
小川洋子さんの「博士
の愛した数式」を読んで、
驚いた箇所がある。博士
が、数学者の仕事につい
て「私」に語る場面。
「そう、まさに発見だ。
発明じゃない。自分が
生まれる以前から、誰
にも気づかれずそこに
存在している定理を、
掘り起こすんだ。神の
手帳にだけ記されてい
る真理を、一行ずつ、
書き写してゆくような
ものだ(後略)」
数学になぞらえることに
気おくれするのだが、こ
れは、僕が文章の書き方
について考えていたこと
と同じだった。すなわち、
「文章はつくるものでは
ない、見つけるものだ」と、
もちろん、言葉に、数学の
世界の「定理」などという、
絶対的で唯一無二の解答は
ない。見る角度を変えれば、
いくつもの答えが出てくる
はずである。それでも、そ
のいくつもの答えの中で、
何人もの人が心の底から、
「そうだ、その通りだ」と
うなづけるものはそんなに
多くはない。むしろ希少で
ある。
この空中のそここに、人知
れずにひっそり浮遊してい
る「ほんとうのことたち」を、
ひょいとつかまえ、誰の心
にも入りやすいカタチにし
て人々の前に呈示する。
それが、僕の考えることば
たちである。
の愛した数式」を読んで、
驚いた箇所がある。博士
が、数学者の仕事につい
て「私」に語る場面。
「そう、まさに発見だ。
発明じゃない。自分が
生まれる以前から、誰
にも気づかれずそこに
存在している定理を、
掘り起こすんだ。神の
手帳にだけ記されてい
る真理を、一行ずつ、
書き写してゆくような
ものだ(後略)」
数学になぞらえることに
気おくれするのだが、こ
れは、僕が文章の書き方
について考えていたこと
と同じだった。すなわち、
「文章はつくるものでは
ない、見つけるものだ」と、
もちろん、言葉に、数学の
世界の「定理」などという、
絶対的で唯一無二の解答は
ない。見る角度を変えれば、
いくつもの答えが出てくる
はずである。それでも、そ
のいくつもの答えの中で、
何人もの人が心の底から、
「そうだ、その通りだ」と
うなづけるものはそんなに
多くはない。むしろ希少で
ある。
この空中のそここに、人知
れずにひっそり浮遊してい
る「ほんとうのことたち」を、
ひょいとつかまえ、誰の心
にも入りやすいカタチにし
て人々の前に呈示する。
それが、僕の考えることば
たちである。