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月の裏側〜reprise〜

捻くれ者が音楽を語ったらどうにも収拾がつかなくなった件。マニアックな作品紹介と自分自身の音楽関係の思い出話を中心に。

NO.317 エディ藩さん死去

2025-05-12 09:28:04 | 墓碑銘

最後に残っていたゴールデンカップスのオリジナルメンバーである、エディ藩さんが77歳で亡くなりました。

エディ藩さん死去 77歳、横浜出身 「長い髪の少女」ヒット

 

NO.311で紹介した近田春夫さんの著作の『グループサウンズ』にて、2022年に行われた対談が載っているのですが、

近田春夫さん、エディ藩さん、瞳みのるさん(タイガース)の3人の話は、当事者ならではのエピソード満載で、非常に面白いものでした。

タイガースとゴールデンカップスは、ライバル同士と思われがちですが、よく一緒に麻雀をするような仲だったというのは、まず語られないものですね。

そもそもタイガースは、最初は麻雀をするのに一人足りないからと、加橋かつみさんを引き入れて麻雀を教えて原型が出来たという話は本人ならではです。

そしてゴールデンカップスも、エディ藩さんが当時サンフランシスコに卒業旅行に行って、偶然にデイブ平尾さんと出会ったというのもドラマチックな話ですね。

それ以外にも、タイガースやゴールデンカップスは当時、給料制だったので、いくら人気があっても月給が変わらなかったという不満もあったとか等、

生々しい話もあったりと、読み返してみると、やはり面白いですね。エディ藩さんが、タイガースから加橋かつみさんが脱退した時、

無理やりオーディションを受けさせられたといったエピソードは、瞳さんも知らなかったと言っている事でしたし。

GSに興味がある人には、読んでもらいたいですね。

 

2000年代にゴールデンカップスが再結成されてドキュメント映画が公開された頃、何度かライブには行ったことあります。

デイブ平尾さんのトークが結構面白かったのを覚えています。当時のゴールデンカップスのテレビ出演の映像はあまり残っていませんが、

クリームで有名な『アイムソーグラッド』を演奏している映像を初めて見た時は衝撃的でした。

 

 

エディさんは、横浜のロックシーンに影響を与えるような人でしたが、ヒット曲と言われるものは殆どありません。

しかしながら、藤竜也さんが作詞、エディさんが作曲をした『横浜ホンキートンクブルース』は、松田優作や原田芳雄さんといった、

男の色気を感じさせるようなアーチストが好んで歌っており、知る人ぞ知る名曲となっています。

エディ藩さんと藤竜也が語りつくした「横浜ホンキートンク・ブルース」の夜

 

ご冥福をお祈りします。

 

 


NO.293 マリアンヌ・フェイスフル死去

2025-02-02 00:18:23 | 墓碑銘

自分にとっての世代ではないですが、やけに印象に残っている女優、アーチストであるマリアンヌ・フェイスフルが

2025年1月30日に死去されました。78歳でした。

 

Marianne Faithfullが享年78歳で逝去

 

印象的なヒット曲は「As Tears Go By」ですね。他にも色々な曲がありますが、やはりこの曲は多くの人の心に残っていると思います。

 

 

そしてミック・ジャガーの恋人だったという事もあり、その点でも印象に残っている人が多いでしょう。

そして日本ではどちらかというと、映画「あの胸にもういちど」でアラン・ドロンと共演した時の、ライダースーツでバイクに乗る姿が、

「ルパン三世」の峰不二子のモデルになったと言われている事の方が印象深いかもしれません。

その美貌と歌声から、当時のミュージシャンにとっての女神的存在とされてきた人ですね。ご冥福をお祈りします。

 

ローリングストーンズも「As Tears Go By」をカバーしていますが、これはレアなイタリア語バージョンです。

 

 

 


