ひよっこ日本語教師街道!

日本語教師としての発見をマイペースに綴っていきます♪教師への道は甘くない!!

ベトナム人学習者のイントネーション矯正にはコレっ

2019年01月28日 | 日本語教育のこと
ベトナム人学習者のアクセントやイントネーション指導には、
コツがいくつかあるように思う。
●耳から学習させること。
●ティーチャーズトークせずに指導していくこと。
(「日本語を」の「を」や「勉強を」の「を」を
 しっかりはっきり区切って言うがゆえ学習者の「を」の発音が高く
 なってしまうの、ありがちですよね。
 「にほんごー」「べんきょー」ぐらいでちょうどいい。)
●2拍以上の単語で、低高高高などの最後がずっと「高」になる
 単語に抵抗をなくしてもらうこと。

(「仕事」「時間」「大学」「それから」「一緒に」
などなど、後半あがりっぱなしの音は非常に言いにくいよう。

発音、アクセント、イントネーション、その全てが母国語と違って非常に
苦労を強いられるベトナム人学習者。

彼らの助けになるよう、私はよくベトナム語の声調を使っています。
助詞が上がりがちな人には、6つの声調を言ってもらい、一番近いもの
(大体下から2番目あたり?)で助詞を言うよういつも意識してもらう。

前の単語により助詞の高さが変わるので
(「お金が」の「が」と「番号が」の「が」は高低が違う。)注意しながら…

ひー!と思うような助詞のアクセントの強い学習者も一瞬で直ったりする

そして、あえていろいろな国の人がいる中で見せると
「ベトナムって声調が豊かなんだなぁ」
「これは日本語学習は大変そうだ」
「ベトナム語っておもしろい」

などなどベトナム以外の国籍の学習者の「ただただ下手なベトナム人」という(失礼
印象を変えるきっかけにもなる。

誰かが苦手なことを、傷つけない言い方、方法で共有してみんなで応援し励まししつつ、
協力し合って伸ばしていければいいなぁと思う。


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日本語教師の根本的な役割

2018年10月18日 | 日本語教育のこと
日本語教師の役割、本当にいろいろあるけれど。

根っこの一番大切な役割は、

誤り(日本語のミス、ズレた勉強方法、間違った取り組み方等々)
を適切なタイミングで適切な方法で適切な感情とともに正し、


正解や成長を心から褒めて喜ぶ。

ということじゃないかなぁと思うこのごろ。

なんの指導もアドバイスもなかったとしても、
ずっと自分を見ていてくれて、
常にこういうフィードバックをしてくれる存在がいたら
人は伸びるんじゃないかなぁ…
語学に限らず。


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日本語の口癖で「面倒くさ度」チェック。

2018年09月18日 | 日常での日本語・文化のこと
いやー

口癖って、性格表れますよね

ここんとこ外国人と話していて

「む、これは…」
とピンとくる「面倒くさいヤツ」(あくまで私にとって)指標となる口癖がこれ


1.接続詞は「でも…」を多用

 なんかよくきいてると「ところで」の意味でも
 「でも」と使っていたりしてイライラ度マックスくぉらー!

2.「~てください」乱用

 「~てください」って一般的に、個人的な「依頼」のときって
  さほど使わないよなぁと思う今日この頃。
  
 「ご記入ください」のような公に向けたお願い。
 「どうぞおかけください」のような勧め。
 「こことここ、訂正してください。」など、下の人への指示や注意。
  ほか、「ちょっとちょっとこれ見てください!」「夜道、気を付けてくださいね」
  など「個人的依頼」以外で使うことが多く、

 多少日本滞在歴のある外国人なら(相手の負担になるような)個人的なお願いには
 「~てください。」とストレートに言うのにはなんとなく気まずさを感じ
 「~てくれませんか?」「~てもらってもいいでしょうか?」
 など言い換える人が多い気がする。
(「~てください」と言う場合は声色や非言語表現に無意識に工夫している気もする。)

