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47歳女性の後は12歳少年に注目

2009-04-22 15:59:00 | 音楽
 ロンドン(CNN) ミュージカルナンバーを歌ったスーザン・ボイルさん(47)を一躍世界的な有名人に押し上げた英オーディション番組「Britain's Got Talent」の18日放送に、今度はモータウン風の歌声を聞かせるウェールズ在住の12歳少年が出場し、注目された。
この少年シャヒーン・ジャファーゴリ君はまず、英バンド「ザ・ズートンズ」の歌でエイミー・ワインハウスがカバーした「ヴァレリー」を一節歌った。厳しいコメントで知られる審査員の音楽プロデューサー、サイモン・コーウェル氏から「間違ってる。ほかにどんな歌を歌うの」と問われると、シャヒーン君は、スモーキー・ロビンソンの歌をジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンがカバーした「Who's Loving You」を熱唱、観客から大きな歓声を浴びた。
音程が完璧なシャヒーン君の歌唱にコーウェル氏の顔はほころび、他の審査員2人も驚嘆。コーウェル氏はシャヒーン君に対し、番組でこの歌を歌ったことが人生で「何か特別なことの始まり」になるかも知れない、と語りかけた。別の審査委員ピアーズ・モーガン氏も、コーウェル氏がシャヒーン君の声に合った曲を歌わせた場合、少年版スティービー・ワンダーとして話題になるだろうとコメントした。
シャヒーン君は2歳から歌い始め、その後ボーカルレッスンを受けて声量を上げた。番組のインタビューでは、今回の出場が大きなチャンスになることを願っていると語った。
動画共有サイト「ユーチューブ」に掲載されたシャヒーン君の映像は、20日午前までに33万回のアクセスを記録している。

 こういった素晴らしい才能(音楽)を持った人たちが注目を集め出したと言う事は、英国だけに限った事ではなく、世界中にいるまだ世の中に知られていない音楽の天才達にも注目が集まる筈です。世界的に音楽業界も不況の真っ只中です。天才達に再び音楽の復興を期待せざるを得ません。いよいよ『本物の時代』が幕を開けるのか???
YouTube>http://www.youtube.com/watch?v=yVU4IkzMNIo
   

人種差別と波乱の音楽人生

2009-04-20 16:11:00 | 音楽
 ヨハネスブルク(CNN) 南アフリカのジャズ音楽界を代表するアーティストの1人、ヒュー・マセケラ氏(70)がこのほど、CNNとのインタビューで波乱の半生を振り返り、母国への思いを語った。同氏は20歳からの30年間を米国などで過ごした後に帰国、現在も世界各地で公演活動を続けている。
マセケラ氏は1939年生まれ。当時の南アはアパルトヘイト(人種隔離政策)下にあり、黒人は厳しい差別を受けていたが、「私の音楽に影響を与えたのは差別の苦しみではなく、歌と踊りに満ちた環境だった」と振り返る。「身の回りには実に多様な音楽があふれていた。人々は歌うことで抑圧をはねつけ、抵抗した。当時はテレビなどなかったから、私たちは路上で遊び、即興の歌を口ずさんで育ったのです」
子ども時代、電気も下水道もない近郊の町からヨハネスブルクへ引っ越した時の印象は強烈だった。「ぴかぴかに磨き上げられた歩道からレストランの窓をのぞくと、白人たちが見たこともないようなごちそうを食べていた。その光景を鮮やかに覚えている」という。
マセケラ氏が国外へ旅立ったのは1960年。アパルトヘイトの強化が進み、街には武装した警官や戦車が目につくようになっていた。「外国で音楽教育を受け、帰国してそれを母国に伝えよう」――若きマセケラ氏はそう決意した。ジャズバンドを結成して全国ツアーを計画したものの、政府が10人以上の集会を禁止していて、中止を余儀なくされる。そういう時代だった。
予定していた4年が過ぎたころ、南アでは黒人の反政府運動がますます激化し、帰国できる状態ではなかった。最終的に帰国を果たすまでに、それからさらに26年が経過していた。「久しぶりの母国には高速道路が通っていて、乗り方を一から覚えなければならなかった。人々の言葉遣いも変化していて、私の話し方は古臭いと指摘された」と笑う。
現在のヨハネスブルクの文化についての質問に、同氏は「ここは国際都市。単一の文化を挙げることはできない。南ア自体と同様、多様な文化が混在している」と答え、同時に「それは依然として、人種ごとに分かれた文化。壁を取り払い、互いを認め合うことができれば、明るい未来が開けるはずだ」と語った。さらに「こういうことを言うと政府はいい顔をしないが」と前置きしたうえで、「最近は治安が悪化し、夜になると街から人影が消えてしまう。ヨハネスブルクだけでなく、南ア全体の問題だ」と指摘。「南アの国民も娯楽を楽しみ、国土の美しさを享受し、外国からのお客に『これが私の国です』と胸を張れるようになるべきだ」と力を込めた。

