禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

魔法の液体!お酒!と言う話し!

2019-03-16 22:54:30 | livelove日記
お酒と言うのがある。これが、わからない時がある。わたしは台所へ行って瓶の中の液体を飲み、俗に言う’酔う!’これを体験するが、、


わたしは喉が渇いていた。とある一軒家に入り、わたしは当たりを見渡すと玄関脇の台の上に小瓶がある。中に、透明の液体が入っていたので、丁度良い!とばかりにわたしは蓋を開け、その液体を一気に飲み干す!!わたしは、これで乾いた喉を潤せた!と思い、外にい出て、もう一度わたしは行先を進行方向に進んでい行くと、何やらわたしは気分が火照って来る。わたしは気が付かず、そのまま突き進むが次第に気分は変わり、体がふらふらし頭は回り始めて、わたしは最終的に行く道にバタっと倒れてしまう。
わたしは道端に倒れ、暫く動けずにいるが、一定時間後、わたしは何とか立ち上がり、ふら付く足元を余所に、行く道を進んで行くが、わたしはこの時の体験が記憶に残り、一層後日、何だかもう一度あの時の体験がしたくなり、わたしは町中を歩き回って、透明の液体が入る小瓶を探しに出掛けるのである。



また、とある昔、わたしは池の水を飲み数分後頭がふらふら回り、気分がハイになってしまうとある不思議体験をする!わたしは、この体験が面白く、よくその池に寄っては池の水を飲み、ふらふら体験をするのである。わたしはその体験を「ふらふらごっこ!」と命名し、足よく通っては、池の水を飲み体をふらふらさせて遊んでいたのである。後日、その池の水は俗に言う’お酒!’これであって、そのことを知らないわたしは池の水(=酒)を飲んでは、ふらふら体験をし、遊んでいたのである!

さな的台地作り!!悠々生活の巻ぃ~!

2019-03-16 20:55:39 | livelove日記
世の中人間と言うのは、時に悪いことをするものでドラクエのゲーム、正義の味方が最後竜王を倒しに行く時のように、世の中を闇に伏す世界征服者が現れることがある。我々は、その世界征服を企む悪を退治しようと正義の剣!ロトの剣を上に翳すのだが、、、

昔昔、日本と言う国は産声を上げる。真ん中に神社一つがあり、後は見渡す限り田んぼ台地が広がる公然とした台地、日本及び日本人は、最初このだだっ広い公然とした台地の上に立ち、その中で最初のおんなのこ亜紀が生まれるのである。日本は、見渡す限り公然とする台地が広がる中、一つその中にポツンと亜紀ちゃんちが立つことになる、それでも神社と亜紀ちゃんちしかない、だだっ広い台地の国家には変わりはなかった。
暫くすると、亜紀ちゃんと言うおんなのこの他に、次に現れるおんなのことして綾野と言うおんなのこが誕生する。と言う事で、日本台地は、この度に亜紀(ちゃんち)と綾野(ちゃんち)の2軒及び神社と言う建物がある他は、見渡す限り田んぼ風景が広がる、歴然と何もない!台地の日本が最初にあったのである。ゆえに、最初の日本台地を表して、この時期をわたしはガラクタ(あるいは焚き火)時代と呼んでいる。

わたしと言う人物がいる。日本は、神社とそれの他は、見渡す限り田んぼが広がる風景の国日本だったとする!わたしは、その神社を中心に広がっている田んぼに稲を植えようとするのである。始め台地は固く、稲っこを植えるような仕草でもないので、わたしは鍬を一つ持って、耕し始める。要は、今の日本今のわたしが住む長岡市を中心に見る時、わたしが耕そうとする耕作地は、日本中の一面と言う事になる。わたしは神社横の台地から始めに、鍬を入れ、ここから先、日本全国に広がる田んぼを耕そうとする!
わたしは、幾日も幾日も固くある日本台地を耕そうと鍬で土を掘り起こすが、わたしは一から十まで鍬を入れ、田んぼを耕していく。気が遠くなるほどの作業に感じられるかもしれないが、わたしは津々浦々固い土に鍬を入れようと、上から下に鍬を振るうのである。(割愛!)

わたしは、漸く全国の台地に鍬を入れ、全ての土を耕し、土を柔らかく掘り起こすと、わたしは次に一から十まで今度は、さな稲を植えようとする。今度もわたしは神社脇の耕した耕作地の隅から、持った稲を一から十まで(一つ一つ手作業で)植えてゆくのだが、わたしはこれに懲りることなく稲を植えてゆく。晴天の日も雨が降る日もわたしは、一つ一つ田んぼの土に稲を植える。こつこつこつこつ植えて、わたしはついに日本全国津々浦々の台地に稲を植え終える!わたしは、非常に満足し、ここで一休憩を入れようと、神社脇の土の上にどっかと座り込み、手に持ったおにぎりと水筒の水を飲んで一服するが、日も柔らかに流れ始めると、わたしは今度は意を決し、路脇にあるじょうろに水を入れて、今植えた田んぼの稲に水をやろうと、一から十まで水をくれてやるのだが、、、(割愛!)

