5月3日
朝9時半出発!
新撰組を求めて、イザ!京都へ!
使いたくはないけど、JRで大阪駅へ向かう
そして、そこから乗り換えて
阪急京都線にて「大宮駅」着いた時間はおおよそ、11時半
京都は碁盤の目にように道が出来てる
壬生寺に向かって歩く・・・およそ、10分くらい
今では賑やかな町並みだけど
このあたりは、昔は閑静な農村地帯で
壬生菜が取れる地域
壬生寺に着く前に「前川邸」発見!!
慶応元年までの2年間屯所として使用
尊王攘夷志士、古高俊太郎を拷問した場所
また、脱走しようとした山南敬介・野口健司はここで切腹させられた
個人宅非公開
そこで撮影した前川邸の見取り図
そこから、壬生寺へ回った
近藤勇の銅像がある
屯所はここにおいてなかったが、
境内は隊士の兵法調練に使われ、武芸や大砲の訓練をしていた
また、沖田総司がよく近所の子供を集めて遊んだりした
近藤勇をはじめ隊士達が壬生狂言を鑑賞したという逸話も残っている
そのすぐ近くに一番の見所!「八木邸」があった
前に訪れたときには門は閉まっていて
開放されてはいなかったので
今回は是非!見学することににした(かなり、待ちました!)
京都市指定有形文化財のこの建物は
1808年(入り口の門)、1809年(屋敷)の建造物である
屋敷内は撮影禁止
門をくぐるとすぐに屋敷入り口だ
玄関はなく、いきなり廊下みたいな所があり、それが部屋でもある
広さは六畳。天井には弓と矢が厄除けにかざってある
現在は危険な為、矢の金属部ははずされており、ただの棒2本とまがった棒2本があった
その奥は八畳と十畳のへや
仕切ってなかったので二十四畳の一間で公開されている
庭は当時のままに岩や灯篭がおいてある
ただ昔より半分ほど手前に狭くなったとのこと。
今のように家が建ってなかったその頃には
この中庭から二条城や五山の送り火が望めたそうです
時間が止まったようなこの風情に
この縁側に隊士たちが座って話してる光景が目に浮かびそうでした・・・
当時は芹沢鴨一派5人がそこを陣取って寝泊まりしていた
一番大きな10畳部屋は芹沢鴨の部屋
8畳部屋は新見錦ら
彼らがのちに近藤一派に寝床を襲われ暗殺されたのもこの部屋だ。
天井が低く
あたしの身長でも鴨居に頭が当たりそう・・・
密かに、昔の人って低いんだね・・・なんて言ってたら
見当違いだと・・・
部屋の中で刀を振り回せないように低くしてあるとのこと
失礼しました<m(__)m>
新見は寝床ですぐにやられた
芹沢は刺されたが脇差しで応戦。(大刀は端に置いてた。)
必至で廊下をつたい隣部屋まで逃げた
その時の刀傷が鴨居にあった!
天然理心流の使い手達は
必殺として突きが幸いしたのかと・・・思ったりした
しかし、机につまずき、そこで殺され、首をはねられた
そのつまずいた机は今もそこにある。また部屋にはその時の刀傷も残っている
その部屋には当時12歳の少年が寝ており騒ぎで足に小さな傷を負ったらしい
昭和8年まで生きたその人は「新選組始末記」作者の子母澤寛から当時の取材を受けている。
近藤、土方らが寝泊まりしてたのは同じ敷地内、隣の長屋だったそうだ
建物は残ってないが、現在は鶴屋という菓子屋になっており
当時の面影をなんとか想像できる・・・かも
見学料込みの、抹茶と屯所餅はその鶴屋でいただいたきました!1000円也!ガイド付き!です
次は、錦市場を探索しました
長いので、続く・・・・