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健康を維持するためには「何を食べるか」はもちろんのこと、「どう調理するか」も重要になります。新著『医者が教えるあなたの健康が決まる小さな習慣』を上梓した牧田善二医師が解説します。
「鰻を食べて精力をつけたい」は正しい反応
マグロやカツオなどの回遊魚、稚魚から成魚になるまでに太平洋を大回遊する鰻、走り出す力の強い馬、大空を飛ぶ鳥類などには「カルノシン」という天然の抗酸化物質が豊富に含まれます。カルノシンはアミノ酸が2つ結合しただけのシンプルな構造ながら、抗AGE、抗炎症効果もあり、強力な疲労回復作用があります。夏バテしたときに「鰻でも食べて精力をつけたいな」と感じるのは、正しい反応なのです。
なお、AGE(Advanced Glycation End Products)は「終末糖化産物」と呼ばれ、「糖化」によって産出される、とてもタチの悪い老化促進物質です。酸化が「体がさびること」であるなら、糖化は「体が焦げること」。AGEは体にできた「毒性の高い焦げ」とでも認識しておいてくれればいいでしょう。
「酸化」「糖化」「炎症」といった体にとって非常に悪い作用はたいてい同時に起きます。酸化だけ起きるとか、糖化だけ起きるというのではなく、複合的な悪作用によって健康は脅かされていきます。カルノシンにはそれらをまとめて対処する力があるのです。
カルノシンが含まれる肉や魚の主成分はタンパク質です。タンパク質の摂り過ぎは腎臓に負担をかけます。しかし、日常の食事ではめったにタンパク質過剰にはなりません。プロテインのような不自然なものは一切やめ、日々の食事で肉や魚から良質なタンパク質を摂るようにしましょう。
魚については、カルノシン豊富なマグロやカツオに加え、サバ、アジ、サンマ、サーモンなどを積極的に食べることをすすめます。これらには、EPA(エイコサペンタエン酸)とDHA(ドコサヘキサエン酸)という脂肪酸が多く、動脈硬化を防ぐ効果があります。最近ではアルツハイマー病も予防すると報告されています。
豆アジやジャコのように、頭から全部食べられる小魚は、カルシウムとビタミンD(カルシウムを吸収するために必要です)が豊富ですから、骨粗鬆症が心配な人に向いています。
いずれにしても、魚はそれぞれにいい働きがあるので「種類にこだわらずどんどん食べる」というスタンスでいいでしょう。サバの水煮缶やシャケの中骨缶などを常備しておけば、ちょっとしたお酒のつまみとしても魚を食べることができます。
肉を食べるなら「鶏肉中心」がおすすめ
一方で、肉には少し注意が必要です。国立がん研究センターの研究チームが日本人を対象に行った大規模調査で、牛肉や加工肉の摂取が大腸がんの発症率を高めることがわかりました。鶏肉にはそうした傾向は見られなかったことや、カルノシンが多く含まれることもあり、「肉を食べるなら鶏肉中心」でいることをすすめます。
肉については産地も重要です。アメリカから輸入されている牛肉は、早く大きくするための肥育ホルモンが使われている可能性があります。今、世界中で前立腺がんと乳がんが増えていますが、これら性ホルモンに関係する疾患が、牛肉などの肥育ホルモンと無縁だとは言い切れません。
健康を考えたら、「危うきには近寄らず」が一番です。魚をたくさん、鶏肉をほどほどに食べ、そのほかの肉は、信頼できるものをときどきに留めるという形で良質のタンパク質を摂りましょう。
今でこそ、寿司も刺身も世界的にメジャーな食べ物になりましたが、少し前までは魚を生で食べるなど奇異な目で見られたものです。でも、寄生虫や食中毒などが心配な食材でない限り、栄養素のことを考えたら生で食べるのが一番いいのです。野菜は火を通すとビタミン類が大きく損なわれます。野菜以外の食材でも同様のことが起き、火を通すことで大切な栄養素が目減りします。
また、ほとんどの食材は、火を通すと前述したAGEが増えます。AGEは、悪魔のような老化促進物質で、体のあちこちで悪さをします。血管にAGEが溜まれば動脈硬化に、骨に溜まれば骨粗鬆症に、皮膚に溜まればシミやシワに……という具合です。細胞そのものを老化させますから、がん、糖尿病、アルツハイマー病など、あらゆる生活習慣病の原因となります。
日に当たったり、ストレスを受けたり、糖質を摂ることでもAGEは産出されますが、食べ物からも体内に入ります。だから、毎日の食事では、なるべくAGEが増えない調理法を心がける必要があります。では、具体的にどうすればいいのでしょう。
「AGEは、高温で調理するほど増える」と覚えておいてください。最もAGEが少ないのが生。次いで、蒸す・茹でる・煮る・炒める・焼く・揚げるとAGEは増えていきます。同じアジであっても、刺身で食べるより塩焼きにすればAGEは増えます。同じ豚肉でも、とんしゃぶのほうがとんかつよりAGEは少なく抑えられます。
揚げ物好きの人は、どんな食材でも天ぷらやフライにして食べたがります。たしかに、揚げ物は美味しいですね。でも、そうした食生活を送っていれば、いつの間にかAGEをたくさん溜め込んでしまいます。
普段から、生で食べられるものは生で食べてみましょう。火を通すにしても、せいぜい蒸したり茹でたりに留めましょう。このようにシンプルな食べ方をしていると、食材そのものの味がわかってきます。結果的に、調味料による味付け自体も控えめになって減塩につながります。
バーベキューではAGEがどんどんつくられる
ちなみに、バーベキューは最悪です。まず、バーベキューでは、素材を直火に近い高い温度で焼きますから、AGEがどんどんつくられます。そこには、焦げもできます。焦げには発がん物質が含まれます。
また、バーベキューでよく食されるフランクフルトやソーセージなどの加工肉には、亜硝酸ナトリウムやリン酸ナトリウムなど体に悪い添加物がたっぷり入っています。戸外での食事は開放感もあり楽しく、心の健康には寄与します。ただ、そこでどんな食材をどう調理して食べるかといったことが、体の健康を左右するということを忘れないでください。
