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「年金でのんびり暮らそう」と考える老人ほど幸せになれない勝間和代

2021-08-22 13:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

定年前に「老後の年金生活が楽しみ」と考えるサラリーマンは多いものです。しかし、勝間和代さんは老後の幸せな人生のために「年金は受け取らない覚悟を」と言います。なぜ年金に頼ってはいけないのでしょうか。勝間さんが自身の体験も踏まえて、ロジカルに解説します――。
※本稿は、勝間和代『健康もマネーも人生100年シフト! 勝間式ロジカル不老長寿』(宝島社)の一部を再編集したものです。
働けば働くほど年金はもらえなくなる
老後の生活資金というと、多くの人は年金を思い浮かべるでしょう。そして、蓄えと年金だけでなんとか過ごそうというのが、一般的な考え方だと思います。
しかし、私が推奨したいのは、年金は最後の砦として、生活保護のような存在として考え、基本的には自分の力でいつまでも収入を得るような生き方です。それはなぜかというと、ストック収入ではなくて自分のフロー収入のなかで暮らせないと、節約ばかりでケチくさくなってしまったり、生活自体が、小さく閉じこもっていったりするようになるからです。
さらに恐ろしいのが、フロー収入がほしいとしても、基本的に年金はフロー収入としてあてにならないことです。
数年前、遅ればせながら私は年金に関して衝撃的な事実を知りました。それは、65歳を超えて月収が一定以上ある場合は、厚生年金との二階建て部分がもらえなくなるのです。
日本の公的年金には、日本国内に住む20歳以上の人すべてが加入する基礎年金と、企業などに勤めている人が加入する厚生年金があります。通常、厚生年金に加入している人は、65歳以上になったら、基礎年金に加えて厚生年金の分ももらうことになります。これを年金の二階建てと呼びます。
しかし、年金支給時の65歳以上になっても一定の収入がある場合は、基礎年金しかもらえないことになります。具体的には、月額37万円以上から、収入が上がるにつれて少しずつ減額されます。57万円以上になると、まったくもらえなくなるのです。これを「在職老年年金制度」と呼びます。
これは、年金の制度設計上の問題ですので、今後は見直しも検討されているようですが、現状では、老後に働けば働くほど、年金がもらえなくなるということなのです。つまり、現在の年金制度は、65歳以上の人は働かなくて当たり前、働くことに対してまるで、罰則・罰金を科すような状況になっているのです。
しかし、この記事を読んでいる人は、ぜひともそんな制度設計には逆らって、65歳どころか、死ぬ寸前まで、年金に頼ることなく、十分な収入を得られるよう、目標を立てていってもらいたいと思います。
アーリー・リタイアは「ズレた老人」を生む
なぜ、私が死ぬ寸前まで働くということを推奨するかというと、答えは簡単です。アーリー・リタイアした人、あるいは年金生活に入った人などと交流したり関わったりする機会がしばしばあります。
そこで会った人たちの印象から、私は、自分でお金を稼いでいる人と、これまで貯めた資金と年金のみで暮らしている人では、まったく違う「人種」になってしまう、ということを嫌というほど体感したからです。
やはり、人からお金をもらうというのは、大変なことなのです。そのためには、自分の生まれ持った才能を生かして、日々研鑽を積み、市場のニーズを満たしていかなければいけません。
そして、いったん労働市場から身を引いてしまえば、厳しい競争の世界から離れてしまうわけですから、どんどんと世間からズレていきます。
また、蓄えた資金は増えることはなく、使えば減る一方ですから、どうしてもケチくさくなります。新しいものに投資をしたり、新しいことにお金を使ったりすることに、どうしても躊躇するようになるのです。
年金生活の最大のリスクを一言で言うと、
アップサイド・ポテンシャル(上昇余地)がいっさいないこと。
