実朝の歌は、「冬の海」を詠った“叙景歌”と言えそうですが、どこの海であろうか?直感的に、肌で潮風の寒さが感じられる海辺、例えば由比が浜や、この歌に続いて詠われた319番の“塩釜の浦”が思い浮かばれます。
しかし、波間に見え隠れする小島は、やはり箱根路から伊豆の海上、遥かに見降ろせる“小島”が相応しいように思える。正月の行事・二所詣の折に、目に止め、胸に焼き付けられていた情景(閑話休題-284)を思い浮かべて詠ったように思える。
どんよりと薄曇りの雪空の下、夕暮れ時、雪に埋もれつゝある小島が、遥か波間に見え隠れする情景は、作者の胸の奥底に鬱として何物かが淀んだ心象風景であるように読め、むしろ“叙情の歌”であるように思える。
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[歌題] 雪
夕されば 潮風寒し 波間より
見ゆる小島に 雪は降りつつ
(金槐集 冬・318; 続後撰集 冬・520)
(大意) 夕方になると 海の潮風が一段と寒く感じられる、波の間に見え隠れ
する沖の小島には雪が降り続いている。
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<漢詩>
海上小島雪 海上小島に雪 [上平声十一真-上平声十二文通韻]
行以傍黑辰, 行(ユキ)ゆきて以(モッ)て 傍黑(ユウグレ)の辰(トキ),
淒淒海風氛。 淒淒(セイセイ)たり海風(シオカゼ)の氛(キ)。
波間出複沒, 波間に出(イデ)て複た沒(ボッ)する,
小島雪紛紛。 小島 雪紛紛(フンフン)たり。
註] 〇傍黑:夕暮れ; 〇淒淒:風が冷たく吹くさま; 〇氛:気、気象、
気分; 〇紛紛:次々に続くさま、雪がしきりに降るさま。
<現代語訳>
沖の小島の雪
夕暮れ時になって、
潮風が一段と寒く感じられるようになった。
波間に見え隠れする、
沖の小島ではしんしんと雪が降っているよ。
<簡体字およびピンイン>
海上小岛雪
行以傍黑辰, Xíng yǐ bàng hēi chén,
凄凄海风氛。 qī qī hǎi fēng fēn.
波间出复没, Bō jiān chū fù mò,
小岛雪纷纷。 xiǎo dǎo xuě fēn fēn.
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“作者の胸の奥底に鬱として何物かが淀んだ心象風景”と推測したが、実朝が数奇な運命を辿った人であった という歴史的事実を知ったことに依る偏った見方やも知れない。
眼下、大海原が広がる遥か彼方、微かに見える小島に雪が降りつつあり、手前、岡の岩角は、薄ぼんやりとその輪郭を浮き上がらせている。墨絵の世界である。このような情景を想像しつつ、詠ったようにも読める。因みに、賀茂真淵は、この歌に○しるしを付している。
“波間より見ゆる小島”ついては『万葉集』に下記“読人知らず”の歌があり、それを本歌として、藤原実定の詠んだ歌が『新古今集』中の歌であるとされている。さらに実朝の掲歌は、藤原実定の歌を本歌としたものであろうとされている(小島吉雄 校注 『金槐和歌集』)。
浪間より 見ゆる小島の 浜久木(ハマヒサギ)
ひさしくなりぬ 君に逢わずして (読人知らず 万葉集 巻十一・2753)
(大意) 波の間に見える小島の浜の 久木(ひさぎ) のように、久しくなりまし
た。あなた様に逢わぬまゝに。
註] 〇ひさげ:キササゲ(楸)、アカメガシワ(赤芽柏) - 楸に比定する説
がある。
夕なぎに 門(ト)渡る千鳥 波間より
見ゆる小島の 雲にきえぬる (藤原実定 新古今集 巻六・冬・645)
(大意) 夕暮れ 風の止んだころに海峡を渡ってゆく千鳥 波間に見える小島
にかかっている雲の中に消えてしまった。
註] 〇藤原実定:通称 後徳大寺左大臣。百人一首(81番)歌人である(閑話
休題-221; 『こころの詩(ウタ) 漢詩で詠む百人一首』)。