これまで動物性の食材について述べてきましたが、植物由来の食材も健康を保つためには非常に重要です。
私たちの大腸には、1キログラムを超える腸内細菌が存在し、いろいろな働きをしています。その働きは、便秘など大腸内の問題を解決するにとどまりません。
実は、私たちの免疫を担う免疫細胞の7割が大腸にあります。大腸の調子が悪ければ免疫システムが正しく機能せず、がんやさまざまな生活習慣病を引き起こし、コロナのようなウイルスと闘う力も弱くなります。あなたの健康を考えるうえで、大腸の状態は非常に重要で、その状態を左右するのは腸内細菌なのです。
腸内細菌は、ただ量があればいいというものではなく、その種類とバランスが大事になります。健康な人間の大腸には、およそ1000種類、数にして100兆~1000兆個の腸内細菌がいるといわれています。
1000種類の腸内細菌は、善玉菌・悪玉菌・日和見菌の大きく3つに分けられます。日和見菌は、腸内の状態によっていろいろ立ち位置を変える菌です。加工品やファストフードなどに偏った不健康な食生活を送っていたり、食物繊維の摂取が少なかったりすると、バランスが崩れ悪玉菌が優位になります。
便秘が原因で悪玉菌が増えると、尿毒素などの有害物質を多く産出し、腎臓も悪くします。また、腸内細菌のバランスが悪い状態が続くと、脳の炎症が引き起こされ認知症につながる可能性も指摘されています。
このようなことから、善玉菌優位になるようないいエサを腸内細菌に送ってあげなければならない。そのために必須の栄養素が食物繊維なのです。
野菜、豆類、海藻、キノコといった植物性食品は、食物繊維が豊富です。食物繊維というと、「ゴボウやセロリなどを食べたときに感じる筋っぽいもの」という解釈をしている人も多いのではないかと思います。そうした、いかにも繊維らしきものは「不溶性食物繊維」といって、どちらかというと便のかさを増すのに役立ちます。
一方で、ワカメやコンブ、キノコなどのヌルヌルした部分は「水溶性食物繊維」で、こちらは主に腸内細菌のエサとなります。大腸にとっては「不溶性」「水溶性」どちらも大事。普段から野菜や海藻、キノコ類を意識的に食べるようにしましょう。
「食物繊維」に対する認識が一変した
かつて食物繊維は、ただの「カス」と捉えられていました。というのも、唯一、私たちが消化・吸収できない栄養素だからです。
『医者が教えるあなたの健康が決まる小さな習慣』(KADOKAWA)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
私たちが食事をすれば、消化の過程で、例えば炭水化物はブドウ糖へ、タンパク質はアミノ酸へと姿を変え、小腸から吸収されていきます。ところが、食物繊維だけはそれをしないので、栄養学的には「役立たず」だと思われていたわけです。
実際に、野菜嫌いの人たちの発言の中には「野菜に含まれるビタミンやミネラルをサプリメントで補充すれば何も問題はない」と、食物繊維の存在などまったく無視したものも見られました。
しかし、腸内細菌の研究が進んで、その認識は一新されました。私たちが消化・吸収することができないからこそ、食物繊維は小腸を通過して大腸まで届き、腸内細菌のエサとなるわけです。
ちなみに、今、日本人に大腸がんが激増しています。女性は、部位別がんの罹患率では2位(1位は乳がん)で、死亡率に関して言うと1位なのです。男性は罹患率では、前立腺がん、胃がんに続いて3位。死亡率では、肺がん、胃がんに続いて3位となっています。
女性で死亡率が高いのは、肛門からの大腸内視鏡検査を嫌がっているうちに進行させてしまうといった理由もあるかもしれません。しかし、最大の原因は、男女ともに食物繊維豊富な食材の摂取が減っていることです。繰り返し述べますが、大腸の環境は大腸の問題に留まりません。全身の健康を守るために、食物繊維を摂りましょう。
牧田 善二 : 医学博士・AGE牧田クリニック院長
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読者150人に聞いた「夫婦関係に関するアンケート」。そこから、見えてきたのは「離婚をしたかった波乱の時代を乗り越えた夫婦像」でした。離婚を考えていた人・今も考えている50~60代女性のリアルな声をお届けします。
目次
1. 8割の人は一度は離婚を考えたことがある
2. 最も「離婚を考えた」のは30・40代!
3. 50代で離婚を意識した人は?
4. 離婚を考えた理由・離婚できない理由
5. 熟年夫婦でも「感謝」と「自立」は大事8割の人は一度は離婚を考えたことがある
※この記事は2021年6月、ハルメクのモニター組織「ハルトモ」の女性150人(50~54歳=14人、55~59歳=32人、60~64歳87人、65~69歳17人)を対象に実施した「『夫婦関係に関するインターネットアンケート」をもとに制作しています。
ハルメクWEBの「夫婦関係に関するアンケート※」回答者150名のうち、現在「既婚者」・「離婚経験あり再婚した」と回答した129人に、「離婚を考えたことがありますか?」と質問してみました。
その答えは……
一度も考えたことがない、という人は2割と少数で、8割にあたる102人が「考えたことがある」とのこと。長年夫婦生活を続けていれば、誰しも一度くらいは「本当にこれでいいのかな?」と思うことがあったとしても不思議はなさそう。
むしろ、一度も考えたことがない(20.9%) + ほぼ考えたことがない(28.7%) + あまり考えたことがない(21.7%)=71.3%
熟年離婚に否定的な回答をした人が71.3%と考えると、7割以上の人は「さほど真剣に離婚について考えていない」とみてもよさそう。離婚は結婚同様、人生の一大事。よほどのこと、とも言えますから。最も「離婚を考えた」のは30・40代!