これに尽きると思います。どんなに策を講じたとしても、そもそもの年金支給額が上がることは、基本的にはありません。しかも、先ほども述べた通り、65歳以上になったときに中途半端に稼いでしまうと、かえって年金支給額が目減りしてしまうこともあります。そうなってくると、人は変化を嫌い、満足な努力もせずに、守りに入ってしまいます。
新入社員の頃は、たとえ給料が少なくたって、未来がありました。今後、どんなふうに給料を上げるようにしていけばいいか、考えて努力するための時間もありました。ところが、老後に支給される年金額というのは、物価スライドはするものの、全体のお金自体は増えもしなければ、減りもしないのです。
「そんなことはない。自分は年金生活になっても、世間とはズレずに、幸せのまま生きていく自信がある」とおっしゃる人もきっといるでしょう。けれども、私たちは、無意識な領域に支配されている生き物です。意識的に行動していたとしても、常に無意識の領域が与える影響というものはとてつもなく大きいのです。
自分にアップサイド・ポテンシャルがない、そんな収入状況になったときには、意識的に自信があると言っていたとしても、残念ながら、無意識下の影響は強く、明るく生きる自信はなくなってしまうのです。
だからこそ、歳を取ってからも社会との関わりを持ち続け、自分自身でさまざまな工夫を凝らし、才能を生かすことができれば、収入が上がる可能性を確保し続けることができます。そんな老後を迎えるのが理想なのです。
3億円は30年でなくなる
個人事業を営んでいる人であれば、出費の多くを経費として使うことができますが、年金生活の場合、当たり前ですが経費算入はできません。
そうなってくると、自己投資のためにお金を使うとか、物を買って減価償却するとか、だんだんとやりづらくなっていくでしょう。文字通り、本当に縮小均衡なのです。
まだ、年金生活までいきませんが、50代半ばでアーリー・リタイアした友人たちを見ていると、資産総額に比べて、意外とお金の使い方は渋くなっているのです。何億円という資産を持っていたとしても、数千円や数万円を使うことに、昔に比べて、ずいぶんと躊躇するようになってきました。
それもそのはずで、自分が何歳まで生きるのか、正直わからないのですから、せっかく作った資産は、なるべく貯めたままにしておきたいというのが、人情というものでしょう。現在、仕事をしていないわけですから、資産は減る一方です。
当然、使い方もそれ相応のものになります。なるべく減らさないように、倹約的な生活になっていきます。たとえば、3億円を持っていたとしても、年に1000万円ずつ使っていれば、30年でなくなってしまうのです。無限にあると思えるような莫大な金額でさえ、お金は意外と儚いものなのです。
しかも、老後は、年金という収入が増えないのと同様に、フロー収入としてお金が入らない限り、資産は増えることなく、やはりただ減る一方なのです。
ゴールを100歳に設定せよ
(第1回転載記事)では、長生きリスクの三大要素として、身体的、金銭的、社会的といった3つのリスクを挙げました。このリスクすべてを一度に補えるような魔法の手段があります。
それは、社会に貢献しながら収入を得続けること。すなわち、端的に言えば、「仕事」なのです。
仕事を満足に続けるためには、当然に健康にも気を使わなければなりません。もちろん、一日8時間を週5日、フルタイムで働く必要なんてまったくありません。テクノロジーの発達がめざましい今日では、うまくやりくりすれば、一日4時間労働くらいでも十分になるはずです。それくらいの労働時間で、年金が減額される月額収入以上の収入を得ることができるのか、真剣に考え抜くのです。
もし、40代、もしくは50代の人で、その見込みはないだろうと考えている人であっても、私たちは望むと望まざるとにかかわらず、100歳まで生きざるをえないような時代を生きています。いやでも、あと人生は50~60年も残っているわけです。
それは、昭和の頃の人生80年計画だった場合に、まさに社会人なりたての時期から数えた、残りの人生の年数とまったく同じです。人生の残り年数だけで考えた場合、社会人なりたての新人と同じような感覚で、生活設計に臨むことができるのではないでしょうか。