 南アフリカ共和国(みなみアフリカきょうわこく、英語: Republic of South Africa、アフリカーンス語: Republiek van Suid-Afrika)は、アフリカ大陸最南端に位置する共和制国家。通称は、南アフリカ、略称は、南ア(なんア)。首都はプレトリア(ツワネ市都市圏)。イギリス連邦加盟国。
かつては有色人種に対する人種差別で知られ、それらは1994年に至るまで、アパルトヘイトと呼ばれる合法的な政策によるものであった。鉱物資源に恵まれ、金やダイヤモンドの世界的産地であり、民主化後の経済発展も注目されている。エイズの蔓延、教育水準の低い非白人の貧困、治安の悪化など懸念材料も多い。(wiki)

   

英オーディション番組、47歳女性に喝采!!

2009-04-17 17:23:00 | 音楽
(CNN) 英国で11日放送のオーディション番組「Britain's Got Talent」に出場した47歳女性が、突出した歌唱力で満場の喝采を浴びた。この映像は動画共有サイト「ユーチューブ」でも、アクセスがここ数日間急増している。
この女性スーザン・ボイルさんは、華やかな衣装なしでステージに登場。番組から浮いている雰囲気のボイルさんが、エレイン・ペイジのようなプロの歌手になるのが夢だと語ると、客席からは失笑が漏れた。
しかしミュージカル「レ・ミゼラブル」のナンバー「夢やぶれて」をボイルさんが歌い始めた途端、客席の反応は一変。ボイルさんの素人離れした歌唱力に3000人近い観客は驚嘆し、立ち上がって大きな拍手を送った。最初は冷めた目でボイルさんを見ていた審査員の音楽プロデューサー、サイモン・コーウェル氏も太鼓判を押した。既にボイルさんとのレコード契約に向けて動き始めたという。
ボイルさんはスコットランド・ウェストロージアンの自宅に、飼い猫と暮らしている。慈善活動に携わっているものの無職で、結婚歴や男性との交際歴はない。テレビ番組に出るのは、2年前に他界した母親との約束だった。教会の礼拝では歌っていたものの、美声を誇示したことは一度もなかったとされる。今回の番組出場で、ボイルさんは初めて歌唱力を公に認められた。
ユーチューブに掲載されたボイルさんの動画は、既に500万人が視聴した。英プレス・アソシエーション(PA)によると、米女優デミ・ムーアさんと米俳優アシュトン・カッチャーさんのカップルもユーチューブの動画を見たもようで、既にボイルさんの大ファンになっている。

 いやはや、久々に感動しました!!音楽は本当に素晴らしいです。彼女は人を感動させる何かを持って生まれて来ましたが、それを誰も発見できないまま時間だけが過ぎて行ったんですね・・・。今度は、もっともっと人々を感動させてもらいたいと思います。そして、伝わって来る彼女の性格も本当に純粋で素晴らしい。(涙)
You Tube>http://www.youtube.com/watch?v=hZTmbmvYSm0&hl=ja