一度でも「離婚を考えたことがある」と答えた人に、それはいつ頃のことか、と質問してみると、
* 20~30代の頃=30人
* 40代=23人
* 50代=16人
という結果に。若い頃ほど離婚を考える傾向にあるようです。子育てをしていた時代や介護、義実家や価値観の違いで衝突した頃を振り返るコメントがありました。
* 子どもがまだ学生の頃、夫と教育方針が違って悩んだ。夫が子どもを叱るのを見てられなかった。46歳の頃にふと「離婚」の文字が頭の中をちらついた。その後時間が経って、私の言っていたことを理解してくれるようになり、話を聞いてくれるようになった。なので、今はどんな些細な問題も必ず口に出して解決するようにしている。(ダブルK 59歳 結婚歴35年以上、「離婚はほぼ考えたことがない」と回答)
* 子ども達の世話が忙しい時に、夫のすべてが嫌になり、退職したら熟年離婚したいと思っていた。(べがまま 60歳 結婚歴30~34年目 「離婚をあまり考えない(数年に1度)」と回答)
* かなり昔です、夫の実家の事で、介護、その他含め 長男なので、義母がうるさくて考えました。が、他界してからは離婚願望は収まりました。(MCいるか 61歳 結婚歴35年目以上
「離婚をほぼ考えたことがない」と回答)
* モラル「こうであるべき」の押しつけによる全否定の言動が許せなかった。結婚して27歳の時と34歳の時と39歳の時に考えました。今は、考えていません。(maomama 57歳 30~34年目 「離婚をほぼ考えたことがない」と回答)
* 42~43歳の時に、チラリとよぎりました。私の仕事がうまくいっておらず、また精神状態が不安定で。でも、今は考えていません。(ぴぴろん 53歳 結婚歴20~24年目 「ほぼ考えたことがない」と回答)
50代で離婚を意識した人は?
「離婚をあまり考えてない」という人でも、改めて50代という人生の節目を機に離婚を意識したという人も。
* 50代後半、子どもが独立した頃で、「何でこんなつまらない人と結婚したのか」後悔した。(ふくちゃん 64歳 結婚歴30~34年「離婚はあまり考えない」と回答)
と、子育てを終えて、ふと、自分の気持ちに気付く場合もあるようです。
* 50歳頃。病院からお酒とタバコNGと釘をさされたにもかかわらず、嘘をつきコソコソ続けていた。何事にも自分に甘い思考が許せなかった。その後、大学病院に入院、治療する状況になりさすがに止めた。(ちゅけりん 64歳 結婚歴25~29年目 「離婚はあまり考えない」と回答)
* 50歳前に、何もかも気に入らない時期がありました。夫の姉と妹と折り合いが悪いです。それに対して私を守ってくれませんでした。震災で被災して協力して過ごすうちに、感謝するようになりました。(サンフレッチェの母 61歳 35年目以上「離婚はほぼ考えたことがない」と回答)
* 50歳頃に離婚を考えました。 仕事中心の夫だったので。お互いの気持ちを言わなくてもわかるだろう~と思っていたことが、ちょっとしたもめごとの原因ということで、きちんと言葉にしようということになりました。 その方法は、おやすみの挨拶のとき、それぞれ「ありがとう」を添えて伝え合うことにしました。そしたら、互いに感謝の気持ちを持っていることに気付けて素直になれました。(Y.Y 62歳 結婚歴25~29年目 「離婚をあまり考えない」と回答)
健康状態、相手の嫌だったところが変わったり、状況や関係性が変わると、熟年夫婦といえど「離婚願望」も変化するようですね。改めて、感謝の気持ちを言葉にする大切さも感じさせられます。
今も「離婚をしたい」と考える人の声
そして、今も離婚を「いつも考えている」「よく考えている」「たまに考える」という人の中には、こんなコメントがありました。
* 何歳と言わずことあるごとに考えていた。本人のお育ちなのでしょうがないが基本的には本人はいい人。悪いのは農家の本家としてパパを育てたパパの両親。 価値観の大きな違いにいつも大きな壁が立ちはだかった。もう少し前から、妻の役割や存在に対して思いやりを持って接するべきだったと思うよ(ぶはる 52歳 20~24歳 「離婚をたまに考える」と回答)
* もうセックスはやめてほしいのだが いつまでもしてきて苦痛。お金さえあればすぐ離婚したい。今はATMだと思って辛抱している。(C.S 61歳 結婚歴15~19年、「離婚はいつも考えている」と回答)
* ちょっとした言葉遣いに苛立つようになった。主人が夜型で遅くまでスマホゲーで遊んでいて入浴就寝しなくて、朝何度も起床を促すことになり、朝から苛ついてしまう。早く定年退職して一日中ゲームしていたいとか言うのも腹がたつ。(じゅんびぶ 59歳 結婚歴30~34年目 離婚をたまに考える」と回答)
* 50歳頃、浮気と借金で愛情がなくなった。義母は夫の浮気を容認し、離婚に向けて動き出した。陰でお金を出していた。(グーマ 65歳 結婚歴35年目以上 「たまに考える(年に数回)」と回答)
離婚を考える理由はもちろん、人それぞれです。アンケートの回答にも、価値観や性格の違い、義実家との確執、中には夫のモラハラやDV、浮気、という深刻な理由もありました。離婚を考えた理由・離婚できない理由
その一方で、「離婚をしたいと一度でも考えたことがある」102人に「離婚しない・できない」理由を聞いてみると、
離婚をしたいと一度でも考えたことがある方に伺います。離婚しない・できない理由は何ですか?(複数回答可)
N=102
という結果に。フリーコメントを見ていると用意された選択肢だけでは語り切れない、複雑な思いが垣間見えます。
諦め・ 否定派
* ここまで来て、いまさらって感じがする。(A.K. 60歳)
* 離婚するほどでもない。我慢できないほどでもない。(サンフレッチェの母 61歳)
