ゲームは楽しむものです。
楽しめるならそれでいいのです。
問題は何が楽しいかは、一人一人違うことです。
私は幼稚園のころからファミコンをしてました。
このときの私の「楽しい」は「私が指を動かすことで画面がリアクションを起こす」ことだったと思います。
特に何を考えてゲームをやっていた訳ではなかったのです。
RPGをやっても、文字なんて読めませんでしたし、クリアしたことはないです。
当時の私は何も知りませんでしたから。
今の私はゲーム一つ買うにしても色々考えます。
ジャンルなんて昔は考えもしなかったのに。
私は何を知ったのでしょうか。
超魔界村の難しさのせいで2Dアクションが嫌いになったって感じたのは小学校の終わりごろ。
育成シミュレーションが楽しく思えたのも同じ頃。
そして、それがただの作業だと思ってしまったのは中学の真ん中くらい。
CGIのオンラインゲームにハマッたのはその頃。
これも結局は作業で、ランキング上位目指すだけの自己満足ゲームと気づいたのは中学の終わり頃。
物事を純粋に楽しめるもっとも簡単な条件は無知であることです。
何も知らないからこそ、そこで起きるそのままを享受できます。
例えばプロレスに台本があることを知らなければ、その迫力と展開を真っ直ぐに楽しめたでしょう。
ただ、好きになった。
もっと知りたいと思う。
そうすると、いつか真実を知ることになります。
知ってしまえば、二つしか道はないのです。
知らなかったことには出来ないから。
知ってしまったから拒絶する、それは虚言なのだ、と。
知りながらも受け入れる、それはエンターテイメントなのだから、と。
楽しめることは幸せです。
では知らないことは幸せですか?
もし幸せだというのなら、その幸せは、壊れやすくはありませんか?
もし幸せではないのなら、やはり、知る必要があるのではないでしょうか?
今はまだ、その真実を知る知識も経験も、何もないけど。
自分は何が楽しいのかくらいは、知ってます。
「真実」を知った上で楽しめる。
そんなゲームに出会えたらいいな、と、そう思う。
そんな小さな願いと希望をもって。
明日も私は、そっとコントローラーを手に取るのです。
さて、何書こうかな(ぉ
とりあえずサッポロポテトのバーベキュー味は大丈夫でした。
何がって、辛さが(ぉ
そうそう、このブログ、私は「小学生でも読める簡単な文章」を目指してます。
これは目標なんでそのうち達成出来ればいいです。
そのうち目標が変わってたりもするでしょうし(何
あともう一つ、「本当に書きたいことは書かない」ことをがんばってます。
何無駄なことやってるんでしょうかね、ビックリだ(ぉ
まあ実際は書きたいことは書いてます。
少し婉曲な表現を、いわゆるオブラートに包むってことをしてるだけです。
あれ? 書くことが無かったハズなのに結構書いてるってことに驚いた佐藤でした。