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韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観 : 3-5 朝鮮は中国の服属国ではなかったのか?

2014-06-16 16:06:02 | 韓国問題

■■■ Japan On the Globe ■■■ 国際派日本人養成講座 ■■■

韓国問題-歴史編 第3部 「お家の事情」の歴史観
3-5 朝鮮は中国の服属国ではなかったのか?

「朝鮮は中国の属国ではなかった」とする韓国の歴史教科書にもの申す。
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■1.韓国による歴史教科書修正要求は内政干渉か?■

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「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必要」
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 韓国はこのような修正要求を35項目、文部科学省の検定を終えたわが国の中学歴史教科書に対して、平成13(2001)年5月7日に突きつけてきた。



これは扶桑社の「新しい歴史教科書」だけでなく、他の7社のすべてを含んでいる。ついで、中国も5月16日に「新しい歴史教科書」に8項目の修正要求を行った。

 これに対して日本の世論は「不当な内政干渉」だ、という声が圧倒的であった。5月25日にテレビ朝日で放映された「朝まで生テレビ」の視聴者からの電話アンケートでは、有効回答数598件中、「明らかな内政干渉である」とする回答(286件)が、「要求されて当然だ」とする回答(117件)の2倍以上であった。

 検定途中に扶桑社版の不合格工作を元・外交官が行ったり、田中外相が「事実をねじ曲げていることを承知の上でつくった教科書を合格とするような検定制度は問題だ」と発言したりと、あいかわらず国籍不明の外務省は別にして、文部科学省、および、首相官邸の対応はおおむね毅然としたものであった

 遠山敦子・文部科学相は、韓国の修正要求の翌日、「検定制度上、明白な誤りがない以上、合格後に修正を行うことはできない」と述べ、小泉首相も森前首相以来の干渉拒否の姿勢を支持した。


■2.民対民で国際ディベートを■

 事実上のゼロ回答に、韓国政府は次々の報復措置を打ち出した。来年のサッカー・ワールドカップまでに行う予定であった日本の歌謡曲のCD販売や娯楽番組のテレビ放映の規制解除の中断(これは陰で韓国の国内産業の保護という見方もあるが)、小、中、高等学校の相互訪問中止、8月末に南アフリカで開かれる世界人種差別撤廃会議での問題提起、等々。

 日本政府はこれらについては静観しているが、民間では韓国内の反日感情の高まりを危惧して、日本からの観光客が7月には急減したという


さすがに韓国でも「学生交流までやめさせる必要はあるのか」との冷静な声も出てきた。

 韓国政府が日本の民間が書いた歴史教科書を修正させろと日本政府に要求することは、内政干渉であり、かつ言論の自由を侵すものとして拒否したのは正しい態度であるが、韓国側の要求内容が妥当なものかどうかを批判するのは、わが国の民間の役割だろう。

 日韓の民間同志で、相互の歴史観をぶつけあうことは、許されることでもあるし、また意味があると考える。これは一種の国際ディベートとして、相互の歴史観を鍛える機会ともなろう。


■3.朝鮮は服属国であったか?■

 本号では、その練習として、「韓国は中国の服属国であったか」という点に絞って、韓国側の修正要求と歴史教科書記述に対して、本講座なりの考察を加えてみたい。


この点をどう見るかで、明治期の日韓関係の見方が大きく変わってしまうからである。

 韓国の修正要求は、東京書籍、教育出版、帝国書院、日本文教出版の「征韓論」の部分で、

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 中国の属国として位置づけられていた朝鮮は、・・・日本との国交を断った。
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とある表現に対して、「当時の朝貢関係につき説明せずに、朝鮮を中国の属国として表現している」という検討意見をつけている。

 扶桑社版にも同様に、「中国の服属国であった朝鮮も」という表現に対して、「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必要」とクレームをつけた。扶桑社側は、これを「強い影響下にあった」と自主修正した。


■4.国号を決めてもらうのが「親善関係」?■

 韓国側は教科書でも朝鮮が中国に対して服属国であったことを絶対に認めない。まず李氏朝鮮の成立にあたって、

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 新王朝は、国号を朝鮮と定めた。「朝鮮」は、すなわち古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、壇君(JOG注:朝鮮の開国神話で、天命によって降臨した、古朝鮮の開祖)に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。
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 と述べるが、国号を朝鮮自身で定めたというのは、歴史事実ではない。「朝鮮王朝実録」によれば、太祖・李成桂は使いを明に送って、国号として「朝鮮」と「和寧」という二つのうちのどちらかを採択することを請い、「朝鮮」を選んでもらった。