* 自分の今までの人生を全否定するのか?(M.O. 65歳)
* 親が亡くなれば離婚したい理由が解決するはずだから(K.S 63歳)
* 55才くらいのときに考えたが、収入を考えると踏み出せなかった。(Y.S 65歳)
* 30代に、もっと仕事がしたかったと後悔。でも、一度でも仕事を辞めてしまうと再就職は難しかった。(Y.M 63歳)
* 結婚当初から、この結婚は失敗だったと思った。夫は自分ファーストだし、子どもは汚い!と言っていたから。今は諦めの境地になっている。(A.T 61歳)
* 30代~50代は、何度も真剣に考えてましたが、今はお互い歳を重ねて来たし、子どもたちに迷惑かけてしまうので諦めて考えない。(トコさん 61歳)
幸せ追求派
* 離婚で解決しようと思わない。夫婦で解決、が理想。(ひみつのY子ちゃん 58歳)
* 家族への愛情があり、何とかみんなで幸せになろうという気持ちが強い。(ポポンタ 63歳)
長い時間、夫婦として生きてきた間には、これまで共にしてきた苦労も、喜びも、悲しみも多々あったはず。恋愛感情的な「愛」はあってもなくても、一緒に暮らすことが便宜上優位だったり、なんとかうまくやっていきたい、と考えている人も多いようです。
今や日本は超高齢社会。男性の平均寿命も80歳を超えるようになりました。ということは、現在60歳の人でも、結婚生活はあと20年は続く計算になります。
その20年あまりを少しでも幸せに、居心地よく、夫婦として暮らすために、どう考えたらいいのか。このタイミング(50代・60代)での「夫婦関係の見直し」こそ、鍵を握っているといえるでしょう。熟年夫婦でも「感謝」と「自立」は大事
「ずばり、夫にひと言!」。マイクを向けられたとします。あなたは何を言いますか? フリーコメントの回答の半数は、感謝の言葉や健康を気遣う言葉が並びました。
* 大切にしてくれて、ありがとう。私より長生きしてね。(よしリン 58歳 結婚歴30~34年目 「ほぼ離婚を考えたことがない」と回答)
* お互いに最後まで寝たきりにならず自分のことは自分でできるように健康に気をつけましょうね。(Y.O 65歳 結婚歴35年目以上 「離婚はあまり考えない」と回答)
* 出産の時、父が亡くなった時、私が大病をした時、 結婚してよかったと思いました。ありがとう。(タカアキマム 51歳 結婚歴20~24年目「ほぼ離婚を考えたことがない」と回答)
* お互い、忘れることが多くなったけど、労りあって長生きしようね。(秘密のアッコちゃん 62歳 結婚歴35年目以上「ほぼ離婚を考えたことがない」と回答)
その一方、「家事をしてほしい!」、「自立した生活を送りたい」「自分の人生を考えたい」という声も集まりました。
夫婦互いに自立した生活を送りたい!
* 一人で生活できるスキルを身につけてください。 (Y.S 64歳 結婚歴35年以上 「離婚をたまに考える」と回答)
* 「夫が嫌いで離婚したい」というよりも「一人で生活したい」という思いから「離婚」という言葉が心をよぎることがある。 (Y.I. 60歳 結婚歴20~24年 「離婚をたまに考える」と回答)
* ずっと家にいるならこちらに対して気を使って欲しい。仕事が終わったらずっと自分の好きな事をしていてこちらがバタバタしていてもほとんど何もしようとしない。言ってくれないとわからない!って言うけど仕事は自分で何をするべきか考えてやってるんだから家の事も考えて!(気楽に生きたい 58歳 結婚歴30~34年目 「離婚をたまに考える」と回答)
* 基本的に自分のことは自分で!全く手伝ってくれないわけではないが、基本的に面倒なことは初めから避けてスルーする。家庭生活していく上で、気遣いのある思いやりのある行動をとってほしい(ちゅけりん 64歳 結婚歴25~29年目 「離婚をあまり考えない」と回答)
私、このままでいいの?
* 大企業の研究職で真面目に勤務していた夫は自慢の夫で尊敬もしていたが、定年した途端、何もせずテレビばかり。幻滅してしまった。せめて家事をしてもらおうと、分担表を作成して実行に移したところ結局、言ったことしかしてくれず、かえって面倒になった。人生100年時代。第二の人生の方が現役時代より長くなるかもしれなのに、このままで良いのかしら……?(ブローチ 62歳 結婚歴35年以上 「離婚は一度も考えたことがない」と回答)
離婚を一度も考えたことがないと回答した人も、夫の定年などライフスタイルの変化を機に、家事分担や生活態度でストレスが生まれている様子。
どうやら「自立」は、熟年夫婦にとって大事なテーマのようです
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2016年8月に出版されると大反響となり、2017年の年間ベストセラー総合第1位となった佐藤愛子さんのエッセイ集『九十歳。何がめでたい』。それから丸5年、この度刊行した佐藤愛子さんの最新&最後のエッセイ集『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』がベストセラーになっている。本書をもって断筆宣言をした佐藤さんに、70年超の作家人生についてお話を伺った。
* * *
母が「お前といると、どんなことになるかわからない」と
規格外の両親のもとで育ち、佐藤さんにも、知らず知らず、人間を見る目が養われていった。
「門前の小僧習わぬ経を読むというやつです。何しろ、父も兄も、ものを書く人間でしたから、お客さんが帰ろうとしてまだ靴を履いているうちから、『なんだあいつは』って人物月旦が始まるわけです。
私が作家になれたのも、おそらく人間に対する感性が身についていたからで、親は別に教育しようと思っていたわけではなく、自然に吸収していたんでしょう」
