ひよっこ日本語教師街道!

日本語教師としての発見をマイペースに綴っていきます♪教師への道は甘くない!!

ことば大切にせにゃね。

2015年02月22日 | 日本語教育のこと
教師としての考えが甘い先生、
ただの自己満足精神で働いていてプロ意識のない先生、
学生ができない責任を学生にあると思っている先生、
(そういう要因もあるかもだけどさ)
授業云々以前に社会人としての常識に欠ける先生、
日本語教師は多少ストレートにきついこと言ってもいいと思って
不自然なくらい直接的に話す先生、
学生のことをどこぞの子どものように思って扱っている先生。
(変な同情心、変な優しさを持ってしまってる。)

いろいろな先生がいることでお馴染みの日本語業界。

そういう甘い先生方も問題だけれど、
それを責めに責めて病気や退職に追い込む職場も経験したので、
そのどちらにも偏らないように気を付けているつもりなのだけど。

最近「これは問題だわ…」と思ってしまうのが、
先生の日常の言葉への態度
なんだか同じ発話を繰り返したり、伝えたいことが要領を得なかったり、
自分の発話を意識していない話し方。
言葉を大切にしていない話し方とでも言おうか。

そういう先生の言葉は言霊が入っていないというか、
意識が行き届いていないので、
授業も雑多な言葉の拡散した聞くに堪えないものだろうな…
と想像してしまう。

例えば指示の言葉をうるさいほど何度も繰り返していたり、
言わなくてもいい感嘆詞、接続詞などで授業の空気を乱している可能性は高い。
学生は知的好奇心を刺激されない無意味なセリフなんて、一言も聞きたくないものだ。

こういう日常の話し方については、同僚も上司も本人には何も言わないと思う。
その人の性格にも関わることだし、なかなか言いにくいだろう。

日本語教師は言葉を操るプロ。
教師は学生が「この先生のような日本語が話せるようになりたい。」
と思えるような「手本」でありたい。

そのためには、自分の発話を常々どこか客観的に観察しているような気持ちで
いる…という訓練期間を少なくとも一定の間持つべきだろうな。
(と、自分自身にも常に問わねば。



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いい授業のあとは

2015年02月13日 | 授業でのこと
気付きました。

いい授業だったかどうかは、
授業後の教室でわかる。

いい授業のあとの教室はゴミがなく、
机も整頓されている。

その反対の場合は床にゴミが落ち
机の中にはくしゃっとなったプリント。
なんとなく机も整理されておらず、
さらにはなんだかホワイトボードにも汚れが目立つ。

教師が教室マナーについて学生に
一通り伝え終わったころ、初級ちょっとすぎのころが
顕著かもしれない。

教師がマナーについて言わずとも
満足した授業なら学生は(きっと無意識に)
敬意を表し、学んだ場所を整えて帰る。
どこの国の学生でも。



最近は授業後に学生が帰った教室を少し緊張しつつ眺め、
今日の授業のできを確認しています。





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