ぬくぬくと♪ 温泉宿の亭主の日々

お世話になります♪群馬県猿ヶ京温泉の猿ヶ京ホテルの三代目亭主のブログです。歴史と野球とゴルフが「当座」の趣味です。

与謝野晶子公園を訪問

2009-05-28 09:25:09 | Weblog
皐月某日

水上温泉の真ん中を利根川の上流が流れています。
そこにかかる笹笛橋は新しい吊橋です。
写真は「笹笛童子」公園の側から見た笹笛橋です。


笹笛童子公園の側から笹笛橋を渡ってくると見えてくるのが、与謝野晶子の『岩の群れ~』の歌碑です。橋のたもとの岩盤の上にぽつんと立っています。



岩の群おごれど阻む力なし 矢を射つつ行く若き利根川
与謝野晶子
この2009年6月6日に行われる『ひとりオペラ与謝野晶子みだれ髪』のチラシに出ている歌です。



笹笛橋を渡りきると、与謝野晶子公園の敷地内に入ります。ここに与謝野晶子単独の歌碑が3基、寛(鉄幹)との夫妻の歌碑が2基と合計5基もの歌碑が並ぶ歌碑公園になっています。
ひときわ目立つのは、晶子が愛用した丸い帽子をかたどった歌碑は白みかげ石に黒い石版がはめこまれ、金色の文字が刻んであるものです。

君死にたまふことなかれ
与謝野晶子
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生まれし君ならば、
親のなさけは勝りしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せと教えしや、
人を殺して死ねよとて
二十四まで育てしや。

日露戦争のおり、旅順要塞攻撃軍の中にあった実の弟を思ってうたったものです。「反戦の詩」として有名で、歴史の教科書などにも多く採用されています。戦争の恐ろしさ、肉親のやるせなさを伝えるうたとして、多くの人が愛謡されてきたうたです。


その隣のやはり白い石に刻まれているのは「山の動く日」と言う晶子が『青踏』で発表した詩です。『青踏』は女性運動家で、夏目漱石の小説『三四郎』で主人公の三四郎を翻弄する美禰子のモデルとされる平塚らいてうが主催した同人誌です。

山の動く日
与謝野晶子
やまの動く日きたる、
かく云えど、人これを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ、
その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。
されど、そは信ぜすともよし、
人よ、ああ、唯だこれを信ぜよ、
すべて眠りし女、
今ぞ目覚めて動くなる。




一方、利根川に面したスペースには晶子、寛夫妻の碑が立っています。

利根の洲の白きあたりにかじか鳴き
温湯川より夕風のぼる 晶子

前の山なほ暗けれど三つばかり
朱に染む奥のあけぼのの山 寛


これらは昭和7年5月に発表された『冬柏』の上越遊草からの出展です。



そして、川側の真ん中にある、黒い石版に刻まれているのは晶子の直筆です。

七つの子かたはらに来てわが歌を すこしづつ読む春の夕ぐれ

「青海波」と言う歌集から取られています。
この歌碑以外の碑文は晶子の七女森藤子さんの手によるものです。


公園に立つ東屋の近くに立つのはやはり夫妻の歌碑です。

日のひかり渓(たに)に香りて虎杖(いたどり)と
蓬にまじる山吹の花 寛

吊橋と舞へる燕を中にして
両の岸に李花咲く 晶子

こちらも『冬柏』の上越遊草からの出展です。


与謝野晶子ファンであれば、こたえられないほどの歌碑が集中しているこの与謝野晶子公園は、一つの公園で晶子の生涯を振り返り、しかも水上温泉に遊んだ時代を彷彿とさせるミニ・ミュージアムとも言える内容を持っています。








湯原温泉公園を訪問

2009-05-27 09:55:36 | Weblog
皐月某日
水上温泉の真ん中、湯原地区に湯原温泉公園が完成したと聞いて、見に行くことにしました。

利根川にかかる水上橋のたもとには、若山牧水の歌碑があります。達筆で読みにくいのでネットで調べたところ、町長の清流会のホームページに載っていました。

『大渦のうずまき あがり音もなし うねりなだれて 岩を掩えども』

ここには温泉の源泉があり、温泉薬師や湯の地蔵尊がそれを守るようにまつられています。今回の温泉公園の整備にともなって覆い屋を新しくしたのでしょうか。清清しい感じでまつられていました。


こちらが「温泉薬師」。ほこらの後ろの建物が源泉の管理棟です。


湯の地蔵尊も真新しい覆い屋におおわれ、装い新たに温泉客を迎えています。横にはお願いを絵馬に書いて奉納できるように、絵馬をかけるところが作られています。


温泉公園は今みなかみフェスタのメイン会場になっており、特設のステージなど設けられていますが、このときはイベントがなく、地元のおばさん二人が足湯でくつろいでいました。


三波石と思われる石のまん中をくりぬいて、温泉が沸いていました。手を浸すと調度よい温かさでした。