子供の頃、クリスマスプレゼントがなじみの洋品店の箱に入ってるのを見て、「サンタはいない」と察したのに、「サンタクロースさん、ありがとう」と言うように父から指示され、なんとも言えない気持ちになった。そのときの心の動きがみごとに書かれていて印象に残る(「『ハハーン』のいろいろ」)。
「子供ながらに、言うに言えない感情があるのね。そのときの自分がどう思ったのか、記憶をかき分けていっていまも考えるんですけど、思い当たる言葉がないですね」
2歳のときの記憶という。利発で繊細、父である佐藤紅緑が末娘の「アイちゃん」を溺愛したというのもよくわかる。
「佐藤さんのうちへ行ったら、朝から晩まで先生が『アイちゃん、アイちゃん』と言ってるって近所で有名で、私は嫌でね。50のときの子ですから、孫みたいなもんですよ。4人いた兄はそろって不良でしたしね。母は冷静な女だから、『この子は賢い、楽しみだ』って父が言うたびに、『ふん』って顔を必ずしましたよ」
特殊な家庭環境に加えて、2度の結婚・離婚や、2人目の夫の会社が倒産し莫大な借金の肩代わりをしたことで、作家佐藤愛子はできあがった。
「私は本当にぜいたくに、豊かに育ってるんですよ。ところが夫が破産して、貧乏のどん底に沈んだ。そんなときは誰でも、さぞかしショックを受けるものだろうと思うんだけど、私は別にどうということはなかったんです。嘆いているうちに先に進むことを考えてました。それはやっぱり、佐藤家に流れていた、いろんな雑多なものをそのまま飲み込んでいく血というのか。細かいことをいちいち気にしていたら、生きていけないような家でしたから。
子供の頃から、お菓子でもおもちゃでも、『あれ買って、これ買って』と、ねだってまでほしいと思ったことがないんです。欲望に対して淡泊ですから、貧乏になっても、どうってことない。だいたい、金持ちがえらいと思っている人を、佐藤の家ではバカにしてましたからね」
金銭に淡泊、かつ困難から逃げない気性のせいで、支払う義務のない元夫の会社の数千万円の借金も、書いて書いて、完済した。
「だって、借りておいて返さないっていうのは悪いに決まってるじゃないですか。単純なんですよ、私は。
だからいま住んでいるこの家も、四番抵当にまで入っていて。母と夫とでお金を出し合って建てた家だったので、母は怒りますわね。私が肩代わりして抵当を抜いてそのまま住めることにはなったんですが、母がつくづく、『お前といると、どんなことになるかわからない』と嘆いたの」
さらに母を嘆かせたのは、佐藤さんがこの後、株に手を出したことだった。
「ようやく借金を返し終えた頃にね、北杜夫が電話をかけてきて、『これこれの会社の株を買え』と言うんです。北さんは、新幹線で隣り合った国会議員かなんだかに『この会社の株を買ったらものすごく儲かる』と言われたんですって。何千万かの借金を払って金銭感覚がおかしくなっていたので、面白半分でたくさん買ったら、みるみる暴落して。
北さんに、『えらい下がってきたね』って電話したら、『そうなんだよ、ああいう国会議員がいるから日本の政治はだめなんだ』とか言ってごまかされちゃった。それからも、北さんと一緒になって株を売り買いして、1億ぐらい損して、それでさすがにやめましたけど、北杜夫に1億損させられたとは思わない。だいたい私は数学が低能ですから」
人間の面白さに触れることによって悲劇とも思わずに
1億損しても、同人雑誌時代からの北杜夫との友情は、まったくゆるがなかったそうだ。生活人としてのマイナスも、作家としてはプラスに転じるようである。
「たいして才能がないにもかかわらず作家になれたのは、私の人生にあまりにもいろんなことが起きたためで、これは神様のお恵みだと思っています。会社の倒産騒ぎがあったから『戦いすんで日が暮れて』が書けたわけでね。あれがなかったら、作家になれていたかどうか、わからないですよ」
一難去ってまた一難、借金を払い終えて北海道に別荘を建てれば今度は超常現象が起きて──「禍福は糾える縄の如し」という言葉のままの人生だ。出世作の『戦いすんで日が暮れて』にしても、本来は、時間をかけて大長編にしようと思っていた題材を、小説誌の依頼で急遽、短篇に書いたものだった。
「あれは(400字原稿用紙)50枚でしたか、1枚でもはみ出ては困るというのよ。ほとんど無名でしたからね。『小説現代』の大村彦次郎さんの好意で書かせてもらったんですけど、自分としては不本意なところもありました。
だけど、直木賞取ったでしょ? 当時の金貸しにはいろんな人がいましたけど、その中にしょっちゅう電話してきては怒りまくる婆さんがいたのよ。私が直木賞を取ってテレビに出たら、5分とたたないうちに電話が鳴って、その婆さんがいままで聞いたことのないような猫なで声で、『おめでとうございます。よかったですねぇ、がんばってください』って。これで借金のとりはぐれはなくなったって、ほっとしたんでしょう、多分。それがとても面白くてね。元気が出たりしたものですよ。
私は、人間の面白さを見つけることによって、普通なら泣きの涙で暮らすいろいろな悲劇を、悲劇とも思わずに通りすぎることができた。思えば、人の悪さのおかげでここまで生きてこられた気がします(笑い)」
何でも面白がってしまうのが佐藤愛子の特質なのだ。
「結局、私には書くこと以外できることがほかに何もなかったんですよ。たとえば瀬戸内寂聴さんみたいに、多才で、何をやっても成功するような人だったら、別の方面に行ってたかもしれません」
3年ほど前から、日記をつけるようになったと言う。
「私の肉体はもう、半死半生という感じで、昨日、飲むべき薬を飲んだかどうかも忘れるので、だから日記をつけ出したの」
それを聞いて、エッセイもまた書いてほしいと思う人がたくさんいますよ、と編集者が言うも、「いや、そうでもないでしょう」とにべもない。
