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完璧にサボりモード。。

新潟と広島の歴史的関係

2007-04-19 17:34:20 | 徒然なるまゝに
週末はサンフレッチェ戦。
またしても土曜日なので遠征は不可能。
ラジオ中継するってぇので、それを聞いてますわ。

でもって、“サンフレッチェ”と言えば、語源?になった毛利元就。
その毛利家の祖先は大江家。
大江家は大江千里(おおえのちさと)や和泉式部などの俳人・文筆者・文学者を多く輩出した家系である。
その大江家の祖先は土師(はじ)氏。
古墳造成時、人柱の代わりにする埴輪を発明した事でこの姓を貰ったそうだ。
で、土師氏は3系統に分かれるのだが、その一つが大江家である。

大江家は広元が鎌倉時代初頭に幕府の要職についていた。
守護地頭制度の発案者で、源義経の腰越状でも歴史的に有名な人物である。
その広元の嫡男である季光(すえみつ)ら大江一族が三浦氏と共に幕府に対して反乱を起こし、一族の殆どが討死。
大江家傍流は全国に多く残ったが、当時既に毛利姓を名乗っていた本家筋で唯一の生き残りが越後にいて乱とは無関係だった季光の四男の経光(つねみつ)のみ。
大江家の所領の相模国毛利庄(現厚木市)・吉田庄(現安芸高田市)・越後国佐橋庄(現柏崎市)のうち吉田庄と佐橋庄は幕府側に付いた一族(長井氏(所領は長井市や寒河江市など))の口添えにより何とか安堵され、佐橋庄は嫡男の基親に、吉田庄を四男の時親に継がせている。

越後大江氏も本名として毛利姓を名乗っていたが、後に城のある地名の安田と北条(きたじょう)(共に柏崎市)の二家に分かれ、越後大江家の本流2系統に於いて毛利姓は使わなくなったそうだ。

だからどうしたって話しなんだが、つまり、安芸毛利氏の本家筋は新潟(柏崎)なんだなコレが、って話しでした。。

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