最後に残っていたゴールデンカップスのオリジナルメンバーである、エディ藩さんが77歳で亡くなりました。
NO.311で紹介した近田春夫さんの著作の『グループサウンズ』にて、2022年に行われた対談が載っているのですが、
近田春夫さん、エディ藩さん、瞳みのるさん(タイガース)の3人の話は、当事者ならではのエピソード満載で、非常に面白いものでした。
タイガースとゴールデンカップスは、ライバル同士と思われがちですが、よく一緒に麻雀をするような仲だったというのは、まず語られないものですね。
そもそもタイガースは、最初は麻雀をするのに一人足りないからと、加橋かつみさんを引き入れて麻雀を教えて原型が出来たという話は本人ならではです。
そしてゴールデンカップスも、エディ藩さんが当時サンフランシスコに卒業旅行に行って、偶然にデイブ平尾さんと出会ったというのもドラマチックな話ですね。
それ以外にも、タイガースやゴールデンカップスは当時、給料制だったので、いくら人気があっても月給が変わらなかったという不満もあったとか等、
生々しい話もあったりと、読み返してみると、やはり面白いですね。エディ藩さんが、タイガースから加橋かつみさんが脱退した時、
無理やりオーディションを受けさせられたといったエピソードは、瞳さんも知らなかったと言っている事でしたし。
GSに興味がある人には、読んでもらいたいですね。
2000年代にゴールデンカップスが再結成されてドキュメント映画が公開された頃、何度かライブには行ったことあります。
デイブ平尾さんのトークが結構面白かったのを覚えています。当時のゴールデンカップスのテレビ出演の映像はあまり残っていませんが、
クリームで有名な『アイムソーグラッド』を演奏している映像を初めて見た時は衝撃的でした。
エディさんは、横浜のロックシーンに影響を与えるような人でしたが、ヒット曲と言われるものは殆どありません。
しかしながら、藤竜也さんが作詞、エディさんが作曲をした『横浜ホンキートンクブルース』は、松田優作や原田芳雄さんといった、
男の色気を感じさせるようなアーチストが好んで歌っており、知る人ぞ知る名曲となっています。
エディ藩さんと藤竜也が語りつくした「横浜ホンキートンク・ブルース」の夜
ご冥福をお祈りします。