これから何かしたいことはありますかという質問への答えは、「死ぬことです。何とかうまく死にたいものだわ」。とはいえ、「退屈で退屈で」とも言っておられたので、ここは執筆再開に望みをつなぎたい。
◆『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』
『九十歳。何がめでたい』が大ベストセラーになった結果、ヘトヘトの果てになり、ついに昏倒した顛末や、前作でも人気を博した佐藤さんの「勝手に人生相談」、北海道に別荘を建てた裏側にあった仰天エピソード、幼い頃の記憶から断筆宣言まで、佐藤さんが2019年2月~2021年5月まで女性セブンで気まぐれに連載した、ゲラゲラ笑えて深い余韻の残るエッセイを21編収録。
取材・構成/佐久間文子 撮影/江森康之
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「8月15日、東京都千代田区にある『日本武道館』で『全国戦没者追悼式』が開催されました。両陛下は約310万人の戦没者に黙とうし、平和への祈りを捧げられました」(皇室担当記者)
新型コロナの感染拡大を受け、今年の参列者は昨年の半数以下である約200人に。滋賀県代表として献花した竹井昌夫さん(79)は、並々ならぬ覚悟で臨んだという。
「コロナが感染拡大中の東京へ出かけることに対しては“万が一、感染したら……”と悩む気持ちもありましたが、各県から1人ずつ選出された献花者として責務をまっとうしたいと思いました」
受け継がれる「行動」と「継承」
山梨県代表として献花した千野克己さん(85)は式典の重要性をこう力説する。
「子どもたちに戦争体験を伝えていますが、若い世代の多くには行きわたりません。日本が豊かになり、“昔は昔、今は今”という考え方が強くなってしまっています。年に1度の戦没者追悼式は、これからも戦争のことを継承していくためにも必要です」
遺族代表として追悼の辞を述べた柿原啓志さん(85)は、感慨深げに語る。
「追悼式への参加や靖国神社の参拝によって、亡くなった父への親孝行ができるのではないかという気持ちで取り組んでいます。戦没者追悼式では、皇室の方々が標柱に向かって深々と一礼されるとき、特に感動を覚えます」
戦争体験者である上皇ご夫妻が1年で最も重要視されている終戦記念日。おふたりの抱かれる“平和への希求”は、両陛下へ受け継がれている。
「両陛下は戦後生まれでありながらも、戦争の惨禍をよく理解しておられる」と、感じているのは、文化学園大学客員教授でジャーナリストの渡邉みどりさん。
「上皇ご夫妻は、お子さま方に対してご自身が皇太子ご夫妻だった時代から、“戦争を忘れてはならない”ということを伝えてこられました。また、平成時代には国内外の戦地を訪れ、慰霊されました。そのような振る舞いをお手本とし、天皇ご一家や秋篠宮ご一家は戦没者を慰霊する“行動”と戦争体験の“継承”を大切にされています」
上皇ご夫妻が巡られた戦争地へ
『全国豆記者交歓会』の代表で、'63年から計100回以上にわたって上皇ご夫妻と交流してきたという山本和昭さん(91)は、美智子さまの熱心な姿勢をこう振り返る。
'72年8月、『豆記者交歓会』に参加されたご一家。左から2人めの秋篠宮さまは当時6歳
「陛下や秋篠宮さまは、小学校に上がる前から戦争に関する教育を受けておられました。上皇ご夫妻はご自身が戦争を体験なさっているため、平和を祈るお気持ちが非常に強く、お子さま方が幼いころから、戦争の悲惨さについて学ぶ機会を設けられていたのです。 陛下がまだ小学生のころ、美智子さまから“ナルちゃんに、沖縄戦を理解するのに適当なご本を紹介いただけませんか”という依頼を受けたこともありました」
未来の皇室を担う子どもたちに早いうちから戦争学習の機会を設けられた美智子さま。その取り組みは世代を超えて受け継がれている。
「両陛下や秋篠宮ご夫妻も、お子さま方が幼いころから戦争に関する教育を始められました。いずれ天皇に即位される悠仁さまは、特に早いうちに始められたと思います。小学1年生のころには、沖縄県の『平和祈念公園』や『平和の礎』などをご訪問。また、上皇ご夫妻が直々に戦争体験をお伝えになることもありました」(宮内庁関係者)
戦争に関わる行事に積極的に参加されてきた秋篠宮さま。'14年には、戦時中に撃沈された学童疎開船『対馬丸』の犠牲者を追悼する集いに、ご一家全員で臨まれた。
「秋篠宮ご夫妻の“夏休みに、戦争に関する勉強をさせたい”というご意向があり、当時小学2年生だった悠仁さまも出席されました。宮邸で事前学習をされていたようで、すでに対馬丸のことをご存じだったことには驚きました。会場に並べられた絵本を熱心にご覧になる悠仁さまに対し、秋篠宮さまが身振り手振りを交えながら懸命に説明されているお姿が印象的でした」(山本さん)
戦地へ出向いて慰霊することを重んじられてきた上皇ご夫妻の姿勢も、悠仁さまに受け継がれているようだ。
「'17年には、悠仁さまが紀子さまとおふたりで小笠原諸島の父島や母島を訪問されました。その際には、上皇ご夫妻がかつて巡られた、銃の攻撃から身を守るために掘る穴である塹壕や軍道などの戦争の痕跡に足を運ばれたのです」(渡邉さん)
'18年、悠仁さまが秋篠宮ご夫妻とともに沖縄戦に関するシンポジウムに出席された際には、看護要員として動員された『白梅学徒隊』の生存者である中山きくさんの話に耳を傾けられた。
「講演をお聞きになる前、ご一家のみ別室に移動し、中山さんへ事前に質問されていました。講演内容を悠仁さまが深く理解できるよう、秋篠宮さまが工夫し、そのような場をセッティングされたのだと思います」(山本さん)
芽生え始めた「天皇のご自覚」
当時小学6年生だった悠仁さまからは、強い学習意欲が感じられたという。