こうして、神社と我が田んぼは、植え割った様子となり、見渡す田んぼは一面水の海、わたしは非常に満足し、わたしは次の収穫期まで稲の成長を見渡そうと、神社の中に入って、休むのであった!
こうして、わたしは最初、神社と田んぼと言う台地の日本をこのようにして仕切り(遊び)、亜紀ちゃんが生まれようとする日本を何もない平原と言う名に因んで、’ガラクタ(焚き火)’と言い、固定させたのである!亜紀ちゃん以降は、おんなのこ!と言う存在ゆえ、この時期をおんなのこ風に’おにゃんこ期!’と呼んで自慢するが、わたしに言わせれば最初何もないのは同然!わたし(さな)、亜紀、綾野の3人で遊んでいる国と言うほかは、何もないので’ガラクタ(あるいは焚き火)’と言う命名が、正しかろう!と踏ん反り返るが。

いやいや、3人で暮らす日々は、亜紀ちゃんが田んぼを耕して終わろうとするまでは、わたしとサボる綾野が神社で、大仏ごっこをしている他は、喉かに時間が流れる光景、日本は悠々としたおんなのこ舞台の国、そんな毎日が送られていたのである。まさか、現代こんなに大勢の人で溢れ返る日本になろうとはその時は、甚だ微塵にも思わないそう言う3女子の国、これである!

ラーメン屋にポツンと置いてある’テレビ’と言う存在は一体何か??日本国家考察!!

2019-03-16 19:36:33 | livelove日記
ラーメン屋に行くのである。たまに父親とラーメン屋に行ってラーメンを食べて来るのだが、入ると上にテレビが置いてある。付いていて、テレビ番組が店内に流れているわけだが、椅子に座り、何気なく自分の後方上にあるそのテレビを覗くと、狭い店内にテレビが一つだけ置いてあり、ラーメン店と言う店内で、浮いたように一つだけテレビが置いて付けられているのに、わたしは違和感を覚える。ラーメン屋と言う敷地内に、関係のないテレビがポツンと。

一体何か?

僕は、これが現在の世の中を映している一つの鏡だと思っている。つまり、世の中と言うのは、このラーメン屋のテレビが置いてあることにあるように、’テレビ(局)’と言うのが中心なのである!世の中は、日本で言えば、天皇陛下が頂点におられると思う我々の感覚とは余所に、その天皇陛下の様子さえも(簡単に)映し出してしまうテレビ(局)と言うのが中心なのだ!!現世の中を動かしているのは、天皇陛下でも政府でもなく、テレビ(局)なのである!

いやいや、わたしは今の日本が何を持って運営されているか?知っているのである。経済と言う柱を持ち、国民にただ働かせ賃金を得させ、国を動かしている(ように見える)世の中を作っているのも訳がある。わたしが、行ったラーメン屋で見るテレビを見て感じるように、この国はテレビ(局)が牛耳っている!!
いやはや、昔テレビを見ると馬鹿になる!と言われていたように、わたしたちにとっては下らん番組を流し続け、害悪とも思われるテレビ(局)が天下を取っているのだ!
付けるとガヤガヤ五月蠅い放送を垂れ流すテレビと言うものは、日本人にとって一体何なのか?人間が人間の上に立つように仕組まれているテレビ(局)と言う存在が、一方にいる我ら一般市民にとって、悪の象徴にように取って表されるのは、間違いのない事実である!
この国は、どこかの誰かが人間を上から下に苦しめる国作りを行ったのだ!国の象徴天皇陛下や動かしているように見える政府等も、全く全部ひっくるめてテレビ(局)が映し出している世の中は、もはや正義ではなく悪が牛耳ったのだ!!


追記
アメリカにもテレビと言うのはある。見た事のある人も多いだろうが、仮に日本とアメリカが手を組んでいてその両国のテレビ(局)、ここではアメリカのあのテレビ感覚を日本で受け入れ、日本国家を作ろうとすると、今現在のような日本国家が出来上がるのは、意図も明白!今の日本国家は、アメリカのテレビ(局)が日本に立ち入り、日本国家を動かした現況と言える有様。当然、アメの感覚を受け入れ日本に橋渡し、齎した日本国民がいたのは事実。今の日本と言うのは、日本台地においてアメリカが国を為した結果の跡だと思って良い。当然、日本国民にとってこのようなアメが主導した国家と言うのは、住めないも同然!日本は、今やアメの属国になり落ちた!(アメテレビが(日本のテレビと手を組み)牛耳った!)