『SWAN 青い湖』 青い湖と桜貝の歌Ⅱ  ~☆羽生結弦選手応援ブログ☆~

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【記者会見全文】羽生選手の会見を観て・・・

2022-02-16 14:01:14 | 羽生結弦さん

羽生選手の数々の会見を見て

先ず第一に

日本スケ連とISUに対し

怒りを覚えました

羽生選手の会見以降

会見全文を何度も読み返しては

泪が…

前記事は私の願望に過ぎません

羽生選手がどれほど頑張ったか…

泪がとまらない

悪の組織は

どんだけ

残酷なんだ

私はいま怒りに震えてる・・・

私も頑張って全文書き起こしましたが、既に出てましたので。私のは全ての言葉を省略しないで書き起こしましたが読みずらいと思いますので、出ていたものを貼ります。

 

【会見全文】

フィギュアスケート日本代表として北京五輪に出場し4位となった羽生結弦選手が、14日午後6時半から記者会見に臨みました。詰めかけたマスコミからの質問に答える形式で行われた記者会見では、これまで語られなかった、今大会に至るまでの羽生選手の軌跡や、羽生選手自身の思いについて明かされました。

<羽生選手の冒頭発言>

質問の前に僕から話させていただきたいことを先にお話させていただきます。まずこのような形で、正直自分もこんなに集まって下さるとは思わなくて今とてもびっくりしているんですけれど、皆さんの前でお話する機会を設けて下さいまして本当にありがとうございます。

写真等で見た方、そしてメディアの方々は当事者として感じられたかと思うんですけど、まだバブル内で陽性者が出ている中でのオリンピックで、自分がミックスゾーン等で取材をしていただくときにどうしても密になってしまう、多人数が集まってしまうということもあって、このような大きな会場で質疑応答をさせていただくことを思い、僕はこれに同意しました。本当に足を運んでくださりありがとうございます。

そして、話したいことがいっぱいあって自分もちょっと緊張していて、なにを話せばいいか分からなくなっているんですけど、質問がこないかもしれないと思って、ちょっと言わせていただきたいことがあって。

まず金メダルを取ったネイサン・チェン選手。本当に素晴らしい演技だったと思いますし、やっぱりオリンピックの金メダルって本当にすごいことなんです。

僕もそのオリンピックの金メダルを目指してずっと頑張ってきましたし、そのためにたくさんネイサン選手も努力したんだと思います。彼には4年前の悔しさがあって、それを克服した今があって、本当に素晴らしいことだと思います。

そしてちょっと前後しちゃいますけれど、この大会に関係している方々、ボランティアの方々、そして今回氷を作ってくださった方にも感謝を申し上げたいです。もちろんSPの時に氷にひっかかってしまって、ちょっと不運なミスだなっていうか、悔しかった部分ももちろんあります。

けど本当に滑りやすくて飛びやすくて気持ちのいい会場で、気持ちの良いリンクでした。本当にこの場を借りて、感謝したいと思います。ありがとうございました。

<以下、質疑応答>

--今日演技を終えて初めてリンクで練習でをされたと思うんですが、その時に笑顔も見られました。リンクから離れていた数日間の気持ちの変化は?

もちろんいろんなことを考えました。自分が4回転半というものに挑んだこと、成功させきれなかったっていうこと、今まで頑張ってきたこと、道のりだとか、そしてその道のりの価値とか、結果としての価値とかいろんなことを考えました。

けど、やっぱり足首がちょっと痛いこともあって、きょうも練習であんまりジャンプやっちゃいけないって思ってはいたんですけど。痛み止めも飲んではいるんですけど、かなり強いものを許容量以上に。それでもやっぱりここで滑りたいなと思って今日滑らせていただきました。そしてこの3日間、オリンピックのことについてももちろんですし、今までのことを考えていた中で僕は本当にいろんな人に支えられているんだなということ。

足首に関しても今回この3日間ですごくたくさんケアしてくださったりとか、本当にまだ歩くのでさえもちょっと痛いんですけど、それでも最大限治療して下さったりとか。本当にサポートして下さったり、食事の面でも栄養の面でもケアしていただいたり本当にたくさん支えていただいているので、それにもっと感謝したいなって思わされた3日間だったと思っています。

--フリーの演技のあと、観客席に向かっていつもより少し長くお辞儀をされて、その後、氷に触れてリンクに何か伝えるような仕草をされたように見えたんですが、あの時、羽生選手はどんな思いがあったんですか?