「宮内庁の方から“悠仁さまが中山さんの本を読まれたいそうなので、しばらく貸してもらえないか”と、お願いされました。夏休みの期間だったので、おそらく自由研究などのために活用されたのだと思います」(同・前)
『対馬丸』の絵本をご覧になる悠仁さまの背後には山本和昭さんの姿も。秋篠宮さまは身振りを交えてご説明を('14年8月)
【写真】お姉さまからお下がりの三輪車をこがれる悠仁さま
陛下や秋篠宮さまと同様に、戦争の悲惨さや、平和の尊さを学ばれている悠仁さま。前出の渡邉さんは、今後のご活躍をこう見据える。
「来年には高校生になられますし、“天皇になる”という自覚が少しずつ芽生えておられることでしょう。過去の戦争に対しても真摯に学んでこられ、祖父母である上皇ご夫妻のお気持ちを受け継ぎ始めておられるのだと思います。今後、海外留学などを通して、多角的な視点も身につけられ、いずれは“平和の大切さ”をご自身のおことばで伝えられるのではないでしょうか」
前出の山本さんによると、コロナ禍になる前は、秋篠宮ご一家は時折上皇ご夫妻のもとを訪れ、近況を報告されていたという。
「悠仁さまが戦争に関する行事に出席し、何を学ばれたのか、美智子さまは常に気にかけてこられたと思います。十分な知見を得られた頼もしい“未来の天皇陛下”を、晴れやかな気持ちで見守られていることでしょう」(前出・宮内庁関係者)
“慰霊のバトン”は確かに手渡されているようだ─。
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健康で長生きするためにはどうすればいいのか。『医者が考案した 骨粗しょう症を防ぐ 1分間骨たたき』(アスコム)を出した整形外科医の中村光伸さんは「転倒による骨折で要介護や寝たきりになる高齢者が多い。健康長寿には丈夫な骨が不可欠だ」という――。
自覚症状がほとんどない骨粗しょう症の重大リスク
規則正しい生活で若い頃からサイクリングや水泳が趣味、メタボ予防にダイエットにも余念がない。そんな一見健康的に見える人でも、ある恐ろしい病気のリスクが高まっている可能性があります。
しかも最近は、長引く外出自粛生活でさらにリスクが高まっているうえに、自覚症状がほとんどないのが怖いところ。特に次のことに当てはまる人は注意が必要なのですが、その怖い病気とはなんでしょうか。
・若い頃から繰り返しダイエットをしている
・サイクリングや水泳が趣味で、跳んだり走ったりする運動が少ない
・通勤や移動はもっぱら車
・デスクワーク中心で外出が少ない
・日焼け対策で紫外線を浴びないようにしている
・糖質制限している
その病気とは、骨がスカスカになってしまう骨粗しょう症です。
骨粗しょう症は、ちょっとした強度にも耐えられないほど骨がもろくなる病気です。骨粗しょう症は自覚症状がほとんどなく、自分の骨がどんどんもろくなっていることを外見から判断することはできません。
ほとんどの人が知らないうちに症状が進行し、転倒して骨折してはじめて気づくことがよくあります。一般的には高齢者や更年期以降の女性に多いとされていますが、若い年代や男性にとっても実は他人事ではありません。
例えば辻学園栄養専門学校の調査では、20代女性の6人に1人が50代並みの骨密度しかなく、WHOの定義する「骨量減少者」に該当しました。
骨粗しょう症は自覚症状がほとんどない病気で、自分の骨がどんどんもろくなっていることを外見から判断することはできません。あなたやご両親は大丈夫でしょうか?
「カルシウムだけでは不十分」スポーツ選手でも骨が弱くなりやすい
骨が弱くなる原因の1つは、骨への刺激が少なくなること。
このことがよくわかるのが、米ミズーリ大学のヒントン博士による調査です。20~50代の男性で、週に6時間以上ランニングする人と、自転車に乗る人とを比較したところ、骨粗しょう症予備軍とされる人の割合がランニングでは19%だったのに対して、自転車に乗る人では63%もいました。
また、バスケットボールやバレーボールの競技者と比較すると、水泳選手は骨量が少ないという報告もあります。これもやはり、水中は骨にかかる負荷が少ないためと考えられます。
骨に適度な負荷がかかると、「より強くなろう」として骨づくりが活性化します。骨への刺激が、骨の主成分であるカルシウムの沈着を促進するのです。逆に負荷が少ないと骨は相応の弱さでよいことになり、骨づくりが停滞します。いくらカルシウムを摂取しても骨づくりに活かされません。
健康や美容に気を使う人は骨の老化を招きやすい
美容の意識が高い人も要注意です。
理由の1つは、日焼け対策で日光を浴びなくなること。紫外線は体内のビタミンD生成を促進します。ビタミンDは、腸のカルシウム吸収率を高める、骨づくりに欠かせない栄養素です。
コロナや熱中症も怖いですが、まったく紫外線を浴びないことはビタミンDの欠乏を招きやすく、骨を弱くする恐れがあるのです。メラニン色素が少ない白人は紫外線を吸収しづらく、ビタミンDの不足しやすく、より骨が弱くなりやすいという調査もあります。
もう1つは、過度なダイエット。特に食事制限によるダイエットは要注意です。
カルシウムやビタミンD、ビタミンKといった栄養素が不足する恐れがあるのはもちろん、女性ホルモンの分泌が減ってしまい、骨を壊すスピードが速まってしまう危険性もあります。また、体重が軽くなりすぎると骨への負荷が弱まってしまうリスクもあるでしょう。
顔の骨量が減ると骨が小さくなり、皮があまることでシワやたるみの原因にもなります。美容のためにやっていることが結局は骨の老化を招き、美を損なってしまっては本末転倒です。
女性は60歳を過ぎたら全員“骨粗しょう症予備軍”
骨量のピークは、なんと20歳前後。一般的に男女とも20歳前後で、一生のうちで最も骨量の多い「最大骨量」に達します。