 中国皇帝が地方の諸侯に封禄・爵位を授ける事を「册封」と言うが、転じて、周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて、擬似的な君臣関係を結ぶシステムを「册封体制」(または華夷秩序、中華秩序)と呼ぶ。


朝鮮王も、中国皇帝の柵封を受けて、初めて朝鮮の国王として認められた。だから、国号でさえ自分では決められないのである。

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 朝鮮王朝は、外は明と親善関係を維持して国家の安定をはかり、女真や日本に対しては交隣政策をとって国際的な平和を維持した。
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 国号まで決めて貰う宗主国との関係を対等であるかのような「親善関係」と記述するのは、相当に無理がある。

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 明との外交は朝鮮側がより積極的であった。朝鮮は朝貢を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通して経済的・文化的実利を得た。しかし後にはいきすぎた親明政策に流れる傾向があらわれた。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 宗主国に対して定期的に貢ぎ物を送る「朝貢」も、柵封体制の特徴の一つである。これを「明の名分を立ててやり」とは、中国が読んだら、怒って修正要求を出すのではないか?


■5.清国への「君臣の礼」■

 明との主従関係は、女真族から起こった清朝にも引き継がれた。

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 後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、朝鮮王朝に対しては君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽を占領した。

 そのため仁祖は臣下とともに南漢山城に移り、45日間抗戦したが、ついに清の要求を受け入れて講和を結んだ。この戦争を丙子胡乱という(1636)。
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 「講和」の結果、清は王子一族をはじめ、3公6卿とその家族数百人を人質にし、民衆50万人を北方に連行した。


その後1636年から1881年までの244年間に、朝鮮から清への朝貢使は500回以上に及んだ。


また清の勅使を迎えるたびに、朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅使を迎えた後、慕華館で勅使の接待をすることを余儀なくされていた。「君臣の礼」とは、このように過酷なものであった。


■6.日本からの無礼・傲慢な国書■

 1868(明治元)年、12月19日、日本の新政府の樹立を通告する国書を携えた使節が釜山浦にやってきた。しかし国王高宗の父・大院君が実権を握る李朝政府は国書の受取りを拒否した。

 その第一の理由として挙げられていたのが、日本からの国書に「皇上」「奉勅」の文字が使われていたことであった。


朝鮮から見れば、「皇」は中国皇帝にのみ許される称号であり、「勅」は中国皇帝の詔勅を意味した。朝鮮王は中国皇帝の臣下であり、このような傲慢かつ無礼な国書を受け取ることはできない、というのが、朝鮮の考えであった。

 そのような国書を勝手に受け取ったら、宗主国・清国からどのような懲罰が下るかもしれぬ、という恐怖感もあったであろう。


日本の新政府は、その後もたびたび使節を送って交渉を続けたが、朝鮮側の受け取り拒否は変わらなかった。この時の事情を、韓国教科書は次のように記述する。

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 日本は明治維新以降、新しい国家体制を築き、勢力を広げようと交渉を要請してきたが、朝鮮政府はこれを拒否した。これは、日本と修交すれば、西洋の侵略が後に続くと見なしたためであった。
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 国書を拒否した第一の理由は伏せられたままである。


■7.「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」■

 ひたひたとアジアに押し寄せてくる欧米勢力から、国家の独立を守るには、内に近代的な国民国家を作り上げ、外に開国して早急に近代的経済力・軍事力を身につける必要がある。

 そうした危機感をもとに維新を敢行した明治日本の指導者から見れば、古代からの柵封体制から一歩も出ない李朝朝鮮の姿勢は、火事が迫っているのにも気がつかずに惰眠を貪る老人のように見えたであろう。

 業を煮やした明治政府は、軍艦を派遣して、李朝政府を威圧し、日朝修好条約(江華島条約)を結ばせた。


条文の第一条は「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」と始まり、朝鮮を清国の柵封体制から独立させようという意図は明白であった。このあたりを韓国の歴史教科書はこう記述する。