関係者の方々も含めて足を運んで下さった方があそこにいらっしゃって、自分の演技自体が結果として勝敗として良かったかどうかって言われたらベストなものではなかったので、それでもすごく残念だったなっていう雰囲気に包まれなかったというか、すごく大きな拍手をいただいて。

それにやっぱり感謝したいなって思ったのと、実際に目に見えてはいないんですけど、きっとこのカメラの向こうにたくさんの方々が応援してくださって、地元の方も含めて被災地の方も含めて、日本だけじゃなくていろんな国々から見て下さっている方もオリンピックならではだし、そういった方々にも感謝を込めたいなと思いました。

もちろんいつも氷に挨拶するんですけど、このメインリンクで競技をするのは最後だなと思って。先ほども言ったように、少し苦しかった部分もあったんですけど、でもやっぱりこの氷好きだなと思って感謝していました。

--フリーのあと最後に聞いたんですけど、4回転半への挑戦をされるかどうか、いかがでしょうか?

どうなんでしょうかね。まだ自分の中でまとまってはないです。ただ、あの時もそうだったんですけど、いま言えることとして、今回これを言うことが正しいのかどうかは分からないですし、言い訳くさくなってそれでいろいろ言われるのも嫌だなっていう。

平昌の時もそうだったんですけど、何か言ったら絶対嫌われるっていうか、何かしら言われるんだろうなっていう怖い気持ちももちろんあるんですけど、でも事実なので。

前日の練習で足を痛めて4回転半で思いっきり、自分の中でも一番にしめて、片足で降りて、その時に捻挫しました。その捻挫の程度も思ったより酷くて、本来だったら、普通の試合だったら完全に棄権していたと思いますし、今も安静にしていないといけない期間で、ドクターからは「10日は絶対安静にしてね」と言われているんですけど。

当日の朝の公式練習であまりにも痛かったので、どうしようかなって思ったんですけど、そのあと、6分間練習の直前、10分前ぐらいに注射を打ってもらって、出場することを決めました。

でも、その注射だったり、その注射の痛みを消してもらえる感覚であったり、また自分自身がケガをしていて追い込まれていて、ショートも悔しくて、色んな思いが渦巻いた結果としてアドレナリンがすごく出て、自分の中でも最高のアクセルができたと思っています。なので、きっとジャンプにはいろんな技術があって、僕は4回転半というものを習得するにあたって、いろんな技術を研究して学んで自分のアクセルに繋げようと思ったんですけど、やっぱり自分自身のジャンプは「負けたくない」というか、あのジャンプだからこそ綺麗だって言ってもらえるし、僕はあのジャンプしかできないし。

だから絶対に思い切り飛んで、思いっきり高いアクセルで、思いっきり早くしめてっていうことを追求しました。その結果としてジャンプとしての最高点にはたどり着けたと思っていますし、回転の判定もいろいろありますけど、僕の中ではある意味納得しています。満足した4回転半だったと思っています。

--4日経って今日滑ろうと思った理由と、実際リンクに立って滑ってみて抱いた感情を教えてください

正直、本当は滑っちゃいけない期間だったんですけど、どうしても滑りたいなと思って滑らせていただきました。これからちょっと練習すると思います。

うーん、そうですね…スケートのことを嫌いになることはたくさんありますし、フィギュアスケートってなんだろうってよく思いますし。僕自身が目指しているものがフィギュアスケートなのかっていうこととか、いろんなことを考えます。

ただ今日滑って、今まで習ってきたこととか小さい頃にやっていたこととか、スケーティングに関していろいろやってみて、上手くなったなって思ったり。それがすごく楽しかったり、それを見ていただくのは本当に気持ちよかったり、やっぱり僕は僕のフィギュアスケートが好きだなって思えた今日の練習だったと思います。

またここから練習していくにあたって、いろんな感情が湧いてくるかもしれないですし、ジャンプ飛びたいなとか思いながら練習していたんですけど、でも、フィギュアスケート自体を、靴から感じる氷の感触とかを大切にしながら滑りたいなって今は思っています。

--東日本大震災の時に避難所で一緒だった坂田俊晃さんという方が、金沢市で羽生選手を応援する、応援会報誌をずっと作り続けていて、北京オリンピックで100号となります。本当に坂田さんをはじめ今大会も力を与えてもらったかなと思いますが、改めて受け止めを聞かせてください。