You Tube>http://www.youtube.com/watch?v=gKhIkeTkm8s&feature=related

故ジョージ・ハリスン、ハリウッド殿堂入り

2009-04-15 18:06:00 | 音楽
 ロサンゼルス(CNN) ビートルズの故ジョージ・ハリスンさんが14日、ロサンゼルス・ハリウッドにある、映画や音楽スターの名前を刻んだ敷石が並ぶ「ウォーク・オブ・フェイム」に名を連ね、殿堂入りした。ハリスンさんは58歳だった2001年、がんで亡くなっている。
ハリスンさんの「星」は、ハリスンさんの音楽を配信してきたキャピトル・レコードのすぐ近くに設置された。式典には妻オリビアさんと息子ダニさんのほか、ポール・マッカートニーさんなど友人ミュージシャンが出席した。
この日に合わせ、キャピトル・レコードとEMIは同日、ハリスンさん初めてとなるソロのベスト盤リリースを発表。発売日は6月16日となっている。

 イギリス・リヴァプール出身の、ロック・ミュージシャン(歌手・ギタリスト)、映画プロデューサー。ロック・バンド、ザ・ビートルズのメンバーの一人として1960年代に世界を制覇し、グループ解散後はソロ・アーティストとして「マイ・スウィート・ロード」「ギヴ・ミー・ラヴ」「二人はアイ・ラヴ・ユー」「過ぎ去りし日々」「セット・オン・ユー」などをヒットさせ、「最も長い間ヒットを飛ばし続けた男」としてギネスワールドレコーズ(旧称ギネスブック)に認定されるまでに至った。
2001年に肺癌と脳腫瘍のため逝去。1988年にビートルズのメンバーとして、2004年に個人としてロックの殿堂入りしている。現在「Sir」の称号を故人として初めて授与するかどうか議論されている。(wiki)



サンタナのコンサート

2009-04-02 16:11:00 | 音楽
(CNN) ロックギタリストのカルロス・サンタナは、米ラスベガスのハードロック・ホテル&カジノのコンサートホール「ザ・ジョイント」への専属出演について2年契約を結んだ。同ホテルが3月31日に発表した。
サンタナのコンサート「Supernatural Santana: A Trip Through the Hits」は今年5月27日からスタートし、年間36公演。興行主は、シーザーズ・パレスでセリーヌ・ディオンやエルトン・ジョン、ベット・ミドラー、シェールの公演を開いた実績を持つAEGライブ。
ザ・ジョイントは4月に改装オープンする予定で、定員は4000人。改装後第1弾公演となるポール・マッカートニーのコンサートは、3月に発売されたチケットがわずか7秒で完売した。

 1966年、サンフランシスコで結成されたサンタナ・ブルース・バンドが前身。その後サンタナと改名し、1969年にコロムビア・レコードと契約してデビュー。それと同時期にウッドストック・フェスティバルに出演し、話題となる。セカンド・アルバム『天の守護神』(1970年)はビルボード誌のアルバム・チャートで1位を獲得。1971年にはニール・ショーンが加入してツイン・ギター編成となるが、ジャズ・ロック色を強めたアルバム『キャラバンサライ』(1972年)発表後、大幅なメンバー・チェンジが起こる。ニールとグレッグ・ローリーは、サンタナ脱退後にジャーニーを結成して、同じく世界的な成功を収めた。
1973年7月の大阪公演の模様は、横尾忠則デザインのジャケットでも有名なライヴ盤『ロータスの伝説』(1974年)に収録された。『アミーゴ』(1976年)収録曲「Europa」は、カルロスを代表する名演として知られる。
アルバム『ジーバップ!』(1981年)は全米9位のヒット作となる。その後の作品はチャート・アクションは低迷するが、バンドはコンスタントに活動を継続。『フリーダム』(1987年)では、ジミ・ヘンドリックスとの共演で知られるドラマー、バディ・マイルスがボーカルを担当。
1998年、ロックの殿堂入りを果たす。
1999年に発表したアルバム『スーパーナチュラル』は、バンドにとって28年ぶりの全米1位獲得を果たし、アメリカだけで1500万枚、全世界で2500万枚以上を売り上げるという大復活となる。同作は、グラミー賞史上最多の9部門を受賞し、収録曲「Smooth」は、ビルボードのHOT 100で12週連続1位を獲得、バンドにとって初の全米1位シングルとなった。2002年には、アルバム『シャーマン』も全米1位を獲得。
リーダーであるカルロス・サンタナはソロ作品も発表しており、ジョン・マクラフリンやハービー・ハンコック、渡辺貞夫等、ジャズ・フュージョン系のミュージシャンとの共演も多い。(wiki)