 初級レベルではないのに依頼の「~てください」を連呼する人には、何かこう…
 胸騒ぎを感じるのよねぇ
(でその胸騒ぎが当たるのよねぇ…)

3.質問への第一声が常に「わたしですか?」
 
 完全に個人的な好みです(笑)

 やよネーこういう人
こういう人に仕事的にヒドイ目に合わされることが多いんですよ!
(同僚はヒドイ目に合わされてないので相性の問題のようです。



そして最近周りの外国人が私の口癖をまねて「まいっか」を連呼してくる。
くわばらくわばら…


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日本の大学や会社に入る前に身に付けるべきスキル

2018年09月10日 | 日本語教育のこと
外国人が日本で大学や会社に入った際、
できていたほうがいいことの一つは

自分で見直して修正することだと思う。

これを、日本人は義務教育でしっかり学んでいるんだと
改めて感じる。

小学校や中学校で間違いを自分で直すということは
さまざまな場面であった。
小テストや宿題を赤いペンでチェック。
ときどき隣の人と交換してチェックしたり。

多国籍の人々と接して、この
文字や書式の間違いを見直して修正する
ということが一回で完璧にできる人が少ないと
とても感じる。ほぼ皆無。

濁点や半濁点を付け忘れていたり、漢字の線が一本足りなかったり、
文字がひとつ抜けていたり、句読点がなかったり、
フォーマットの太い線と細い線の区別がなかったり。

なんと些細なこと。意味はわかるのに!
という気持ちもあるのかもしれない。
細かくチェックするとギョッと驚かれるので
や~日本人、細かすぎるのかしら?と思ったりもする。

しかし、この減らない細かいミス(見逃し)が積み重なると
日本人からの評価は

「アイツはやる気がない。」「手を抜いてる。」
となったり
「ミスも気付かない、できないヤツ。」
となったりする。

その人の姿勢や能力のせいだと思われてしまうのだ。

実際は姿勢や能力のせいではなく、細部まで見ようという意識。

そして何度も練習していると、見えていなかった細かい間違いが見えてくる(笑)

日本語学校でしっかりこの訓練をしておくことはとても大切だと
しみじみ感じる




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『わざー光る授業への道案内』

2017年10月10日 | 日本語教育関係の本
教師になりたての頃は、力を入れていたのは「導入」だった。
しかし今もし授業するなら、そこまで重要視しないだろう。
かける時間も短い。5分くらい?

このご時世、文法翻訳はあらゆる国のものが出ているし、
国で知識は勉強してきて頭には入っている人も多い。

大切なのは、練習だ。
ドリル練習を手を変え品を変え、いかに反応として
口から出るようにするか。
活動練習で教室をいかに「その場」にするか。
いかに単語を授業内で1つでも多く覚えられるように工夫するか。
いかに発音、アクセント、イントネーションを身につけさせるか。

導入は「教え方の手引き」でいいんでないかしら、と思う。
教師が磨くのは練習のワザ。
導入や練習にレアリアで目を引くのも楽しいけれど、
教師の腕の見せ所は、道具がなくとも表現できる「ワザ」なのだ、と思う。

少し前に買った『わざ-光る授業への道案内』(今村和宏著)
まさに、なタイトル
読むと、教師の一挙手一投足見直したくなる。
1996年出版とかなり昔の本(装丁も何かテキトーな感じ…?)なのだけど、
こここここんな本、他にあるかしら?!
と思うほど熱い。熱すぎる。

読んで字のごとく、文法云々でも教授法云々でもなく、ワザ。
匠のワザ!

第15章からなる目次、少しご紹介。

第1章 「変化」の正体
第2章 ことばと「体の動き」1
第6章 演劇の訓練
第8章 基礎技術の徹底
第11章 ことばの匂いが染み渡る
第12章 高感度アンテナ
第14章 教師の信念と情熱

ことばの匂いが染み渡る。そんな教室。

素敵すぎませんか。
著者の情熱があふれ出ていて、元気が出る本です


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言語はただの道具ではないのね