いろんな方々からいろんな声をいただいたり。もちろん「おめでとうございます」にはならなかったかもしれないですけど、でも本当にいろんな「良かった」という声をいただいて、僕はすごくある意味で幸せです。

僕は皆さんのために滑っているところももちろんありますし、僕自身のために滑っているところもあります。いろんな気持ちの中で、最近フィギュアスケートというものと向き合っていますけど。

東日本大震災の時も感じましたけど、何かをきっかけにして皆が一つになるということが、どれだけ素晴らしいことかということを、あの東日本大震災から学んだ気がしていて。

もちろん、辛い犠牲の中でのことですけれども、僕の演技が、皆さんの心が少しでも一つになるきっかけになっているのだったら、やっぱり僕は幸せ者だなと思いますし。

それが東日本大震災とか、そういう災害とかではなくて、もっと健康的に、何かを犠牲にすることのない、幸せな方向のきっかけだったらとてもうれしいなと思いますので。こんなに応援していただけて本当に光栄だなと思うと同時に、皆さんも自分を応援することで幸せになっていただけていたりしたら嬉しいなと思っています。

--王者として守るのではなく、挑戦する。改めて羽生選手にとって挑戦とは何なのでしょうか?

挑戦ですね…きっと別に僕だけが特別だとは思っていなくて。王者だったからとかではなくて。皆生活の中でなにかしら挑戦しているのだと思います。それが大きいことだったり、目に見えることだったり、報道されることだったり。それだけの違いだと僕は思っていて、それが生きるということだと僕は思いますし。

守ることだって挑戦なんだと思うんですよね。だって守ることって難しいなと思いますし。大変なんですよ、守るって。家族を守ることだって大変だと思いますし、何かしらの犠牲だったり時間が必要だったりしますし。だから何一つ挑戦じゃないことなんて存在していないんじゃないかなと。

それが僕にとって4Aだったり、このオリンピックというものに繋がっていたり。ただそれだけだったかなと。だから僕も挑戦をすごく大事にしてここまで来ましたけど、皆さんもちょっとでいいから、「自分挑戦していたんだな」とか、「羽生結弦はこんなに褒めてもらえているけど、実は褒められることなのかな」って、自分のことを認められるきっかけになっていたら嬉しいなって僕は思います。

--挑戦したオリンピックの演技、冷静に振り返って満足度はどのくらいなのか。4回転アクセルはできたとのことですが、これから何をモチベーションにするか、モチベーションを見つけていきたいという思いはあるか。この2つを聞かせてください。

冷静に考えて自分の演技はどうだったかということを。まずショートプログラムから。ショートははっきり言って、すごく満足しています。ショートプログラムって、最初のジャンプでミスをしてしまったり、何かしらトラブルがあったりとか、氷に嫌われてしまうことというか、ガコってなったり、小さい転倒じゃなかったり。

ミスにつながらなかったとしても、ガコっとなることはたまにあることではあるんですね。でもその中でも、その後ちゃんと崩れずに、世界観を大切にして自分が表現したいことプラス、良いジャンプを飛べたということは、そういう点ではすごく満足しているショートでした。

そして、フリープログラムは、もちろんサルコウジャンプでミスしてしまったのは悔しいですし、アクセルもできれば降りたかったとは正直思いますけど。でも何か…上杉謙信というか、自分が目指していた「天と地と」という物語というか、自分の生きざまというか。それにふさわしい演技だったのではないかと思うんです。

冷静に考えたとしても。得点は伸びないですけどね。どうやったってシリアスエラーというものが存在していて、そのルールに則るとやっぱりPCSは出ないので。どんなに表現が上手くても、どんなに世界観を表現したいと思っても、それが達成できたと自分の中で思っても、上がらないのは分かっているので。冷静に考えたら悔しいことではあるかもしれないんですけど、僕は、あのフリープログラムも、プログラムとして満足しています。

モチベーションについてなんですけど…うーん、そうですね。正直な話、今まで4Aを飛びたいってずっと言ってきて、目指していた理由は、僕の心の中にいる、9歳の自分がいて。あいつが飛べってずっと言っていたんですよ。

ずっと「お前へたくそだな」って言われながら練習していて。でも今回のアクセルは、なんか褒めてもらえたんですよね。一緒に飛んだというか、ほとんど気づかないと思うんですけど、実は同じフォームなんですよ。9歳の時と。ちょっと大きくなっただけで。