NO.289 ジョン・サイクス死去

2025-01-21 22:44:54 | 墓碑銘

また悲しいニュースが入ってきました。

ホワイトスネイク、シンリジィ、ブルーマーダー等で活躍していたギタリストのジョン・サイクスが亡くなったとの事。

 

ジョン・サイクスさんが死去、がんのため 65歳 ホワイトスネイク代表作など参加 広瀬さとしJIMMYが明かした胸の内

 

自分はホワイトスネイク時代は、あまりメタルを聴いていなかったので、『白蛇の紋章』の凄さはわからなかったのですが、

デビット・カバーデイルとジミー・ペイジのユニットであるカバーデイル=ペイジの来日公演のアンコールで聴いた

『スティル・オブ・ザ・ナイト』がカッコよくて、誰の曲か調べてたどり着いた経緯があります。もっと早く聴いておくべきだったかなと。

 

 

最初に興味を持ったのは、ブルーマーダーでした。もっとも、ドラムが元ヴァニラファッジやベック、ボガード&アピスの

カーマイン・アピスだから興味を持ったのですが。でもそのサウンドは、自分の好みにも合いましたので、サイクスに興味を持ったわけです。

 

 

シン・リジィは、後になって興味を持つことに。晩年の『サンダー&ライトニング』とか。

『Please don't leave me』はサイクスの曲ですが、フィル・ライノットも参加しているバージョンがいいですね。

 

 

最近は、名前も見る事もなかったのですが、まさか癌だったとは思いませんでした。ご冥福をお祈りします。

 


NO.279 セルジオ・メンデスさん死去

2024-09-07 08:33:05 | 墓碑銘

夏の終わりになると、何となくボサノヴァを聴きたくなってくるのですが、

そんな中での悲報が。セルジオ・メンデスさんが2024年9月5日に

亡くなられている事がわかりました。83歳でした。

 

セルジオ・メンデスさん死去 ボサノバ代表的ミュージシャン

 

熱狂的なファンだったというわけではないですが、来日経験も多く、

名前だけは知っている方が多いとは思います。

また「マシュ・ケ・ナダ」はどこかで一度は聴いた事があるのでは。

 

 

自分的には、ロサンゼルスオリンピックで使用された

「オリンピア」が印象的でした。

ロス五輪というと、ジョン・ウィリアムズによる「ファンファーレ」が

有名で思いだす人も多いですが、「オリンピア」は全日本プロレス中継で

何度となく使用されていましたので、自分にとっては思い出深いです。

 

勿論、それ以外にも印象的な曲が沢山ありますが。

ご冥福をお祈りします。


NO.275 高石ともやさん死去

2024-08-19 08:58:31 | 墓碑銘

またしても予期せぬ訃報が舞い込んできました。

関西フォークの旗手的存在の高石ともやさんが2024年8月17日に

亡くなられた事が発表されました。82歳でした。

高石ともやさん死去、82歳 フォーク歌手「受験生ブルース」 

 

一般的には、やはり「受験生ブルース」の方が知られていると思いますが、

想い出の赤いヤッケ」とか心に染みるようなフォークソングを歌っています。

後はベトナムの反戦歌である「坊や大きくならないで」ですか。

どちらかというと、マイケルズのバージョンの方が知られていると思いますが、

高石さんが訳を手伝っているバージョンの歌詞の方が原詞に近いといいます。

その分、血生臭さは感じるとは思いますが。

 

 

 

反戦歌を多く歌ってきた高石さんですが、バリー・マクガイアの

(オリジナルはP.F.スローン)「明日なき世界」のカバーとかは

インパクトあります。アルバムでも取り上げていますが、

ここではジャックスと共演しているライブバージョンを。

後にRCサクセションも「COVERS」で取り上げているものの元ネタですね。

 

 

そういえば、京都の夏の風物詩でもあった「宵々山コンサート」も

長く続けていましたね。確か三上寛さんが参加した時のレコードを

持っていたはずだから探してみようかなと。 

ご冥福をお祈りします。