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 江華島条約は、わが国最初の近代的条約であったが、治外法権の認定など朝鮮に不利な条約であった。これをきっかけにして釜山、元山、仁川の3港を開港し、日本はソウルに公使館を設置し、朝鮮に大きく勢力を浸透させはじめた。
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 たしかに日本の手口はペリーと同じ砲艦外交であり、西郷隆盛が「天理に於いて恥ずべき所為」と憤ったほどであるが、朝鮮を冒頭で「自主の邦」と宣言した事については、韓国教科書では何も触れられていない。


■8.清国軍のソウル制圧と朝鮮属国化■

 この条約によって朝鮮は開国し、留学生や使節団をさかんに日本に送って、近代化への努力を始める。しかしその後、近代化政策に不満を持つ勢力や、役人の腐敗に不満を抱く民衆による暴動が発生する。


日本人軍事教官など数名が暴徒に殺害され、日本公使館も襲われて、公使らは命からがら脱出した。

 高宗の皇后閔妃(びんひ)はこれを失脚していた大院君の策謀として、清国に暴動平定のための派兵を要請した。


清国軍は3千の兵力と、3隻の軍艦で反乱を制圧し、大院君を清国軍艦で天津に強制連行してしまう。日本側も居留民保護にために、1500人規模の出兵を行った。

 この壬午(じんご)軍乱(1882)の後、清国は対朝鮮干渉を強化し、ソウルを軍事制圧下に置き、清国朝鮮商民水陸貿易章程を結んだ。これは朝鮮を清国の属国であると明記し、宗主国として貿易上の特権を独占することを規定していた。


これにより、朝鮮を「自主独立の邦」とした日朝修好条約は名ばかりのものになってしまった。

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 わが国の農民たちは、日本の経済的侵略に強い反感をもつようになり、しだいに日本を排斥する機運が広がっていった。・・・

 壬午軍乱後、朝鮮は清の内政干渉を受けるようになり、政権についた閔氏勢力は開化政策に消極的になり、近代的改革をきちんと進められなくなった。
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 治外法権はあったにせよ、朝鮮を「自主独立の邦」として交易を求めた日本を「経済的侵略」とし、清国の軍事制圧や貿易特権の独占を「内政干渉」と言うのは、あまりにバランスを欠いた記述ではないか。


■9.日清・日露への道■

 この後も、日本の支援を受けて近代化と独立を押し進めようとする若手官僚を中心とする「開化党」と、清国の軍事力で国内を抑えようとする閔氏勢力の争いが続く。


それが日清戦争にまで発展するのだが、日本の勝利後、清国と結ばれた下関条約の第一条で、朝鮮を「自主独立の国」と規定した。朝鮮はようやく清国の柵封体制から独立しえたのである。

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 清日戦争の結果、下関条約が結ばれた。この条約で日本は遼東半島と台湾を手に入れた。
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 と、韓国の歴史教科書は、ここでもこの第一条の意義を伏せている。日本がロシア、フランス、ドイツによる三国干渉で、遼東半島を放棄すると、閔氏勢力は今度はロシアに接近していく。これがさらに日露戦争の原因となっていくのである。

 三国干渉に屈した事実を見れば、日本の当時の国力では、欧米勢力を向こうに回して、朝鮮の侵略と植民地化などという大それた野望は持つべくもなかった事は明白である。


日清、日露と日本が自国の存亡を賭けて中露二大国と戦ってきた目的は、ひとえに自存自衛の為に、隣国朝鮮を「自主独立の国」として、清国やロシアの属国化を防ぐことにあった。

 もし、本当に朝鮮が自主独立の国であったとすれば、わが国は日清戦争も日露戦争も戦う事なく、もっと安全で幸福な道を歩めたであろう。

 韓国が、清国との貿易章程で「属国」と規定した事実までも隠蔽して「朝鮮を中国の『服属国』として表現したものは削除必要」と要求するのは勝手である。



しかし、それは我らが父祖が、朝鮮の独立保全のために必死に戦った意義を無視し、逆に、その努力を朝鮮侵略と曲解することにつながる。日本人の歴史観としては到底、受け入れられない要求である。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(190) 「お家の事情」の歴史観
「抗日史観」を国家の「背骨」にせざるをえない韓国の「お家の事情」。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog190.html

b. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 勝岡寛次、「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」★★★、小学館文庫、H13

2. 呉善花、「韓国併合への道」★★、文春新書、H12

3. 名越二荒之助、「日韓2000年の真実」★★★★、国際企画、H9



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