というか、そうしなければならない、と私は思います。
65歳をゴールとして、その後の35年間をひたすら、月々の年金やそれまで蓄えた多少の資産で暮らす。そんな状態だから、結局、公共の図書館かスポーツセンターなど、お金がかからず暇がつぶせるところに、高齢者が殺到することになるわけです。
そのような生活は、大変、窮屈で、不自由だと思いませんか。
私たちに定年があり、高齢者になるにしたがって、働かなくてよいとされるのは、その年齢になれば身体はしんどくなり、頭も衰えるから、というのが常識的な前提でした。しかし、こうした長生きにおける老化のリスク、つまり身体的リスクはお話ししたように、30~50代のうちから気を使って、意識的に予防法に取り組んでいれば、頭も身体も衰えないままで、70代、80代を迎えることは難しくないでしょう。
当たり前のようにお酒を飲んで、白米を食べて、65歳を仕事の終点と考えて人生設計をしている人が大半の世のなかで、本書を読んでいるみなさんは、ぜひ、お酒や白米を控え、100歳を終点とした人生設計に、いち早く頭を切り替えてほしいのです。
年金生活は残りの人生を縮小均衡にする
100歳を終点と考えたときに、まず重要になるのは、なんと言っても、「年金を受け取らない覚悟」をすることです。
たとえば、あなたがいま、45歳だったとして、「これから一生の間、月々30万円あげるからその代わりに仕事はいっさいしなくていいよ」と言われたとき、どう思うでしょうか。生活そのものには問題はないと思うでしょうか。
私だったら、趣味にお金をかけて、美味しいものを食べて、そこそこ旅行にも行って、人付き合いもして、なんてことを満足にやりたいと考えたら、ちょっと足りないなと思います。そして、それ以上の収入のポテンシャルがそもそもないのですから、30万円未満でなるべく暮らそうと、さまざまな面で縮小均衡になっていく可能性が高いのです。
つまり、年金生活とは、私たちがこの先、何らかのかたちでもっと社会的につながりを持ち、お金を得るためのオプションを放棄することを前提としたうえで、得られる生活にすぎません。
いま、早く仕事をやめて、年金生活になりたい、楽になりたいと思っている人は多いでしょう。しかし、それが本当に自分にとって幸せなことなのか、もう一度、考え直してほしいのです。
老後の「時間リッチ」「キャッシュリッチ」を達成する
私は、時間もお金も十分に手に入れた自由な生活のことを、「時間リッチ」「キャッシュリッチ」と呼んでいます。
勝間和代『健康もマネーも人生100年シフト! 勝間式ロジカル不老長寿』(宝島社)
年金生活になると、確かに時間リッチは達成できるのですが、キャッシュリッチは厳しくなります。繰り返しになりますが、年金生活でなぜケチくさく、お金に対して余裕がなくなってしまうのかというと、年金による収入が十分であるかないか、ということが大きな問題なのではありません。むしろ、いま得ている収入が今後、上昇する見込みがまったくないことが問題なのです。
私たちがいったい何に幸せを感じるのかというと、いまの幸せの絶対値に感じているのではなくて、これから先の未来において、現状がさらによくなる可能性があることに幸せを感じるものなのです。
ですから、年金生活のように、何らかのかたちで固定され閉塞的な状況に陥ってしまうのは、不幸せの大きなリスクになるわけです。
もちろん、いきなり月額報酬57万円以上を稼ぐのは、難しいことなのかもしれません。しかし、将来的には「年金が減る金額までは稼ぐぞ!」という心構えは重要です。
また、すべてのフロー収入を労働による収入だけで得ようとするのではなく、ある程度、リスクを分散させるためにも、資産からの配当を考えるべきです。
    * 勝間 和代経済評論家/株式会社監査と分析取締役/中央大学ビジネススクール客員教授



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