ピークを迎えた後は、40歳頃までは一定の骨量を維持し続けますが、その後は加齢とともに骨づくりのスピードが衰え、男性も女性も徐々に骨量が減少していきます。
20歳までは骨の貯金期間のようなもの。骨の貯金が少ない人ほど、加齢などで骨量が減りはじめたときに、より早い段階で骨粗しょう症のレベルにまで落ち込んでしまう可能性があるのです。
骨量が増えるのは20歳まで。40歳からはどんどん落ちる。
女性の場合は、閉経を迎えて50歳頃から、急速に骨量が減少します。これは、閉経により卵巣の働きが低下して女性ホルモンの分泌量が一気に減少することで、骨を壊すスピードが加速するからです。
女性ホルモンの一種であるエストロゲンには、骨吸収をゆるやかにして骨からカルシウムが流出するのを抑制する働きがあります。
閉経後10年間で女性の骨量は15~20%も減少するといわれ、60代の女性の多くが若い頃の80%前後まで骨量が低下します。そして骨粗しょう症、または、骨粗しょう症予備軍の仲間入りをしてしまうのです。
また、若い頃と比べると腸でのカルシウムの吸収が悪くなることも、骨がもろくなる原因になります。
「背骨は要注意」骨折しやすい“4大部位”
からだのなかで折れやすいところは、次の4大骨折部位です。
●背中や腰(脊椎椎体)
●手首(橈骨遠位端)
●腕の付け根(上腕骨近位端)
●足の付け根(大腿骨近位部)
特に、知らないうちに折れてしまう背中や腰、骨折すると大ごとになりやすい足の付け根は要注意です。
もっとも多いのが背骨の骨折。背骨の骨折がやっかいなのは、気づかないうちに折れていることです。
背骨は、椎骨という小さな骨が積み重なってできています。椎骨の要となるのが椎体という部分です。骨粗しょう症になると、この椎体の内部がスカスカに変質してもろくなり、からだの重みや骨同士がぶつかりあうときの衝撃で押しつぶされて変形してしまいます。
知らないうちにグシャっとつぶれる。これが、骨粗しょう症による「椎体圧迫骨折」です。椎体圧迫骨折を起こした人は、その後の5年間の生存率が約80%というデータがあります。約5人に1人は5年以内に亡くなってしまうということです(Tsuboi M.et al,J Bone Joint Surg Br.2007.89.461-466.)。
「2人に1人が5年以内に死亡」太ももの骨折で高まる早死リスク
背骨の次に多いのが、足の付け根、大腿骨近位部の骨折です。
先ほど、背骨の骨折の5年生存率は約80%と紹介しましたが、大腿骨の骨折はそれよりも低く約50%。2人に1人は5年以内に亡くなるということです。
出典=日本整形外科学会等の報告より
出典=三重大学医学部大学院医学系研究科整形外科 資料より作成 Tsuboi M.et al,J Bone Joint Surg Br.2007.89.461-466.
太ももの付け根の骨折も、背骨の骨折と同じように、高齢者にとっては死に至る怪我になります。というのは、太ももの付け根を骨折すると、要介護生活につながるリスクが圧倒的に高くなるからです。
大腿骨を骨折すると、治るまで歩けなくなります。長期入院すれば身体機能も衰えるため、骨折部分の完治に加え、骨折前のからだに戻すには相当な時間がかかります。
現実的には、骨折前のからだに戻せる人は全体の50%程度といわれています。日本人の死因第1位はがんですが、より骨折が怖いのは骨折が治らず、そのまま寝たきり生活がはじまる恐れがある点にあると言えます。
さらに寝たきりの状態が続けば、介護費用を払い続けるリスクも高くなります。たった一度の骨折が、貧困生活の入り口になるリスクも十分に考えられるのです。
骨の健康維持には「骨たたき」と日光浴
骨量のピークは20歳前後ですが、何歳になっても丈夫な骨を維持することはできます。そのためには、まず適度な刺激を与えることです。
実は骨も、骨代謝という新陳代謝を繰り返し、日々新しい骨に生まれ変わっています。仕組みの詳細は本で解説していますが、簡単に言うと、この骨が生まれ変わるタイミングで細胞から「もっと丈夫な骨を作れ」という指令が出ると、骨が強くなります。骨の主成分であるカルシウムが骨に沈着するのを促進するのです。
中村光伸『医者が考案した 骨粗しょう症を防ぐ 1分間骨たたき』(アスコム)
この「もっと丈夫に」という指令のスイッチを入れるのが、骨への刺激です。
刺激といっても激しい運動をする必要はなく、軽いウォーキングなどを地道に続けることが大事です。それも難しいという人のために、本では骨を自分でたたいて強くする「骨たたき」を推奨しています。
もう1つは、適度な日光浴です。
紫外線をまったく浴びないと、ビタミンDの生成が十分に行われません。もちろん食事でビタミンDを摂取することもできますが、日光浴で済むのであればそのほうが簡単です。
紫外線を浴びるというと抵抗がある人も多いと思いますが、長時間浴びる必要はありません。ビタミンDを合成するには、顔や、ひじから手までの部分を15分くらい日光に当てるだけで十分です。
新型コロナウイルスの蔓延によって、私たちは外出自粛を余儀なくされています。特に高齢者は外出するリスクも高いのですが、巣篭もり生活で骨が弱くなり、自宅で転倒して骨折、そのまま寝たきりになるというケースは十分に想定されます。あなた自身はもちろん、高齢の親が心配な方は、自宅でできる骨たたきなどの運動をぜひ勧めてみてください。
中村 光伸(なかむら・こうしん)
整形外科医
光伸メディカルクリニック院長。医学博士。整形外科医の知見から、骨の仕組み、体の動かし方を活かした骨トレーニングを提唱する骨の専門医。近年、注目を集める若返りホルモン「オステオカルシン」の研究を進め、骨の強化と全身の機能回復を両立する「骨たたき」を考案。