法を決断させること。 SOSのメッセージは、誰でも、どこでも、気候変動の危機を解決するための呼びかけに応えることができ、またそうしなければならないと、継続して訴えかけた。2008年12月7日にもインドのムンバイで開催される予定であった。