だから一緒に飛んだんですよね。それが自分らしいなと思ったし、何より4Aをずっと探していくときに、最終的に技術的にたどり着いたのが、あの時のアクセルだったんですね。ずっと壁を上りたいと思っていたんですけれど、いろんな方々に手を差し伸べてもらって、いろんなきっかけを作ってもらって、上ってこれたと思っているんです。

最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だったなって思って。最後にそいつと、そいつの手を取って、一緒に上ったなっていう感触があって。そういう意味では、羽生結弦のアクセルとしてはこれだったんだって。納得できている。だから、それがモチベーションアップとしてこれからどうなるのかは分からないですけれど、まだ4日しかたっていないので分からないですけど。

でも、正直今の気持ちとしては、あれがアンダーだっとしても転倒だったとしても、うん。やっぱりいつか見返したときに、「羽生結弦のアクセルって軸が細くて高くて、やっぱりきれいだね」って思える、誇れるアクセルだったなと思っています。

--中国のファンに何か一言、北京のオリンピックは最後のオリンピックですか?

このオリンピックが最後かと聞かれたら、ちょっと分からないです。えへへ。やっぱりオリンピックをやってみて、オリンピックって特別だなって思いましたし。何より、ケガしていても立ち上がって挑戦するべき舞台ということもあって、フィギュアスケーターとしてそんなところは他には無いので、すごく幸せな気持ちになっていたので、また滑ってみたいなという気持ちはもちろんあります。

あとはそうやって2万件のメッセージをいただいたりとか、手紙をいただいたりとか、また、今回はボランティアさんもすごく歓迎してくださったりとか、もちろん中国のファンの方々も含めてすごく歓迎してくださっているのをすごく感じていて。そういうなかで演技をするのって本当に幸せだなって思いながら今回滑りました。本当にそんなスケーターなかなかいないよなって思いますし、羽生結弦で良かったなって思いました。

--このオリンピックのあと、これからの目標は?

4回転半を降りたいなっていう気持ちはもちろん少なからずあって、それと共に自分のプログラムを完成させたいなっていう気持ちはあります。ただ、先ほども言ったように自分のアクセルが完成しちゃったんじゃないかなって思っている自分もいるので、これから先、フィギュアスケートをやっていくとして、どういう演技を目指したいかとか、どういう風にみなさんに見ていただきたいかとかいろんなことを今考えています。

まだ次のオリンピックとかどこでやるのかなとかまだちゃんと自分の中でも把握できていない自分がいますし、正直、混乱しているんですけど。でも、これからも羽生結弦として羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら極めていけたらいいなって思っています。

--オリンピック前に羽生選手は2連覇を持っていて、それを失うのが怖いと仰っていました。ただ、今日、ちょうど8年前、ソチで金メダルを取られて、8年五輪王者を背負われていたと思うんですけど、それを失ったいま率直にどんな感情が湧いているのか教えてください。

これは泣かせにくるやつですかね。(微笑む)いやでも、とても重かったし、とても重かったからこそ、自分が目指しているフィギュアスケートというものと、自分が目指している4Aというものを常に探求できたなと思っています。

まずソチオリンピックで優勝していなかったら、やっぱり報道の数も違ったと思いますし、そこに羽生結弦というスケーターがいるんだって。パリの散歩道とか、ロミオとジュリエットとかそういう演技を見ていただいて、こんなスケーターいるんだって注目していただけるきっかけにもなったし。

それから応援してくださる方もたくさんいたと思います。そして平昌オリンピックで清明とバラード第1番をやって、それでまた「やっぱ羽生上手いじゃん」とか「羽生選手これからも応援したいな」と思ってくださる方もたくさんいらっしゃって、だからこそ今があるんだと思っています。

だから、もちろん3連覇っていうことは消えてしまったし、その重圧からは解放されたかもしれないんですけど。でも、ソチオリンピックが終わったときに言っていたことと同じで、僕はやっぱりオリンピック王者だし、2連覇した人間だし、それは誇りをもって。これからもフィギュアスケートで2連覇した人間として胸を張って後ろ指をさされないように、自分自身が、明日の自分が今日を見た時に胸を張っていられるように、これからも過ごしていきたいなって思っています。

■羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)
1994年12月7日生まれ、27歳。宮城出身。172センチ。14年ソチ、18年平昌五輪2連覇で国民栄誉賞を受賞。16年に世界初の4回転ループ成功。今大会4回転半に挑戦、転倒もISUの公認大会で世界初の「認定」。

 


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