ファンソン・ライフ

旅日記や太極拳のブログ

3月11日 我が家では。

2012-03-11 15:48:14 | 日記
昨年のブログでも仙台の娘達を迎えに行く様子を書き込みましたが
震災の10日後に無事、埼玉の我が家に連れ帰ることができました。

今回は3.11の当日の様子を書きます。

娘は、仙台市若林区のマンションに住んでいます。
家族は、婿さん、と娘と孫(生後3カ月と2才半)の4人家族です。

3.11の当日は、婿さんが夜勤明けで休みでしたので、家族で
近くのショッピングモールに行ったそうです。
美味しいパン屋さんで大量にパンを買い、家に帰ってくつろいでいた時に
地震が来たそうです。

余震が続いている間は、自家用車の中にいたそうです。

一家4人が無事でいる知らせが次の日にお婿さんのお母さんから届きました。
知らせを受けた時は、二人して携帯を持ったまま大泣きしてしまいました。

今から思えば助かったのは、幾つもの偶然のおかげです。

1.お婿さんが、お休みだった事。(職場は石巻です)
1.お昼を食べずに帰ってきた事。(モールは海に近い)
1.マンションは大型で耐震だった為と、家の中は防災準備をしていた事。
  (食器や壊れやすい物は全部大丈夫だったそうです)
1.モールでパンを大量に買った事。
1.3ヶ月の乳児は娘の母乳で大丈夫だった事。

とはいえガス、電気、水道の全部が止まった生活はどんなにか大変だったでしょう。

1年たって今日を迎え、
今思えば色んな偶然が正死を分けたのでしょうが、
一言ではとても言い表せない感謝の思いと共に
今も様々な御苦労や試練の中においでの
多くの方々を思わずには、いられません。

私自身もその1ヵ月後に肺癌の手術を受けたのですが。
「後ろ向きでは、前に進めない」と思えるようになりました。

「朝の来ない夜は無く、冬は必ず春となる」ですね~

昨年からも、今もさまざまに、ご心配をおかけしています。
ありがとうございました。 m( _ _ )m 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
帰宅困難者 (はるまま)
2012-03-11 17:37:17
我が家のパパはまさにこのカテゴリーでした。
でも直接被害にあった方々に比べたら被害と言えるほどのものではなかったけどね。
連絡もメールでなんとか取れていたので、心配なのは風邪をひくのではないか、というくらいで。
でもこれが首都直下型だったらと思うと。。
ほんとに生死を分けるのはほんのちょっとしたことなんでしょう。
なので、やはりできる対策はしなくちゃ!とあらためて思ったのでした。
私たちがこうして防災に気を配ったり、日常に感謝を忘れないようにすることが、犠牲になった方々への一番の供養だと思うのです。
返信する
本当に大変でしたね。 (さくらそう)
2012-03-11 20:02:03
はるままさんへ
その節はたいへんお世話になりました。m( _ _ )m

心配しても毎日の生活は変わらないし、心配し過ぎても...どうかと思いますが...。
それでも用心し過ぎる事は無いと思うし...。

本当に忘れない事が大切ですね
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お婿さん石巻でしたか! (らんな)
2012-03-11 23:11:39
日頃のお嬢様の心掛けできっと守られたのですね!
偶然は無いと言いますよ(*^^)v

思い出したくない一年前ですがもっともっと月日がたっても
決して忘れることはない日ですね。。。
血管詰まっている?!と思えるほど震災の報道見たり
話聞くと涙がじわ~~~です(T_T)/~~~
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はい、そうかも(*^_^*) (さくらそう)
2012-03-12 16:23:00
らんなさまへ、
昨日は、私もTVを見る度に涙がドーっと...。
私の場合は涙腺が前から変な人なのですが(爆)
今日は、その娘と仙台の、美味しい「ずんだ団子屋さん」の名前を聞くために電話しました。
こんな話を普通にできる事って。。。ありがたいです
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