教師としての考えが甘い先生、
ただの自己満足精神で働いていてプロ意識のない先生、
学生ができない責任を学生にあると思っている先生、
(そういう要因もあるかもだけどさ)
授業云々以前に社会人としての常識に欠ける先生、
日本語教師は多少ストレートにきついこと言ってもいいと思って
不自然なくらい直接的に話す先生、
学生のことをどこぞの子どものように思って扱っている先生。
(変な同情心、変な優しさを持ってしまってる。)
いろいろな先生がいることでお馴染みの日本語業界。
そういう甘い先生方も問題だけれど、
それを責めに責めて病気や退職に追い込む職場も経験したので、
そのどちらにも偏らないように気を付けているつもりなのだけど。
最近「これは問題だわ…」と思ってしまうのが、
先生の日常の言葉への態度。
なんだか同じ発話を繰り返したり、伝えたいことが要領を得なかったり、
自分の発話を意識していない話し方。
言葉を大切にしていない話し方とでも言おうか。
そういう先生の言葉は言霊が入っていないというか、
意識が行き届いていないので、
授業も雑多な言葉の拡散した聞くに堪えないものだろうな…
と想像してしまう。
例えば指示の言葉をうるさいほど何度も繰り返していたり、
言わなくてもいい感嘆詞、接続詞などで授業の空気を乱している可能性は高い。
学生は知的好奇心を刺激されない無意味なセリフなんて、一言も聞きたくないものだ。
こういう日常の話し方については、同僚も上司も本人には何も言わないと思う。
その人の性格にも関わることだし、なかなか言いにくいだろう。
日本語教師は言葉を操るプロ。
教師は学生が「この先生のような日本語が話せるようになりたい。」
と思えるような「手本」でありたい。
そのためには、自分の発話を常々どこか客観的に観察しているような気持ちで
いる…という訓練期間を少なくとも一定の間持つべきだろうな。
(と、自分自身にも常に問わねば。)
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ただの自己満足精神で働いていてプロ意識のない先生、
学生ができない責任を学生にあると思っている先生、
(そういう要因もあるかもだけどさ)
授業云々以前に社会人としての常識に欠ける先生、
日本語教師は多少ストレートにきついこと言ってもいいと思って
不自然なくらい直接的に話す先生、
学生のことをどこぞの子どものように思って扱っている先生。
(変な同情心、変な優しさを持ってしまってる。)
いろいろな先生がいることでお馴染みの日本語業界。
そういう甘い先生方も問題だけれど、
それを責めに責めて病気や退職に追い込む職場も経験したので、
そのどちらにも偏らないように気を付けているつもりなのだけど。
最近「これは問題だわ…」と思ってしまうのが、
先生の日常の言葉への態度。
なんだか同じ発話を繰り返したり、伝えたいことが要領を得なかったり、
自分の発話を意識していない話し方。
言葉を大切にしていない話し方とでも言おうか。
そういう先生の言葉は言霊が入っていないというか、
意識が行き届いていないので、
授業も雑多な言葉の拡散した聞くに堪えないものだろうな…
と想像してしまう。
例えば指示の言葉をうるさいほど何度も繰り返していたり、
言わなくてもいい感嘆詞、接続詞などで授業の空気を乱している可能性は高い。
学生は知的好奇心を刺激されない無意味なセリフなんて、一言も聞きたくないものだ。
こういう日常の話し方については、同僚も上司も本人には何も言わないと思う。
その人の性格にも関わることだし、なかなか言いにくいだろう。
日本語教師は言葉を操るプロ。
教師は学生が「この先生のような日本語が話せるようになりたい。」
と思えるような「手本」でありたい。
そのためには、自分の発話を常々どこか客観的に観察しているような気持ちで
いる…という訓練期間を少なくとも一定の間持つべきだろうな。
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